第1章 ガーランド施療棟
黒髪の偉丈夫が振り返った。
「ここで御目にかかれるとは。恐悦至極に存じ」
テッサはミテキの口上をぶった切った。
「何のためにあなたを副都に左遷したか、お忘れですか!」
エルミヤの若殿の声はよく通るテノールだ。周囲のヴィザーツは好奇の眼を向けた。
「テッサさま、女人には懲りました。プルシェニィに来て以来、決闘沙汰は1件もなく、日々訓練に明け暮れております」
その時、彼の眼はテッサの後にいる紋章人を見初めた。テッサはハッとして若殿を制しようとしたが遅かった。
彼はカレナードに接吻していた。早業だった。キリアンは「この野郎ッ!」とミテキの肩を掴み、艦長はやれやれと首を振り、テッサは「ミテキにこの癖さえなければ」とあきれ、カレナードは反射的にミテキの頬を殴っていた。
女王マリラが一部始終を眺めていた。
「上りかまちで喜劇を上演中とは! 副都の方々に申し訳が立たぬ」
テッサは女王の前にかしこまった。
「この男はプルシェニィ北部方面警備隊支団長にして有能者でございますが、御覧のとおり多情の輩。よもや紋章人に無礼を働くと考え至らなかった私の責任でございます。エルミヤ、非を詫びなさい。協定破りの罪は明白です」
ミテキはうって変わって謙虚な姿勢を示した。マリラは訊いた。
「そなた、どのようにしてゴンドラに乗った」
「は。ガーランド警備隊と共に行動しておりましたゆえ、ノーチェックでゴンドラに飛び乗ったまでです」
「アナザーアメリカンが勝手に乗れぬと承知の上でか」
「浮き船があまりに美しく、引き込まれたのでございます」
「畏れ知らずよの、エルミヤ。後悔しても遅い時があるとだけ言っておこう。この者を降ろせ!」
降りる前にミテキはカレナードに無遠慮な視線を投げた。
キリアンは書類鞄を司令室に届けた。ヨデラハン参謀室長が副都上空の攻防戦をねぎらった。
「ところで、ゴンドラにアナザーアメリカンが滑り込んだそうだな。これからは不測の事態が増えるだろう。アナザーアメリカンの意識は急速に変わるかもしれん」
「ヴィザーツとの距離が縮まるということですか」
「我々と各領国警察機構は足並みを揃えつつある。ここに共同体意識が生まれるのは当たり前だ。共通の敵と戦い苦楽を共にすれば、互いの距離は縮まるだろう。お前はどうだ。プルシェ二ィ警備隊と共同戦線を張った身としては」
「そうですね、自然と彼らの無事を願っていましたよ。もちろんヴィザーツ屋敷の僚機もですが」
「はは、そうだろう。そのうち、この部屋にアナザーアメリカンが入っても不思議ではなくなるぞ」
「簡単にそうなるとは思えませんが……」
キリアンは先ほどのミテキの行動を思い返した。
「そうなるかもしれません。それが玄街の手先でなければよいのです」
「そうだな。早いところ玄街の基地を特定せねばならん」
「我々は不利ではありませんか」
ヨデラハンは眉を上げた「なぜだね」
「アナザーアメリカは広大です。ヴィザーツ屋敷の全てが今回のような攻撃に耐えられますか」
「最前線で戦った者の言葉、胸に留めておく。キリアン・レー」
マリラとカレナードは重ねていた躰を放し、気だるくシーツに転がった。久しぶりの女王の寝室の天井。ここだけは変わらない。マリラの腕が紋章人の腰に触れた。
「疲れているな、そなた」
「そうでしょうか」
「疲れているとも。あの娘が立派になったのが証拠だ」
「私は幸運でした。彼女の素質が良かったのです」
「謙遜するな。最前線の1日と、そう変わらぬ数ヶ月だったはずだ」
カレナードは女王の腕を取り、口元に寄せた。
「長い戦いになりますか。
「まだ分からぬ……」
マリラは紋章人を引き寄せ、胸に抱いた。
「そなたから、かすかに怒気を感じる。奴のせいか」
「エルミヤですか」
「おもしろい男だな」
「あの男は禁忌を忘れる無礼者で、決闘沙汰が絶えない多情者です」
「やはり怒っているではないか」
マリラはふくれている紋章人を「可愛いのう」とからかった。
「明日から3日間休暇を与える。テッサ嬢はニアたちに任せ、疲れを取りなさい」
翌朝、カレナードはガーランドの上層天蓋下にある施療棟に向かった。定期健診を終え、担当医リリィ・ティンの愛想のなさにむしろ安堵を覚えた。
「地上の雑菌を持ち込まないで欲しいの。新しい施設を設けたから薦めておくわ、そこで殺菌してちょうだい」
「何ですか」
「温泉よ! ぼうっとしてないで入って来たらどうなの。神経疲労や筋肉の強張りにも効くわ」
「ドクトル・リリィ、私から怒気を感じますか」
「何それ。地上の雑菌に頭をやられたの」
カレナ―ドの脳裏をミテキ・エルミヤの姿がかすめた。浴場は施療部の半地下にあった。
「朝風呂で雑念も流しましょうか。ふふっ、さよなら、エルミヤ殿」
が、3日後のテネ城行きの飛行艇に、彼が同乗していた。
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