第1章 紋章人カレナードとは 

 マリラの声はさらに続いた。

「ミセンキッタの方々よ、またこの放送を耳にする他領国の方々よ、全てのアナザーアメリカンよ、我らの戦いが終わるまで領国同士の争いなきよう努めるのだ。

 厳しい時代だが、恐れるな。玄街の脅威が去る時、アナザーアメリカは新しい時代を迎える。そのためにヴィザーツもアナザーアメリカンも共に己が本分を見失うことなく、丁寧に」

ここでマリラは息をついだ。

「丁寧に生きるのだ。

 人々よ。我らヴィザーツはいつでもそなたたちに手を差し伸べよう。出来る限りの命を救い、玄街戦争の災厄から守ってみせよう。ゆえに、人々よ。我らが求める時、その智恵と力を貸し給え。そなたたちの計り知れない命こそがアナザーアメリカの宝である」


 テッサ・ララークノは眉間にしわを寄せていた。

「何が『計り知れない命』だ。要するにガーランド・ヴィザーツが対処不能な事案はミセンキッタ民に押し付けるのだろう。ヴィザーツ同士の問題と言ったくせに」

 紋章人は動じなかった。

「あなたは女王の言葉をすべて曲解しています。ぶたれたせいだけとは思いませんが」


 2人は女王区画の小離宮で放送を聴いていた。瀟洒な建築は客人宿舎にふさわしかったが、テッサは相変わらず小さな殻にこもっていた。

「お前はなぜ私をかばって女王に打たれた。恩を売ったつもりか」

「よく分かりません。とっさに体が動いたので」

「お前は元々は男だったと聞いた。男の心が働いたのではないか」

「誰が私の事を?」

「厭らしそうな道化が来た。7年前、お前はオルシニバレ領国のアナザーアメリカンの青年で、シェナンディ工業の従業員で、いくつも禁忌破りをした罪人つみびと、おまけに今は女王の寝子だと」


 カレナードはあきれたが、ここでワイズ・フールに腹を立てても何もならぬ。

「私の体を変えたのは玄街コード、それを唱えたのはグウィネス・ロゥです。男性への復元は不可能ですから、私は生涯を女で全うします。男の心があるとしても、あなたに向けたりしません。

 もしグウィネスに会えるなら、私を変えた理由を訊きたいと願っています。

 それで、あなたは何を警戒しているのです、テッサ嬢」

「元が男と知っておれば、着替えを手伝わせはしなかった!」

「やれやれ、女王が仰るとおりでした。甘やかすとロクなことがない。あなたの態度は年相応でも領国主のそれでもありません。ただの駄々こね5歳児です」


「ば、馬鹿にするなあぁぁッッ!!」

少女は拳をあげたが、カレナードは女王の紋章のタトゥーがある左手で素早く少女の腕を捕えた。

「いい加減になさい、テッサ・ララークノ。よく領国主でいられましたね。グウィネスはあなたを破滅させる気としか考えられない」

「グウィネスじゃない! 彼女はローザ・ルルカだ! この男女ッ、出来損ないめ! 手を離せ!」

 紋章人は突然笑った。

「男女と仰いましたか、テッサ嬢。ハ! ハ!  ハ! ハ! 」

カレナードの鳶色の眼の奥に冷たい炎があった。ミセンキッタ領国主は寒気を感じた。

「出来損ないと罵りましたね」

「は、離せ……言葉を誤った。離してくれ……」


 カレナードはゆっくり手を離し、まだ少女の腕が指先にあるうちに言った。

「あなたも私も、玄街によって傷つきました。私たちは同じです」

少女は『男女』で『出来損ない』がひざまずくのを見た。

「傷は癒すことが出来ます。私にそのお手伝いが出来ればと考えています」

 少女を見上げる顔は優しい姉のようであり、眼差しは真摯があった。その変貌に少女の声がうわずった。

「う、嘘を申すな……私はローザを馬鹿にする者など信用しない……」

「そうでしょうか。あなたは支えとなる人間を欲しているのではありませんか」

 カレナードは静かに部屋を出た。残されたテッサは床にへたり込んだ。刃を当てられたかのように身震いした。

「な……何者だ、カレナード・レブラント……」


 部屋の外にいた女官ベル・チャンダルとイアカ・ヴァルツァはそっと口を開いた。

「ベルさん、紋章人はまだ性別にこだわりがあるのでしょうか」

「イアカ、彼女は変幻自在なの。彼女が女王の恋人になって6年経つのに、そう考えるのね」

「私、7年前の夏至祭の踊り比べで彼女の男ぶりを見てしまったのです。女王と踊る彼女は素晴らしかった。あの後、彼女は舞台上で女王に無礼を働いたでしょう? それで当時の『女官候補生を目指す研鑽会』全員で彼女の唇を奪う罰を与えました」

 ベルは飄々と返した。

「あなた、やらかしたのね。カレナードが忘れてるといいわね」

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