戦端

「我々フランスは、イングランドに対して先制攻撃を仕掛ける」



 そんな噂が聞こえ始めたのは、クラリスの宣託から数日経ってからだった。僕の願いは叶わなかった。まさか、こんなにも早く事が動き始めるとは。



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 最初の戦いでは、イングランドの港町ドーバーが燃え、フランスの圧倒的な勝利に終わったらしい。僕の予想通りだった。



「イングランドとの戦争、私たちが勝ったそうじゃない」



「もし、イングランドがフランスの領土になれば、間違いなく今より生活が楽になるはずよ」



 僕は井戸端会議を聞きながら思った。そう簡単にことが進むことはありえないと。



「ねえ、ジャン。聞いてる?」とクラリス。



 僕は井戸端会議に集中し過ぎていた。クラリスとの会話を疎かにするなんて、あってはならない。これでは、彼女の僕に対する評価が下がってしまう。



「ジャンは最近おかしいわよ? 何かあったの? 困っているなら相談のるよ」



 クラリスの申し出はありがたかった。でも、口が裂けても言えない。クラリスの宣託が原因だなんて。



「ううん、なんでもないよ。それより、秘密の花畑に行こうよ! また、見たいから」



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 イングランドとの戦争が激化すると、フランドルはおかしくなり始めた。いや、フランス全土がおかしくなったのだ。



「ジャン、ごめんなさいね。うちも家計が苦しいから、お昼をご馳走できなくなったの」とクラリスの母。



「いえ、大丈夫ですよ」



 僕は答える。いや、全然大丈夫ではない。僕は一人でいる時間が長くなったし、何よりもクラリスと一緒にいる時間が短くなったのが嫌だった。僕は恨んだ。神様とフランス国王を。



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 そんなある日の夜だった。僕がお父さんとお母さんに叩き起こされたのは。



「ジャン、起きなさい! ほら、早く!」



 お父さんの怒声が静かな村に響き渡る……はずだった。何かがおかしい。夜なのに、家の外が騒がしい。お父さんの声も聞き取りづらい。



「お父さん、そんなに怒鳴らないでよ。外の騒ぎは何?」



「おい、早くしろ! パジャマのままでいいから、外に出ろ!」



 僕が寝ぼけながら外を見ると、異様に明るかった。もしかして、僕はお昼まで寝ていたのだろうか。



「ごめんなさい。僕、昨日の疲れで寝過ぎ――」



「バカもん! 襲撃だ! 隣の村が襲ってきたんだ!」



 襲撃? 隣の村とは仲良くやってきたはずだけれど。次の瞬間、外で爆発音が鳴り響く。



 まさか、本当なのか?



 僕がパジャマ姿で外に飛び出ると、目に入ったのは人々が争いあう姿だった。



 クラリスは? クラリスたちは無事なのか? クラリスの家の方を見やると、勢いよく炎が燃え上がっていた。まさか、クラリスは――。



「ジャン、人の心配をしている場合じゃない! 早くしないと――」



 お父さんの言葉が続くことはなかった。お父さんの頭から鮮血がほとばしる。お父さんの後ろを見ると、そこには棍棒を持った男が立っていた。



「小僧、次はお前の番だ!」



 そんな! 僕は今ここで死ぬのか? 足よ、動け! 早く、早く!



 次の瞬間、男は体勢を崩して地面に転がり込んだ。お母さんが包丁を手にしている。そうか、お母さんが助けてくれたのか。男を殺して。人を殺す? あの虫さえ殺せないお母さんが?



「きゃあああぁぁ」



 お母さんの悲鳴が響く。



 まずい、このままだと、お母さんの精神が壊れてしまう! 僕は両親を一度に失いたくはない!



 ふいに、腕をぐいっと引っ張られる。そこにいたのは、クラリスだった。クラリスが無事だった!



「早く、丘に行かなくちゃ! ここは危ないわ!」



 しかし、それではお母さんを見捨てることになる。でも、僕がここにいたところで、何か役立つのだろうか。僕はある決断をした。お母さんを見捨てるという非情な決断を。



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クラリスと彼女のお母さんと丘にたどり着くと、見えたのは燃え上がる村、そして秘密の花畑だった。



 ああ、僕とクラリスの思い出の場所が……。



「クラリス、あんたのせいよ! あんたが宣託さえしなければ! 村は平穏だったのに!」



 それは、クラリスのお母さんからの言葉だった。ダメだ。それでは、クラリスが――。



「私のせい? もしかして、私……」



「ええ、そうさ! フランスがイングランドを攻撃したのは、あんたの宣託が原因よ。戦争で徴兵されなければ、隣の村が襲ってくることなんてなかったのよ!」



 クラリスはビンタを食らったかのような表情をしていた。



「さあ、お前とはここでお別れよ。忌々しい娘なんか、いらないわ!」



 クラリスはひとりぼっちになってしまった。ああ、それは僕も一緒か。いや、僕たちはひとりぼっちじゃない。クラリスには僕がいる。必ず、何があってもクラリスを守ってみせる。たとえ、僕が死のうとも。

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