第23話

「なあ……青の貴族の女って、いっつもこんなことしてるわけ」

 わたしの下で、力ない声でそうつぶやく、ラジー様。 精製された香油をまぜあわせ、お風呂で洗い上げた彼女の体に丁寧に塗りこんでいく。褐色の肌がぬらぬらと光ると、ひどく色っぽい。

「やってますよ。青だけじゃなく、たいていの国で美しい肌は好まれるものだと思いますけど」

「……まじかよ」

 手から軽く油を拭き取り、今度は髪用に調合した別の香油を細い金の髪に塗りこんでいく。かなりぱさついていたから、見違えるんじゃないかしら。ちょっと楽しみ。

「あついよー……」

「もう終わりますから、我慢してください。服を着るまでには馴染みますよ」

 何枚も用意してもらった布をぜいたくに使って、丁寧に髪を乾かしていく。濡れた髪は傷みやすい。だいぶ水分がとれたところで、もう一度さっと香油を塗りこんだ。

ここで用意してもらった香油は、甘いにおいのものが多かった。わたしはすっとする柑橘系が好きなんだけど、材料になるような花や果実はあるのかな。

「さあ、どうぞ」

 少量のハチミツとレモンを溶かして冷やした水を渡すと、彼女は一気に飲み干してしまった。


 ひと休みを挟んだら、次は立ち居振る舞いのための礼法。青の人間は礼法にうるさい。

 部屋の家具をはじに寄せ、まずは中央に椅子だけおいてから、初歩の手本を示していく。入室から挨拶、椅子の座り方まで。

「……と、こんな感じです」

 振り返ると、口をぽかんと開けていたラジー様は慌てて首を振った。

「無理、ほんと無理! なにいまの!」

「なにいまの、って?」

「ちょっと、サドゥエ、おまえも見てただろう? あれがオレにできると思うか!?」

 礼法については、サドゥエさんとイデル様も同席している。サドゥエさんは大まじめな顔で首を振った。

「ちょーっと、お嬢様には難しいですねえ」

「いや、無理だろ」

「そ、そんな」

 青なら3歳からやり始めることで……と思ってから、つまりそれだけ年季が入っているってことよね。

「……それならやっぱり、青に寄せないほうがよいのではないでしょうか。青は平和主義で、相手を褒め称えることを美徳とします。見た目を美しく装うことはお互いが気持ちよく過ごすための礼法に含まれていて、さらに話術や配慮を求めます。立ち居振る舞いが追いついていないと、相手にしないんです」

「本当に赤と正反対だな。赤は強さを尊ぶ。男でも、女でも。……俺には正直なところ、必要以上の美辞麗句は実がないと思える」

 そうか、社交界で大切にすることが違うのかな。

「赤の貴族社会では、どんなことが重視されるんですか? イデル様達は古民族で、貴族……でいらっしゃいますよね」

 好奇心もあって聞いてみると、イデル様はいやそうに顔をしかめた。

「貴族だなんて制度は寒国かぶれが言い出したことだ。俺達古民族に、勝手に位づけをされる筋合いはない」

 あら。でも確かに、イデル様やラジー様、このお屋敷のみんなを見ていると、わたしの知っている貴族って感じはしないのよね。赤の事情、もっと詳しく覚えておけばよかったなあ。

「ブルミッド家は貴族の名を十分に使っているがな」

 お相手の家だろう。古く伝統的な古民族のザナクーハと、貴族という身分制度を利用するブルミッド家の結婚。なんとなくイメージができてきた気がする。

「話を戻しますが、青は他国が大好きなんですよ。冬は雪で閉ざされるから、他国との交流を何よりも喜ぶし、文化に対して最上の敬意を示します。もし本当に青国の貴族へ嫁ぐ場合だったら、どこまでも赤らしい仕立てで行くことをお勧めします。青の人達、絶対に喜ぶもの」

 ふむ、と困ったように眉根を寄せる。イデル様の顔立ちは綺麗だ。ラジー様も。華やかに装えば、それは見栄えがすることと思う。そういう意味では、赤だろうが青だろうが楽しみなんだけど。

「だが、青になりきらないまでも、青の知識はあったほうがいいと思うんだ。相手は筋金入りの青好きらしいから」

 そういうことなら、確かに、お相手は青の方じゃなく、青に憧れがある方なら、きっと求めるものが違うのかもしれない。共通の知識があるほうが、ラジー様にとってなにかの助けになるかも。

 わたしは、ラジー様の結婚にどういう思惑があるのかは、詳しくは教えてもらっていない。ただなにか事情があって、それはあの殺された妹さんが関わっているんじゃないかって、そんな予想はしている。

「わかりました。それじゃ、もう一度やってみせますから、そのあとはラジー様の番ですよ」

「うへえ……」

「サドゥエさんもぜひ覚えて、日頃から見て差し上げてくださいね。イデル様も」

「俺?」

「イデル様にはエスコートの仕方を覚えていただきます」

「は?」

「身長差が欲しいですし、わたしも離れて見たいので」

 なんだかおもしろい顔をしているけど、自分は関係ないと思っていたのかしら。

「さあ、いきますよ。大丈夫です、繰り返せば身体が勝手に覚えますから!」


 クモという女がしてくれる青の教育は、ラジーにとって、とてもじゃないがなじみにくいものだった。

 部屋に入り、一礼、席に着く。こんな動作になんの価値があるのかわからないまま、ひたすら繰り返す。途中途中でクモの注意が飛ぶ。集中力はすぐに切れたが、クモのほうはそんな様子もなく、ひたすら繰り返させてくる。激しさはなくても、有無を言わせぬ迫力に、ラジーは文句も言えず従った。

 ただ、価値も意味もわからないが、クモが見せる手本は綺麗だと思った。すべての動きがなめらかで滞りなく、ついて動く粗雑な布のスカートまでもやわらかく見える。すそをつまめば、普段気にしたこともない指先の美しさに目がいった。

 美しさは、青と赤ではかなり違うようだけれど、これを美しいとする青の意識は理解できるような気がした。

 クモの見目かたちがざらにないほど美しいことは、関わりだしてすぐに気づいた。そして、このように青の礼法通りにふるまえば、立ち上る気品。驚きながらも、感心する。

「ラジー様、まだ視線が泳いでいますよ。あごをそんなに動かさないで」

「無理だって! まわりは見るものだし、あごは動くものなんだよ!」

「屁理屈はいりません! こんなもの、生まれたときからできる子なんていません。みんな、たたきこまれるんですよ。だから、ラジー様にだってできるんです!」

 それはそれとして、なんでそうも熱くなれるんだよ。最初と違いすぎなんだよ。内心突っ込みつつも、ラジーはひたすら練習を繰り返した。


 夜。月は高く、風は心地よい涼しさ。

 イデルは、お使いものを左の手に遊ばせつつ、夜の庭を通りすぎていた。

 ザナクーハの屋敷は、本邸と離れに分かれている。離れでの用事を済ませ、あとはひとつこのお使いを終えれば、あとは眠るだけだ。

 屋敷の主になってからも使いっ走りのなくならない自分に気づいたが、ため息をこらえる。本邸へ入ろうとしたとき。

「……リーゼか?」

 庭の林に揺れた影は、おそらくリーゼだ。

 声をかけたものの、返事はない。ふらふらと林に消えようとする。

 デイダラはどうしたんだ。慌てて追った。

「おい、リーゼ。リーゼ! どこへ行く」

 この男になにかあれば、クモが恐ろしい。いや、恐ろしいってなんだと思いつつ、だが怒った女はやはり恐ろしい。

 追いつき、腕をつかもうとしたとき。

 ひゅ、とした音は、短く吐いた息か、鋭く吸った息か。

 つかもうとしたはずのリーゼの手に逆に捕らえられ、勢いよくひねられる。

 まずい、と思う間もなく、気づけば力でそれをはねのけていた。

「………?」

 ほんの一瞬のこと。

 なのに、次に息を吐き出したとき、驚くほど息があがっていた。

 月明かりの下、リーゼの表情は見慣れた虚ろ。

 なんの凶暴さも、なんの戸惑いもない。

 そのまま、リーゼはまたふらふらとどこかへ歩いていく。もうイデルは追わなかった。

 今抵抗しなかったら、恐らくこの腕は折られていた。


 寝る前にしろと言われたクリームのパック。げんなりしつつ、ラジーはため息をついた。

「眉間にしわがよってるぞ」

「うわあっ?」

 不意をつかれ、あやうくパックを落としかける。

「アニキ、黙ってひとの部屋に入るなよな!」

「声はかけたぞ」

「気づいてなかったんだよ! 返事があるまで待てよ」

「寝こけていたら待っても無駄じゃないか」

「それなら明日出直せ」

「それじゃ間に合わないらしい」

 ぽん、とイデルがなにやら投げてよこした。受け取ると、それは小さなサシェ。

「よく眠れて、疲れがとれるんだと」

「ふへえ」

 差出人はすぐに察した。よくもまあ、こうも次から次に女クサイことを思いつくものだ。

 だが、顔を寄せてみるとやかすかに甘い、清涼な香り。体をこわばらせていた疲れを、 眉間のしわとともに、ふわっとやわらげてくれた。

「おまえ、よく我慢してるな」

「え?」

「いつもだったら、とっくに切れてる頃だ」

「あー」

 なんとなく、居心地の悪い質問だった。

 これだけ押しつけられて腹を立てないのは、ラジーには珍しいことだ。たとえ指導のためだろうが、きつく当たられれば短気を起こす。

「なんだろ。だってあいつ、なんかすごい。変だけど」

「……すごい変?」

「そこくっつけんな。あいつ、綺麗じゃん?」

 自分が感じていたことを整理しながら、言葉を続ける。

「でも言うことはなんか熱血というか…努力努力って感じじゃん」

「まあ、そうなのかな」

「しょぼい格好してるくせにさ、動けば綺麗なんだ。それはすごいって思って」

 ラジーにとって、知らない美しさ。

「あいつの言うこと聞いててさ。顔会わせた相手にいい思いをさせたいんだろうなーって思った。なんでそんな媚びるんだよって思うんだけど……」

 それが青の考え方なんだろうか。それともあのクモ個人のものなのか。それはわからないけれども。

「アニキ」

「ん」

「本当に、あいつがシェリーを殺したのかもしれねえの?」

 イデルは、今度の縁談に関して、ほとんどのことをラジーに話していた。

 なぜ嫁に行かせたいのかも、なぜクモがここにいて、そのクモにこんなことを頼んでいるのかも。

 妹の問いにすぐには答えず、イデルは視線をサシェに落とした。ラジーの手から取り上げ、顔を寄せる。イデルにも心地よい匂いだった。

「ちがうんだろうな」

「じゃあ、なんで?」

「……うまく、説明できない。ただ、クモとリーゼを見ていると、このまま放すわけには行かない気がするんだ」

「なにそれ。ただの勘?」

「としか、言えん。でも、ひょっとしたら」

 闇に溶ける濃い色の髪。何も見ない、青褐色の目。

 狩りを知る者の動き。

「俺はクモじゃなく、リーゼのほうに引っかかっているのかもしれない」

「あのむかつく男?」

「なにかあったのか?」

 なにがあったもない。屋敷に戻った日、リーゼは詰問するラジーをうるさがり、振り払おうとしたのだ。結果クモがかばい、ラジーにはなにもなかったものの、あの光景を思い返すと胸がむかむかする。

「リーゼには関わるなよ」

「なんで? 別に関わろうとは思っちゃいねえけど」

 でも、次にクモを困らせているようなところを見たらぶん殴ってやるくらいのつもりではいた。

「おまえは白闇に慣れていない。あれは、取り込まれるんだ。デイダラに任せてあるから、おまえは近寄るんじゃないぞ」

「なんだよそれ。オレがあんな奴に負けるわけがないだろ」

「勝ち負けじゃない。……ともかくあれはだめだ。絶対に近寄るな」

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