第22話

 シェリーとナビエが殺された。

「……うそだろ?」

 兄は答えず、右手をこちらに差し出した。

 緋色の耳飾り。見覚えのある。当然だ、これは自分とシェリーで分かち合った大切な。

「いやだ」

 悲しむことも嘆くことも体が拒否しようとする。だって悲しむってことは信じるってことじゃないか。シェリーが殺されたってことを。

 そうだ、怒らなければ。こんなことを言う兄を。

 兄を怒鳴り飛ばそうとして顔をあげたのに、その声がひゅっとしぼむ。

 自分達兄妹はよく似ている。細くやわらかで、まっすぐな金の髪も、感情で色味を変える金と緑の目も。

「うそだと良かったんだけどな」

 悲しそうな笑顔。ラズビエラは、この笑顔がひどく苦手だった。もともと呆れるほど素直な兄が気持ちとちぐはぐなこの笑顔をするようになったのは、両親と上の兄が死んでからだ。

「ごめんな。俺は、また守れなかった」

「やめろよ!」

 兄の言葉はいつもこの胸を裂く。

「謝るなよ。わかってるよ。……そんなウソ、つくわけないって」

 そうだ。

 だからやっぱり、シェリーは死んだのだ。もういないのだ。

 もう家族は自分と兄ふたりだけ。

 ぼたぼたと大粒の涙がこぼれた。どうせあきらめるなら喪失の痛みもやわらいでくれればよいのに。いや、悲しまなければシェリーがあまりにかわいそうだ。だからこの痛みを自分は受け止めるべきだ。

「………遺体、は?」

 兄は首を振った。

 それじゃわからない、そう言おうとして、この雲沸月では傷みがはやいからだとなんとなく察してしまった。そのまま膝が折れた。

 嗚咽が漏れる。泣くのは苦しい。だからもっと苦しめばいい。喉を頭を苛むように痛めつけながらラズビエラは酷く泣いた。

 兄が包むように抱きしめてくれた。前にはシェリーと3人で、死んだ両親と上の兄を思ってこうした。

「……ラジー」

 思いつめた兄の声に、ラズビエラは顔を上げる。

「おまえがシェリーのかわりに、ブルミッド家の次男に嫁ぐんだ」

 ラズビエラは、兄が何を言ったのか、すぐには理解できなかった。


「ええ、とりあえず洗濯を任せましたけどね。丁寧にやってくれてますよ」

 家を任せている侍女頭のサドゥエは、突然働かせてくれと言って来た青国の娘が、命じられた洗濯を黙々とこなす姿を思い出す。知らない場所への戸惑いはあっても、動きに迷いはなかった。

「そうか。どこにいる?」

「まだ洗濯のとこにいるでしょう。でもイデル様、アタシはあの娘に働かせるのはおかしいと思うんですよ。シェリー様とナビエ様を送ってくれたんでしょう、路銀なんて謝礼として渡してやればいいじゃありませんか」

「サドゥエ、俺の命令がそんなに不満か?」

 もちろん、不満だからこうして言っているのだ。顔で答える。

「……不満なんだな」

「そりゃそうです。ラジー様のことだって。シェリー様がだめだったから代わりにラジー様をお嫁に出すなんて、そんな話ありますか」

「ラジーももう17だ。ザナクーハの娘なんだから、ヴェルヴァを目指させるわけにもいかない。男にまじって剣を振り回す時間は、もう十分に与えたさ。そもそも、おまえがいつもいつも言っていたことだろ?」

「その点については賛成しますよ、でもね! お金に困ってるわけでなし、わざわざあんな堅苦しい貴族さんのところに嫁がせることないでしょうよ。それも、代わりの花嫁だなんて!」

 食ってかかったサドゥエを、いさめたのはイデルではなかった。

「オレがもう行くって決めたんだよ、サドゥエ。説得するならアニキだけじゃだめだぞ」

「ラジー様!」

 いつのまに部屋へ入ってきていたのか。思いつめたような厳しい表情のラズビエラがそう言った。

「決めたって……まさか、ラジー様、嫁がれるつもりなんですか?」

「うん。だから、色々教えてくれよ、サドゥエ。オレ女らしい事さっぱりサボってきちまったから」


 美しくなりたかった。

 誰もが認めてしまうようなすてきな女性に。

 いつかリルザ様に会えたとき、……好きになって欲しいなんて、さすがにずうずうしすぎて言えないけど。でも、せめて恥ずかしくないように。彼の隣に立てる資格が欲しかった。

 だから、思いつく限りの努力をしてきた。

 だけど、現実はといえば。

――リルザ殿下は身分の高い人間、特に女性を嫌います。彼は、あなたを受け入れない。

――召使いがどうしておれの名前を呼び捨てる。

 きれいに着飾ったユーラはだめで。庶民な格好のクモもだめで。でも、会ったばかりのデイダラさんには心を開いて。

 わし、わし、わし。

 傷めないよう加減しながら、洗濯板に衣服をすべらせる。

 動け、動け。動いていないと、絶対、暗い気持ちに溺れてしまう。

 そう、のんきに落ち込んでる場合じゃないのよ。わたしのせいでリルザ様が赤にさらわれて。わたしのせいでよくわからない疑いを向けられていて。なのになぜかリーゼはこの屋敷になじんでいて、わたしだけ危険人物扱いで。

 どうしたらいいの。お金もないし、知識も経験もない。どうしていいかわからない。

 とりあえず、お金をためる? そして、リルザ様がまた起きて下さるのを待つ?

 でも、目覚めなかったら? その前にリルザ様の身分がばれてしまったら?

「クモ」

 この声はイデルさん……いや、イデル様だ。

 振り返ると、さっきのラジー様とサドゥエさん、3人でこっちを見ていた。

「洗濯は切り上げていい」

「なにか他に御用がおありでしょうか」

「ああ。頼みたいことがある」

 ……なんだろう?

「おまえは、青の貴族について詳しいんだろう?」

「ああ……はい。侍女の仕事をしていました」

 これっぽっちもウソじゃない。

 イデル様が、ラジー様を指す。

「こいつを、青風の貴婦人に仕立ててくれないか?」

「え?」

「今度嫁にいくんだが、嫁ぎ先が寒国かぶれでね。見たとおり、典型的な赤女だ。このままじゃ嫁に出せない」

 いったい何の話……というか。

「赤国の娘さんが赤国の女性らしくて、何の問題が?」

「使用人になったんだろう? 俺の命令は聞けないか」

「わかりました。なにも聞かず従いましょう」

「……………なにが言いたい」

「では言わせてもらいますが」

 突然噛みつきだしたわたしに、3人が目を丸くする。

「ラジー様は、赤国人らしい容姿でいらっしゃいます。失礼ながら、青国女性のように着飾れば、違和感が大きく出てしまうでしょう。赤らしい装いは誰よりお似合いになるでしょうに、なぜそうお相手におもねらなければならないのですか」

 寒国かぶれ。赤女。イデル様自身がこの話に対してよい感情を持っていないことなんてすぐわかる。それなのに、嫁ぎ先のご機嫌伺いのために青風にさせようとしている。

「……ごめんなさい」

 やっと頭が冷えてきた。わたしが言うことじゃない。

「ごめんなさい。お言いつけに背くつもりはありません。ですが、どうしてもその方法しかないのでしょうか? 多少は美容の心得があります。お力になれないでしょうか」

 来た時から、3人の表情は暗かった。どこか思い詰めて。

 望まない結婚なんて、他人事じゃない。……立場、逆だけど。

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