第24話
ここじゃない。
ここでも、ない。
ちがう。ちがう。
「なにをさがしてるんだ?」
なにを?
なん、だろう。
「わかんなくなっちまったのかい?」
うん。
「ゆっくり、思いだしてみな。そうしたら、俺も一緒にさがしてやるから」
うん。
……でも、おもいだせない。
ラジーを青風の貴婦人に仕立てる、そんな役目をもらってから、一週間ほど。わたしはずっとリーゼに会っていない。わたしが何度もリルザ様を呼んで、起こそうとしてしまったあのときから。
「こんばんは」
「やあ、クモさん。すまないけど、リーゼは今日も……」
詰め所にいたデイダラさんはわたしを見ると腰を浮かせ、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「いえ、いいんです。どうぞそのまま。少し座ってもいいですか?」
「もちろんですよ」
両手で彼を制し、そのまま座っていてもらう。そうでもしないと、お茶なり茶菓子なりいくらでも出そうとしてしまう人だ。ありがたいしうれしいけど、長居するつもりはなかった。
「リーゼ、今日も元気でしたか?」
「元気でしたよ。元気というよりはまあ、いつも通りってほうがいいんでしょうかね。サルトラの練習をやって、屋敷連中の武稽古見て」
サルトラっていうのは、デイダラさんが使っている、変わった武器の名前だ。相手の得物を壊す珍しい武器で、リーゼはそれに惹かれて、教えてもらっている。
「リーゼはあれは、すごいですね。以前はどんな人物だったのか、考えずにはいられません」
どんな人物。
緑の武力の一角を担っていた人だ。なんて言えるわけがないし、言って信じてもらえるかどうか。いや、デイダラさんなら信じてくれるかもしれないな。
返答できず目を伏せると、彼はすぐに引っ込めてくれた。
「食事は……ちゃんと、とっています?」
「ええ。クモさんに言われてから気をつけてみてたんですが、確かに放っとくと食べないみたいですね。言っても聞かないし、目の前で食べて見せないとサルトラを教えないと脅したら、やっと食べてくれました」
よかった。それなら安心だ。
本当は自分の目で見届けたいけど、日中はラジーのことがある。夜しか会えないのに、夜になるとリーゼは部屋に戻るどころか、デーダラさんのところまで抜け出して徘徊するようになってしまっていた。
「なにかをねえ、探してるらしいんですよ」
「探している?」
「ええ。聞いてみたんですけどね。でも、リーゼ自身、何を探してるのかわかんなくなっちゃってるらしくて」
何を探しているか。
わからないけれど、予想はできるような気もした。
「クモさん、今日もリーゼを捜すんです?」
うなずき、席を立つ。
「俺も行きましょう。いくら領内でも、こうも毎晩若い娘さんをひとりで歩かせるわけにはいかない」
「いえ、ちょっとだけ見て……すぐに戻ります。どうせ、わたしに彼を見つけることはできないんです」
「でも」
「いいんです、彼は多分大丈夫なんです。捜したいのはわたしの勝手だから、デーダラさんを巻き込むのは心苦しくて」
苦笑する。心配そうな顔のデーダラさんに見送られ、夜の庭へ出た。
赤の国は暖かい国だけど、昼と夜の温度差が大きくて、夏でも夜は冷える。サドゥエさんに頂いたショールを羽織り、月に照らされた林へと歩き出した。
やっぱり、リーゼの姿は見つからない。
ほとんど諦めているけれど、捜さずに眠ることができない。会えたところで、リーゼにわたしの言葉は届かないんだけど。目の端になにか動くものが引っかかった。
「リーゼ?」
つい期待して、小走りで追う。けれど、誰もいない。生き物の気配もなかった。
とうとう息をついた。ため息はしないようしつけられている。でもどうせ誰もいない。
デーダラさんは会えるのにね。多分わたしが見つけられないんじゃなくて、リーゼが、わたしに会うつもりがない、ってことなんだ。
参の城にいたころと、何も変わってない。
戻ろうとしたとき、振り返った景色が自分の思っていたものと違うことに気がついた。
「……あれ」
走ったのなんて、ほんの少し。それに林といっても、屋敷近くの木はまだまばら、振り返ればすぐに屋敷の影が見えるはずだった。それなのに、見えない。木ばかりが立って、闇を濃くしている。
心臓がとくん、とはねる。
どうして?
もう一度、周りを見る。やっぱり、木ばかり。屋敷が見えない。
騒ぎ出す胸に手を当ててゆっくり呼吸をする。髪を結わいていた組み紐を一本ほどいて、木に結びつけた。
景色を確かめながら歩く。たまたま死角になっているだけかもしれない。絶対、離れているはずがない。
月は隠れていないのに、どうして屋敷が見えないの?
ふと見上げた木の枝に、背筋が冷えた。
わたしがさっき結んだ紐?
でも、そんなところに結んでいない。
そんなところ、手が届かない。
こわい。ショールを体にしっかりと巻き付けて、小走りで離れる。わからないけど、ともかく、この紐の近くにいたくなかった。だって誰かが変えたんじゃないの? 誰かがいるの?
落ち着いて。……落ち着いて、どこにいけばいいの。
あてもなく歩き続ける。きっと危ないからだめだって思うのに、どうしてもじっとしていられなかった。草むらを誰かが揺らした音がする。
体がこわばる。音の聴こえた闇を凝視するけど、何も起こらない。
闇の魔物は歌をおそれる。わたしは、かすれる声で歌を歌った。
でも、すぐに声が出なくなる。
かわりに、嗚咽がもれた。こらえきれず、涙がこぼれた。
また草むらを揺らす音がした。
だれなの。ずっとわたしを、追いかけているの。もうやめて。
震える体を叱咤し、必死に音と反対の方向へ駆け出す。逃げることができたのは、ほんの少しの距離だった。
腕をつかまれ、後ろに勢いよく引かれた。転びながら、木を背に押さえつけられる。
つかみ上げられた手が痛い。
「つかまえた」
近くから聞こえる声。
「さあ、こたえろ。いったいだれがしぬんだ?」
聞かれた意味がわからない。
でも、この声。そんな。わたしは固く閉じていた目を開ける。
「……リルザ様?」
「おれが?」
「え」
「おれがしぬ?」
また、こころを飛ばせてしまっている。
わたしのことは、わかっていない。
「り、リルザ様は、死にません……」
やっと、それだけ言った。
なのに彼は落胆した。
「……おまえをつかまえてしまったからか」
言葉の意味は、すぐにはわからなかった。でも、思い出す。
泣き女?
リルザ様ははじめて会ったときも、そんなことを言っていた。わたしを死を報せるバン・シーだと思っているの?
リルザ様は、わたしの頬に手を当てた。涙に触れている。
「泣き女。つかまえたのに、なぜまだ泣く?」
「……あなたが死を望むと、知ってしまったから」
「それでなぜおまえが泣く」
「あなたが生きることを望むからです」
「なぜおまえが望む」
そんなこと、決まっている。
「あなたが好きだから」
やっぱり、そうなの? リルザ様は、自分の死を望んでいたの。
「妖精が、妙なことを言う」
不思議なものを見るかおで、わたしを見つめてくる。
彼が愛しくて、触れたくて、わたしも彼の頬に手を伸ばした。許されるならくちづけたかった。
「望みは、ありませんか」
「望み?」
「あなたの望みです。泣き女に触れたものは、望みが叶うんですよ。リルザ様」
「おれの、のぞみ」
彼は初めて自分のなかに望みというものがあるか、さがしてみたようだった。
頬をそっと包み、耳をなでた。
「……わすれたい」
「では、忘れてしまいましょう」
「いや、ちがう、忘れたくない」
「ではどうしたいんです?」
「いたいのはいやだ」
「傷を癒してしまいましょう」
「癒したらだめだ、これはおれの罰だから」
青褐色の瞳に、涙が浮かんだ。
彼はきっと、自分が泣いていることに気づいていない。
涙が頬へ半端に伝って、わたしの手に流れた。
「生きるのはくるしい」
たまらなくなって、彼の頬を両手で包む。わたしは彼の力になれない。彼の生きる理由になりたい。引き留めたかった。誰でもない、わたしが。
「どうしていいかわからない。よるはおそろしい」
「共に過ごしましょう。雷の夜は、お話をして」
「……ねずみの?」
思いがけない言葉だった。覚えていてくれたの?
「どこまで話したか、覚えています?」
「うん。……おぼえてる。気むずかし屋のディフィが、仲間になったんだ」
リルザ様の口調が、やわらかくなる。目元が付しがちになって、はりつめていた空気がゆるんだ。
ああ。これはリーゼだ、わたしの話を夢中で聞いていた、かわいいリーゼ。まだ絶望の闇を知る前の子ども。
「つづきを、話しましょうか?」
「……うん」
木と自分のあいだに閉じ込めていたわたしを解放する。
そして、ふたりで木の根元に身を寄せた。
ほんとうだね。リルザ様。夜はこんなに、恐ろしい。
わたしの身にひそむ、醜い願いを引きずりだして、月は照らす。
そ知らぬ美しさで。
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