第19話
「イデル様、どうしたんです?」
険のある声に眉をひそめ、デイダラはリーゼとイデルのあいだを割るように立った。イデルはうとましげに一瞥する。
「リーゼ。おまえとクモはどこから来たんだ」
デイダラを挟んでリーゼに問いかける。リーゼはわずかに目を見張っていたが、すぐに伏せた。その力の抜けていく様子に、デイダラは、ああ、と小さく声を漏らす。
「青から来たんだろう。おまえらは何者だ。なんの目的で赤に来た」
リーゼはうつむき、答えない。
「クモとふたりだったのか。ろくな荷物もなかったのはなんでだ。ここに来るまでになにがあった」
苛立ちをかきたて、イデルはたたみかける。
「顔を上げろ! 答えろ、リーゼ!」
「イデル様!」
荒々しくリーゼに伸びた手を、デイダラは自分の体をもって阻む。
「怒鳴っても、リーゼは答えられないですよ」
「よしよしとあやせと? 付き合っていられるか」
はねのけてくる手をつかみ、睨み合う。
「一度お納め下さい。いつものあなたのやり方のほうがいい」
イデルがまた怒鳴って返すまえに、デイダラはリーゼを呼んだ。
「リーゼ、なあ? 話してくれよ。おまえさんとクモさんは、どうして赤に来たんだい」
できる限りのやさしい声音で問いかけてみる。しかし、リーゼは首を振った。
「おまえさんには、わからないかい?」
リーゼはもう一度、首を振る。
「わかるってことかい? なら、教えておくれよ」
「言わない」
「どうして?」
「クモと約束した」
イデルの体に力がこもる。
「リーゼ。おまえ達はなにを隠してる」
「イデル様」
「おまえが話さないなら、クモに聞くぞ。その意味がわかるか?」
「イデル様!」
リーゼは顔を上げた。
「クモを、ころすの?」
デイダラは目をしばたかせた。イデルを見ると、イデルのほうが動揺して見える。
「……そうだと、言ったら」
リーゼは少し考えて、つぶやく。
「いたくないように、してあげて」
今度こそ、イデルは呆れた顔をした。
「なんでそうなるんだ」
予想外に抜かれた毒気に、デーダラはそっと苦笑する。
「なんででしょうねえ。本人なりの理屈はあるんでしょうけど」
リーゼは屋敷を向くと、落とすようにサルトラを手放した。
「おれ、クモのとこ、もどる……」
***
閉ざされた扉を、呆然と見上げる。扉は固く重く、とてもこじ開けられそうにない。
リルザ様の素性がばれたら、どうなるの?
どうしよう。どうしたらよかった? のんきに熱が下がるのを待ったりしないで、わたしの体調が悪いって思われている間に、無理してでもリーゼを連れて逃げるべきだった? そうだ、そうすべきだった。そんなの無理なんかじゃない。
リーゼがここにいるのが危険だってことくらいわかってたのに、目の前の親切に頼ったのは、わたし自身が頼りたかったからだ。疲れていて休みたかったし、わたしひとりでリーゼを連れて、知らない土地を歩くのが怖かったから。
ここに留まるべきじゃなかった。わたし達は悪いことはしてない。でも、わたし達は、自分の身を明かせないんだから、疑われちゃいけなかったんだ。
イデル殿はどこに行ったの。リーゼのところ?
突然、扉が乱暴に開かれた。
驚いて見上げると、目を丸くしたイデル殿がわたしを見下ろしていた。まばたきを繰り返すあいだに、決まり悪げに顔を背けられる。……ああ、今わたしが泣いていたから?
「クモ」
「リーゼ!」
イデル殿の隣から顔を出したリーゼに、わたしは思わず立ち上がって飛びつく。
イデル殿はなにも言わず、扉を閉めてしまった。
「クモ、どうして泣いてるの」
リーゼが困っているのがよくわかった。そうだよね、子どもって、大人は泣かないって思ってる。それでもわたしをうかがう目は気遣わしげで、やさしい。
彼の手を引いて、扉から離れる。
「……ごめんなさい。リルザ様、ごめんなさい」
もし、この赤の国で、リルザ様の身分が露見したら。
わたしはどうやってこの人を守ることができるの?
「だから、おれ、リルザじゃない……」
わたしは小さく首を振る。
「リルザ様」
握った手に力がこもる。
「お願いです。起きて下さい。わたしのせいで、疑われてしまって」
埋葬なんてするべきじゃなかった。親切を信じてはいけなかった。華姫がいないのに、お祭になんて。
「あなたの身が危険なんです。それなのにわたし、あなたを守るためにどうしていいかわからない。お願いだから、起きて下さい。起きて、逃げて下さい……」
リルザ様さえ起きて下されば、きっと逃げられる。おひとりなら身軽に動ける。わたしはまだ緑での価値がないし、ここに残っても赤に利用されることはないはず。
でも、返事はなかった。顔を上げると、リーゼはまだ困った顔で、わたしを見ているだけ。
……わたしの声じゃ、届かない。
「クモ、そんなに泣かないで」
「お願い……リルザ様、参の城に帰りましょう。クロース殿もガルディス殿も、必死であなたを捜しているはずです。あなたはあの場所に帰らないと」
彼らの事情をわたしは知らない。でも壊れてしまったリルザ様のそばに残った、たったふたりの護衛官。緑の護衛官と王子は、血を分けた兄弟よりも強い絆で結ばれるという。彼らの声なら、リルザ様に届いた?
ふいにリーゼが、かすれた声で繰り返した。クロース。ガルディス。ペイジェス。
「どうして、おれ、ひとりなの?」
「え?」
きょろきょろとあたりを見回すと、リーゼは自分の耳飾りをつかんだ。
「クロース、どこだよ。かくれてるのか? ガルディスとまたケンカして、スネてるのか? ペイジェス?」
聞いたことのない名前。リーゼの表情が張り詰めていく。この感じは、わたし、もうわかる。彼はまた自分の傷に取り込まれようとしている。
「リーゼ、落ち着いて。クロース殿もガルディス殿も、参の城にいる。リーゼを待っているよ」
でも、やっぱり、わたしの声は彼には届かなかった。彼は両の手をこぶしにして、頭におしつける。激痛にこらえるように歪む顔。
そして勢いよく顔をあげ、扉へ向かう。扉が開かないと知るや、近くの椅子をつかんで力任せに打ちつけた。
「リーゼ!」
思わず叫ぶ自分の声は悲鳴じみていた。止めたいのに、むちゃくちゃに扉を打つ荒々しさに近づくことすらできない。
でも、扉を壊すことはできず、リーゼは元のかたちをとどめなくなった椅子を投げ捨てた。そして冷たく強く、目を細める。口早に何かをつぶやいて、手をかざした。
だめ、とわたしは叫んだはずだ。ひょっとしたらまた声にならなかったのかもしれないけど、でもどちらでもいいこと。
扉は凶暴な風に蹴散らされた。
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