第20話

「クロ―――ス! どこだ――――っ!!」

 どうして!? 部屋を出てなお、何度も怒鳴るリーゼの姿に血の気が引く。

「リーゼ、やめて! ここにはクロース殿もガルディス殿もいないの!」

 大股で進む彼にやっと追いついて腕をつかんでも、制止にならない。本気で引っ張っているのに、強い力に引きずられて、自分が転ばないようあわてて足を速める。

「ガルディス、またおまえのしわざか? ペイジェスと一緒におれをひっかけるつもりなんだろ!」

 リーゼにはここが緑の国に見えるの? ここの白い壁も、家具も、異国を十分に感じられるのに。

「リーゼ、落ち着いて、話を聞いて」

「だれ、おまえ」

 振り向かれて、身がすくんだ。わずらわしいものを見る冷たい目。

「召使いがどうしておれの名前を呼び捨てる」

 ……忘れられてる。

 体から力が抜けた。そのまま振り払われる。そして彼はまた友人達の名を呼び始める。

 途方に暮れたとき、突然の女の子の怒声で我に返った。

「うるせえ!!」

 ……女の子の? 驚いて顔を上げると、リーゼの進む先に声の主。

「なんなんだてめえは! 人がせっかく久しぶりに家に帰ってきたと思ったら、ぎゃあぎゃあわめきやがって。やかましいんだよ!」

 華奢な体躯、でも堂々たる仁王立ちでリーゼを睨みつけ、彼女は一気にまくしたてる。歳はわたしより少し下の、十代後半ってところだろうか。褐色の肌に金の髪、金色がかかった緑の目が、すぐにイデル殿を思い起こさせた。

 女の子のこんな……雄々しい姿なんていうのは、わたしは見たことがなかったものだから、すっかり目を奪われる。格好も粗野で、着崩された服、ただくくっただけの髪。

 でもリーゼは相手にするどころか、目もくれず。

「クロース! いいかげんにしろ、おこるぞ!」

「無視かよ!? ああ、ふざけんな!」

 リーゼに向かって勢いよく腕が伸ばされる。リーゼを背に割り入る。

 彼女はわたしに驚いて、動きを止めてくれた。

「あ、危ねえな! なんだよおまえ!」

「ごめんなさい、許して下さい。この人は、……し、白闇に、落ちた人なんです。だから」

 自分の言い訳が苦い。リルザ様をこんなふうに言うなんて。

「白闇……?」

 彼女は一瞬ひるんだものの、リーゼを見て再び怒りを燃え上がらせる。

「……そんなこと、オレには関係ない。ともかく名を名乗れ、オレを無視することは許さねえぞ!」

 わたしをすり抜け、彼女はリーゼにつかみかかろうとした。

「おれにさわるな」

 振り払うその手は、憎しみと強さを持っていた。彼女に向けられたそれを、わたしが受ける。近かったからか、ともかく、どちらでもよかったんだ。

 はねのけられて、わたしは強く壁に背を打ちつけた。

「なんだ、ちょっとっ……」

 息が止まって、一瞬視界がなくなった。息を吐けたときには、今度こそと、クロース殿達を探しに行こうとしているリーゼの背が見えた。

「待てよ」

 数段低められた彼女の声。

「こいつ、おまえに仕えてるんじゃねえのか? それをこういう扱いかよ」

 同情してくれたのかな。まっとうな感覚に、彼女への親しみがわく。でも、今はリーゼに近寄っちゃいけない。そう伝えたいのに、痛みで声が出なくて。

 リーゼを見ると、だけど、彼は動きを止めていた。あれだけ発していた怒気を、どこへかすっかりやわらがせて。


「リーゼ? クモさんもどうされました……ありゃ、ラジー様も」

 リーゼの視線の先には、デーダラさんがいた。デーダラさんは気安く近づき、気負いなくリーゼの肩に触れる。そしてリーゼはそれをおとなしく受け入れる。

「リーゼ、一体どうした。さっきから叫んでいたのは、おまえさんだよな?」

「デーダラ、こいつを知ってんのか?」

「ええ、ラジー様。おとなしくて頭のいいやつですよ」

 デーダラさんの笑顔に、ラジーと呼ばれた彼女は不味いものを食べたような顔。

「リーゼ、大丈夫かい」

「友達がいないんだ」

「友達?」

 さっきの勢いはどこへ消えたのか、ともすれば泣き出してしまいそうな、寂しげな彼の声。

「名前を呼んでも出てこないんだ。いつもだったら、どこにいたって風が教えてくれるのに。風すらおれに応えない。石も死んでる。もうだれもおれのそばにいない」

「それで、探してたのか。心細かったろう」

 慰める姿に、すっかりうんざりした様子のラジー嬢が口をはさむ。

「デーダラ、こいつらなんなんだよ。呼ばれたから急いで帰ってきたのに、誰も迎えにいねえしよ」

「おまえの気が短すぎるんだよ」

 振り向くと、不機嫌そうに呆れたイデルさんが、数人の部下を連れて立っていた。

「兄貴!」

「迎えに行かせたのに、肝心のおまえだけいないで。何の為に護衛を送ったと」

「オレに護衛なんかいらねえよ。ザナクーハのラジーに手ぇ出すような奴、このあたりにいるもんか。おとなしいシェリーならともかくさ」

 シェリーという名前に空気が重くなったことに、彼女は多分、気がつかなかった。

「……ともかく、そのふたりは俺の預かりだ。おまえは関わるな。話があるから、身支度をととのえたら俺の部屋に来い」

「ええ、すぐ? まだシェリーにも会ってねえのに」

 イデルさんが睨みつける。ラジー嬢は首をすくめ、それ以上は続けず自分の部屋へと戻って行った。

「クモ。あんたはなんでここにいる。まさかヤーニャが出したのか」

 それを聞いて、つい、眉間に力がこもってしまう。

「ご自分の目で確かめられたらいかがです。わたしには、あんな歳若い女の子をこんなことに巻き込む気はありません」

 ヤーニャにわたしを監視させていたこと。非難をこめて睨みつける。

「挑発があんたの知恵か? その頭の傷から学べることはなかったか」

「あなたが無抵抗の人間に手を上げる人間だということなら」

 手を握り締めて言い返すと、デーダラさんが、小さな声で言った。

「クモさん。控えてください」

 わたしを心配そうに見つめながら、首を振る。

「イデル様は俺達の主です。侮辱されるのを見過ごすわけには行かない」

 ……この人。

 わたしの言葉でイデルさんの怒り出すことを心配してるんじゃなくて。

「デーダラ、リーゼを連れて行け。これからはおまえが面倒を見ろ」

 助け舟を出したのは、当のイデルさんだった。

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