第3話

 夕食にとクロース殿に案内されたのは、階段をだいぶ下りた先の大きな部屋。

 入って一瞬、言葉をなくす。長い長いテーブルに用意されていたのは、たった四組、四人分の食器。いや、それはまだいいか。わたしの家も家族が少なかったから、規模は違っても似たようなもの。

 目が離れないのは、すぐそこ、ドアに一番近い席。一番奥の上座側に用意された三席と、明らかに離された位置。食器が並べられている。

 緑でも末席に当たるここは、誰が座るの?

 クロース殿がその席を引いた。わたしに示す。

 ……あ、やっぱり?

 落ち込む気持ちのまま、護衛官殿の真っ黒な目を見つめた。一瞬かち合って、そのままそっとそらされた。

 妻なら、席次は彼らより上なのにな。望まれた縁談じゃない。でも、こういう嫌がらせみたいなのはされないんじゃないかな、って勝手に思っていた。

 クロース殿は上座側の席に座る。気まずい沈黙、口を利けないしきたりに、少しだけ感謝した。


 だいぶ待ったところで、遠くから声が聞こえてきた。

「やだ! やだーぁ!」

「やだじゃねえ! 今日くらいはまともに座って食え!」

 現れたのは長身の男性と、その彼に抱えられるように捕まえられたリルザ様、だった。ふたりの姿に、クロース護衛官が立ち上がる。

「ガルディス!」

「おー、お待たせしました」

 顔中引っかき傷だらけにした、ガルディスと呼ばれたその人は、わたしを見て笑った。


「では、改めてご紹介いたします、ユーラ様」

 相変わらずの無表情で、クロース護衛官はリルザ様を手で示す。それはいいんだけど、わたしだけ三人からやたらと離れているので、はたから見るとちょっと間の抜けた光景の気がする。

「我が緑国第三王子、リルザイス殿下でございます」

 リルザ様は、無理やり椅子に座らされていることが気に入らないらしく、不機嫌な様子を隠そうともしない。椅子の上で足を組み、ふくれて口をとがらせている。

「次に、第二護衛官ガルディス」

 第二?

 と、一瞬不思議に思ったものの、すぐに彼の見た目のちぐはぐに目を奪われる。

 乱闘のあとなのか、上等のシャツはぼろぼろ。茶色の汚れは、土か、それともまさか引っかき傷からにじんだ血? そのくせ彼は、それはそれは優雅な礼をわたしに見せた。

「ガルディスにございます」

 に、と笑う。短く切られた蜜色の髪に深い青の目は華やかで、いかにも貴族らしい。それなのにどこかすごみを感じるのは、長身と、鍛えられた体躯のせいだと思う。やっぱり軍人なんだ。当たり前か、護衛官だものね。ガルディス殿が言葉を続ける。

「驚かれましたか、ユーラ様。この城は、この4人だけです。貴族として食席をともにできるような者は、ね」

 今度は口端だけの笑み。先ほどのなつっこいそれとは違って、嘲っているのか、おもしろがっているのか。どちらかは判断がつかなかった。

 見捨てられた城だよ。

 わたしを心配した兄の言葉が思い出された。

 食器の割れる音。

「リルザ!」

 突然のことに体がすくむ。リルザ様が、自分の目の前に置かれた食器をこぶしでたたきわっていた。白い破片、赤く流れる血を認めて、一瞬気が遠くなる。

 叫んだ声はガルディス殿のものだった。彼はリルザ様の腕をつかんでいる。

「お下がり下さいますよう」

 いつのまにかこちらへ来ていたクロース殿にうながされ、わたしは部屋を追い出された。



  ***



 明けて、翌日。今日もいいお天気だ。

「自分で自分の部屋を掃除する王族の妻って、なんだよ!」

「華姫、カーテンの上の掃除をお願い。わたしだと見えづらくて。飛べるんだから簡単でしょ」

 はたきを押しつける。今朝城の一階をうろつきまわって見つけた、掃除用具一式のひとつだ。見つけたときはうれしくて、うっかり悲鳴を上げかけた。

「ユーラってば!」

「聞こえてる。だって多分、この城にはちゃんとできる人っていないんだよ。だったら自分でやるしかないでしょ」

「ちゃんとできるヤツを呼びつければいいじゃないか!」

「問題は水よねえ、最上階って聞こえはいいけど、非効率的だと思うの。何回上り下りしなきゃいけないのかな、あ、でも体をしぼるにはちょうどいいかな? ねえ華姫、私またほっぺにお肉がついてきたと思わない」

「……もういい……」

 あきらめた華姫が、力なくはたきをふるいだした。


 昨夜の夕食は、結局、部屋でとった。

 夕食には、もう呼ばれないかもしれない。

「ユーラ、ほらほら! すっごい綿ぼこり!」

「持って来なくていいから!」

 興奮して飛んできた華姫のおでこをたたいて、思わず笑う。

 自分の分のはたきをつかみなおして、よし、と気を取り直す。

 わたしは貴族の娘だけど、いわゆる家事と呼ばれることは一通りできる。地位の高い貴族でありながら変わり者だった父のせいで、幼い頃から屋敷で働かせられていたんだよね。子供の頃は召使いとして、成長してからは侍女として。わたしが将来女主人となってどこかの屋敷を取り仕切るとき、役に立つように……って考えたからだそうだけど、そう考えたとしても実際に働かせる人は普通、いない。まあ性に合っていたみたいで、当時はなにも考えず、一番の仲良しの侍女と楽しくやっていた。掃除も料理も、お裁縫も好きです。

 ほこりをあらかた叩き出し、いよいよ水が必要になったので、あきらめて水を汲みに下りることにした。長い階段を下りて、また重たい水を持って上るのは正直気が滅入る。一瞬、華姫にパパッと運んでもらおうかななんて考えがわいたけど、すぐに首を振った。

 この城にも慣れなきゃね。助けてくれそうな人、いないんだし。


 水場を探しながら城を散策してまわると、またいろいろなことに気づく。やっぱりわたし、この城好きだなあ。とてもやさしい城のような気がする。

 外観は守りを重視したせいかとてもぶっきらぼうだけど、中は天井が高くとられて華やか。それでいて、とても実用的だ。

 一階にたくさんある大部屋は開放的な通路のようにも見えるけど、多分有事の際には仮の住居として使えるんだと思う。手間はかかるけど扉も閉じるようになっているし、どの部屋にも、近くに必ず台所となる場所と中庭のような水場が設置されている。おそらくこれは使用人のためじゃなく、難民のためだ。常時城に勤める使用人は、普通、こんな玄関近くに部屋を持たない。

 広いけど、わかりやすい。方角ごとに飾りや造りが変えられている。たとえばわたしの部屋がある南側は、丸い飾りが多くて、装飾に使われる色は青が主体。そして、上の階になればなるほど複雑で入り組んでいるんだけど、それは要人を守るため。

 たくさんつまった、知性と愛情。いいな。こんなものを造る人に、会ってみたい。柱に手を当てて、天井を仰ぎ見る。

 そのときふと、視線を感じた。

 なんとなく感じて、なんとなく振り向くと……リルザ様が、こちらを見ていた。

 心臓がどくんとはねる。

 リルザ様は、目をそらすでなく、見つめるでもなく。ただひとつの風景をみたように、そのまま顔を戻してどこかへと歩いて行ってしまわれた。

 わたしは彼が見えなくなるまで見送り、そして、全速力で部屋へと駆け戻った。


「華姫ぃっ!」

「な、なんだよっ?」

 掃除をさぼってベッドでくつろいでいた華姫に向かって、思いきり飛び込む。わたし達、このベッドではねすぎだ。

「リルザ様にお会いしたの!」

「あ、そう。なんて言ってたの」

「しゃべってない! お見かけしただけ、でも、ああ、素敵だった」

 ぽわわん、頬を染めて両手をにぎり、目をつぶる。華姫の痛々しい目線なんて見えません。

「リルザ様、やっぱりかっこよくなってた。いつも遠くてよく見えなかったけど、今日はやっと少しお顔が見れたの。あの目の色、変わってなかった」

 あのな、って彼女がいつものように口をはさもうとしても、聞こえません。

「でも、ちょっと痩せすぎかも。ゆうべもほとんど食べてなかったし、心配だな……ねえ華姫、どう思う?」

「さあね。とりあえずユーラが気にしたって、何にもかわんないだろうネ」

「また昨日と同じ、ぼろぼろの白い服だったの。もしかしてお洗濯してないのかな。してくれる人がいないのかな? それならわたしがして差し上げるのに!」

 華姫は、わたしが持ってきた水に雑巾を投げつけた。

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