第18話 カルガモ問題
「分かりました」
ミレディはケラスの言葉に即答した。
「いいのか!?」
リースペトラの思わずといった風な問いかけに対してミレディが頷く。
「はい。……焦る気持ちもありますが、これが最善だと思います。私一人ではこの森を生き残ることはできません」
悔しそうにそうこぼすミレディ。その姿を見たケラスは静かに頷く。
「契約成立だな。俺はケラス、こいつはリースペトラだ」
冒険者ギルドを通した正式な依頼ではないが、契約の上で護衛を引き受けた形になる。ケラスはそういった部分がしっかりしているので、自己紹介を欠かさなかった。
リースペトラが「よろしくな」と言えば、ケラスも追うように「よろしく頼む」と自己紹介を結ぶ。
要はまじめな男ということだ。
「は、はい、よろしくお願い致します。ケラス様、リースペトラ様」
しかし、急な態度の変化に驚いたのかミレディは若干間を開けてから言った。
「リースペトラでいいぞ。こやつもケラスで問題ない」
リースペトラは「そうだろう?」とケラスに言うも、聞かれた本人は無言で鼻を鳴らすだけにとどめた。
その姿を見たリースペトラがやれやれとため息をつく。
「素直じゃないだろう? これで意外と――」
「依頼の詳細だが」
からかうようなリースペトラの気配を敏感に察知したのか、ケラスがリースペトラの発言を遮った。
「あれの――グランダッカーの素材採取だ。三体分、解体するまで待ってもらうぞ」
ケラスが先ほど倒した三体の魔物の死体を示しながら言う。
「知らんかった」
ケラスの言葉に最初に反応したのはリースペトラだった。了承の意で頷いたミレディをよそに「というか……」と話を続ける。
「グランダッカー? こやつら、大きいとは言えどただのカルガモだろう。今はそう言われているのか?」
リースペトラは呆れたようにそうこぼして二人を見る。しかし、すぐに「うっ」と言葉を詰まらせた。
「おいおい……」
「ただのって……」
絶句した表情で自分のことを見るケラスとミレディがいたのである。それは言葉も詰まらせよう。
自分が圧倒して常識サイドにいるかと思っていたのに、ケラスに限らずミレディまでもが呆れを隠していないという事実。リースペトラは少なからず衝撃を受けていた。
ちなみに、発言は前者がケラスで後者がミレディだ。
実際は無知と言う意味で非常識さに呆れたケラスと、自分が殺されかけた魔物をただのと形容する非常識さで二人が感じた意味は違う。
しかし、リースペトラからはそんなこと詳しく分かりようもない。
「カルガモ、は知らんな。こいつはグランダッカー。巨大な鳥型の魔物で肉が結構うまい。あと羽根が水をよく弾く性質を持っていて防具に重宝されている。つまり、稼げる」
ケラスは少しだけ早口になってグランダッカーを解説した。
その言葉を受けてリースペトラはますます「カルガモだろう……」と思いを募らせるが、口を開きかけて、やめる。
「と、とにかく、早く解体して前線基地に戻るぞ! 急げ!」
リースペトラは心の中でタジタジになっているのを隠すように、正確には蓋をするようにしながらケラスを指さした。
「……ジェスに頼まれたのは内臓類だけだ。今回は依頼重視で羽根や肉は置いていく」
ケラスはリースペトラの上から目線とも取れる指示に不満を感じ……いや、今までもそんなものかと思い直し、懐からナイフを取り出した。
「だからそれほど時間はかからない。30分もすれば終わる」
ケラスはグランダッカーの死体の前にしゃがみながら言う。その背にミレディが「あの!」と声をかけた。
「何だ?」
ジロリと聞こえてきそうなくらい険しい目つきでケラスが振りかえる。
その視線にミレディは一度言葉を詰まらせるも、すぐに平静に戻って言った。
「私、お役に立てるかもしれません」
グランダッカーを倒した三人は、前線基地を目指して森の中を進んでいた。
既に整備された道に戻ってきており、疲労の溜まっているミレディにとっては張りっぱなしの緊張を緩めていられるタイミング。
リースペトラはミレディの安全に気を配りつつ、ミレディとの会話に興じていた。
「聖ラグレスライ教は大陸の東に位置する宗教国家ラグレスを中心に、大陸全土に信徒がいる宗教です。ラグレスにあるルノール大聖堂が聖地でして、私はそこから来ました」
「ふむ。となると結構な規模だな」
ミレディはリースペトラの言葉に頷きを返す。
「そうですね。国にもよりますが、国民の三人に一人が信徒であると言われている国もあります」
「それはラグレス以外でということか?」
リースペトラは驚きで目を丸くしてミレディを見る。その姿が面白かったのか、ミレディは「ふふっ」と笑い声を漏らした。
「はい。私たちの神の教えが広がっている、共に同じ神を信じることができる。とても嬉しいことです」
ミレディは両手を胸の前で組んで祈るように目を閉じる。そして少しの間を開けてリースペトラを見た。
「もちろん、他宗教の方も尊重していますよ。私たちと同じ神でなくとも、心の拠り所があるのは良いことですから」
ミレディは柔らかく慈愛のこもった笑みを浮かべる。リースペトラはその姿に敬虔な心を感じ取った。
そして感慨深そうに口を開く。
「……古来から価値観の違いは戦争の火種になりがちだ。お主のような者が増えれば世界は平和になるのかもしれない」
リースペトラは遠くを見るように目を細めた。
その視線の先に何を見ているのか、ミレディは見た目にそぐわず大人びた雰囲気を醸し出すリースペトラに少しだけ驚く。
「ミレディで構いません、リースペトラ様。私、同年代の知り合いが少なくて、もしよろしければ、仲良くして頂けると嬉しいです」
しかし、その驚きは隠したまま、気が付いたらそんな言葉が口を突いて出ていた。
「何?」
リースペトラはミレディの言葉に食い込みかねないタイミングで反応すると、ミレディに近づいた。お互いの顔が目と鼻の先くらいに迫る。
「あ、いきなり過ぎましたね。さっきの言葉は忘れて――」
「何を言う! 我は嬉しいぞ。つまりお友達ということだろう!?」
一瞬、表情に後悔が見えたミレディの言葉をかき消してリースペトラが言い募り、ミレディの両手を強く握った。
ミレディの視線が握られた自身の両手に吸い込まれる。
「さっきも言ったが、様付けはいらんからな。お友達になるなら尚更、いらないだろう?」
ミレディは言葉を弾ませるリースペトラを見て固まってしまう。その間にもリースペトラはミレディに多様な表情を見せてくれた。
それは驚きであったり、期待であったり、とにかく様々だ。そして共通しているのは全てが純粋な本心に見えたこと。
宗教組織の中枢で修業をしている聖女見習いにとって、久しく周りで見かけることのなかった、裏表のない感情の発露。
まだ十代の少女にとってそれはまぶしく映り、心にまっすぐ差し込んでくる光であった。
「ありがとうございま――いえ、ありがとう、リースペトラ」
ミレディの言葉にリースペトラが快活な笑みで返してくれる。
「じゃあ、私のこともミレディと呼んで」
「うむ。これからよろしくな、ミレディ」
リースペトラはミレディに大きく頷いて見せると、握ったままだった両手を離す。
「あ……」
そこでミレディは少しだけ名残惜しく感じた。もう少しだけ、この出会いを噛み締めていたい、そう無意識にも思っていたのかもしれない。
先ほどまで感じられたぬくもりが外気で冷めていくのを感じ、遠ざかるリースペトラの両手を目で追う。
そんな時、今度はリースペトラから右手だけが差し出された。
「こういう時は握手が相場だろう?」
リースペトラの右手を見つめ、再び固まってしまったミレディに声が降りかかる。
「……うん、そうだ。そうだね」
ミレディは噛み締めるようにつぶやくと、今度は自らリースペトラの手を取った。
仲間とはぐれ、死にかけた今日。魔物に囲まれた時は自身の終わりを悟り、絶望の縁にも落ちた。
しかし、自分は今、生きている。そして新たな出会いにも恵まれた。
ミレディは神に祈りを、そしてリースペトラには感謝の気持ちを捧げた。
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