第4話 高貴の独白
白無地の天井を煌々と照らす電球を眺めている。
決して暇を持て余している訳では無い、以前別れを告げられた恋人の事を考えていた。
もう交際関係には無いので、正確には“元”恋人になる。
「取材の時間だ」
俺よりも年下のに見える記者が乱雑に鉄パイプの椅子を引く。元々筋肉が詰まりきっている肉体を如何にも鍛錬をし続けたという感じの図体で俺の前に着席する。パイプがミシッと苦しそうな声を上げるが彼の興味は無機質の苦しみより目の前の俺に向いているようだった。
「猿賀だ。まあ、記者をしてる。時間が無いから詳しくは言わない。俺に興味は無いだろう?いきなりで申し訳ないが、彼女との馴れ初めは?」
「はい?」
てっきり自分の罪について詰問されるものと思っていたから正直拍子抜けした。というよりもこの男は何をしに来たのだろうかという疑問が俺の心を不安にさせた。得体が知れない生物との遭遇は大人になっても恐ろしいものだ。
「意外だろう?最初は緊張しなくていい、恋バナだとでも思ってくれ。相手はアラフォーのオッサンだが、それは仕方がない。我慢してくれ。雑談できるだけ良いだろう?」
どうやら俺の担当になるらしい恰幅の良い記者の名前は猿賀というらしかった。
猿賀は俺と自分の前に珈琲を置き、1口飲むように進める。
「待たせたから喉が乾いただろう、生憎これしか持ち込めなくてな。未開封だから心配するな」
俺はこの男を心底胡散臭いと瞬時に感じ取った。
この手の男は人心掌握能力に長けている。
面倒くさい詮索をされそうな気配を察し、聞かれたことをそのまま答えた方が今後のためだと理解した俺は彼女、元彼女との馴れ初めから事件に至るまでの経緯を説明することにした。
「馴れ初め…馴れ初めは…」
俺は目を閉じ当時のことをよく思い出せるよう、深く息を吸って、頼りなく吐いた。
今でも目を閉じると浮かんでくる光景は、いつまでも色褪せることは無い。あれは初恋だったから。
俺と元恋人の出会い。それは入学式を終えた大学の構内。早々に忘れ物をしてしまい、講堂へ取りに行った先に彼女はいた。
彼女は開放された窓から吹き込む花風を纏い、長い美麗な黒髪を靡かせていた。言葉で表現をするのならば、まるで若手監督が手掛ける青春映画のメインシーン、ここで後ろから主人公に声を掛けられ彼女はヒロインとして物語に関わってくる。
俺は、今この時点において彼女をヒロインにすることができる唯一の存在だと確信した。根拠の無い自信であったが、それを信じて疑わなかった。だから、だから声をかけたんです。
「忘れ物、見ませんでしたか?」って
何を忘れたか?は正直どうでも良いんです。声をかけるための手段でしたから。ただ、安い言葉で表現すると、ここで奇跡が起きたんです。僕が忘れていったものは先日友人から返却された推しのマリリン・マンソンのCDでした。納得の顔をされてますね。趣味が一緒だったんです。春に攫われてしまいそうな美しい女であるのに趣味は激しく、ロックとメタルを融合させた唯一無二のアーティスト。しかも、自分と同じ。もう、運命だと自覚しました。自覚したなら行動なんて早い方が良いですよね。そのまま告白をしました、半分ナンパみたいなものですけど。
彼女は意外にもそこで返事をしてくれました。もちろん、俺が望んでいた答えです。驚愕しましたよ、そりゃあ、こんなに、美しい女が俺みたいなブ男と付き合う訳が無いと思ってましたし、切に感じられた経験を俺は何度もしていますから。でも、付き合えたんです。彼氏と、彼女として。恋人として。
それから俺の生活の色は一変しました、くすんだ灰色に塗れた世界が少しずつ彼女の色に染まっていくんです。美麗に、そして時に切なく、劣情を含んで。
好きなアーティストが一緒だった。と、先程話しましたよね?よく大学でマンソンの曲を聴いていました。何をモチーフにしているとか、サンプリングがあるのか?とか本当に考察鑑賞ばかりしていましたが、彼女はそれでも幸せそうに俺に微笑みかけてくれていました。美しい顔で。それはもう、女神のようでしたよ。
しばらくして彼女からの連絡頻度は低くなっていました。大学も忙しかったし、丁度就活の時期でしたので、最初はあまり気にしていませんでした。
しかし、ある出来事。そう、あの場面を目撃してから俺の疑念は確信へと変貌しました。
あ、何となくお分かりですか?さすが、人生経験はかなりありそうな様相をしていらっしゃいますし、嫌な予感ってのは、よく当たるものです。
「浮気、か」
「そうです、ここから俺と彼女の関係は大きく…いや、かなり大きく歪んでいきます」
「続けられそうか?辛かったら明日でも…」
「もう何度も思い出すのは嫌です。俺は極刑を望んでいますし、今更弁護されることもありません。だから、大丈夫です」
俺は目の前の珈琲を一気に飲み干し、枯渇した喉を一気に蘇らせ話を続ける。
少し話を戻しますね。
薄々彼女の心が自分から離れている事に勘づいていましたが、受け入れ難い事実に従って自分から別れを切り出せる程まだ俺は大人ではありませんでした。寧ろ目出度い頭をしていた俺は、これが大人の距離感を持ってした恋愛なんだと大学生のくせにより深みを増した愛情とはこういう事か。ということに没頭していました。
没頭していたと言っても、俺も学業やバイトがありましたから、連絡頻度を落としていました。
それは向こうも同じだろうと考えていましたし、実際忙しくて逢瀬もありませんでした。でも、それが相手にとっては苦痛だったんだと思います。
優しくされたゼミの男にコロっと、もうすぐに乗り換えてしまったんです。
別れ際も淡々としたものでした「好きな人が出来たから別れて欲しい」それだけです。
俺は気づいていたんです、同じ大学ですから。
彼女が彼と仲睦まじく登下校をしたり、喫茶店でお茶をしたり、同じアパートに帰り、朝まで出てこないこともありました。その後は2人で腕を組みながら学校にいっていましたし、もう疑いを払拭する理由が無かったんです。
だから、話し合いの場を設けてもらいました、相手の男を交えて。
喫茶店で会いました。彼女は泣いていました、俺ではなく、彼の横で。
男は彼女の方に手を置いて慰めていました。本来であればソレをするのは交際関係にある俺のはずですよね、おかしな話だと思いません?
俺は2人の関係について詰問しました。話によると1年も前から関係があると、あっさり答えました。俺が就活に苦労しながら彼女のことを想っている間、2人は狭いボロアパートで濃密な逢瀬をしていたということです。
全身の血液が沸騰するのが分かりました。今にも目の前の2人をビリビリに引き裂いて土に埋めてやろうという衝動が湧き上がっていました。
その日は円満に解決させましたよ、俺は大人なので。2人を許し無事に返しました。
彼女に手をかけることになったのは、その翌日の出来事です。
あろう事に大学中に俺がストーカーだと流布されていたんです、そんなこと納得できますか?
もちろん、俺たちの関係を知る人は多かったし、彼に乗り換える前に友人に相談していたそうです。しかしそこで彼女は浮気を隠し、俺が一方的にストーカーをしていると、デマを流したんです。内容も酷いものでした。
「別れを告げた後もしつこく付き纏われている」
「自分たちの動向を監視していて、脅迫めいた連絡を毎日してくる」
など、事実無根なことばかり。
事実無根とまでは言いすぎたかもしれません。俺は彼女の安否確認と彼に酷いことをされていないか、彼といて幸せになれているだろうかと心配の旨を送っていただけなんです。
これって悪い事ですかね?
しかし、彼女以外に友好関係を築かず、1人浮いていた俺は反論なんて出来ません。だから、彼女に辞めてもらうよう直談判したんです。
講義後に呼び出して、お願いしました。
そしたら彼女、俺にこう言ったんですよ。
「アナタ、本当に気持ち悪いの。好きなんて思っていないし、今の私と彼の関係を邪魔するなら警察を介入させます」 と。
もう、全てが無駄になったんだと、そう思いました。自分が彼女の為に費やした時間も、お金も、愛情も、俺の人生と初めての恋を否定された気持ちになったんです。もう、腹の底から黒い感情が溢れて止まりませんでした。
そこからあまり…記憶はありません。
気がついたら俺の手の中で彼女は冷たくなっていました。
ああ、殺してしまったな。と妙に冷静な自分がいて、まるで異常者ではないかと恐怖しました。
冷静すぎる自分に驚愕しながら、処理方法を考察して、実行しました。
彼女の体を解体し、ある程度の部分は冷蔵庫に締まいました。頭部は…今の彼氏に届けようと、彼女の最後の姿くらい見せてやってもいいかなと慈悲にも近い感情だったと思います。
好きな人の死に目に会えないのは、辛いでしょう?まあ、彼女はもう死んでいる訳ですが…はは。
愛していたのに、どこからこうなってしまったのでしょうか。僕は何を間違ったのでしょう。
求刑は死刑でした。殺人、遺体損壊、ストーカー、重ねすぎてしまったみたいです。心神喪失も認められませんでした。当たり前ですよね、俺は正気だったんですから。俺はもう疲れてしまいました、ただ衝動で人を殺め尊厳を破壊し、最後綺麗な姿で家族の元へ返すことも叶えられませんでした。
俺は、俺はどこで間違えたのでしょうか。
浮気する人間なんて腐る程居ます。恋人からしたら浮気相手なんて害虫みたいなもんです。
ソレを駆除するのは、悪ですか?
人間の命は、命でしか償えませんが、奪われた愛を取り戻すための駆除は、悪なのでしょうか。
すみません、俺には、もう何も…頭が、真っ白なんです。
申し訳ありません、今日はもう、ここまでにしてください。
猿賀さん、つまらない話を聞いてくれてありがとう。記事になりますか?こんな話。
ただの痴話喧嘩ですよ、結果、人が1人死んだだけです。
こんなもの、世の中に何件ありますか?たくさんありますよね。
いや、もうやめます。
ご清聴、助かりました。心が、少し軽くなった気がします。
⭐️
「被害者や遺族に謝罪する気はあるのか?」
猿賀さんは神妙な面持ちのまま、残り少ない珈琲を飲み干しメモする手を止め、真っ直ぐに俺の顔を見た。
「謝罪…俺は、悪人なのでしょか、存在してはいけないんでしょうか」
一縷の望みを賭けて猿賀に縋るような目を向けるが、彼はまるで汚物を見るような眼光で俺に言い捨てた。
「お前は駆除されるべき、害虫だ。命で償えお前が殺した女はもう帰ってこない」
蝿を殺す 長眼 照 @ozz3325
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