第25話
「僕は」
扉が叩かれる音がして、ユウタは我に返り、タリダスから離れた。
侍女長マルサが桶を持って部屋に入ってきて、タリダスは入れ違うように出ていった。
一人で湯あみをしたいため、マルサに終わってから知らせると退出させ、ユウタは一人で湯あみをする。温かい湯に布を浸し体を拭いていく。
シャワーやお風呂のほうが気持ちいいが贅沢は言えない。
けれども全身を拭く行為は少し気持ちをさっぱりさせた。
そうして思い出すのは先ほどの自身の行動だ。
「なんていうか、困らせることばっかり言っちゃったな」
騎士団長を危うくタリダスがやめるところであり、ユウタは反省していた。
「一緒にいてほしいのは本当だけど、僕は子供じゃないんだから。そんな我儘は言えない」
タリダスが傍にいれば不安が消える。
アルローに記憶に埋もれ、自身を失うこともないだろう。
ふと、ユウタはタリダスに抱きしめられたことを思い出し、その安心感に浸る。
「子供じゃないんだから」
そう言い聞かせ、ユウタは全身を拭き終わった布を桶に入れ、着替え始めた。
☆
「ロイ。どうして邪魔をするの?」
ユウタたちが戻った後でも茶会は続けられていた。
「邪魔などした覚えはないですよ。母上」
ロイはお茶の入ったカップを持ち、優雅に飲みながら母親の前王妃ソレーネに答える。
胸中にある思いは、妻である王妃が今日王宮にいなかったことが幸いだったというものだ。いつまでも子供じみた、少女のように振る舞う母に、腹黒い笑顔ですべてを包み隠す宰相のフロラン。歳を重ねるごとに彼らが歪みを理解できるようになった。
父が亡くなり、王の座に就きやっと彼は理解し始めた。
宰相としては力になるが、人としては最低な男であるフロラン。
よく言えば無邪気、悪くいえば浅はかな母のソレーネ。
ロイは年齢を重ね、耐えることを学んできた。アルローを亡くして、王になってからの人生は外からみれば華やいだものであったが、彼にとっては苦難の道であった。アルローの生まれ変わりが早く見つかればいい、そう願って日々を過ごしていた。しかし周りの者たちは彼の思惑とは異なり、アルローの生まれ変わりを探すのを断念し始めた。
そんな矢先、彼は恋に落ちる。それは本当に偶然の出会い。孤児院の慰問先で出会った貴族の娘だった。性根がまっすぐな彼女に惹かれ、アルロー探しを断念することを条件に彼女を王妃とした。
「きっと、ジョアンヌも会いたいはずだわ」
「ええ。王妃殿下はきっとユータ様に会いたいはずですね」
目を輝かせて、はしゃぐ母ソレーネに、言葉を合わせるフロラン。
ロイは二人を見ていると吐き気を覚えることが多くなっていた。
その二人から愛する妻の名を出され、彼は目を閉じた。
「そうだな。きっとジョアンヌも会いたいはずだ。次回は彼女も同席させよう」
「楽しみだわ」
「そうですね」
ロイはまだ自身の秘密をジョアンヌに話せていなかった。
実際、死ぬまで話すつもりはなかった。
王を毒殺するような二人が、妻、王妃を手にかけない保証がないからだ。
ジョアンヌを王妃にしたことを後悔することが時折ある。
しかし、それ以上に彼女が傍にいることによって得られる安心感を彼はあきらめることができなかった。
次回は守れないかもしれない。
ロイは、父アルローの生まれ変わりである少年ユウタに思いを馳せた。
☆
「私は何をやって」
自室に戻り、タリダスは先ほどの自身の行動を反省していた。
ータリダス。僕から離れないで。僕は、僕でいたい。確かに僕はアルロー様の生まれ変わりだよ。だけど、僕はー
体を震わせながらそう言われ、彼は自然とユウタを抱きしめていた。
少しは肉付きがよくなったといっても華奢な体は、タリダスの腕の中にすっぽり入った。
王宮に向かう途中、賊を装ったリカルドたちに襲われ、ロイの元へ案内された。リカルドのことを知っていたユウタ、歴代の王にしか伝えられないという通路の隠し扉を迷うことなく見つけた。
ユウタであるのに、そのしぐさにアルローの影を見た。
生まれわかりであるから当然であるが、それに彼は寂しさを覚えた。
またユウタではなくアルローに戻ってしまったのではないかと不安だった。
通路を歩く途中、彼の手を握ったのは自身の不安を紛らわせる意味もあった。アルローであれば、手などつなぐなどありえないだろうから。
前王妃によって強引に設けられた茶会、そこでケイスの姿を見たユウタの様子はおかしかった。今すぐにでもユウタを屋敷に連れ戻したい、そんな思いを押し殺して茶会を乗り切った。ロイが中断させたおかげもあった。
ユウタはユウタのままだ。しかしアルローの記憶が、想いが彼を戸惑わせているようだった。
「ユータ様の傍にずっといたい」
これはタリダスの心の底からの願いだ。
しかし、騎士団長を務める身で、王宮に出仕しないことはあり得ない。
ユウタにも止めれた。
「……ならば、ユウタ様を連れて。だめだ。それでは危険すぎる」
王宮にユウタを連れていくのは危険が伴う。ユウタを邪魔に思っている一派が王宮にはいるからだ。事故に見せかけて殺そうとする輩がいる。
「この屋敷のほうが安全だ」
タリダスはそう結論を出すと、大きく息を吐いて着替えを始める。
それから騎士団の仕事を部屋でこなしていると、コンコンと軽く扉をたたく音がした。
「あの、タリダス。ちょっといいかな?」
「ユウタ様」
タリダスは書類仕事を放り出すと、子供みたいに扉へ駆け出して開ける。
「どうかされましたか?」
「うん。ちょっとお願いがあって」
こうしてユウタがひとりで部屋を訪ねてくることは多くなった。もちろん、彼の護衛であるジニーは影のように付き添っている。
ユウタがタリダスの部屋に入ると、ジニーの影が消えた。
部屋の外で待機するつもりのだろう。
「お茶を飲みますか?」
「ううん。いらない。ごめんね。仕事の邪魔だった?」
「いえ。大丈夫です」
ユウタが机の上に散乱している書類を見つけたらしくて、申し訳なさそうな顔をした。
こういう表情を見るとユウタはユウタなどだと安心してしまう。
姑息と思いつつ、タリダスはいちいち確認する自身を止められなかった。
「あの、タリダス。僕も王宮について行っていいかな?」
「どういう意味ですか?」
「ロイが心配なんだ。とても」
「私は賛成しかねます。ジニーが常に傍にいるとしても、王宮は危険すぎます。あなたに悪意を持っている人間は少なくない」
「わかってるよ。だけど」
「私は賛成できません。けれども、近いうちにもう一度行きましょう。今度はリカルドに先に話をします。そうすれば宰相閣下の介入なしに会えるかもしれません」
「……うん。わかった。ありがとう。そして我儘いってごめん」
「我儘なんてとんでもありません。私こそ、あなたの想いを尊重できず、申し訳ありません」
「僕の、っていうかアルロー様なんだけど。僕とアルロー様、前は綺麗に分かれていたけど、今はまた一緒になってみたいなんだ。だから、アルロー様の気持ちがよくわかる」
「一緒に?アルロー様が消えたということですか?」
「消えてはいない。一緒になったんだ。僕はユウタだけど、アルローでもある」
そう答えたユウタはいつもと少し違って、まっすぐタリダスを見据えていた。
「……なんといえばいいのか」
タリダスは自身の想いが説明できなかった。
アルローへの気持ちはまだ整理されていない。いつか向き合おうとしているうちに、アルローが消えてしまったのだ。
「タリダス。僕は過去を向き合うよ。あなたにはひどいことをした。償いもしたい」
「償いなんて、そんなこと必要ありません。ただ、私は、あなたが変わらず傍にいてくれたらそれでいいのです」
「……僕は」
「ユータ様。私はちょっと動揺しているようです。一人にしていただいてもいいですか?王宮への再訪についてリカルドに話を通すようにしますから」
「う、うん。わかった。じゃあ、僕は部屋に戻るね」
タリダスは、アルローであるユウタの顔をまっすぐ見れなかった。
ユウタへの友愛の気持ち、アルローへの尊敬の気持ちは変わっていない。しかし、アルローとウィルのことを考えると気持ちがどす黒くなり、冷静な判断ができそうもなかった。
ユウタが部屋から出ていき、ゆっくりと扉が閉まる。
ジニーの影がこちらを見ている気がしたが、タリダスはあえて無視した。
「……ユウタ様。アルロー様」
同じであった二人は、タリダスの中では全く別人になっており、抱える思いも違うものになっていた。特にアルローには怒りも覚えていて、彼は自身の気持ちを持て余した。
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