第6話 前王妃と宰相
タリダスがいなくなって、しばらくして扉が叩かれた。
ユウタはこの世界でタリダス以外の者と話したことがなかった。緊張しながら、「どうぞ。お入りください」と許可を出す。
「ユータ様」
入ってきたのは女性だった。
年齢は母親と同じくらい。ユウタは警戒して彼女を見る。
「私は侍女長のマルサです。大丈夫ですか?」
マルサは心配そうに問いかける。
こうやって優しくしてくれた大人が豹変するのに、ユウトは慣れ過ぎていた。
なので何も答えず、距離を取ろうと数歩後退する。
「ご安心ください。私はタリダス様の使用人です。お昼を持ってきました」
タリダスは彼をアルローだと思っている。危害を加える事はない。彼の使用人も同様のはずだった。
「ベッドでお召し上がりになりますか?それとも椅子に座られますか?」
侍女長マルサに問われ、ユウタはまた即答できなかった。
彼女は急かせるわけではなく、笑顔を浮かべまま、彼の返事を待っていた。
「あの、椅子に座りたいです」
「それでは、テーブルに食事を置きますね」
マルサはそう言い、トレイから料理にのった皿を取り出し、置く。
スープの中に麺状のものが入ったお皿、半熟の卵の入った小皿。
「こちらは、小麦粉を練って作った麺を野菜と一緒に煮込んだものです。卵は半熟ですが、加熱をしっかりしているのでご安心ください」
「あ、ありがとうございます」
椅子を引かれ、ユウタは戸惑いながら、テーブルに近づく。恐る恐る椅子に座ると、マルサは少し距離を取った。
「あの、食べたら呼ぶので、一人にしてもらってもいいですか?」
「そうですか?はい。それでは食べ終わったら呼んでくださいね」
侍女長は軽くそう言い、一礼をするとゆっくりと扉を開けて出て行った。
「わ、悪い人ではない。うん」
大人は怖いという印象が強いユウタはやはり、マルサが怖かった。
タリダスへ恐怖心はまだ持っているが、マルサに対するものとは種類が違った。
捨てられたら困る。殺されたくない。
それらは彼に落胆されたくないという気持ちに繋がる。
「でも僕は、きっとアルロー様だ」
聖剣が見せてくれた映像を思い出し、彼は自分に言い聞かせるように声に出す。
そして、壁に立てかけている聖剣に視線を投げる。
淡い光を放っているそれは、ユウタを誘っているようだった。
彼は視線をテーブルに慌てて戻し、食事をし始めた。
聖剣に触れると、自分が変わってしまう。
そんな予感を覚えて、ユウタはまだ踏み切れなかった。
*
「ソレーネ様、フロラン宰相閣下。わざわざお越しいただきありがとうございます」
タリダスは客間で椅子にゆったりと座る二人に深々と礼を取る。
前王アルローの母の妹がタリダスの祖母であり、彼にとってアルローは伯従父(いとこおじ)にあたる。
家を出てしまったが除籍しているわけではないので、家名のヘルベンをまだ名乗っている。爵位は継いでいないので、ヘルベン卿もしくは騎士団長として彼は呼ばれていた。
「タリダス。そう畏まることはないのですよ」
アルローが亡くなり、ソレーネが王妃を退いてから十四年。
年齢は五十に近いだろう。しかし、年齢重ねているがその美貌はまだ健在だった。現王ロイと同じ蜂蜜色の髪はまだ艶を保ったままだ。
「そうですよ。タリダス」
ソレーネ前王妃の隣に腰掛けているのは、宰相のフロラン。銀色の長髪を後ろで結び、緑色の瞳を細くしてタリダスをみている。彼は前々王の兄の子で、アルローとは従兄弟同士にあたる。本来ならばフロランの父が王位を継ぐ予定だったのが、病弱のため弟であるアルローの父が王になった。
フロランの父は、彼が生まれて少しして亡くなっている。
アルローが王になった時、彼はフロランを宰相に指名した。王宮は騒ついたが、アルローの統治二十年間で問題は起きなかった。アルロー死後も、彼はロイの補佐して、宰相として王宮に君臨している。
「お二人はどのような御用で我が屋敷に来られたのでしょうか?」
タリダスは態度を崩すことなく、二人に問いかける。
「もちろん、アルロー様の生まれ変わりの少年のことですわ」
ソレーネが少しだけ目を泳がせながら、答えた。
「彼は休んでおります。異世界で過酷な環境におられたらしく、しばらく静養が必要なのです」
「そうなのですか?それなら王宮で十分な手当をしたほうがいいのではないかしら?ロイも喜ぶはずよ」
現国王をいまだに陛下ではなく、その名で呼ぶソレーネ。王妃時代からどこか抜けていたが、今だに少女気分が抜けないような態度をとる。
現国王のロイは現在三十二歳。王妃は宰相フロレンと付き合いの深い貴族の娘だった。子はまだいない。ソレーネと異なり、現王妃はロイを支えて、王妃らしく慈善活動などに心を砕いている。
それもあり、ロイの治世はアルローのそれよりも国民に喜ばれている。もちろん、アルローの治世に不服があったわけではないのだが。
タリダスは、ソレーネの王妃らしからぬ態度が苦手だった。彼女のおかげでアルローが貶められるのが許せなかったのだ。
それにこの宰相フロレンも一枚噛んでいるようで、タリダスは宰相も好きではない。アルロー時代からフロレンはソレーネに甘く、無駄な出費にも目を瞑ることが多かったのだ。
「陛下からは、我が屋敷で預かるようにお言葉をいただいております」
「そうなのね。フロレンは知っていた?」
「はい。存じ上げております。タリダス。顔だけでいいんだ。見ることができないかな」
「申し訳ありません。酷く衰弱されており、ゆっくり休ませることが最優先となりますので」
「そうなのね。じゃあ、また来るわ。一ヶ月後くらいなら元気になってるかしら?」
「一ヶ月後は、空きすぎですよ。ソレーネ様。二週間後くらいに、また来るから会わせてくれるよね?もし陛下のお言葉が必要であれば、書状を準備するよ」
「それには及びません。二週間後ですね」
「二週間後にアルローの生まれ変わりに会えるのね。楽しみ」
「私も楽しみです。どうやらアルロー様にそっくりみたいですから」
「それはそうでしょ?生まれ変わりなんだから」
ソレーネはフロレンに詰め寄りながら微笑む。
この二人の距離が近いのも、タリダスが二人が嫌いな理由だった。
アルローを失い、ソレーネは現在王妃ではない。ロイによって用意された王宮の一室に住んでいる。彼女が望めば王宮を出て再婚も可能だった。フロランは現在五十六歳でありながら、独身。
距離が近くでも問題はない。
だが、アルロー在命の頃から、二人は親しげであり、タリダスはある考えを捨てきれないでいた。
二週間後の再訪が決まり、二人は護衛を引き連れてタリダスの屋敷から出て行く。護衛たちは王宮の近衛騎士たちだ。しかしながら、タリダスは屋敷のものに護衛たちの動きに注意するように伝えていた。
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