第5話 記憶の断片

 眠れないユウタはベッドから降りて、窓に近づいた。

 眠っているうちにタリダスの屋敷に連れて来られたので、ユウタはこの屋敷の事をよく知らなかった。

 この屋敷どころか、到着してから寝た振りをしていた事もあり、この世界の事もよく分からなかった。珍しいものでも見えるかもしれないと窓から外を見る。

 庭が広がっており、その一角に人影がある。陽の光を浴びて、輝くそれは甲冑だった。今日は兜を被っておらず、その横顔が顕になっている。

 短く刈り込んだ白銀の髪は甲冑と同じく煌めいていた。

 剣が振り下ろされる。

 途端にユウタは、母の男友達の首が飛ばされた瞬間を思い出した。吐き気が込み上げて来て、座りこむ。

 目の前で簡単に殺された。

 部屋に充満した血の匂い。

 あの瞬間、騎士タリダスへの恐怖に支配されたけれども、恐怖の中に、自分を傷つけたものが抹殺されたことを喜ぶ感情もあった。

 物心ついたときから、ユウタは心休まることがなかった。

 優しかった叔母や叔父が急に気持ち悪いことをしてきたり。

 

「僕は、やっとあの世界からやっと逃げることができた。だから」


 日本に戻りたいという気持ちは全くなかった。

 

「僕は、アルロー様でなければならない」


 彼は自分に言い聞かせた。

 立ち上がりベッドに戻る途中、ユウタの視界に聖剣が入った。

 細工が美しい銀色の鞘に入った剣だった。

 興味本位で彼は立てかけてあるそれに触れる。

 その瞬間、映像が彼の脳に流れ込んだ。


 知覚いっぱいに広がるのは、少し幼いタリダスだ。今より身長が少し低く、顔立ちがふっくらしている。


「陛下!」

「私は生まれ変わる。私を探せ。聖剣が私の居場所を示してくれるだろう」


 ユウタではない声を彼は聞いた。しかし話してるのは彼自身のようだった。


「陛下!陛下」


タリダスの切ない声が何度も彼を呼ぶ。


その声を聞きたくないと思ったのか、ユウタは反射的に触れていた聖剣から手を離す。


すると脳裏に流れ込んできた映像、声が一気に消えた。


「あれはタリダスさんだ。で、陛下って呼ばれていたのは、僕だ」


 陛下とは王の事。

 昨日聞いた現国王ロイの声と、ユウタの口から漏れた声は明らかに違うものだ。

 

「僕は本当にアルロー様だったの?」


 確かめたくて、再度聖剣を見つめる。しかし再度触れる勇気は今のユウタにはなかった。

自分が変わってしまいそうで怖かったのだ。


 

 *


 タリダスが気配を感じて目をやると、窓から人影が消えるところだった。

 そこはユウタの部屋で柔らかそうな金色の髪、人影の大きさからユウタ本人だと判断できた。

 彼が生まれた異世界の事はわからない。タリダスが想像できるのは虐待を受けていた事だけだった。

 あの不埒な男を思い出すと怒りが込み上げてくる。

 それを発散させるため、彼は視線を戻すと再び剣を振い始めた。

 そうして心を落ち着かせから、彼はユウタをこちらに連れてきてから、着替えは渡したが、湯浴みをすすめていない事に気がついた。

 一瞬、侍女長マルサに頼むのも考えた。しかし彼の怯えたような表情を思い出し、改める。


「ユータ様のお世話はしばらく私がした方がいいだろう」


 己に言い聞かせるようにタリダスが言葉を口に出して、ふと気がつく。

 ユウタの名を躊躇いなく呼べている事を。


「アルロー様」


 彼はアルローである。意識するようにその名を呼ぶ。

 アルローが没して彼の名を呼ぶようになった。陛下とは現王ロイを指すからだ。

 タリダスは考えを中断し、鎧を脱ぐため自室へ向かった。



「ユータ様、昼食の前に湯浴みをしましょう」


 ユウタがベッドの上でぼんやりしてると、扉が軽く叩かれてタリダスが入って来た。その手には大きな桶が抱えられており、湯気が立ってる。


「お湯に布をつけて、お体をお拭きいたします」

「いえ、必要ないですから」


 ユウタは体に触れられるのが基本的に好きではない。特に裸なんてとんでもなかった。

 しかし体がべたべたしているのは事実。拭くというよりも水浴びでもしたい気分だった。

 日本ではお風呂はなかったが、シャワーがあり、使うことに関して怒られることはなかった。

 ただ長く使うと怒られるので、髪と体を一気に洗って、一緒に流すことをしていたが。


「ご自分で拭かれますか?」

「はい」


 戸惑ってるうちにそう言われ、彼は頷いた。


「こちらに布と着替えを置いておきます。私は部屋の外にいますので、済みましたらお呼びください」


 淡々と説明され、ユウタは不安になった。


「ありがとう。タリダス」


 だから彼は自分がアルローだと仮定して礼を述べる。

 聖剣に触れ、彼は自分がアルローである可能性を信じ始めた。

 それなのに、タリダスに距離を置かれ、焦ってしまったかもしれない。


「いいえ。礼には及びません」


 タリダスは驚いたように目を見開いたが、直ぐに表情を改めて微笑んだ。

 彼が部屋を出ていき、ユウタは服を脱いで湯に浸した布で体を拭き始める。

 ベタつきがなくなり、別の布で体を拭いた後、用意された服に着替える。下着らしきパンツが今度はあって安堵しながら着替えを済ませた。

 聖剣がユウタの視界の端に入る。

 再び触れれば、更に何かを知る事が出来るかもしれない。

 しかしユウタは聖剣から目を離す。


「入っても宜しいですか?」


 タイミングよく扉が叩かれ、声がかけられた。


「はい」


 ユウタが返事をするとタリダスが部屋に入ってきた。


「それでは片付けてから、食事をお持ちしますね」


 タリダスはユウタが一箇所にまとめておいたものを桶の中に入れ、抱える。


「あの、タリダス」


 ユウタは何か漠然とした不安を覚え、彼の名を呼ぶ。

 大人を、人を積極的に頼ったのは初めてかもしれない。


「何か、」


 タリダスが立ち止まり問いかけようとした時、扉が強く叩かれた。


「旦那様、前王妃殿下と宰相閣下が来られております」


 扉の部屋からかけられた言葉に、タリダスが嫌悪感を露わにする。


「分かった。客間に通してるな?私が行く」


 彼は扉越しにそう指示して、振り返る。


「ユータ様。昼食はマルサにでも運ばせましょう。私は客人がいるので申し訳ありません」

「あの大丈夫です。はい」


前王妃といえばアルローの妻である。ユウタはその事に気がついたが、会うという選択肢を考えきれなかった。ならばこれ以上負担をかけないようにと頷いた。

 

 



 

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