第2話無能転移の青年②
「イセカイ……?」
男の言葉に、俺は思わず眉を顰める。……けれども、頭の何処かでは。そのイセカイという言葉を受け入れている自分がいた。
ここは、俺がいた世界ではないのだと。
「そうだ。アンタのような、別の世界から来た者を……この世界では【流れ人】と呼ぶ。……まっ、この目で本物の流れ人を見たのは初めてだけどな」
そう言いながら、男が油とマッチを取り出す。取り出したそれらで、天井のオイルランプに火を灯した。橙色のぼんやりとした光が、家の中を照らす。
「流れ人………あ、あの! 俺の他に、こういう格好をした奴って……あの……」
「うん? ……さっき見るのは初めてだって言ったろ? 悪いがアンタ以外の流れ人は見たことがない。……まぁ座れ」
「あっ……は、はい。……すみません」
「ははっ、おかしな奴だな。何もしてないのに謝るなんて。……そういう文化って奴か?」
勧められるまま、家の真ん中。
そこにあった椅子を引いて、テーブルを囲む。
ホームセンターなんかで売っている、人工木材のものではない、本物の木製のテーブルだった。
「そんなところです……はい。……あ、あの! ……助けてくれて、ありがとうございました……!」
「いや、良いんだ。……最初は流れ人だし、放っといても大丈夫かと思ったが……アンタ、ただ助けてって叫ぶばっかりだったからな。見てられなくてよ」
放っといても大丈夫……とはどう言うことなのだろう?
あまり、流れ人という存在は歓迎されないのだろうか……この世界では。
「……あぁ、なんか勘違いさせちまったか? ……伝説や噂に聞いてた流れ人ってのは、とんでもない能力を持っていて……夜廻鬼……さっきの怪物だな。アレぐらいなら簡単に倒せるって聞いてたからよ」
「は、はぁ……」
だとしたら、それは偶々。
……伝説に語られる流れ人とやらが、異常なまでに強い人だった、ということだろう。
俺には何の能力もない。本当にただの高校生だ。
イセカイに……この異世界に転移してきたが、所謂チート能力や転移特典のようなものは……何も無いようだ。
「まぁ、ともあれだ。助けられてよかったぜ。……俺はバルガル。
……こっちは、娘のレイラだ。たぶん、歳はそんな変わんねぇだろ」
「こ、こんばんは流れ人さん……」
自己紹介をされて、俺も慌てて自己紹介をし返す。
「お、俺は霧乃 優真と言います。……えっと……名前が優真で……霧乃は名字で……」
「なら、ユーマと呼ばせてもらおう。発音がしやすい」
そう言って、バルガルが豪快に笑い飛ばす。……見た目通りの豪快な人らしい。
「ごほっ……こほっ……」
「レイラ……! ……薬はまだあるな?」
「う、うん……」
対して、レイラという少女は。
しきりに胸をさすり、ヒュウヒュウと苦しそうにしている。
……喘息だろうか?
「仕事はできそうか? レイラ。……きついなら休みにしてもらえ」
「大丈夫……」
そう言って、レイラが引き出しに手を掛ける。
取り出したのは、薬液の入った小瓶と、薄汚れた吸入器……のようなモノだった。
少したどたどしい手つきで、薬液を入れて吸っていく。
「夜廻鬼の死骸を売れば金が入る。……休んでもいいんだぞ」
雰囲気からして、バルガルとレイラ。この親子は……お金に余裕が無さそうだった。
街並からしても寂れていたし、この街自体が貧しいのだろう。
(外が……騒がしくなってきたな)
窓越しに見える外の景色は、俄にざわめき立って明かりが灯っていく。
家々の窓に光が点いて、往来には人が満ちていく。
夜とは思えないような活気だ。
「あの……バルガルさん」
「窓を修理しねぇと……ん? どうした、ユーマ」
「えっと……仕事。俺も何かできませんか?」
バルガルとレイラが、顔を見合わせる。迷惑かとは思ったが、レイラの様子と。
……この父娘の様子を見ていたら、ただ黙ってここに居るのが申し訳なく感じられた。
日雇いの仕事でもいいから、何か助けられた恩を返したかった。
「そりゃぁ……ありがてぇが。
……迷い込んで来ちまっただけのユーマに、仕事をさせるのもなぁ。……こっちが申し訳ねぇやな」
「そ、そうですよユーマさん……」
「……その、助けてもらった恩返しもしたいですし……いつまでも厄介になるわけにもいきませんから。こう……自活くらいできたらなって」
「……義理堅ぇ奴だなユーマ。
だが自活なぁ。……確かに、生きていくには必要だな」
バルガルが少し考え込む。
考え込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「流れ人ってのは読み書きにゃ苦労しねぇが……頭を使うのと身体使うのどっちが得意だ?」
得意かと言われると困るが……強いていえば、頭を使うよりは身体を動かしている方が得意かもしれない。
「肉体労働なら……」
「ふむ。……ちょいとヒョロっとしているが……そう言うなら。……まっ、続けていりゃ肉付きも良くなるだろ」
ヒョロっとしている……と言われて、自分の身体を見やった。
バルガルのような筋骨隆々ではないが、これでも体力はある方だと思う。
「……予備が何処かにあったと思うが……どこにやったかな」
バルガルが少しの間奥に引っ込むと、何やらガサゴソと物音がした。
「よぅし、あったぞ。……ほれ」
「………えっ?」
手渡されたのは、バルガルが握っていたモノと同じライフルだった。
ただ、手渡されたモノの方は表面に細かな傷があり、薄汚れていた。
「銃。撃ったことはあるか?」
「………えっと」
「その反応見るに、何なら銃を生で見るのも初めてだろ? はっはっはっ! 安心しろ、弾は入っちゃいない」
いや、はっはっはっ!……ではないが。
撃ったことがあるのは、B・Bガンくらいだ。それも、百均で売っているような子供用のやつ。
まさか……これを持ってさっきの怪物を撃ちに行けってことか……!?
「俺は猟師をやっていてな。夜明け前までみっちり狩るぞ! 大丈夫だ、ちゃんと使い方も撃ち方も教えてやる。ほら、行くぞ!」
「えっ………は、はぁ……わっ……」
「スコープも貸してやる。しっかり使えよ?」
銃を受け取ると、今度はバイザー型の機械……スコープも投げ渡された。
そのメカニカルな雰囲気とは違って、かなり軽かった。
スマホより、少しだけ重い程度。
「いってらっしゃい、お父さん、ユーマさん」
「………い、いってきます」
レイラに見送られる。
……自分から仕事をしたいと言った手前、怖いから嫌ですとは言えない。
弾が入っていないとは言え、銃は銃。
……おっかなびっくりと銃を握りしめて、バルガルの後に続いて家を出た。
○
(………真昼みたいだ)
家から一歩外に出ると、辺りは真昼のように明るくなっていた。
見上げる空には満天の星が煌めき、彼方にある満月は黄金色の月光で街を照らす。
「さぁ見ていってくれ! 貴族御用達のリンゴ! 訳アリ品!」
「中古本入荷! 中古の本が入荷したよ! 挿絵の多い美品!」
「薬、薬はいらんかね! 都の廃棄品だ! 一瓶20ガラント! 三瓶55ガラントでどうだ!」
街の様子に目を向ければ、オイルランプを下げた出店が幾つも並び、売り子たちが威勢の良い声と共に客を呼び込んでいる。
暗かった家々は眩しいほどの光を発して、街ゆく人々の腰にもランプが下げられていた。
うねりながら揺れる往来は、さながら蛍の群れを思わせる。
……時折、俺の方をチラチラと見ながら、《流れ人か?》と呟く人たちもいたが、忙しなく歩いて行ってしまう。
(何だあれ……? 蒸気……機関……!?)
街の小高い場所に見えたのは、蒸気を噴き出しながら回る巨大な機械だった。目方、20メートルはある。
取り付けられた幾つもの歯車がせわしなく回り続けて、青白いスパークを発している。
巨大な蒸気機関。
……発電機だろうか。だとしたら、なぜガス燈を……?
「驚いたか?……あれが、平民が使うことを許されている唯一の発電機、スチーム・ギアさ!
……もっとも、電気を引けるのは小金持ちや教会。街のお偉いさんの家くらいだけどな」
「あんなに大きいのに、全住民分は賄えないって……ことですか?」
薄々……理解はできていたが、敢えてバルガルに聞く。
何となくだが、このイセカイがどんな場所なのか察せた気がする。
「うん? ははは! 賄えるさ! この街の住民なんざ、1000人ちょっと。碩学かぶれの連中が言うには、アレ一つで3000人分の電力が賄えるらしい」
バルガルが笑い飛ばす。
笑い飛ばした後、声を潜めて言う。
「だが、住民全員には……電気は行き渡らない。
……大きな声では言えねぇが……貴族の利権って奴よ。
貴族のみが使える筈の電気を、平民にも使わしてやるかわりに……金を納めろってことだな。
……貴族連中が使う発電機はすげぇぞぉ? スチーム・ギアがオモチャに思えるような代物さ……!」
どうにもこのイセカイは、貴族の力が強いらしい。
そして、貴族はより高度なテクノロジーを欲しいがままにしている。
……平民には簡素なテクノロジーを与え、管理しているようだ。
「……おっと。すまん、ユーマ。……狩りに行く前に、今のうちに見せておきたいものがある。
……付いてきてくれ」
バルガルに言われるままに、付いていく。往来の人混みを掻き分けて向かったのは、噴水のある広場だった。
キャンプファイヤーで使われる篝火のようなモノを囲みながら、人々が沈痛な面持ちで立っている。
……すすり泣いて、支えられている人も多くいた。
「ーーー……ーーー」
「………ーーーー……ーーー」
「ーーー!……ーーー……!」
教会の教父のような格好をした男が、何かの説法をしている。
その“教父”の足元には……麻袋が幾つか置かれていた。
人か何かが……入っているような。
「今夜は何人死んだ?」
「5人だ。……夜廻鬼にな」
「たった5人で済んだだけ、幸運だったよ……」
「………夜歩き共が逃げ出さなけりゃ……! くそっ!」
周りの人々の口ぶりから……その麻袋の中身が分かった。
……人の……遺体。
夜廻鬼……。
あの怪物に……殺されたのか。
「故に、彼の者らは安らぎのもとに眠る。………では、始めてくれ」
説法を終えた教父が言う。
何人かの男たちが歩み出て、麻袋を篝火の中へと投げ入れていった。
……ごぅっという音と共に、肉の焼ける臭いが立ち込めた。
祈りを捧げる者。
ただ黙って見つめる者。
……より一層……激しつ悲痛な泣き声を上げる者と……反応はそれぞれ違った。
「……慣れておけ、ユーマ。
これがこの世界の日常さ。……朝は皆眠り、夜になると動き出す。
……霧が掛かる時は……カミサマに命乞いをしながら引き籠もるんだ」
朝は眠る。
……その言葉に、俺は違和感を覚えた。異様な速さで夕暮れから夜に変わったコトと、
何か関係があるのだろうか。
「………朝は寝るって、どうしてですか?
……普通、朝は起きて仕事をする時間の筈じゃ……」
「そりゃぁ……ユーマの世界の常識だろう? ……このイセカイは……夜が長いのさ。太陽が出ているのは7時間。陽は2時間で沈み、後は長い長い……夜が来る」
そして、と。
バルガルは言葉を続けた。
「夜が来たら、今度は霧が出る。いつも必ず霧が出るってわけじゃねぇがな。
……だが霧はさっきの夜廻鬼共や……もっと恐ろしい夜廻鬼を呼び寄せる」
……あの怪物以上に、恐ろしいモノが現れるのか。
「……だから陽の光に守られていねぇ夜じゃ、安心して眠ることはできねぇのさ。
仕事やらができるのは……夜の内だけだ」
「……よく、わかりました。……すみません」
「謝るこたぁ無ぇんだよ、別に! ……だがよぅく、覚えておいてくれ。……元の世界に帰れるか分からねぇが……帰れるまでの間は………この世界で暮らすしかねぇ」
麻袋は燃え続けている。
……灰には、まだならない。
「―――よぉよぉ、バルガル! おもしれぇヤツを連れてるじゃないの!」
不意に、背後からした声。
それに驚いて、俺は思わず振り返った。振り返って……今度は当惑させられる。
「ジェールか。……店はいいのか?」
「いんやまぁ、腹減ったから買い出しにな。そうしたら、オメェが変わったヤツ連れてたからよぉ」
ジェール、と呼ばれた男は。
一言で言えば“珍妙”な男だった。
歳はたぶん中年。
側頭部以外は禿げ上がった頭に、溶接工が使うような厚ぼったいゴーグルを掛けている。
顔立ちは彫りが濃く、中東系の男性を思わせた。……けれども、両目はスコープ型の……義眼のような機械に置き換わっている。
「やぁやぁ、どうもどうも! アッシはジェール! 流れ屋のジェールでさぁ! 見知りおきを坊っちゃん! ところで坊っちゃん、流れ人だろう?」
「そ、そうです」
握手を返す。
革製の大きな手袋を付けていた。
服は薄汚れて……幾らか黄ばんだ白いノースリーブの……タンクトップ。
「こいつはジェールって言ってな。流れ屋……何て言えば良いんだろうな。……悪い奴じゃないが、変わり者でな」
「百聞は一見にしかずって言うぜ! ちょいと店に寄ってけや! なっ!」
バルガルの方を、俺はチラと見る。
横目で目と目があって、バルガルが頷く。
「……まぁ、知り合っておいて損はないか。ちょっと寄らして貰うぞ」
「さっすがはバルガルだぁ! 坊っちゃん、名前は?」
「優真……ユーマです」
「変な名前ですな坊っちゃん! 3日で身ぐるみ剥がされて死にそうな名前だぜ! わはははは!」
悪い人じゃ……無いんだよな?
場所は、一際大きなガス燈の下。
その下を占拠するように、ジェールの店とやらがあった。
オイルランプや蝋燭……アルコールランプまで並べて、店を光らせている。
「ようこそ、アッシの流れ屋へ! 流れ人の坊っちゃん御用達とありやぁ、ハクが付くってなもんよ! わはははは!」
店は、ジャンクショップのようだった。祭りの出店みたいな所に、細々とした何かの部品や、奇妙な置物。壊れた家具や機器が乱雑に置かれている。
……此れ見よがしに飾られていたのは、古い映画のポスターだった。
流れ屋……というのはもしや……?
「ジェールの店では、流れ人と同じく……外から流れてきた物が売られているんだ。流れ人は珍しいが、こういう“流れ物”は、よく現れるのさ」
「大抵はぶっ壊れてて使えねぇけどな! アッシはそれを修理して売ってんでさぁ! ……買い取りもしてやすぜ、へへへ」
ジェールが俺を見る。
……いや、少し違うか。スコープ型の義眼からは読み取るのが難しいが、頭と首の動きからして……俺が着ているブレザーが欲しいようだ。
「おいおい、ジェール……」
「どうだい、坊っちゃん! 坊っちゃんの着てるその上着! 首にぶら下げてる紐! ……その布、手触りが良いって人気でねぇ……高く買いやすぜ? 相場よりも高く買うって有名ですよぉ、アッシは!」
高く買うと言われても、そもそもの相場が分からない。
「バルガルさん……相場が分からないんですが」
「あー……よし、そこは俺が交渉する。……売っちまうのか?」
「はい。お金になるなら……」
ブレザーを脱いで、ネクタイも外す。……売ってお金になるのなら、その方が良い。
「くひょおーっ! 全部で80ガラントでどうだい!」
「おいおい、人気なんだろ? もう一声だ!」
バルガルが交渉する。
「じゃあ90ガラントでどうよ!」
「110!」
「そりゃ高すぎる! 三ヶ月分じゃないの! 90だ!」
「100!」
「90!!」
「よーし、帰るぞユーマ。売らなくていい」
「あー待って! 待ってちょうだいよぉ! わかった、95! ……これ以上は出さないよ」
「売った!」
交渉はあっという間に終わり、金貨の入った小袋を渡された。
それと引き換えに、俺はブレザーとネクタイを差し出す。
「へへっ、95ガラント! やったなユーマ」
「これ……どれぐらいの価値があるんですか?」
「ん? ざっと……二ヶ月分の生活費は賄えるな……お、おいユーマ?」
俺は、小袋をバルガルに差し出した。……もともと、売って得たお金はバルガルとレイラに渡すつもりだった。
「その……レイラさんの薬代とか……あとあの……生活費にと思って。
……その、まだ少しだけお世話になると思うので」
それに、さっきの売り子の売り文句を聞くに……この世界の薬はとても高価なものらしいし。
「……お前。 ……ははは、わかった、わかったよ! これで突っ返すのは無粋だよな。
……よし、受け取らしてもらうよ。……お前の生活費は差っ引いとく」
「おぉ? 坊っちゃん、そりゃもしかして、スマートポンってやつじゃないかい?」
「……えっ? あぁ、スマートフォンのことですか」
ジェールが指差すのは、俺が手に持っていたスマホだった。
ブレザーを脱いだとき、そのまま手に持っていた。
「お貴族様たちが血眼になって求める、テクノロジーの塊っ!! 坊っちゃん、それを売っちゃぁくれませんかい!? 300……いや、500で買いますぜ!」
「す、すみません……これはちょっと売れないって言うか……」
「なら600!! どうだい!?」
「えっと……」
「おい、落ち着けってジェール! ……売りたくねぇってんだから迫ってんじゃねぇやな!」
鬼気迫る雰囲気で、売ってくれとしきりにジェールが頼んでくる。
100ガラントで三ヶ月分相当なら、600ガラントは半年分の大金だ。
でも、これは売れない。
……どうしても売りたくなかった。
「むむ……むむむ! 600ガラントでも売れぬと……? くぅーっ……わかりましたよ坊っちゃん! 今日のところは諦めますとも! ……でも、気が変わったらいつでも!」
(き、今日のところはって……いや諦めてくれよ綺麗さっぱり)
額に手を当て、ジェールは悔しげに言う。
「じゃあ、これでお暇するぜ、ジェール。仕事にいかなきゃならん」
「へいへい! ……坊っちゃん! 気が変わった時は、このジェールに売ってくださいさいよぉ! 他のとこに持っていこうモノなら……うふふふふふ」
……怖いからやめてくれ、その笑い方!?
○
「ここだ。ここが猟師の“狩り場”って奴だ」
ジェールの流れ屋を後にして向かったのは、街から少し離れた場所にある森だった。
ある程度は切り開かれているようで、年季の入ったガス燈が点々と立っている。
……とはいえ、薄暗く足元は見づらい。
「使い方を教えてやる。……なに、難しくはねぇさ」
ガス燈を光源にして、バルガルが銃を見せる。そうして、革製のケースから幾つからの銃弾を取りだした。
「同じようにやってみろ。……なぁに、空薬莢だ。まずは使い方を覚えてからさ」
薬莢を渡された。
空薬莢だと分かっていても、指先が竦んで上手く掴めない。
「指先がビビらなくなるまで、何度か握れ。銃弾の感触に慣れな」
手の中で、何度も握る。
真鍮製の黄金色をしたそれは、ゾッとするような確かな硬さだった。
「……慣れてきたな?」
「……少し」
慣れてはいない。
けれども、痩せ我慢でも慣れたと言っておく。ビクビクと怯えていたら、仕事なんかできない。
何かやらせてくれと言ったのは俺なんだ。
「よし。……引き金には絶対に指を掛けるなよ?……レバーを引くんだ。俺と同じようにな」
バルガルが、銃のレバーを弾いた。
銃の下部にあるそれを引くと、上部の薬室が開く。
その動きに、俺も倣う。
「まずは一発。そこに入れる」
言われたとおり、薬室に空薬莢を込めた。
「いいぞ。そうしたら、レバーを戻す」
レバーを戻した。
ガチャリ……と金属の。
けれど何処か、軽い響きの音がした。
「……今度は側面にある給弾口に、銃弾を込めていく。……これから渡すのは、空薬莢じゃない実弾だ。……絶対に勝手に引き金を弾いたりなんかするなよ?」
手渡されたのさ、数発分の銃弾。
薬莢には炸薬と弾丸があり、空薬莢とは全く違う物々しさを感じさせる。これを数発撃ち込まれただけで、あの怪物は死んでいた。
……オモチャなんかじゃない。
本当に容易く、命を奪える代物なのだ。
「一発……二発……よし……そのまま込めていけ、全部だ。込め終わったら……レバーを引いて空薬莢を出せ」
「………終わりました」
レバーを引いて、空薬莢を出す。
足元に落ちたそれを拾って、スラックスのポケットに入れた。
「そのうち服も買わねぇとな。
……あとは獲物に向かって構えて撃つだけだ。はっはっは! 簡単だろ?」
「安全装置とかって……」
「ははは、あると思うか? このオンボロに。……何があっても銃口を人には向けるな。これだけは約束してくれ」
「……わかりました」
「よし。……貸してやったバイザー、被っておけよ。ちょいとばかりイカれてるが……まぁ無いよりはいいさ」
(………ハイテク機器だな、本当に)
バイザーを被って、少し驚く。
イカれている……とバルガルが言っていた通り、砂嵐のようなノイズが時折走るが、暗視機能のお陰で辺りの様子は幾らか鮮明に見える。
……蒸気機関が動き、ガス燈の光で照らされた街には……余りにも似つかわしくないハイテク機器だ。
「足元気をつけろよ。……帰りに靴も買おうな。……いくぞ」
バルガルと共に、森の奥へと足を踏み入れていった。
○
「いたぞ。……ユーマ、あれがお前が……人生で初めて狩ることになる獲物だ。……もう少し見栄えの良い奴を狩らせてやりたかったが、そこは我慢してくれ」
森の中を歩き回ること十数分。
バルガルが立ち止まり、木々の間に身を隠した。その動作に倣って、俺も身体を屈めて身を隠す。
「見えるか?」
「見えました。……親子……ですかね?」
バイザー越しに見えたのは、2匹の動物。大きい物の近くに、小さい物が付いて回っている。
口元をしきりに地面に押し当てて、草か何かを食んでいた。
(……豚か……? それにしては、イノシシみたいな牙があるな。……でも、イノシシほど毛深くはないし……なんだあれ?)
奇妙な動物だった。
豚のようなその生き物は、丸々としていたが幾らか筋肉質で……口元には鋭く長い牙がある。
豚には毛がない筈だが、その生き物にはゴワゴワとした毛が頭頂部に生えていた。
「そうだ。あれはイブシシと言ってな。……子供の肉は特に美味い。高く売れるぞ。……仕留めてみろ、ユーマ。……やれるな?」
「………はいっ」
銃を構えた。
脳波を読み取る機能でもあるのか、俺がイブシシとやらに意識を向けると、バイザーが自動的に照準を合わせてくれる。バイザーに映った照準通りに、銃口の位置を調整した。
「………………」
心臓の鼓動が早くなる。
……指先は竦んで、怯えていた。
バルガルの言う通り、引き金を弾けば当たるのだろう。
……それはつまり、あのイブシシの子供を撃ち殺して……死なせるということだ。
(引き金を……弾くだけだ……弾くだけで……!)
可哀想とか、そういう感情ではない。……生命を奪うのだという現実に、指先が震えてしまう。
深呼吸を繰り返す。
撃つんだ。
……やっぱりできませんだなんて、そんな甘ったれた事は言いたくない。
「―――っ!!」
引き金を弾いた。
甲高い銃声が鼓膜いっぱいに広がって、両腕で反動を抑える。
銃声と反動に驚いたか身体が、両眼を反射的に閉ざした。
……もう一度両眼を開けるまでの一瞬の間に。……イブシシの子供が、地面に倒れ伏しているのが見えた。
「………し、仕留めた―――」
「ぼーっとするな、ユーマ!!」
「あっ……? うわぁっ……!?」
何かが唸り声を上げながら、此方に向かってくる。荒々しい足音と共に、明確な殺意を伴って。
イブシシの母親だ。
……突っ込んでくる気かっ……!?
「うわぁぁぁぁぁっ!?」
バイザーの映像が乱れる。
砂嵐が走って映像は歪み、何も見えない。
……身体は竦み上がっていた。
だが、火事場のなんとやらか。
「…………っ!?」
身体に電撃が走るような鋭い感覚がしたあと、脳の何処かがクリアになる。
……指先は意識から半ば離れて動き、レバーを引いて排莢し、前方に向かって銃弾を撃ち込んでいた。
その動作を3回繰り返す。
イブシシの母親も、子供と同じく倒れ伏して動かなくなっていた。
「……バス……バルガルさん……」
「……よくやった。よーし、よくやったぞユーマ!……ヒヤヒヤしたが……よく仕留めた。……大戦果だ!」
「はっ……ははは……や、やりましたよ、俺っ!!」
「はははは! 良くやったよ、本当に良くやった! ……処理して持っていきゃぁ、明日の分の飯代が入る! お前の手で稼いだんだ! はっはっは!」
腰が抜けて……その場にへたり込んだ。へたり込んだまま、俺はバルガルと同じように笑った。
緊張の糸が途切れたが故の高揚感だ。……今はただ、その高揚感に包まれていたい。
「じゃあ次もどんどん狩るぞ!」
「ははは………は?……えっ?」
「そりゃお前……仕事に来てんだから2匹仕留めて帰りましょう、なんて訳ないだろ? ほーら立て立て! どんどん狩るぞ!」
「…………はぁい!」
少しだけ、余韻に浸らせてくれませんか?……などとは言えなかった。
腰に力を入れて立ち上がって。
「1人10匹だ! ガンガン行くぞ!」
獲物を探して、森の中を駆けずり回ることになった。
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