そんなある日、ふと口をついて出たの、「我は山に行く」って。山の中に樹（じゅ）齢（れい）なん百年かのご神（しん）木（ぼく）があるのは知ってた。そのそばの古い横穴（戦国時代の金の採（さい）掘（くつ）跡（あと））に、おこもりすると言い始めたの、私。正しかろうが、まちがっていようが、この道を行くしかないと、そう思い詰（つ）めてた。お養母（かあ）さんは悲しそうな声で「分かりました」とだけ言った。

今思えば、ひどい娘よね。親公認の家出宣言みたいなものだもの。そもそもお養母（かあ）さんの気持ちを考えもせず、自分のやりたいようにやった結果がこれだもの。

ああ、親の気持ちは、いかばかりか。

もしかして私、反（はん）抗（こう）期（き）が遅（おく）れて出たの？

そして私は横穴の奥（おく）におこもりして、くる日も、くる日も必死でお祈りして、今ここに、いると言うわけ。暗（くら）闇（やみ）には慣れてるけど、酸（さん）欠（けつ）がキツかったな。心は今でも15歳（さい）のままなんだけど、あの体は、どうしちゃったんだろう。なんか、お祈りしている内に、どうでも良くなっちゃって。だって、生（しょう）死（じ）を越（こ）えるのが巫女の仕事だもの。生きてても死んでても、おんなじでしょ。

生死の「ゲート」をくぐる時、目の前が一（いっ）瞬（しゅん）、パァッと明るくなったのを覚えてる。見えたのは神さまでも仏さまでもなかった。漢文だった。13歳で失明した私には読めない漢字がいっぱいあったのに、その漢文の意味を、私はパッと悟（さと）った。そして、すぐ元の闇にもどった。（もしも漢字じゃなくて梵（ぼん）字（じ）だったら、どうだったんだろう。）

「死ぬのは怖（こわ）くなかったか」って？。

いいえ。巫女修行って、小出しに小出しに、1ミクロンずつ死んで行くようなものだもん。要は慣れよ、慣れ。

今は、ご飯食べなくても良い体だから、とっても自由よ。私の居場所なんて、どこにも無いと思ってたけど、ちゃんとあったじゃない。うれしいわ。

その時は知らなかったんだけど、私が洞（どう）窟（くつ）におこもりした、すぐそのあと、隣（となり）の国で戦争が始まったんだって。町の人は、それでようやく牛鬼のことは忘れられたみたい。狭い国土で押したり押されたりの激戦で、一時は「日本にも飛び火するかも」のピンチだったからね。どっちにしても、人がたくさん死ぬなんて楽しいニュースじゃないよ。つらいニュースは、つらいニュースで上書きした方が良い場合もあるのよ。それで初めて「自分には関係ない」って、思えるようになるもの。

もちろん犠（ぎ）牲（せい）者（しゃ）のご遺族の方は、そうは行かないわよ。ずっと悲しみから自由になれないと思う。他人から「前を向いて生きろ」と言われるのが、一番キツいのよね。だって、目の前に死んだご家族がいるんだもの。

牛鬼による死者・行方不明者は150人。負傷者500人。焼失家屋1,000棟（とう）。1950年のことだったわ。