第3話 キジンのお仕事は色々と物騒
眼前に続くのは、何処までも黒く塗りつぶされたような真っ黒な空間、そこによく分からない霧のようなものが薄く立ち込めている。どこにも光源はなく、何も見えなくても不思議ではないのに、目の前を歩く師匠の姿だけはハッキリ見え、足元にも地面なんかないのに、何故かそこに立てる上に歩いて進める。
一応身動きは取れるものの、こんな訳の分からないヘンテコ空間で迷ったら泣きそうなので、俺ははぐれないように師匠の後をついていく。
いつも通りなら、もうそろそろ着くだろうし……。
「ほら、あったぞ」
ぱっと師匠が俺の方に振り向く。
そこにはとても威圧感がある、ドーム状の巨大な何かが鎮座している。
この手の存在はいつも距離感とかは関係なく、一定の距離まで近づくと急に見えるようになる。どれほど巨大でも、その距離に近付くまでは、見えないように出来てるようだ。
まじまじとドームを見ていた師匠がボソリと呟く。
「今回のはいつもより厄介そうだな……」
「は?」
師匠は着物の袖の下から、寸胴で縄のついた徳利を取り出した。持ち歩き用なのか栓もしてある。
何その、江戸時代辺りの酒飲みが使ってそうなアイテムは。
その栓を抜くと、流れるような動作でその徳利をひっくり返して、ジャバジャバと俺の頭に掛けてきた。
「は、はぁああ!?」
お陰で俺はあっという間にびしょ濡れになった。
叫び声をあげる俺を無視して師匠は「こんなもんだろう」と言いながら、徳利に再び栓をして袖の下にしまい込む。
「ぶっ……いや、なんですかコレは!?」
「神水だ、今回の相手はやや手強そうだから、念の為の保険だ」
「そうだとしても、水ぶっかける前に一言言ってくれてもいいですよね?」
「水ではなく、神水だ。あ、言っておくが、人間が言っている神水とはまた違うものだから、辞書やネットで調べてもムダだぞ」
「そこはどうでもいいわ!!」
俺の反論に師匠は「希少なものなんだぞ」と、ちょっと口を尖らせている。希少だからって、いきなり掛けていいわけないだろ。
……まさか対敵する前に、身内から水をぶっ掛けられるとは思わなかった。
なんでこうも毎回毎回、悪い意味でジェットコースターみたいなんだ。心臓に悪いわ。
すっかりびしょびしょになってしまったが、それでも視界くらいは確保しておかないとマズイ。
だから俺は目を腕で拭ってから、水に濡れてベッタリと額に張り付いた前髪をかき上げるなどして、少しでも状態をマシにしようと努力する。
「おお、今の方が随分と色男に見えるぞ」
「……黙ってて下さい。というか急に瓶が出てくるのなら、ついでにタオルとかも無いんですか?」
「ない。そもそも綺麗に拭ってしまっては神水を掛けた意味がないだろう」
ク・ソ・が。
「よし、準備も出来た所で結界を開くぞ。構えろ」
「どこをもって、準備が出来たと判断したんですか?」
そんな俺の問いかけも虚しく。
師匠が目の前の黒いクソデカドームに手をかざしていた。そこからはもう一瞬の出来事で、ドームの一面にピシッとどデカいヒビが入ったと思ったら、その一面全てが崩れ去り、ドームの内面が露出する。そして俺がその内面を、まともに目に映し切らないうちに、師匠はまるで猫でも持つように、俺の制服の後ろ首の部分を掴んで持ち上げると、俺を持ったまま跳躍してドームの中へと飛び込んだ。
わー、凄い飛んでるー。って、毎回毎回この扱いはどうかと思うんですけど!!
で、一番問題なのはこの後で……。
「とりあえず、一番安全そうなところに降りたぞ」
そう言いながら、着地した師匠は俺を持つ手を離し、俺はビタッと着地地点の地面へ叩きつけられた。
痛い…着地してから降ろされてるから高所落下ダメージはないけど、それでもそこそこ痛い。
そんなことを考えつつ、俺はヨロヨロと立ち上がる。
「……できれば、もうちょっと丁寧に移動させてくれませんかね」
「余裕と時間があればな」
なら、作ってくれよ、余裕と時間ってやつを!!
だって時間は作らないと何時まで経ってもできないって、誰かが言ってたし。いや、実際は知らんけども。
「……さて、呑気にしていられるのもここまでだ。しっかり周りに気を払え」
師匠が真剣な声音で言うので、不満は残るものの俺も気を引き締めて、辺りの様子を伺う。
頭上を見上げると空の色は薄灰色。雲はないのに何処にも太陽はなく、それなのに全体が薄っすらと明るく気味が悪い。
今いる位置は周りよりやや小高い丘になっており、眼下にはまばらに草木の生えた土地と更に奥には森のようなものが大きく広がっている。
その森の中心にあるのは、真っ黒な建築物群。そこで何より目立つのは、クソデカい鳥居で……。
「……鳥居があるってことは、あの建物は神社的なものですか?」
「作った奴はそのつもりだろうな、堕ちた神のくせに生意気にも過去の栄光に縋っているらしい」
「いや、今回はガチの神様が相手なんですか、クソ危ないじゃないですか!?」
「だから掛けてやっただろ水……じゃなくて、神水を」
「自分でも水って言いかけましたね!?やっぱ水って思ってたんじゃないですか」
「騒がしい聞き間違いだ。それと相手は元神の神堕ちだ、今では神たる資格を失っている。だからこそこんな場所に隠れて、コソコソとセコい真似をしているわけだが」
そう言いながら師匠が天に手をかざすと、身の丈ほどの真っ赤な刀身を持つ、無骨な大剣が現れて、その手に収まった。
「ほら、来たぞ」
どう見ても片手で扱うのは無茶だろ。と見るたびに思ってしまう、そんな大剣を軽々と振れば、俺が気が付かない内に眼前まで迫っていた、無数の弾丸のような謎の攻撃があっさりと撃ち払われていた。
今のこれ、俺だったら早すぎて自分が当たる瞬間までたぶん気づかないぞ……毎度こういう感じだから嫌なんだよ!!
「ちなみに今のは軽い牽制で、本命はそろそろ……」
ゾクリとするような威圧感を感じたかと思ったら、周囲から一瞬全ての音が消えて、視界全てが漆黒の闇に染まった。まるで世界すら支配したかのような、絶対的な何か。
「そうそう、こちらが本命の攻撃だ!」
それを切り裂いたのは、青い炎を纏った赤色の大剣。例えるならば絶望という概念に形を与えたようなそれを、師匠は手にした大剣で事もなげに振り払うと、俺を振り返って言った。
「よく見て覚えておけよ」
「いや、二度と見たくないです……」
いつもなら、もう少し強くいうのだが、今回はそんな余裕もなかった。
ち……力が抜ける……後からゾワゾワと全身に纏わりつくような悪寒が押し寄せる。
普通に判断するなら精神的要因にも思えるが、俺は今までの経験から、今の攻撃そのものに原因があると判断した。
こういうものと対峙した時にはよくある話で、攻撃本体が直撃したわけではなく、その場で必要な対処をした場合でも、相手の力が大きな場合どうしても今みたいに影響が残ってしまうケースがあるわけだ。
くそ……まるで無色無臭の毒でも含まれているみたいだ……。
「この程度でへばるな、本番はまだまだこれからだ」
「そんなこと言われても……」
そんなことを言っているさなか、今度は音ではない音が耳をつんざく。たぶん、おそらく、聞き取れなかったので、俺の知ってる音ではない。
ぐぇ、今ので平衡感覚が消し飛んだみたいで、頭がぐるぐるしてきた……。
「おーおー、怒って怒ってる。さっきのが全力だったみたいだったから、効かなかったのが悔しいのだろうな〜」
絶不調な俺とは対照的に、師匠はとても楽しそうだ。なんなら相手を小馬鹿にしている雰囲気すらある。
「おーい、遠くで吠えていないでいい加減出てこい。こんな大層な箱庭を作っておいて、そこですら隠れていることしか出来ない腰抜けなのかー?」
あ……いよいよ、相手を煽り始めた。どうしよう俺、伏せておくとかしておいた方がいいかな。
「ちゃちな箱庭とはいえ、自身が作った世界ならば相手の能力も多少制限できるうえ、自分自身の能力の底上げもできる筈なのだから、外界よりも圧倒的に有利。それなのに姿を見せる度胸すらないとは、堕ちるべくして神の座から堕ちた存在とみたぞ」
『……黙れ』
師匠が好き放題言っていると、何処からともなく、声でもない声がこの空間全体に響いた。威圧感やある種の神々しさすら感じるそれを。
「ん?何か音がしたがよく聞こえなかった、死にかけた虫の鳴き声だろうか」
師匠は一切意に介する様子もなく、依然として好き放題言っていた。
こういう凄いわざとらしい口調と、身振り手振りでそういうことを言うのが本当にイヤらしいんだよな。
『貴様……余を虫扱いしたのか』
「おっと、また何か聞こえた。やはり死にかけの虫がいるようだ」
『……殺す』
その言葉の直後、ドンッという地響きと共に目の前へ姿を表したのは、山のように巨大な黒い大蛇だった。
巨大な金色の目は、強い殺気が込められていて、ギロリと師匠が見据えられている。
その殺気は俺自身に向けられているわけでは無いのに、ジリジリとした嫌な悪寒を感じるほどのものだ。
「ほうほう、なるほど随分と蛇に似た虫だ」
ちょっっ本体が出て来た段階でも、まだ煽るんですか!?
そんなことを口走った師匠は、目の前の大蛇も殺気も、どこ吹く風といった様子で、未だに飄々としている。
『っっ……馬鹿にして』
「馬鹿というか、そもそも愚かなのは事実だろう。コソコソと人間を喰い物にして力を蓄えたところで高が知れてるし、そのうちどうせバレる。上手くバレずに、そこそこの力を付けられたとしても、その先がない、どっちにしろ終わりだ」
『そんなことはない、余は神の座に返り咲いて、余を追いやった奴らに復讐を……』
「はっ!!出来るわけないだろう、そんなこと」
大蛇の言葉を食い気味に遮り、ここ一話の馬鹿にした声と態度で師匠は嘲笑うように続ける。
「虫けらは愚かだから知らぬやもしれぬが、今現世にいる人間の魂を全て食い尽くしたとして、復讐を果たすまでの力は得られない。そもそも力の強奪というのは、経験値効率が悪いから、それで手に入る力は良くても元の半分以下だ」
『む、む、虫けら!? いや、そんなことは知っておる、だから……』
「だからわざわざ、手間を掛けてこの箱庭を作ったのだろう? 連れ去ってきてこれから喰らう存在を、形式上だけでも儀式建てて、自らの捧げ物にする。確かにそうすれば、奪う力が大幅に減るのを避けられるからな」
なるほど、わざわざ
「だーがーしかし!!それでもやっぱり人間の数が致命的に足らないんだよなー!! 虫けらはそうなるまで、その手のことに、それこそ虫けら以下の興味しかなかったから知らないだろうが、そうやって人間を集めたところでムリムリ」
ここに来て一番のハイテンションで師匠は腰に手を当て、赤い刀身の大剣を大蛇の鼻先に突きつけて思いっ切り煽る煽る。もう口調も大袈裟過ぎて、悪ふざけと言っても過言ではない言動だ。これは酷い。
『ならば……人間以外も贄にするまで、精霊も、妖怪も……あるいは神であっても』
「ほうほう、それは良い覚悟だ。それなら力を付けられるだろうな……ま、私に出会う前にそれに気付けていたらの話だが」
大蛇のその言葉は思うところがあったのか、必死に絞り出したような、苦痛と苦悩に満ちたものであったが、師匠はそれを馬鹿にするように思いっ切り笑い飛ばしてしまった。
いや、酷すぎる、もうオシマイだろ……悪いことしてるとは言え、なんか含みとか背景とか色々ありそうだったのに。
『くっ……ならば、手始めにふざけ腐った貴様を我が糧に……』
「そうかそうか、ではやって見ろ」
その次の瞬間、気が付くと師匠は大蛇の鼻先に立っており、そこでヒラヒラと大蛇に向かって手を振っていた。
「ほら、獲物がお前の鼻先にいるぞ、食わないのか、えぇ?」
……こ、これ以上はないと思っていた師匠の煽りが、最悪値を上回って来ている!!
いくらデカいからって、相手の顔の上に乗ったうえで煽るとか、そうそうないぞ!?
『き、貴様ぁぁ……!!』
鼻先に乗られて、流石に相手の大蛇も完全にブチギレた!!
いや、むしろ今までが、よく会話出来てたよな……って感じなんですが。
怒り狂った大蛇は師匠を振り落とそうと、身をよじろうとした予備動作だけが俺には見えたが。
「遅い」
師匠のそんな一言と共に、黒い大蛇は口元から尻尾の先にかけて、綺麗な真っ二つに切り裂かれていたのだった。
「その程度で我を喰おうなど一万年早いわ」
底冷えするような声音で、師匠がそう言い放つと同時に、ドーンと地響きをさせて、二つに分かれた大蛇の巨体が地に落ちる。
俺にとってはそこにいるだけで危機感を抱く圧倒的な存在であったが、あまりにも呆気なく、あっさりとした決着だった。
……毎回、幻でも見ているのではないかという気にさせられるが、俺では認知できない程の速さをもって、巨大な化け物を真っ二つにすることを簡単に行えるのが、この悪ふざけ好きな師匠の紛れもない実力だ。
それを改めて認識すると、後からゾクリと言いようのない恐ろしさのようなものを感じる。
やはりこの人は、人間ではないのだと。
「ああ……つい手を出してしまったが、もう少し遊んでもよかったな」
俺がそんなことを思う一方、当の本人はすっかりいつも通りの調子で、残念そうに二つに別れた大蛇の身体を見つめている。
「なぁ、シキもこれでは物足りないなかっただろう?」
「……俺は元々来たくもなかったですし、早く無事に済んだ分安堵ししてますが」
「つれない奴だ」
そんなことを答えながら、師匠は不要になったのだろう赤い刀身の大剣を出現させた時と同じく、何処とも無くスッと消してみせた。
「いっそ蛇の蒲焼を肴に一杯やるのも悪くないと思ったが、残念ながらコイツは質が悪そうだ」
いや、この蛇を酒のあてにしようとしてたのかよ。なんて悪趣味な。
「そうだ、シキお前、代わりにコイツを食うか?」
「っ!?」
な、何を言ってるんですかね!? 自分がいらないと言った直後に、人にも食わそうとするなんて。
「ほら、元とは言え神を食べれるいい機会だぞ?」
「……いりません、食べたくありません」
「つまらんな」
つまらなくて結構!!
ヨモツヘグイなんて言葉もあるが、俺にとっては明らかに別世界の存在でしかない
「さて、こちらの仕事は終わったし、残りは処理班にまかせて帰るとするか……それとも少しだけ建物とかを見て回るか?」
「正気ですか」
「見ての通りいつでも気は確かだ」
いつも狂ってるの間違いでは?
「それでは帰るが……改めて今回の感想はどうだ?」
「怪我がなかったのはよかったですが、色々とアレで気疲れしました」
「そうか楽しかったか、それはよかった」
「そんなこと一言も言ってませんけども」
そんなこんなはありつつ、実際に今回の被害は少なかったのはよかった。あっちこっち飛ばされて身体をぶつけまくらなかったし、色々なものが飛んでくることもなかった……ほんの少しはあったが。
しかし元神か……師匠の話だと人間を攫って喰ってるようだったが、実際にはどの程度…… いや、考えるのはやめておこう。
「どうしたシキ考え込んで、やっぱりあの蛇を食べたかったか?」
「絶対にないです」
「ま、不味そうだもんな」
そもそもが、そういう問題じゃないんだが。
いや、待て、だとすると師匠はアレが色々喰ってるのを分かってて、自ら食べようとしたり、俺に勧めたりしていたことに…………ダメだこれ以上はいけない。
「ふむ、では代わりに帰ったら食用蛇肉でも食べるか」
普通に蛇肉が好きなだけなのか!?
というか、食用が存在してるのか……また勧められるかもしれないから、ヤバいものじゃないか後で調べてみよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます