《墓荒らし》のティリ Gör'chakārh Tiri


「何をしようか?」エルナンナは弟に言った。


 彼は九歳(※生まれて八年)になっており、弟のウシュラーラは七歳と半分(生まれて六歳半)だ。不穏な名を持つエルナンナは他の子どもたちから避けられており──というより、彼らの親が近づけなかったので、兄弟は二人きりで遊ぶことが多かった。

 ララはエルナンナのことをダナと呼んでいた。バザガーニ族では親の同性のきょうだいは親と同等とみなされ、またその子どもである平行いとこはきょうだいとみなされるので、母親が姉妹同士の彼らは事実上兄弟である。

 二人の母は二人を一緒くたに育てていた。ララはダナのことが大好きで、何でも真似したがりどこにでもついて行った。だが、この頃では彼の中で楽しいことや好きなものがはっきりしてきたのか、ダナが弟に振り回されることも多々あった。


「ゴルチャカと遊びたい」とララ。

「また?」


 ゴルチャカは何とも言い難い姿をしている。大きさは馬の二倍くらい、脚は太く鳥に似て、豹のような毛並みと先に房のついた尻尾を持ち、身体は猫みたいにぐんにゃりとした動きが可能だった。ラクダのようにたわんだ首の先に付いている顔は人間に似ているが、その眼窩を突き破るようにして蝶の翅そっくりなものが生え、時おり瞬きするようにパタパタと動いた。翅には目のような紋があるがただの模様で、人と同じように世界を見ているわけではなさそうだった。頭にはロバのような耳と弧を描く立派な角を生やし、その幅が分かっていないのか頻繁にどこかに挟まったり、無理やり引っこ抜いたのであろう低木などをぶら下げていた。口の中には舌と牙があり、食事には喉の奥から伸びる半透明な管を使った。

 彼らの雌雄を見分けるのは難しい。そもそも雌雄が存在するのかも、繁殖の方法もはっきりしなかった。たまに、二頭以上で顔を近づけて眼窩の翅をパタパタさせている時があるが、まさか鱗粉が花粉のような役割をしているわけではあるまい。子どもはごく稀にひょっこりと現れるが胎生なのか卵生なのか、他の方法で生まれるのかは不明だ。

 彼らの寿命は数千年と言われるが、彼ら自身が年を数えないので確かなことは分からない。とにかく彼らは滅多に死なない。

 彼らは岩場や砂地や草原、どこでも暮らせるが、バザガーニ族がこの地に落ち着いてからは人間の住処の近くで見かけることが多い。


 彼らは腐りかけた死骸の体液を吸うことを好む。ゴルチャカとはつまり【墓荒らし】の意味で、バザガーニ族がこの地に来たばかりの頃にさんざん墓を掘り返されたためについた呼び名だった。しかし、彼らは腐敗した体液を好むだけで殺しはしない温厚な性格をしており、人の言葉を学ぶこともできた。彼らと意思疎通が可能になると、バザガーニ族は弔いの儀式を済ませた遺体を岩場に放置するようになった。結局、火や土に喰われるのとどれほどの違いがあろうか?

 ゴルチャカに「死んだら体液をすべて飲んでいい」と約束すると、彼らはどこまでもついてくるようになる。彼らはあまり時間というものに頓着がないので、人間の寿命も気にしていなかった。なんならゴルチャカ側はこの契約を気に入って家族専属として何代にも渡って人間と過ごす個体もいた。

 彼らは力が強く持久力もあり、草原も砂漠も岩場も、河の中すら自由に移動するので畑仕事や旅のお伴にはぴったり──のように思われるが、彼らは人間の仕事を理解していないので期待しない方が良い。


 ララは生き物全般が好きだったが、大きいのにふにゃっとしたゴルチャカは特にお気に入りで、群れの真ん中に突進してはダナや大人たちに連れ戻されていた。

 彼らを見つけるのは簡単だ。なにしろ大きい。そしてお喋りが大好きだ。

 ゴルチャカは人の言葉を学ぶことはできるが、彼ら自身の言語は持たなかった。発声自体を楽しいと思っているようで、よく「るーらったーた、ぴっぴっ」など意味のない歌を歌っている。一頭が挨拶のように「ぷるるるるる!」と声をかけると、大部分が「ぷるるるる!」「ぴるるるる!」と返事をした後、その音が気に入ったのか「ぷるるるる……」という声が延々と続いたこともあった。

 つまり、彼らを見つけたければ謎の声の聞こえる方に行けばよかった。


 二人が手を繋いで岩場を歩いていると、さっそく大きな角を見つけた。


「あ、いたよ」


 一頭のゴルチャカが岩の上に座っていた──というより、やや混み入った体勢をしていた。ゴルチャカは関節が柔らかいのだ。


「んぐぐぐ」ゴルチャカが言った。


 ララは大喜びで近づいて、もふもふした首の毛を撫でた。


「ララは本当にゴルチャカが好きだね」

「かわいい」

「そう……」ダナは座っていてなお見上げるほど大きい生き物を遠い目で眺めた。


 ゴルチャカの翅の紋は色や形が異なるので、その気になれば個体を見分けることができる。こいつは白っぽい地に紫の紋が並んでいる。ゆっくりと羽ばたく翅はとても綺麗だ。

 しばらくして、ララは毛並みを撫でるのをやめてじっとゴルチャカを見た。


「どうかした?」とダナ。

「なんか変だよ。静かすぎる」とララ。

「んぐう……」ゴルチャカは具合が悪いようだった。


 二人はしばらくゴルチャカの色んなところをさすってやったが、あまり慰めにはならなかった。


「ティリの葉を飲ませたらどうかな」とダナ。


 ティリの葉は東の行商人から買う香草で、胃腸を整える効果があるが、この生き物にも効くかは分からない。


「そうだね! もらってくる」とララ。

「もらってくる?」

「家まで遠いから、シェイマーのとこに行ってくる! 待ってて」

「えっ」


 ララは走り出した。ダナは具合の悪いゴルチャカと共に置き去りにされた。


「ぐー」ゴルチャカが呻いた。


 しばらくして、首尾良くティリの香草茶を入りの革袋を携えたララが戻ってきた。


「飲む──?」


 ゴルチャカは最後まで聞かず、喉の奥から管を伸ばしてごくごくと飲んだ。

 それから身震いをして──


「ぐえ」何か吐き出した。

「……ミツバチ?」


 ゴルチャカの喉から「ぐぽぽぽぽ」と音がして、もう何匹かのミツバチと金色の蜂蜜がぬるぬると流れ出た。

 ゴルチャカは何回かお茶を吸った後、言った。


「はちみつ……」少年のような高い声だ。

「巣から飲んだの……?」ララは尋ねた。

「ねとねと」ゴルチャカは頷いた。

「詰まっちゃったの?」

「ねとねと」もう一度頷いた。

「そう……」

「おちゃといっしょがいいね」

「お茶……作れないよね?」

「うん」

「僕が作ってあげる!」

「おちゃ?」ゴルチャカは耳をピンと立てて尻尾を振った。

「僕が死んだら僕のことも飲んでいいし」

「えっ」とダナ。

「わーい」


 ララはどこかでゴルチャカとの契約のことを聞いていたらしい。なんか面倒なことになったぞとダナは思った。

 ゴルチャカは勢いよく立ち上がった。巨体なので迫力がある。それから革袋をじっと見た──というより、眼窩の翅を近づけてパタパタさせた。


「はっぱ?」

「そう、ティリの葉だよ。東の方の商人から買うんだ」とララ。

「ティリティリ」

「そう」

「ティリ・ラ・ダッダ」


 調子を取り戻したゴルチャカは元気に歌い始めた。


「……家に帰ろう」自分では事態をどうにもできないと悟ったダナが言った。

「そうだね」


 ゴルチャカは当然のようについてきた。

 しばらくして、ララは尋ねた。


「ねえ──お前、名前はあるの?」

「なまえ?」

「なんて呼ばれてる?」

「んんん……?」


 ゴルチャカに名前はないのかもしれない。


「ティリって呼んでもいい?」とララ。

「いいよ」ゴルチャカは言ったが、本当に理解しているのかは分からない。

「僕はララ」

「ららら」

「ララ、だよ」

「ララ?」

「そう!──ダナ、そんな顔しないで」

「どんな顔?」とダナ。

「困ってる顔」


 二人を見比べながら、ティリが言った。


「ララ、ダナダナ」


 ララは首を振った。


「そう呼んじゃだめ、彼は僕のダナだから」

「そうなの?」ティリは悲しそうだ。

「ナンナーって呼びなよ」

「ナンナー!」ゴルチャカは耳を立てた。

「よろしく……」とダナは曖昧な表情で言った。


 ゴルチャカは「ナンナナ……」と歌いかけてからララの方を見た。


「ダナってなに?」

「ダナは、同じ母さんの年上の子ども」

「かあさん?」ティリは首をぐうっと捻り、角が地面に当たった。

「子どもを産んだ人……ゴルチャカはどうやって生まれてくるの?」

「うまれる……」ティリは首を捻ったまま沈黙してしまった。角が砂を引っ掻く音だけが響く。


 そうこうしていうるちに兄弟の家にたどり着いた。



 《黒い岩》のバザガーニの家は壁は石造りで天井は動物の皮でできていた。部屋の真ん中に竃があり、そのまままっすぐに煙突が立っている。壁には織物が掛けられて隙間風を通さない。

 ララの父セヴラー【甕】は陶工で、今は仕事で留守だった。

 母の名前はララと同じウシュレト【橋】だった。おっとりした性格で、エルナンナのこともごく普通に息子として接していた。彼女はそこまでダナを怖がっていない、少なくともその素振りは見せなかった。やはり【橋】の性質のせいなのだろうか。父がいない時、たまに彼女の姉の話をすることもあり、仲が良かったらしいという印象をララは抱いていた。


 さて、ララはこれまでに色んな生き物を連れて帰っていた。迷子の山羊やトカゲ、燕に砂ネズミ……一度サソリを捕まえた時は父のセヴラーが竈に突っ込んでしまい、ララはとても機嫌を損ねた。


「母さん、またララが生き物を連れてきたよ」入り口の垂れ幕をくぐりながら、ダナが言った。

「あらまあ」


 ぬっと顔を突っ込んできたゴルチャカを見て、母は動きを止めた。


「るんた」とゴルチャカ。

「今回は大物ね……」母は呟いた。

「死んだら飲んでいいって言ったらついてきた」とララ。

「わーい」とゴルチャカ。

「そうなの……」

「ティリって名前にした」

「ティリティリ」ゴルチャカは楽しそうだ。

「そう……」


 母はダナの方を見た。ダナは遠い目をしていた。

 しかし、こうなってしまうとゴルチャカはどこまでもついてくるので、元いたところに置いていくこともできない。

 こうしてティリは家族の一員となった。




●おまけ


 さて、兄弟とティリが面白いものを探してうろついていると、ゴルチャカが何頭か集まって話しこんでいるのを見つけた。


「ぐーぐー」

「しゃーっつ」

「ぴっぱっぱ」


「あれはどういう意味?」ララは尋ねた。


 ティリは少し考えこみ、首を傾げて答えた。


「ぐーぐー、しゃーっつ」

「そうなんだ……」


 仲の良い者とそういう言い合いをするのはよくあることで、一種のグルーミングのようなものらしい。

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