第52話 突然の凶行

「あっ! 待って…っ!」


 カロリーナの手には銀色に鈍く光るナイフが握られている。

 彼女はごく自然な歩みでロセンドの元へ近寄った。


 あまりに自然すぎて、誰も違和感をおぼえなかったらしく、止めるものは私ひとりしかいない。


 手を伸ばして、カロリーナの腕をつかもうとする。

 しかし、伸ばした手は空しく空を切った。


 その直後、くぐもったうめき声がロセンドの喉からこぼれ出た。途端に衛兵が駆け寄ってきてカロリーナを取り押さえた。


「お前、一体どうやってここへ……!」


 ロセンドが苦悶を滲ませた声で問う。

 見れば、彼は美しい顔からかなり出血していて、白い手袋が赤く染め上げられてしまっている。


 すると、カロリーナは衛兵に床に押さえつけられたまま嘲りの声をあげた。


「これほど多くの上流階級が集まる場に入り込むなんて簡単です。

 私に心酔している衛兵は多いのですよ。この宮殿で行ったことのない場所などごく一部しかないくらい、彼らには良くしてもらっています。

 彼らの中には、私が追われていることを知らない者もいますし、知っていてもこっそり見逃してくれるものだっています。

 お忘れのようですが、私は美しいんですよ?」


 やや離れた位置からでもわかる。


 カロリーナは泣き笑いのような表情をしていて、まだロセンドに未練があるのがありありとわかった。

 その様子に、私は少しだけ胸が痛む。


「美しいのは外側だけだろう? 中身は汚れ切った汚物じゃないか。そもそも、貴族ですらない、ワトリング子爵の娘ですらないのに、温情で上流階級の一員にしてもらえただけの女じゃないか」


 ロセンドが荒々しい声で言うと、周囲がざわつく。


 視線をそちらに向けると、かつてカロリーナの取り巻きだった令嬢たちが眉をひそめている様子が見て取れた。


 彼女たちの顔はそれぞれ、信じられないといった様子のものもいれば、騙していたのかと怒りの表情を浮かべる者もいる。


 すると、かつてカロリーナと恋仲が噂されていた貴族の令息がゆっくりと集まりの中から歩み出てくる。酒が入っているのか、それとも怒りからなのか、彼の顔はかなり赤く染まっていた。


「本当なのかい?」

「……だとしたらどうなさるのです? どうせもうこのまま極刑に処される身なのに、放っておいても、私は十分に不幸でしょう?」

「君という女は……」


 彼はこちらにまで聞こえてきそうなくらい、強く歯をかみしめたようだった。それから小さく息を整え、自嘲めいた笑いを漏らした。


「まあいい、君みたいな女に捨ててもらったおかげで、今は可愛い婚約者がいるんだ。むしろ礼を言わなきゃならないな、ありがとう! 僕を捨ててくれて!

 君は噓つきで最低なクズの女狐だよ。地獄へ落ちろ」


 彼はそう言うとそこから立ち去る。


 まわりの視線が一気に冷え込んだ気がして、私は恐ろしさから微かに震えた。

 しかし、カロリーナの目はずっとロセンドに向けられている。


「どうとでも言えばいい、私はその綺麗な顔に傷がつけられれば良かったの。

 ねぇ、お姉さま……喜んでよ!

 ここしばらくお姉さまを屋敷の部屋に閉じ込めて幽閉していた殿下の顔に傷をつけてやったわ! 

 それだけじゃない!

 お姉さまの愛する人に呪術を掛ける依頼をした殿下にも同じように傷をつけてやったわ!」

「か、カロリーナ?」


 妹の大きくて綺麗な目は潤んでいて、私を見ると笑った。


「最後まで私を心配してくれたのはお姉さまだけだった……私は全てが完璧なお姉さまが羨ましくて、自分の出自が疎ましくて、奪い取ってやりたいと思ってしまった。

 だって、生まれも良くて、容姿も性格も良いなんて、私は容姿くらいしか取り柄がないのに、ずるいと思ってしまって、ごめん、ごめんなさい……!」

「カロリーナ……、私はあなたが思うほど性格が良くもないし、容姿もあなたには劣るわ」


 そこまで言って、わたしは少し躊躇う。


「あなたが羨ましいと思ったこともあるし、嫌なことを言われて傷ついたし、苦しかったこともあるわ。あなたなんて妹じゃないと思ったこともあるけど、それでも、小さい頃にわたしにすがりついてきた姿が忘れられなかったのよ。

 この小さな女の子は、妹なんだ、家族なんだ、守らなきゃって思ってた」


 使命感のようなものがあったと思う。


 だが、カロリーナを嫌いになれなかった理由は別にある。


「何より、あなたは時々すごく寂しそうだった。ずっと何かが足りてなくて、でも自分には与えられないみたいな、諦めたような顔してた。

 私は、放っておけなかったわ……でも、手を差し伸べてもはねのけられ続けて、私も諦めてしまった……ごめんなさい」

「お姉さまが謝ることなんかひとつもないわ、全て、私のせいよ」

「そうかもしれなくても、あなたがそうなることを止められなかったのは私よ」


 言いながら、諦めていた自分を思い出す。


 あの時もっと、傷つくことを恐れずにいたら、やはり何かが違っていたのだろうか。わからない、わからないけれど、私はただ嬉しかった。


 ずっと、この想いは届かないと思っていた。


 けれど、ようやく届いた。


 だがこのままでは、カロリーナは処刑されてしまう。王族に刃を向けた罪はどうあがいても逃れられない。

 どうしたら、どうしたらいいのだろう。


 ふと、今まで考えもつかなかったことが浮かぶ。


 私は嫌悪の眼差しでカロリーナを見ているロセンドに視線を向けた。

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