第21話 忘れていた

 ついていった先で見た光景はまさに目を見張るものだった。


 今まで父の書斎で見て来た蔵書などとは比べ物にならないほどの、おびただしい数の書籍や巻物が広い空間に詰まっていた。

 わたしはあまりの光景に息を飲んだ。


「ああ、君は初めて見るんだったね。もしも気に入った書物があれば遠慮なく言って。貸してあげるから」

「い、いえ……何かあってはいけないので」


 わたしは即座に彼の提案を断った。

 ここにあるのは王家の物だ。何かあったらと思ったら怖くて持ち帰るなんて出来ない。


「気にしなくていいのに。だって私が責任をとるんだから」

「なら余計にダメです」


 つい語気を強めてしまうと、ロセンドは実に楽しそうに笑う。


「それなら、私が許可するからいつでもここに来ればいい」

「いえ、そこまでして頂くのは……」

「なんでそんなに遠慮するんだい? 君は何も恥じるようなことなんてないれっきとした貴族令嬢なのに、どうして?」


 問われて言葉に詰まる。

 今なら、なんとなく理由を説明できるけれど、それが当たり前で当然のことだった。

 だから今でもこう思うのだ。

 この状況全てがわたしには分不相応なのだと。


「そうですね、でも大丈夫です。今は公爵家に多くの蔵書がありますから」

「そう」


 ふと、簡潔に放たれた言葉に微かな苛立ちを感じて、わたしは一瞬驚いた。


「じゃあこっちに来て、そうだね、魔術については少し知ってる?」

「あ、はい。少しだけなら」


 この国がある大陸には魔術というものがある。

 しかし今はそういったものを使える人はかなり限られていた。

 しかも、古書に記されていたような大規模魔術などを使える人はいない。今当たり前に目にするのは生活に役立つような魔術がほとんどだった。

 使い方次第にもよるが、広範囲を攻撃するようなものなどはないらしい。


 大抵は水をないところに生みだして農業を助けたり、夜に炎を灯して街の治安に貢献したり、掘削を楽にしたり、暑い時に風を生み出すとかいう平和的なものが多く、人を傷つけるものはあまり残っていない。


 ただ、その魔術の中でも呪術と呼ばれるものだけは異質だった。

 実際に、彼らは戦争や政治など大きな物事の際には暗躍しているらしい。


 当然、個人的な依頼もあるのだろう。

 それまで健康だった人が突然事故にあったり大病を患ったりする話はたまにある。


「そもそもね、魔術は人間以外の力を利用することで使えたみたいなんだ。でも、なぜか今はもうそれがうまく出来ない。

 でも呪術に必要な力は人間から得られるからまだ使えるとされている。ここまではいい?」

「はい」


 そこまではわたしも知っていた。

 王国史を学ぶ際には必ず出てくることだから。


「つまり、今この世界には、魔術を使うために必要な何かを生み出せるのは人間しかいないということになる。

 ということは、魔術の使えた時代には人間以外の別の生き物がいたということになる」


 ようするに、魔術が使えたときには、精霊とか魔物とか呼ばれる者たちがいたということだ。


「でも、今でも動物や植物はいますよ?」

「彼らでは魔術を使うために必要な何かが無いということだと思う。けれど、だとしたら人間全員が魔術や呪術を使えないと意味がないと思わないかい?」

「それはまあ」


 少し難しくなってきた。


「でも呪術師たちは以前と変わりなく術を使えている。彼らは我々にはない何かがあるんだ。私はそれを知りたくて、色々調べているんだよね。もしもそれがわかれば、もっと呪術を有効に使えるだろうから」

「そうだったんですか」


 呪術というものに良いイメージがなかったので、誰かを苦しめたり命を奪ったりするだけのものだと思っていた。しかし、ロセンドの様子からすれば、利用する方法があるらしい。

 わたしは素直に関心していた。


「うん、少しは興味を持ってくれた?」

「はい。知らないことを知るのは楽しいです」

「良かった。そうそう、以前も君は本に興味があったようだね?」


 突然問われて、わたしは首を傾げた。

 以前も?

 社交界に出る前に王宮を訪れたことはないばすなので、子どもの時にロランドと会ったことはないはずなのだが……?


「思い出せない? 君とは小さな頃に何度か会っているんだよ。公爵家の集まりとかに呼ばれて来ていたことがあったろう?」


 言われてみれば、まだ元気だった頃には良く両親について親しい貴族の集まりについていったことがある。昼間に開かれる昼食会とか音楽会などだった気がする。

 それでも、これほどの目立つ人間に会っていれば覚えているはずなのに。


「確か、その時も公爵家の書斎を外から見ていたよ?」

「そ、そうでしたか」


 少なくとも、妹が生まれてからは数年は扱いは変わらなかったので、ねだれば多少は物を買って貰えた。しかし、公爵家ほどの財産はないので、室内には子供が羨むようなものが沢山あったのだ。綺麗に彩色された絵本などだ。


「その時、私はあまり機嫌が良くなくてね、ちょっと嫌な事を言ってしまってね」

「すみません、あまり覚えていなくて……」

「小さかったから仕方ないかな。でも、その時の君は怒ったり、怯えたりせずに私を励ましてくれたんだ。嬉しかったよ」


 そんなことがあったのか。

 わたしは忘れていることが申し訳なくなってきた。それでも記憶が出てこないので、完全に忘れてしまっているみたいだ。


「その時に君が見ていたのがこれかな?」


 言って、ロセンドは一冊の絵本を手渡して来た。

 瞬間、記憶が戻った。

 ずっと欲しくて、でも結局手に入らなかった綺麗な装飾の本だった。それでも、家に帰れば他にも絵本はあるからと自分に言い聞かせていたのだ。


 正直、完全に忘れていたのに、彼はわたしが見ていたものを覚えていたらしい。


「そうです……これです」


 ただ驚いて彼の顔を見ると、彼は優しく微笑んでいた。


「いつか再会した時に渡せたら良いと思って公爵に譲ってもらった。君に励まされたことが嬉しかったからね」

「……ありがとう、ございます」


 感謝を口にしながらも、不可解な気持ちになる。

 普通、そんな子どもの頃のことなんて、もう忘れてしまうか、過去の事として置いておくものではないのだろうか。それなのに、ロセンドは忘れずにいたのだ。


 そして、今になって伝えて来たのはどうしてだろう。


 理由が全くわからなくて、わたしは混乱した。

 

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