第2話 プロローグ ~ 異常体 ~

 古代神殿の地下深くにある地底湖。


 その湖の中央には巨大な円盤上の岩があり、その中央には星辰から降り来たる神々の言葉といわれている文字が刻まれた石板が置かれていた。


 その石板の前には大きな魔法陣が描かれている。その魔法陣を囲むようにして立つ、5人の魔術師によって妖異の召喚儀式が行われていた。


 通常、妖異の召喚は人間の魔術師には行うことができない。これまでも星の智慧派の魔術師たちが挑戦してきたが、その全てが失敗に終わっている。


 しかし、この場に悪魔勇者と呼ばれている皇帝セイジューがただ立っているだけで、星々の世界に彷徨さまよう強力な妖異を顕現させることに成功し続けている。


「まったく退屈な儀式だぜ。だがまぁ、俺の妖異軍を強大にするために必要なことだからしゃーねーけど」


 儀式場を見おろす場所に置かれた玉座に腰かけて、皇帝セイジューはつぶやいた。その足元には美しい裸体の美女たちがしなだれかかっている。


 やがて儀式が進み、魔法陣から強烈な光が放たれ、そして妖異が召喚された。


 皇帝セイジューは、その妖異を見て顔をしかめた。


「なんだこのチビ? いつものよりずっと小せぇじゃねーか!?」


 召喚された妖異は、水と混ぜ合わせたばかりのセメントのような粘度を持った灰色のスライムであった。

 

 スライムの表面では、いくつもの目や口が、浮かんでは沈んでいくのを繰り返している。このおぞましい姿をした妖異はショゴタンと呼ばれていた。


 通常、召喚時のショゴタンは大きな熊ほどのサイズで、その後、生贄を捕食させることでさらに大きく成長する。


 だが、たったいま召喚されたショゴタンは、子犬ほどのサイズしかなかった。


「ちっ! 失敗かよ! 無能は死ねよ」


 そう言って皇帝セイジューは魔術師たち全員の首を落とすと、召喚された異常体を放置し、儀式の場を去っていった。


 通常のショゴタンであれば、最初に魔術師たちを捕食して人間の味を覚えるはずであった。だがこの異常体は、体表面に浮かび上がる目をあちこちに向けるだけで、ただじっとしていた。


 やがてローブ姿の男たちが、小舟に乗って魔術師の遺体を回収しにやってくると、異常体は死体と一緒に小舟に乗せられて運ばれていった。


 その後、異常体は星の智慧派の隠れ里に運ばれて、そこで放し飼いにされた。


 隠れ里は、ある程度の知性を持った妖異たちが住む場所でもあり、奴隷兼食糧として大陸各地から連れ去ってきた人間たちを飼育する場所でもあった。


 普通の妖異は人間を食べるものだが、この異常体は違った。


 人間を食べようとはせず、人間が食べるものに興味を持ち、人間と同じように食べようとした。


 普通の妖異は人間以外のものに注意を向けることはない。彼らはただ人間を殺すことだけに集中する。それ以外のものはただ破壊する対象でしかなかった。


 だが異常体は違った。あらゆるものに興味を抱き、それに触れ、時にジッと動きを止めて何かに耳を傾けているように見えた。


 星の智慧派にとっては、この異常体も妖異であることには違いなかった。星の智慧派の関心は、妖異と同じく人間を殺し、全てを破壊することにしかない。


 なので彼らは、この異常体のことを放置することにし、異常体の好きなようにさせていた。

 

 とはいえ、人間があまり妖異に近づき過ぎると、その精神に狂気をもよおす。強力な妖異になると、見ただけで発狂してしまうというものもいる。


 この異常体も、近づき過ぎた人間や動物の家畜に絶叫をあげさせていた。


 ある日のこと、


 ドラン大平原での決戦に向けて皇帝セイジューが自ら出陣することが決まった。


 異常体も妖異軍の一員として、皇帝セイジューに従って出陣することになった。


「なんだぁ、おめぇ、まだ生きてたのかよ」

 

 陣列に並ぶ異常体を、たまたま視察で訪れていた皇帝セイジューが見つけて声をかけた。


 皇帝に声を掛けられた異常体は、その小柄な体を震わせる。


「しかも相変わらず小せぇままか。そんなんで戦場で役に立つのかよ」


 そういって皇帝セイジューは、ふと首をかしげて何か思案した。


「まぁいいや。お前、俺についてこい。うまいもん食わしてやっから」


 それは皇帝のただの気まぐれだった。

 

 だが人間の方から声を掛けられたことがほとんどない異常体は、身体をプルプルと嬉しそうに震わせながら、皇帝セイジューの跡を追いかけていった。




~ 皇帝の敗北 ~


 ドラン大平原の戦いは、神話級と呼ばれる巨大で強力な妖異を率いるセイジュー神聖帝国が圧勝するはずだった。


 実際に、巨大な妖異が前線に向かって進み始めるのを見た数十万の人類軍の全員が、自分たちの敗北と死を予感していた。


 勇猛な戦士で構成される精鋭部隊でさえ、巨大な妖異の前には無力であり、それを見ただけで精神を狂わされる者が多かった。


 だが皇帝軍の圧倒的な快進撃は、突如として止まった。


 異常体は、自分の目の前で皇帝セイジューが幼い女の子の姿に変わるのを見た。


 異常体は、いつの間にか自分自身も小さな少女に姿を変えていたことに気がついた。自分だけではない。周囲にいた妖異も魔族も人間も、すべて幼女に変わっている。


 それは、異世界転生者によって、ドランの戦場に放たれた強力なスキルによる異常現象だったのだが、そのことを異常体が知るよしもない。


 何が起こったのか、異常体にはまったく理解できなかった。


 だが、それよりもずっとずっと大事なことに異常体は気づいた。喜びのあまり皇帝の天幕馬車から飛び出して、思いきり駈け出していた。


(人間になった! わたし人間になった!)


 異常体は人間になったことを喜んでいたものの、その幼女の身体のあちこちには、目や口のような模様が浮き上がっている。本物の目や口ではないが、全身に入れ墨が施されているような不気味な姿だった。


 だからといって今の異常体の喜びがいささかも損なわれることはない。


「あ゛ーっ! う゛ぅーっ!」

 

 異常体は言葉も言葉の発し方も知らない。心の感動を唸り声で表現することしかできなかった。ただ人間になれた喜びに突き動かされるままに、幼女で満ち溢れる戦場を駆け回った。


 いつの間にか皇帝セイジューからはぐれてしまったが、周りには自分と同じ幼女で溢れていたので、寂しく思うようなこともなかった。


 そしてしばらくしてから、異常体は幼女の耳で戦場に響く声を聞いた。


 「アルティメットエターナル幼女ぉぉぉぉ!」


 言葉の意味は全く分からないが、その声を聞いた異常体は、幼女の胸がギュッと締め付けられるような気がした。


 強い光が周囲に広がったかと思うと、次の瞬間には、戦場が真っ白に染まった。

 

 人間や魔物を問わず、光を受けた全ての兵士が、幼い女の子へと姿を変えていたのだ。


 その光を受けた異常体は自分の中に変化を感じた。ふと腕を見ると、目や口の模様が薄くなっているような気がする。


 もしかすると「自分はもっともっと人間にになれるのかもしれない」という思いに胸が満たされて、異常体はさらなる歓喜に打ち震えた。


 ただ、その夢は長くは続かなかった。


 ドラン大平原に陽が落ち始めた頃、これまで幼女だった者たちが次々と元の姿に戻っていったのだ。異常体にも同じことが起こった。


 気がつくと、周りは魔族や魔獣、妖異ばかりになっていた。本来は仲間であるはずの彼らを見て、異常体はいまや恐怖を感じるようになっていた。


 陽の沈む方角を見ると、そのずっと先に深い森が広がっている。


 荒れ狂う戦場のなかを、異常体はゆっくりと森に向って進み始めた。




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