第23話 国軍
朝の静けさを破るように鐘が鳴り響いていた。
寝間着から着替えて外に飛びだす。広場にはそこら中に気嚢の宴会のあとに片づけなかった器とか椅子が並んでいて、村人の殆どが広場に出てきていた。
「どうしたの?」
「泰の……国軍です」
村人の一人が指さして言う。
草原の向こうに吹き流しのような大量の旗が見えた。それと壁のようにならぶ兵士たち。
ただ、城隍道術がある以上ここには来れないはずだ。ただ、なんでここが分かったんだろう。
不意に何か陶器が砕けるような音がした。
「馬鹿な……僕の術が解かれた!?」
胡さんが愕然とした顔で空を見上げる。
術が解かれたということが……こっちの村が見えてしまったはず。勢いづいたかのように、旗が振られた。規則正しく太鼓が打ち鳴らされる。
「「「「「「「道士どもに告ぐ!」」」」」」」
太鼓の音の後に、とてつもない大声が草原の向こうから聞こえてきた。
「「「「「「「降伏せよ!道士ども!命だけは助ける!」」」」」」」
距離がかなりあるとは思えない大声量。
おそらく、みんなで声を合わせていっているんだろう。スポーツの大歓声のような声の圧力が押し寄せてくる
「「「「「「降伏せよ!道士ども!降伏せよ!」」」」」」
大声での降伏勧告が続いて、村人たちが顔を見合わせる。
鍾離さんが蓍龟さんと何か言葉を交わしているのが見えた。もう一度、さっきと同じように太鼓が叩かれる。
「「「「「「風!風!」」」」」」
声が変わった。さっきまでの降伏勧告じゃなくて掛け声だ。何が言いたいんだろうか。
「「「「「「大風!大風!」」」」」」
考え込んでいた太婀さんが顔色を変えた。
「矢が来る!皆、家の中に!寝台か机の下に隠れよ!」
「「「「「「「大風!大風!」」」」」」」
太婀さんが叫ぶ。村人たちが慌てて家の中に駆け込んで行って、同時に草原の向こうから黒い塊が飛び上がった。
空に太陽の光を遮る膜のようなものが向かってくる。あれが全部、矢なのか。
あたしも家に入ろうとしたら、袖を引っ張られた。太婀さんが袖をつかんでいる。
「あたしたちも逃げないと」
「すみません、柳原道士……あなたの力で矢を逸らせますか?」
「家の中じゃダメなんですか?」
太婀さんが首を振る。
空中に舞い上がった矢が放物線の頂点で一瞬スローになって、黒い塊が体当たりでもするかのように降ってくる。風切り音が聞こえてきた。どうせもう逃げられない。どうにでもなれだ。
懐の符に触れる。
「
風の塊を空中に置くイメージ。
轟という音がして風がまいた。矢の軌道が乱れて大きな塊がゆがむ。でもすべては防ぎきれない。
くるくると回るように矢があたしの周りに落ちてきたと同時に、硬い物が砕けるような音が周り中から響いた。家の中から悲鳴が上がる。
本当に天井を貫いたんだ。落下のスピードを乗せた矢は想像よりはるかに威力がある。
「「「「「「大風、大風!」」」」」」」
また掛け声がかかる。弓の弦をはじく音がしてまた黒い塊が空に向かって飛びあがった。
さっきと同じじゃだめだ。今度はもっと高い位置で横に広く風を置くイメージ。
「
遠くを見るイメージで風を起こす。
空中の高い場所で矢の列が乱れた。墨が水に溶けて崩れるように黒い塊がばらばらになって、そのまま制御を失った矢がバラバラと降り注ぐ。
屋根瓦に当たった矢がからからと音を立てた。
今の攻撃はどうにかしのげたけど。
懐の符はあと4枚しかない。このまま矢を射られ続けたら持たない。
「「「「「「大波!大波!」」」」」」
違う掛け声が上がって太鼓と鐘が何度も打ち鳴らされる。
何が起きるのかと思ったけど、最前列の兵士たちが槍を構えて前進してきた。
◆
草と土を踏みしめる足音が遠くから近づいてくる。
「迎え撃つぜ、雑魚どもなんかに後れをとるかよ!」
鬼蘭が勇ましく叫ぶけど。
「太婀」
「はい」
「……柳原道士を連れて逃げよ」
「爺い、まだそんなこと言ってんのか!村の連中だけおいて俺たちだけ逃げる気かよ!」
鬼蘭の言葉を無視するようにして鍾離さんが続ける。
「私と蓍龟はここに残る。太婀、お前たちは行け」
「はあ?何言ってんだ?」
「彼らは道士をとらえるために派遣された泰の国軍だ……西夷とは違う。村人までは殺しはしない。
そして彼らにも勲功が必要だ。我々の首を持ち変えれば彼らも気が済むだろう」
「だから、何を言ってんだ、ジジイ。此処は迎え撃つしかねぇだろうが!」
鍾離さんが首を振った。
「見ての通り、勝ち目はない。我々の中でまともに戦えるのは4人だけだ。羚羊や太婀がいかに強くとも数には勝てん。こうなれば一人でも多く、確実に逃げおおせなくてはならん」
草原の向こうに布陣した兵士たちの数は分からない。長い矛を掲げて進み出てくる兵士の数だけでも100人どころじゃない。
しかも後ろのはまだ隊列を組んだ槍兵がいるのが見える。馬に乗った兵士や弓兵まで含めれば……どう少なく見ても500人以上は居そうだ。
「太婀、このような形になったのは残念だが……計画通りに南へ、南旗関へ向かえ。分かっているな。羚羊、柳原道士をお守りせよ」
「爺!聞けよ!」
「黙れ、鬼蘭」
鍾離さんが普段とはまるで違う、強い口調で鬼蘭を制した。
「お前は自分が千人を蹴散らした歌劇の英雄のつもりか?思いあがるな」
厳しい口調に鬼蘭が押し黙った。
「……ここで泰の国軍と刺し違えるのがお前の本懐か?違うのならば、機を待つのだ……死ねば報復もかなえられん」
鬼蘭が何か悪態をついて地面を蹴った。
「柳原道士、このようなことになって申し訳ありません」
勝利さんが深々と頭を下げるんだけど。
「……あなたが謝ることじゃない……」
ここで軍隊と戦うことはできない、というか正面衝突すれば間違いなく全員死ぬ。
あたしの符が何百枚もあって道術を使い放題ならともかく、今手元にあるのは村に置いておいた4枚に過ぎない。
羚羊も鬼蘭も太婀さんも強いだろうけど。
それでも雑魚兵士をなぎ倒すゲームじゃないんだからあの数の兵士を追い返すことはできないだろう。
降伏して相手が紳士的かつ平穏に扱ってくれることを期待するか。
全滅することが分かっていて「堂々と」戦うのか
一部だけでも確実に逃げるか…………誰かを犠牲にして。
羚羊が馬を引いて来てくれた。
草原の向こうからは兵士たちがゆっくり列を乱さないままに進んでくる。整然と並んだ矛の先が太陽にきらめいていた。戦国時代の映画とかのようで現実感がない。
「別れて逃げるぞ。羚羊、悌久の麓で落ち合おう。日が赤くなっても我々が来なければ、先にいけ」
太婀さんが言って馬にまたがる。鬼蘭が何か言いたげにして口をつぐんだ。
胡さんと鹰猎さんが鍾離さんと言葉を何か交し合って深々と礼をする。
小花ちゃんが鍾離さんと抱きしめ合った。
小花ちゃんが鍾離さんにしがみついてはなれようとしない。
「羚羊!連れていけ!」
小花ちゃんを鍾離さんがつき飛ばすようにして離した。羚羊が倒れた小花ちゃんを抱え上げる。
「柳原道士!客人に無礼な願いであることは承知です!ですが!」
「おじいちゃん!やだ!あたしも一緒に!」
「この子をお願いします!どうか!」
鍾離さんが頭を下げた
泣き叫ぶ小花ちゃんを羚羊が香藝さんに渡して、香藝さんが抱きかかえてそのまま馬にまたがる。
「
羚羊がいつものように手を組んで、あたしにも馬に乗るように促した。
振り向いて見えたのは、村の間近に迫る兵士たちの隊列。そして頭を下げたままの鍾離さんの姿。
馬が走り出す。小花ちゃんが鍾離さんを呼ぶ声を香藝さんが無理やり止めさせた
……引き裂かれるような気持ちというのがどんなものなのか、初めて知った。
◆
草原を縫うように踏み固められた道を馬が行く。
村から10分ほど走ったところで、ふいに羚羊が馬を止めた。何か聞くより早く、矢が地面に突き刺さって馬が嘶いて何歩か下がる。
叢から鎧兜に身を包んだ兵士たちが姿を現した。
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