Ⅱ - 2 ズレ。

 明るいよく通る声と、見落とされないけど嫌味にもならない高さの右手を意識して、私は教室の空気に切り込む。


 皆が一斉に私に注目する。

 一瞬にして教室に花の香りが充満する。


 私は中峰さんの瞳を見て、だけどこの場にいる全員に向けて、意思を告げる。


「私、やります」


 言うと、硬化していた教室の空気が綻びた。


「本当⁉︎ いいの丹花ちゃん!」

「ええ。誰もやらないのであれば、私、緑化委員やります」

「ありがとう! めっちゃ助かる!」

 言葉は中峰さんのものだけだったけど、女子からは同意の気持ちのこもった視線を感じた。


「一香がしてくれるなら安心ね」

 中峰さんが黒板に私の名前を書いている間を、穂垂の援護射撃が繋ぐ。クラスメイトたちも首肯いてくれている。


「本当? ありがとう。そう言ってもらえるなら、余計に頑張らないとですね」

 だから私も安心して言葉を返す。それに対しても否定的な香りはしない。


 よかった。上手くいっている。タイミングも空気も見計らっているけれど、この瞬間はいつも緊張してしまう。


「たしかに、一香とお花って、すんごい似合うよねー」


 胸を撫で下ろしていると、今度は時雨からそんな感想が放たれる。


「え、めっちゃわかる!」「花の種類百種類以上余裕で言えそう」「絶対家でも育ててるよね」「水やりの頻度とかも種類によって変えてたり」「土とかもこだわってるよな」「なんなら温室とかあってさー」

 時雨の言葉は、瞬く間にクラスメイトに拡がって、さっき私が手を挙げたときとは違う花の香りで教室を充たした。


 みんな、私が家で花を育てていることを、期待している。


 母の趣味がガーデニングなので、たしかに我が家には花壇がある。

 だけど、そこは母の聖域であり、私が下手に触れる場所ではない。


 だから私は花のお世話というものをしたことがない。


 クラスメイトが言うような、水やりの仕方も、土選びの基準も、何も有益なものは手元にない。花の種類だってぱっと思いつくのはせいぜい十ちょっと。余裕で百なんて言えない。


 みんなの期待する私と、実際の私の間には、ズレがある。


 今はみんなだけで盛り上がってくれているけど、会話の流れはこの後間違いなく私に向く。

 そのとき、どう返答をするべきだろうか。

 期待には応えたいけど、嘘はつきたくない。


 どうしようかしら。


「違うよ!」


 時雨の声が響いた。


 思わず「なにがですか?」と聞き返しそうになったけど、時雨が私にではなくクラス全体に言っていることに気づいたので、立ち上がった彼女を振り向くに留める。


「一般家庭に温室設備なんてあるわけないでしょ」

 自分に集まる六十以上の瞳を物ともせず、時雨は拳を胸の前に掲げて力説する。

「一香のお家にあるのは、本場イギリスも顔負けの超美しいイングリッシュガーデンだよ!」


 ウイニングアンサーを答えたクイズプレイヤーみたいな表情の時雨。

 教室からはそうなんだと納得の声がちらほらと上がる。

 しかし実際は、母が在宅で仕事をしていて家に人を呼びたがらないので、時雨も含めて私の友人を家に招いたことはない。


「ねえ時雨」

 だから事情を知っている穂垂は、時雨の自信に疑問を呈する。

「時雨も一香の家には行ったことないでしょ?」

「うん、ないよ!」

 清々しく即答する時雨。


「ないけど私は信じてる!」


「……いやないのかよ!」「まるで何度も行ってるような口ぶりだったのに!」「時雨ちゃんも私たち側だったかー」「なのにその自信はすごいね」「てかそれだって一般家庭にあるの珍しくね?」「でも日向が言うのもイメージつくよな」

 断言する時雨に教室中からつっこみと笑いが起きる。それでも時雨は自信に満ちた顔を崩さない。時雨は私のことになると頑固になる。


「それで言うと日向ちゃんのお家にはひまわりがたくさん咲いてそうだよね」

 中峰さんが言って、話題の中心が私から時雨に移る。それにも「たしかに」と賛同の声が教室中から上がり、女子生徒たちがきゃっきゃと楽しそうにまたイメージを列挙する。


「主食ひまわりの種なんじゃね?」

「日向はやっぱりひまわりの種が大すきなの?」


 そこに男子生徒から時雨の見た目を揶揄したいじりが入る。

 おそらくここで、「誰がハムスターなのよ」みたいなつっこみを返せば、教室はさらに盛り上がる。時雨もそれこそ小動物的な愛されポジションを、クラスで獲得できるだろう。


 皆が時雨の返答を待っている。

 私に対するものじゃないから香りはしないけど、それでも察することができる、強い期待。


「え? そんなわけないじゃん」


 しかし、時雨はそれには応えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る