Ⅰ - 3 倉下絢芽。


 そんな和やか空気を、唐突に活発な声が揺らした。

 比喩表現だけではなく、実際に私と穂垂は肩を掴まれ揺らされている。


「わっ、絢芽あやめか。びっくりした」

「絢芽、元気なのはいいことですが、揺らすのはやめていただけませんか?」

「いや、朝からこの元気はむしろ良くないまであるよ……」


 穂垂、私、時雨と、それぞれ若干引きの反応を返すけど、倉下くらした絢芽はなははと笑って受け止める。


「そりゃ元気にもなるってもんよ! 今年のクラス、このメンツって、楽しいがすぎるじゃんか! 一年間よろしくな!」


 快活な口調、ショートカットに百七十越えの身長と、腕や首元などこの時期にしては多めに露出された焼けた健康的な肌。そんなパーソナルな要素に違わず、陸上部のエースであるスポーツ少女。

 と、言えば聞こえはいいけれど、幼馴染の穂垂に言わせれば、ただの脳筋ばか。最初私は穂垂の言い分をやんわり否定していたけど、今ではそんな自分を否定するようになった。


「楽しいのはわかったからいい加減離して」

「ほいほーい」


 だから絢芽への当たりが強いのは咎めない。本人も特に気にしてなさそうだし、改善を求む期待の香りもしない。


「ところで、三人は何の話ししてたんだ?」

 私たちから離れた絢芽は、カバンから下敷きを取り出してぺこぺこ扇ぎながら尋ねる。


「新入生オリエンテーションの手伝いを、二人に打診してたの」

「生徒会の人手が減っちゃったので、私と時雨がお手伝いすることになったんです」


 風の恩恵を受けるため、私と穂垂が答えながら下敷きに顔を近づけると、絢芽はちゃんと私たちにも風を送ってくれた。ありがたい。


「なるほどな! ウチも手伝いたいけど、部活があるから厳しいな……。すまん三人とも!」

「大丈夫。絢芽は全力で部活に精を出してきなさい」

「絢芽の分もあたしが一香と穂垂をサポートしとくよ!」

「また表彰式で絢芽の名前が呼ばれるの、楽しみにしていますね」

「みんな……! ありがとうっ!」


 仲間を応援する感動の場面に、絢芽も涙ぐむ。


「一香のピアノ演奏があるけど、気にせず部活頑張って」

「そうだね。それもあたしが絢芽の分も聴いておくよ」

「え、なにそれウチも聴きたいんだけど!」


 と思ったけれど、やはり少しあたりのきついいじりをされ、絢芽の涙はひゅんと引っ込む。


 喜怒哀楽が忙しい絢芽に、穂垂と時雨は和やかに笑い、絢芽は不服そうに口を尖らせる。だけどそんな絢芽の表情の裏にも楽しげな笑顔が透けているので、私も安心して笑う。


「演奏すると言っても、校歌を弾くだけですよ?」

「いや、それでも聴いてみたいって、一香のピアノ。コンクールで金賞の常連だったんだろう?」


 悪気なく尋ねる絢芽に、私も努めて笑って答える。


「昔の話ですよ。ここ最近は大会に出ていませんし、教室にすら通っていません。趣味で楽しむ程度です」


 絢芽の言う通り、あれからコンクールで、母から見落とされないくらいの結果を何度も残した。

 だけど中学に上がる手前ごろから、母がガーデニングの趣味に目覚めた。そして趣味にお金をもっとかけたいという期待が読めたので、私はピアノを辞めると告げた。

 ピアノに対する情熱がなかったわけではないけれど、母に見てもらえなくなったり、金食い虫だと邪険にされることを、私は避けた。


「そっか。それでも楽しみだけどな。あ、大会と言えばさ」


 ぶわっと、強烈な花の香りがした。発生源は探すまでもなく絢芽だった。

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