Ⅲ - 1 はじめて。
翌々日。私はいつもより早い時間に学校にいた。
昨日の委員会で、さっそく朝番のシフトが私たちのクラスに回ってきたのだ。
花の知識は……正直身についているとは言い難い。さすがに時間がなかった。
だけど基本的なことはある程度ネットで調べたし、昨日帰りに本屋さんでハウツー本も買ったので、わからなければそれを見ながら実践すればいい。陽村くんは来ないだろうから、どうせこの時間は私一人だ。
職員室で倉庫の鍵を借りて、道具や肥料を持って花壇に向かう。
私のクラスが割り振られたのは、中庭ではなく、ほとんど人が通らず、昨年度までは長らく使われていなかった、校舎裏の花壇。
先生からは人目につかないところだから丹花の好きにやっていいぞと言われた。だけどその裏側には、先生の落ち着けるような空間にしてほしいという期待がある。
具体的ではなくなんとなくのイメージだから、やりようはいくらでもあるけど、その分ハードルは高くなる。センスが問われるから。
一度深呼吸をする。
大丈夫。今までもどう応えたらいいかわからない期待にだって応えてきた。私なら大丈夫。みんなの望む丹花一香として、みんなに見てもらう。
みんなに見逃されない、私になる。
改めて意気込み、校舎沿いに角を曲がる。しばらく進むと、フェンスに沿って、横幅が私が両腕を広げたくらいの長方形の花壇が五つ並ぶエリアに着く。
その中の一つ、真ん中の花壇の前。
どう見ても地毛じゃないプリンになった金色の短髪、中の赤色Tシャツが見えるように着崩された制服、目の前に積年の恨みを晴らしたい人物でもいるかのような鋭い眼つき。
そんな見るからに不良の男子生徒が、スコップを片手に行儀悪く鎮座している。
––––どうしましょう、花壇が荒らされます!
心は即刻回れ右せよと警鐘を鳴らす。脳は仕事を放棄すればみんなの期待を裏切ることになると信号を送る。本能と理性がせめぎ合い、私は身動きが取れなくなる。よくよく考えたら花壇には何も咲いていないのだから、荒らすも何もないのだけれど、今の私はそこまで考えが回らなかった。
「おはよお」
不意に声がした。
表面に罅の入った分厚いガラスのような、歪だけどどこかまだ安心感のある音。イントネーションは馴染みが少ない音階だった。
その声がいつのまにか首だけ右向け右してこちらを見ていた不良の彼から発せられたものだと気づくのに、少し時間を要した。
「おはようございます」
ぎりぎり不自然にならない間と表情で挨拶を返したはずだけど、彼は一瞬水をかけられたような顔をした。しかしすぐに眠たげな表情に崩れたのでその真意は測れなかった。
「こんな朝早よおから学校くるの、変な感じやわ。優等生ってこんな気分なんかな?」
「…………朝早く来るだけが、優等生じゃないと思いますけど……」
見た目不良な上に関西弁。怖いと思ってしまっても仕方がない状況だけど、ファーストインプレッションよりも、警戒心は薄れていた。
彼の声が想像よりもずっと澄んでいたから。それにさっきのは見間違いだったのかと思うほど、彼の瞳が穏やかになっていたのも、理由の一つだ。
私の返答に「ふーん」とあまり腑に落ちていない声を返す彼。私はまだ念のため、彼のいる花壇の一つ隣の花壇に移動する。
「そういやあんた、花のこと詳しいん? 育て方知ってる?」
スカートを地面に付けないように気をつけてしゃがむと、また世間話のノリで話題が飛んでくる。
「そうですね……」
答えようとして、二つ、気付いた。
まず一つは、彼はクラスメイトたちとは違い、私が花に詳しそうと決めつけて話しかけてきていないこと。
そして二つ目。質問をしているのに、彼から花の香りがしないということ。
すなわち、彼の期待が見えない。
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