第13話 セキュリティコードが更新されました

 現実は時として、これほどにつまらないものはないと思える。


 だからだろうか、人間は現実から目をそらし妄想に逃げるときがある。


 だけど現実はありありとその姿を見せつけてくる。


 いやだと思っても物理的に迫ってくるそれを避けようもないなら、人間はさらに深く妄想の世界へ逃げ込んでしまうのかもしれない。


 それがただのご都合主義だとしても――。



『――だが、その妄想が人間を進歩させてきたんだ!』



 ヴァルムロディの言葉がよみがえったとき、イェシカは何かに目覚めたと思った。


「お兄様を助けて!」


 さっきと同じ言葉を壁に向かって叫んだ。


『じゅもんがち……ガピガピガー、ガー』


 突然、壁の声にノイズが入った。


『復活の呪文が更新されました』


「え?」


『よくぞ戻った、勇者もょもとよ!』


「勇者?」


 自分が勇者だなんてはずはない。


 ウィーンという音とともにテーブルと壁が中央で真っ二つに割れる。その奥ではひとつの兜のようなものがマネキンの頭にかぶされている。


「まさか……これが勇者の兜なのかしら」


 自分がイメージする兜とはちょっと違う。


 金属ではないつるんとした表面の真っ白な兜だが、顔の正面は覆わない。ただし、ガラスではない透明な鳥のくちばしのような形のもので正面を保護するようだ。これならかぶっても前がはっきり見えそうだ。額の位置にはVの字の飾りがついている。


「きっと……これをお兄様に渡せば何かが起こるんだ」


 イェシカは兜を手に取った。


「う!?」


 手に触れただけで一瞬意識が飛んだ。


 長く触れていれば死んでいたかもしれない。


(これは呪いの兜?)


 せっかく希望が見えたと思ったのに!


 ――いや、それもただの思い込み。妄想に過ぎない。


 この兜がお兄様の力になるといいな。


 自分が勝手にそう思っただけだ。何の役にも立たない妄想。


『ああだったらいいな、こうだったらいいな。そんな妄想とそれを実現させようとする行動力が人類の文明社会を生み出し続けてきたんだ』


 ヴァルムロディはそう言った。


 彼は光に向かって走っていた。


 自分もそうでありたい!


「私の妄想は、いずれ世界を照らす光になるの!」


 イェシカは兜を改めてつかんだ。


 なぜこんなことをしているのか自分でもわからない。


 みるみると自分の中の生気が抜き取られてゆくのがわかる。


 ただ、希望はここにしかなかった。


『汝はこの兜の正統な継承者ではない。手を離さねば魂を失って死ぬことだろう』


 他人事のような冷静かつ高慢な声が聞こえてくる。


 そんなことはわかっている。だけど、このかっこいい兜を手にしてみたい!


 そして、かぶった自分の姿を妄想していた。


 ――あ、なんか素敵。


「むふふふふふ」


 その瞬間、力が失われてゆく感覚が消えた。


 ――この兜をかぶれば、私だって魔王を倒せたりするんじゃないかしら。


 そして、世界中に賞賛される自分の姿を妄想していた。


 なかなかどうして承認欲求は強い。


「ぐふふふふふ」



 ぽん!



 兜はマネキンから外れた。そして、イェシカの手の中にあった。


「どうして? ……いいえ、こうしてはいられない。これをお兄様に届けなきゃ!」


 イェシカは走って見張りの塔最上階の兄の元へ向かった。


「ひいいいい! マクシミリアン、助けてくれー!」


 そこでは泣き叫びながら息子の戦いを邪魔する父の姿があった。そのせいもあって兄はすっかり憔悴しきっていた。


「お父様、邪魔よ!」


 イェシカは国王を兄からむしり取って投げ捨てた。


 城全体を一望できるここで、城のあちこちが燃えているのが確認できた・


「お兄様、これを!」


「これは!」


 マクシミリアンは兜を受け取った。


 だが、彼はこう言った。


「これは私のものではない!」


 そう言うと、兜を森に向かって投げてしまった。


 そんな、死ぬ思いをしてここまでもってきたというのに、どうして?


「ロディ、受け取ってくれ!」


 このときのイェシカの心は、自分が命がけで持ってきた兜が捨てられたことよりも、即座に兄がヴァルムロディの名を口にしたことに衝撃を受けていた。


 ――どうして、今日会ったばかりの友達を信じることができるの?



 兜は森の中へ飛んでいった。


 飛んでいった先には確かにヴァルムロディの姿があった。


 だが、いくらレットヴィーサの鎧をまとっているとはいえ、ドラゴンの炎に焼かれたヴァルムロディは甚大なダメージを負っていた。


「マ……マックス……」


 白い兜が落ちてくる。


 ヴァルムロディは何を疑うこともなくそれをつかもうとしていた。


 そして両手でつかみ装着した。その瞬間、凄まじい光が放たれた。



「けぇぇぇ! な、何が起こった!?」


 スカークは突然のできごとに動揺を隠せなかった。



「ひいいい! 何なの、この光はー!」


 国王はうるさかったが、マクシミリアンの表情は確信に満ちていた。


 ――勇者同士の信頼!


 イェシカは直感的にそう思った。


 二人は勇者なのだ。


 だからこそ共鳴し、出会ってすぐに互いを理解し合えたのだ。


 ――お兄様とヴァルムロディ様は、運命で結ばれていたのね!


 見える、二人をつなぐ運命の糸が!


「うひ、うひ……ぐひひひひひひ!」


 イェシカの頭の中でいけない妄想が大爆発する。


「お兄様! ヴァルムロディ様! 合体よ!」


『セキュリティコードが更新されました』


「マックス! 俺と合体してくれ!」


「合体だ、ロディ!」

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