第10話 はずれの天恵

「イェシカ、そこで何をしてるんだい?」


 マクシミリアンは妹の奇行に対し優しい声をかけた。


「知り合いか?」


「ああ、妹のイェシカだ。おや、手にケガしてるじゃないか」


 石壁を殴り壊したおかげで右手に擦り傷ができていた。


「医官を呼ぼう。少し待っていなさい」


「擦り傷くらいなら俺が魔法で治そう」


「ロディ、君は治癒魔法もできるというのか?」


「ああ、練習したらできるようになった」


「すごいな。何でもできるんだな」


「そうでもないさ」


 ヴァルムロディはイェシカの手を取ると、治癒魔法をかけた。


「はわわわわ……」


 引きこもりのイェシカは男性に手を取られたことなどなかった。どうしていいのか混乱した。


「大丈夫ですか?」


(きゅーん! すっごいイケボ!)


 と、不意にヴァルムロディのイケメンも間近で見てしまう。


 あまりにも刺激が強すぎて衝撃が脳を焼き、不整脈を引き起こした。


「げろげろげろげろー」


 ついでに吐いた。


「いかん、脈拍正常化魔法! 嘔吐反射抑制魔法!」


「はうあ!」


 意識を取り戻したイェシカはもう一度ヴァルムロディを見ると、顔を赤らめて脱兎のごとく逃げだした。


「はぎょぎょー!!」


「な、何か悪いことをしてしまったのだろうか?」


「気にするなといっても気にしてしまうだろうが……妹は人間関係をつくるのが苦手でな、私以外の者が近づくとああなってしまうんだ。追いかけると余計にひどくなるから、今は放っておいてやってくれ」


「そうだったのか、俺が無神経だったのかもしれない」


「普通はわからないさ、気にしないでくれ。ところで、脈拍正常化魔法とか、ずいぶんとマニアックな魔法まで使えるんだな」


「魔法学校で習える魔法はすべて習得したからな。『ヒスタミン結合阻害魔法』を使えばかゆみが収まるし、『横隔膜痙攣抑制魔法』を使えばしゃっくりを止めることもできるぞ」


「状態異常を回復させる魔法にはいろいろなものがあるのだな。私も勉強しよう」



 イェシカは城内の隠し通路をさまよっていた。


「うううう……あんなかっこいいお方に近寄られて、パニックになって逃げてしまいましたわ。嫌われたらどうしましょう……」


 彼女にとって他人に嫌われることが怖いと思うのは初めてのことだった。


「あれ、ここはどこかしら?」


 兄をストーキングするため、すべての隠し通路を知り尽くしていると思っていたのに、 気が付くと自分でも知らない通路を歩いていた。どうやってここまで来たのか。何度も階段を下りてきたことだけはなんとなく覚えている。


 見たこともないつるんとした壁に明かりが埋め込まれていて道ははっきり見える。不思議に感じる好奇心はそのまま彼女の足を前に進めさせた。


 さらに進んでいくと行き止まりになり、突き当りの壁にテーブルのようなものがついていた。その壁面には穏やかな光をともす小窓がいくつもついており、イェシカが近づくと迎え入れるかのように適度な明るさになった。


 誰もいないことでほっと一息つくことができた。疲れたのでテーブルの上に腰掛ける。


「ちょっとお行儀が悪いかしら」


 独りごつ声は明るかったが、そのままじっとしているとぽろぽろと涙がこぼれてきた。


 こんな自分が嫌いだ。


 お兄様のように誰とでもすぐに打ち解けられるような人になりたい。


 だけど、自分の天恵は≪妄想力≫。


 他人を見るとすぐにいやらしい妄想をしてしまう。我を忘れて話を聞いてないから白い目で見られる。そのうち人と会ったり話したりすることが嫌になった。


 天恵という言葉が当てられているが、すべての天恵が有益とは限らない。使い物にならない天恵もあれば、むしろ有害な天恵もある。


 有害な天恵を持った子供を親が捨ててしまうなんて話も珍しくない。


 自分が捨てられずにすんだのは王家の体面を保つために過ぎない。


 それでも兄だけは優しくしてくれた。


 そんな兄を自分は妄想の中で辱めて喜んでいる。なんてひどい妹だろう。


「私なんて……生まれてこなければよかったんだわ」


 ぐるぐると巡る自己否定はいつしか存在をも否定するようになっていた。


『呪文が違います』


「え、何?」


 壁から声が聞こえた。


「今、しゃべったのはどなた?」


『呪文が違います』


「呪文って何?」


『呪文が違います』


「な、なんなのよ……」


 壁がしゃべるだなんて聞いたこともないが、相手が人ではないことがむしろ安心感を与えた。イェシカは壁に向かって話しかけた。


「あなたはどなた?」


『呪文が違います』


「どうして同じことしか言わないの?」


『呪文が違います』


「くすくすくす、本当に同じことしか言わないのね」


『呪文が違います』


 会話は成立していない。だけど、自分が投げかけたことに対して反応が返ってくるのはすごく嬉しかった。


「私、悪い子なの。いつも誰かを妄想で辱めて……」


『呪文が違います』


「でも、これが私の生まれ持った天恵なんだって」


『呪文が違います』


「どうしてこんな、何の役にも立たない……むしろ人を不幸にするような天恵を……神様はひどいわ」


『呪文が違います』


 いつしかその言葉は教会での懺悔のようになっていた。


 そのときだった。


「天恵にいいも悪いもない。役に立つかどうかなんて、自分で決めるものだぜ」

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