第4話 ゆうしゃ

「……悪いことをしたな」


 あの後。

 ユウと別れた賢者は一人、ローブで顔を隠しながら街中を歩いていた。


「とはいえあの首飾りについてマジで何も知らなかったってことは、そういうことなんだろうし」


 賢者はユウの父レックスのことを想起する。

 『聖剣の勇者』としての使命を無事に果たし、とある魔王の討伐と引き換えに命を落とした男。

 肩を並べて戦えた無二の親友。


「……そんなオマエでも死ぬんだ。ならなくちゃ、で勇者やっていいことなんかねぇよな」


 賢者は空の上にいるレックスに向かって悪態をついた。

 何にせよ、ひとまず無力な少年が魔物に襲われ死亡するという痛ましい未来はなくなった。

 あとは聖剣の一族に魔物の暗躍を伝えればお役御免だ。連れと合流して別の都市にでも旅立とう。


 そこまで考えたところで、不意に聞こえてきた騒ぎに足を止めた。


「ねぇ、ユウくんに謝ってよ!あんな酷い言い方して……恨みでもあるの!?」

「ハ、やなこった。あんな家柄だけで学園にしがみつく貴族のボンボンいなくなった方がマシだろ」

「流石はアルスくん!」

「分かる!」


「なんだ、子供の喧嘩か」


 一々足を止めるまでもなかったと立ち去ろうとして──ふと気づく。

 巨大な翼を広げた影が、その子供達を中心に広場を覆っていることに。


「まずいっ、離れろオマエら!!」


 いち早く察した賢者は魔法で避難させようとするが、呪いの痛みによって発動が阻害されてしまう。

 仕方なく走り寄ると、言い争っていた二人の男女を突き飛ばした。


 次の瞬間だった。


「グオオオオオォォォォォ!!!!!!」


 雄叫びを上げながら、大きな翼を広げて地面に降り立つ一体の魔物の姿があった。


 堅牢な鱗と鋭い牙を持ち、大空を飛行する強靭な翼を羽ばたかせ、しなる尻尾を地面に叩きつけて石造の道を破壊する。


 その魔物の名はドラゴン。

 数多くいる魔物の中でも最強種と謳われる、強力無比な化け物だった。


「え、えっ!?ドラゴン!?なんで!?」

「う、っそだろ……!?この平和な王都に、なんでドラゴンが……!?」


 突き飛ばされて助けられた二人と、側にいたもう二人の少年が揃って恐怖に震え慄く。

 未だ現実を飲み込みきれていない民衆を無視して、ドラゴン──飛竜ワイバーンは再び叫ぶ。


「デてコイ、『聖ケんの勇者』ァア!!!来なケレばニンゲンどもヲ殺シテいくぞ!!!」

「っ、こいつ聖剣狙いの……!」


 但し、今度は人語で。

 それが皮切りになったのだろう。民衆はパニック状態に陥っていった。

 

「うわあああああああああ!!!?」

「ど、ドラゴンだあああああ!!!!」

「チッ……に、逃げるぞ!!」

「なんで!?王都にドラゴンなんてありえない!」

「だ、誰か!誰でもいいから勇者を呼んで!」


 慌てて逃げ出す人波は、それだけで一つの二次災害の様相を呈していた。


「あたしを庇って……!あのっ、大丈夫ですか!?今助けに」

「ひとの心配してる場合か!とっとと逃げろ!」

「で、でも」

「いいから早くいけ!!!!」


 賢者は人としては正しく、状況的には大間違いな心配をして残ろうとした少女を叱り飛ばす。

 もう一人の少年は最初に情けない声をあげて逃げ出していたが、あちらが正解だ。

 未熟な子供がドラゴン相手に何かできるはずもない。


 そうしているうちに、余りにも大きすぎる騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう勇者たちの姿もちらほら見え出したが、中々手を出せない様子だった。


「野郎、人質を取ってやがる……!」

「じ、人語を解するドラゴンなんて初めて見たぞ……!?」

「Bランク、最悪Aランクレベルの魔物じゃない!Dランクの私たちが勝てるはずないわ!」


 魔物の中でも人語を解する個体はそれだけで脅威だ。それだけ長い時を生きた強力な個体であることの証左となるからだ。

 しかも人質をとって周囲を牽制する狡猾さも持ち合わせている。


「ドウした、早クこナイとこのニンゲンを踏み殺スゾ……!?」

「ぐ、うぅ……!?」


 なんとか魔法を使って耐えているが、王都に来るまでに魔力を使いすぎたのだろう。

 身体を襲う呪いの痛みとドラゴンによる圧迫痛のコンボで、賢者は死の予感を覚えていた。


「クソ、オレ一人じゃどうしようもねぇ……!」


 もう一人の仲間が騒ぎを聞きつけてやってきてくれるのを祈るしかない。

 それまで体が持つかどうか。

 痛む体に鞭打ちながら、必死に抵抗を続ける。


 このザマでよくもあの少年にデカい口を叩けたものだと、賢者は自分で自分を呪うばかりだった。



 足元から崩れ落ちていく感覚があった。

 底の見えない奈落に落ち続けていくような気持ちの悪い浮遊感。

 今自分がどこを歩いているのか、それすら定かではなかった。


「……なんだよ、今更こんなに落ち込んで。言われなくても分かってただろ……」


 魔法の才能は勿論、剣の才能もロクにない。

 聖剣を抜く抜かない以前の問題だった。

 そんな人間が勇者になんてなれるはずがなかった。


「こんな僕が、勇者になんかなれるはずないって」


 ただ目を逸らし続けてきただけだ。

 叔父から罵倒されるのも、母から軽蔑されるのも、アルスくんから見下されるのも頷ける。

 当たり前の現実から逃げて、努力という名の慰めを続けてきただけなのだから。


 拳を握る。

 爪が手のひらを貫通しかねないくらいの強さで握りしめて、その痛みで少しでも気を紛らわせようとして。


「うわああああああああ!!!!!」

「──……アルス、くん?」


 すぐ隣を、金髪碧眼の青年が駆けていった。

 いつも自信満々な彼らしくない、みっともなく何かから逃げるような動きだった。

 一体何事か。下を向いて俯いていた意識を外界に向けると、多くの人々が何やら凶悪な魔物から避難しているらしいことが分かった。


「凄い騒ぎだ……何か魔物が出たのかな」


 どうやら道路の端の方を歩いていたからか気が付かなかった。

 王都は多数の勇者が配備されて平和な分、普通なら弱い方のスライムやゴブリン相手でも大騒ぎしがちなのだ。

 

「…………」


 見に行ったところで邪魔な野次馬になるだけだ。そんなことは分かっていた、

 けれど、最後に諦める理由が欲しかった。

 勇者が戦う姿を見て、自分ではどう足掻いてもああはなれないのだという言い訳が欲しかった。


 だから、自然と足が騒ぎの中心に向かった。

 申し訳なさを感じながら、どこか投げやりになった心が足を前に進める。

 そうして人の波を避けつつ大通りの方へ出て、


「ッ、ど、ドラゴン……ッ!?」


 本来王都に出没するはずのない凶悪な魔物の姿を視認して、先ほどまでの甘い考えが吹き飛んだ。


 見れば既に複数の勇者が集結していた。

 先ほど見かけた『青銅の勇者』や『猫耳の勇者』もいたが、強力な魔物であるドラゴン相手に中々手出しできない様子だった。


「ど、どうしてこんな街中にあんなデカいドラゴンが……!?」


 外見からして種類はワイバーンだ。

 となると空から飛来してきたのだろうが、この辺りはワイバーンの生息地からかけ離れている。


 どうしてか不思議に思っていると、竜の大口が開かれた。


「聖ケんのユう者ァ……このニンゲンがドウなっテモイイのかァァアアア!?」


 聖剣の勇者。

 その単語を聞いて全身が総毛立つ。


 つまり奴は、賢者が言っていた聖剣狙いの魔物なのだ。

 だから王都にまでやってきて騒ぎを起こし、目当ての勇者を誘き出そうとしている。


 ワイバーンの足元には見覚えのある少女がいた。

 賢者だ。

 ローブが破れ、長い銀髪と少女的な外見をした中身が露見してしまっていた。


「な、なんで賢者が……!?賢者ならあれくらいどうにでもできるはず……」


 そこまで言って、そうできない理由に行き着いた。

 呪いだ。患者の体を蝕む呪いが、彼の魔法行使を阻害してしまっているのだ。

 だからああして遥か格下のワイバーン相手に囚われ、人質として利用されてしまっているのだ。


「……ごめん」


 だが、あのワイバーンの目論見が成功することはない。

 今代『聖剣の勇者』になるはずだった人間は聖剣も抜けず、こうして見殺しにすることしかできない無能だからだ。


「ごめんなさい……!」


 仮に立ち向かったところで何もできない。

 そもそも恐怖で立ち向かえない。

 さっきまで絶望して投げやりになっていたのは何だったのか、今では生への渇望で震えていた。

 

 だから僕にはどうすることもできない。

 勇者に助けてもらえる未来を願うしかない。

 ただせめて、聖剣を抜けなかった責任として、彼の行く末を見守ることしか──、


「……て」


 不意に、賢者と目が合った。


 勘違いかもしれない。

 思い違いかもしれない。

 あの賢者が、まさかそんなわけがない。

 けれど金色の瞳が、僕の視線と交差して。


「たす、けて」


 そう、言っているような気がしたから。

 

「な」

「ちょ」

「は?」


 気がついたら、ワイバーンの下へ一目散に走り出していた。


「なっ……そこの少年!何をしている!?戻れ!!殺されるぞ!?」

「バカ!死ぬ気なの!?」


 後ろで勇者たちが制止の声を張り上げているのも無視して、ひたすら前に進む。

 言う通り、こんなのは自殺行為でしかない。

 僕が行ったところで何もできない。


 それなのに、どうしてか足が止まってくれなかった。


「なンだ、オマエがセイ剣の勇シャなのカ!?」


 ワイバーンの視線が僕に止まる。

 聖剣の勇者とはとても思えない非力な人間の姿を前にして判断に困っているのだろう。


 その一瞬の隙に、僕は咄嗟の策を叫んだ。


「『猫耳の勇者』さん!!得意魔法をワイバーンの顔に!!!!」

「は!?一体何を」

「いいから早く!!!!」

「ああもう!『閃光魔法レイザ』!!」


 文字通り光速で進む魔法の一撃がワイバーンの眼球目掛けて射出される。

 腐ってもドラゴン相手に対する攻撃としては、余りにも心許ない威力だ。

 実際ワイバーン自身も発動前から魔力不足を見抜いていたのか、防ぐ動作すらしなかった。

 だが、それが命取りだった。


「ギャァァァァアアアアアア!!!!???」

「嘘、効いた!?」


 思ったとおりだ。

 空に住まう鳥類は視力が発達している。

 高所から地上の獲物を目ざとく見つけて狩らなければならないのだから当然といえた。


 その理屈はワイバーンにも当てはまる。

 彼らは飛竜。大空の覇者であるが故に、その視力もまた人間の数十倍といわれている。

 だからこそ、強烈な光には弱い。


 閃光魔法は威力は低くとも、速度だけなら文字通り光の速度で到達し、防御の隙を与えない……!


「賢者!!」

「ユ、ウ……?」


 眼球への刺激で怯んだ隙をついて、前足の拘束から賢者の矮躯を引き摺り出す。


「大丈夫ですか!?助けに来ました!!」

「なん、で……」


 そんなこと、急に聞かれても答えられるわけがなかった。

 そもそも自分でもよくわかってない。

 怖いはずなのに、何もできない無能なのに、どうして飛び出してきたのか。


『我が一族に勇者の勤めを果たせぬ無能のゴミは必要ない!』

『貴方なんて、産むんじゃなかった』

『じゃあなユウ。俺が最強の勇者になってる横で、精々その日暮らしにでも励んどけ』

『オマエは、勇者にはなれない』


 脳裏に様々な言葉が浮かんでは消えていく。

 何一つ分からないけれど、ただ一つだけ答えることができるとすれば、それは。


「──助けたいって、思ったから……!」


 体になさる激痛で動けないのだろう賢者を担いで、急いでその場から離脱しようとする。

 だが遅すぎた。ワイバーンはすぐに視力を回復させると、人質を奪った僕に狙いを定めた。


「コノ、邪魔をするナァ!!!」


 死んだ。

 数秒先の未来を確信して、せめて賢者だけは守ろうと庇うように抱きしめる。

 けれどいつまで経っても、体を襲うはずの衝撃がやってこなかった。


「……ったく、聖剣も魔法も使えない癖にカッコつけやがって……!!」

「っ、賢者……!」


 賢者だ。

 ボロボロの体をおして、ワイバーンの攻撃を防いでくれたのだ。


「吹っ飛べ!『風圧魔法エアロ』!!」

「グゥ!?」


 強烈な風圧がワイバーンの巨体を数メートル後退させる。

 だが倒すには至らない。賢者は口から血を吐き出すと、


「ごほっ!……ちっ、やっぱロクに使えやしねぇな」

「賢者、血が!」

「ああ、オレはあのワイバーンを倒せねぇ。だから代わりにオマエが倒せ」

「そんな、無理ですよ!」

「いいや、できる」


 賢者は無理を押して更に魔法を使うと、振り親しんだ聖剣と同じサイズの石剣を生み出した。

 それを僕に押し付けて、こう言った。


「オレが唱える呪文を復唱しろ。そして信じろ。オマエなら絶対ヤツを倒せる」

「聖剣の、ユウしゃぁぁアああアアア!!!!」


 凶悪な顎を開いたワイバーンの体躯が迫り来る。

 猶予はもうない。僕は賢者を信じて石剣を振りかぶると、眼前の敵を睨みつけた。


 チャンスは一回。

 だからこそ、この一瞬に全霊を込める。


「「『聖剣起動ムーブ・オン』」」


 低く腰を落とし、両腕に力を入れる。

 胸の首飾りが淡く光り始めた。


「「『勇気強化フルブースト』」」


 無骨な石の剣から、本来発せられるはずのない眩いほどの白光が放たれる。

 ワイバーンの瞳に恐怖の色が揺らぐのが見えた。

 そして、


「「『聖剣のアレフ──、一撃スラッシュ』!!!!!!!」」


 思い切り振り下ろすと同時。

 剣から放たれた巨大な光の斬撃が、20mを優に上回るサイズを誇るワイバーンの体躯を、余さず飲み込んでいった。


 極光はそのまま空の方へと向かって突き進み……やがて消え去る頃、そこにワイバーンの姿は見当たらなかった。


 まるで信じられない光景だった。

 自分が引き起こしたとは到底信じられない現象を前に、ただ呆然としていた。

 そうこうしているうちに周りは現状を飲み込めたのか、大きな歓声を上げた。


「うおおおおお!!!!あの少年やりやがったぞ!!!!」

「まさかワイバーンを一撃で倒すなんて……!」

「何者なんだ!?あの黒髪の少年は!?」

「誰でもいい!カッコよかったぞ坊主!!」


 これまで浴びせられたことのない言葉。

 そんな褒め言葉の洪水を浴びせられて、僕は。


「……きゅう」


 色々限界を迎えて、意識を失うのであった。

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