第2話 出会い

 ふらふらと覚束ない足取りで街中を歩く。

 僕がいるアーリア連合王国の王都は貴族たちの住む上町と庶民が住む下町で別れており、その境界は分厚い門によって分たれている。


 今いるのは下町の方だった。

 実家だったフォウリスワード家や通っていた学園があるのは上町だけど、もう僕はどちらからも放逐された身分だ。

 今の僕は住所不定無職の一般人。

 勇者なんて夢のまた夢の、凡人でしかなかった。


「魔物だ!魔物が出たぞ!!」


 ふらふら歩いていると、不意にそんな怒号が耳をつんざいだ。

 何事か。ふと見てみると、そこには逃げ惑う一般市民と、遅々として動くスライムの姿があった。


「スライムは軟体で、街中に侵入しやすいから……」


 それでも上町の方じゃ見かけることもなかったが、下町だとそう珍しくもなかった。

 しかし魔物は魔物、最弱のスライムだって一般人を殺すには十分な力を持っている。

 一応勇者になるべく研鑽を積んできた僕ですら、こちら有利なフィールドで勝率は五分五分だった。


 周囲の人間がどうしたものかと様子を伺っている中、颯爽と現れる人影があった。


「『青銅の勇者』ブロン参上!この私が来たからにはもう大丈夫!さあ皆様方、私に任せてお下がりくださ──」

「『閃光魔法レイザ』!」


 い、と言い終える前にスライム目掛けて灼熱の光線が放たれた。

 魔法は見事にスライムを蒸発させると、その生命活動を完膚なきまでに停止させた。


「な!?」

「はーい皆様、この私『猫耳の勇者』マホロが無事スライムを討伐しましたよー!」


 宣言と同時、歓声が上がった。

 見事手柄を打ち立てた猫耳型の帽子をかぶる勇者は全身で喜びを表現し、手柄を横取りされた青銅装備の勇者は全身で悲しみを表現していた。

 そんな光景を目に焼き付けながら、ポツリと言葉を漏らした。


「……職業:ゆうしゃ、か」


 職業:ゆうしゃ。

 それは数百年前に誕生した『聖剣の勇者』に端を発する、魔物退治を主とする職業だ。


 増加の一途を遂げる魔物による被害。

 魔物を束ねる凶悪な『魔王』たち。

 世界が混沌の渦に飲まれていく中、我こそはと立ち上がったのが『聖剣の勇者』だった。


 やがて彼に触発される形で、在野の実力者たちが自治を始める。

 或いは冒険者、或いは国家の騎士だった彼らの活躍の輪はどんどん広がっていき、やがては国も認める存在として脚光を浴びるようになった。


 冒険者よりも公的な立場で、騎士よりもフリーダムに動く。

 各国で勇者が職業として認められるのに、そう時間はかからなかったという。


「はあああああああぁぁぁぁぁぁ……」


 その象徴たる存在が『聖剣の勇者』なのだ。

 僕はそうなるべくして生まれてきた。

 だというのにこの体たらくだ。これでは死んだ父にも顔向けできない。


「ホント、自分が情けなくなる」


 聖剣も抜けず、魔法も使えない。

 体術や剣技だって非凡な才能を持ち得ない。

 唯一人に自慢できることといえば、趣味で調べている魔物の生態知識くらいなものか。


 これでは到底勇者になどなれるはずがない。

 自己嫌悪で地面にめり込みそうになっていると、不意に背後から声をかけられた。


「あれ、ユウくん?どうしたの、こんなところで」

「──……セレナさん」


 振り返ると、そこには空色の長髪を靡かせて柔和な笑みを湛える美少女がいた。

 名前はセレナ。僕が通っていた学園の同級生で、数少ない友達だった。


「珍しいね、下町の方でユウくんと会うなんて。何か用事でもあったの?」

「用事……は、特にないんだけどね」


 実家から放逐されて当てもなく彷徨ってました。

 言ってしまえばそれだけのことなのに、真実を明かすのは何故だか憚られた。

 きっと、しょうもないプライドが理由だった。


「でも嬉しいな。ユウくんとあたしは同じ落ちこぼれ仲間だからね……!卒業まであと少し、なんとか乗り切ろうね!」

「あ、えーと、それは……」

「おいおい、そりゃ無理な話だろ」


 どう誤魔化したものかと思案していると、またもや背後から声をかけられた。

 しかし先程とは違う。その声を聞いた瞬間、僕の体は彫刻のように固まってしまっていた。


「なあ、元『聖剣の勇者』サマ?」

「……アルス、くん」


 そこにいたのは、金髪碧眼の整った容姿を持った青年と、彼の取り巻きである二人を合わせた三人組だった。

 青年の名はアルス。

 落ちこぼれの僕とは正反対の、学園主席の実力者だった。


「な、なに?また君?いっつもユウくんに突っかかってくるけど暇なの?」

「落ちこぼれは黙ってろよ。俺はそこの落ちこぼれ以下の無能に話しかけてんだ」


 青く鋭い瞳が僕を射抜く。

 元、という呼称からしてもう嫌な予感しかしなかった。


「なあユウ、聞いたぜ?お前遂に無能すぎて家から追い出されたんだってな?」

「……!」

「学園に退学手続きしにきた奴が笑いながら話してたぜ。ようやく一族の汚点が消えてくれる、ってなァ!」

「え……う、嘘。嘘だよねユウくん!?」


 項垂れながら、ぎゅっと拳を握りしめる。

 それが僕にできる無言の肯定だった。


「『聖剣の勇者』なのに聖剣も抜けない、魔法も使えないんだもんな!」

「むしろ今まで学園にいられたことのほうがおかしいぜ!」


 取り巻きの二人から追撃の言葉がかけられる。

 僕はそれに言い返すこともできなかった。

 ただただ俯いて耐えることしかできなかった。


「職業:ゆうしゃ育成の名門王立勇者学園始まって以来の天才!平民出身でありながらあの『賢者』すら超える逸材と名高いこの俺と、聖剣の一族に生まれながら魔物一体ロクに倒せないお前が、これまで同じ土俵に立ってたのがおかしかったんだ」


 ニタニタと笑みを浮かべながら悠然と近づいてくるアルスくんを前に萎縮して動けなかった。

 そのまま彼は分厚い手を肩に置いてきて、


「じゃあなユウ。俺が最強の勇者になってる横で、精々その日暮らしにでも励んどけ」


 それだけ言い残して、気持ちいいほど気持ちの悪い笑い声を上げながら去っていった。

 悔しい。

 何が悔しいって、何も言い返せなかった自分の弱さが一番悔しかった。


「あ、あの、ユウくん。あたし──」

「ごめん、セレナさん。僕はこれで」


 こんな情けない自分をこれ以上友達の目に晒したくない。その一心で当てもなく走り出した。

 悔しい。

 情けない。

 消えてしまいたい。

 荒い呼吸を繰り返しながら、どこにもない安息の地を求めて駆けずり回る。


「ハァ、ハァ、ハァ……!!」


 気づいたら、人気のない路地裏にいた。

 こんな自分を誰にも見られたくないという、せめてもの強がりが働いた結果だろうか。

 後ろ向きすぎる強がりだと、我ながら自嘲したくなってくる。


 そうして、曲がり角を曲がったところで。


「うおっ!?」

「わっ!?」


 曲がり角の先にいた小柄な人物と正面衝突してしまった。

 体格で勝る僕は数歩後ずさっただけだったが、ぶつかった相手は尻餅をついてしまっていた。


「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか?」

「このっ……ちゃんと前見て走りやがれ!イノシシやろ──う……?」


 ぶつけられて当然の罵声は何故か後半になるにつれて声量を落としていった。

 代わりに彼、或いは彼女は僕の胸元をまじまじと観察して、やがてこう言った。


「……ひょっとしてオマエ、レックス・フォウリスワードの息子か?」

「は、はい。ユウ・フォウリスワードです……元ですけど」

「?よく分からんが、まあいいや。まさかこんな路地裏で見つけられるとは思わなかった」


 顔まで隠したローブを着た謎の人物は自力で立ち上がると、


「オレはリオルカ。オマエの父と一緒にパーティを組んでた大魔導士で──かの有名な『賢者』様だ!」

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