屍人の饗宴
そこは、人の気配を全く以て発さない住宅街の中、ポツンと物悲しく建っている二階建ての民家の前であった。
美麗な穹窿の底、汗を滲ませる熱気を放つ大気の中、その民家の前は死屍累々の地獄絵図であった。
頭部を破砕されている脳漿と血液を垂れ流している死体、腹部をグチャグチャに潰されて死に絶えた死体、その全てが鈍い鈍器による傷によって殺害されていた。
それを成した人物は深海の様な深さを持つ美しい藍色の短髪に、蒼穹を映した様な水色の瞳を持つメイド、フランであった。
フランは神楽を救出する為に『空虚なる黄昏教団』が拠点としている民家に訪れ、民家から出て来て襲い来る狂信者を叩き殺して、屍山血河の凄惨な地獄を作り出したのだ。
「……これだけですかね? さぁ、神楽様を助けますよぉ」
そう屍山血河の地獄に相反して朗らかに言い放ったフランは、寂寥感を放つ民家に入り込もうとするのだが、
「――あぁ、悪いんだけど、ここに神楽愛咲は居ないんだわ」
――その次の刹那、件の民家の開け放たれた玄関扉から、慄然とした鬼気を放つ男がぬるりと歩み出る。
その男は紫紺の色をしたローブを羽織った、紫色の短髪に深い青色の瞳を持った長身の男だ。
「どなた様ですか?」
「ハッ、分かってる癖にな……『空虚なる黄昏教団』の
生方と名乗った確かな実力を感じさせる鬼気を伴った男の言葉に、フランは狂気的にも思える笑みを浮かべて名乗りを上げる。
「――ゾンビのフランです! 今は訳あって『ホコタテ団』のメイドをしています! そして、貴方を殺す者でもあります!」
明朗快活に名乗りを上げて、洗練されたカーテシーを披露するフランに、生方は訝しげに問い掛ける。
「分からねぇな。何で怪物が人間と協力してる? 人間と怪物は絶対的な種族としての壁がある筈だ。協力し合える訳が無い」
不可思議な状況に眉を顰めて、無理解に疑問を呈す生方。
その疑問の言葉にフランはポカンとして小首を傾げて、冷然と言い放つ。
「――貴方は何を言ってるんですか? 信用している訳が無いじゃないですか」
「は?」
凍て付く様な冷然さを孕んだ声音で酷薄に言い放つフランの言葉に、生方は啞然として声を漏らす。
「だってそうでしょう? 会ってまだ一週間で、私はあの人達の事を何も知りません。信じろって言う方が無理ですよ」
普段のフランからは考えられない、冷たい声音の言葉が生方の耳朶を打つ。
だが、フランはそこで言葉を一旦切って、屍人の冷たさに満ちる掌を温かな色の満ちる瞳で見つめながら、
「――だけど、神喰様は私に食べ物をくれたんです。こんな私に居場所をくれました。ルヴニール様は燃えちゃったメイド服の代わりをくれたんです。こんな私にお使いを頼んでくださった事もあったんですよ。アルカナム様は枕を食べようとした私をなんとか止めようとしてくださいました。こんな私に面白いお話しを沢山してくれました」
「……何を言っているんだ?」
フランが嫣然として微笑みながら、優しく細められる瞳で放たれる言葉に、生方は本当に理解が出来ないと言った様子だ。
「――誰かが私に言ったんです。『噓は吐かない』、『人に良くされたら感謝して、悪い事をしたら謝る』、『他人は決して疑わない』、『受けた恩には必ず報いる』……笑っちゃうくらいの綺麗事ですよね? でも、私はこの教えを守りたい。守らなくちゃいけない。多分、これが私に残っている物なんです」
凄絶な気迫を伴った言葉に生方は無理解に包まれながら、
「……それが……お前の戦う理由か? 狂ってる……」
そんな戦々恐々とした生方の震える声に、フランは瞳を輝かせながら言い放つ。
「えぇ、私が戦う理由はそれです。私は『ホコタテ団』の皆さんに報いたいんです」
一切の迷いが無い純然たる決意を以て言い放つフランは、啞然としている生方に鋭く啖呵を切る。
「――さぁ、お食事を始めましょう」
――瞬間、フランの左の掌に裂ける様にして鋭い牙が生えた大口が生えて来る。
その鋭い大口からは、鈍い金属の輝きを放つ金属バットの持ち手が飛び出す。
フランはそれを鞘から引き抜く様に引っ張り出して、右手に金属バットを担って肩に担ぐ。
――次の刹那、弾かれた様にフランが生方との距離を詰めて行く。
瞬きの内に間合いがゼロになった両者の間では、金属バットの鈍い閃光と生方が抜き放った長剣の鋭い銀閃が乱反射する。
甲高い金属音を立てて衝突し合う互いの得物は、担い手の意思に従って鋭く敵対者の命脈を絶とうと迫る。
生方の放つ横薙ぎの斬撃をバットで受け止めたフランは、そのまま凄まじい膂力を込めて長剣を弾き飛ばせば、よろけて大きな隙を晒す生方の腹部にバットの打突を放つ。
命中すれば腹部をグチャグチャに掻き混ぜて破壊する致命の打突に対し、生方は焦りながらも長剣の刀身で打突を受け止める。
キィィィィィンと言う壮絶な金属音を立てて衝突するバットの過剰な威力に生方の体は後方、住宅街の道路を縦断する様に吹き飛ばされて行く。
矢の様に吹き飛ばされる生方は即座に体勢を整えて、弾かれた様に顔を上げて戦況を確認しようとするが、
「――『
――刹那、フランの静謐さに満ちる異質な魔の一節により、世界が致命的に改変される。
その異常な慄然さを孕む詠唱に呼応して顕現するのは、フランの背後より突如として現れ出る
(これは……権能か! 面倒臭い!)
ブーンと言う神経を逆撫でする不快な羽音を立てて飛来して行く蠅の群体は、焦りに長剣を構える生方に迫り切ると、
――次の瞬間、狂気を纏って迫る惨烈たる蠅の集団に、生方の担う長剣はバキバキと音を立てて喰い尽くされていた。
蠅の群体が生方の長剣に群がると、金属が致命的に破砕されるバキバキと言う快音を立てて、その長剣の刀身は完全に消失していた。
(何だ……『エンチャント』で強化した剣だぞ? そんな簡単に壊れる訳が無い……)
常識外れの光景に息を吞んで呆然とする生方であるが、その隙を見逃す程にフランの思考は腐っていない。
その蠅の群れが鳴りを潜めた直後、フランが矢の様な速度で生方に迫る。
瞬きの内に間合いをゼロにして、フランは啞然とする生方の頭部にバットを素早く振り抜く。
大気を引き裂いて迫るバットの横薙ぎを、生方は左腕を割り込ませてなんとか防ぎ切ると、その体は横合いに吹っ飛ばされる。
余りの加速度に視界と平衡感覚を完全に失った生方は、自身に備わった驚異的な勘を用いて体勢を整えると、住宅街の塀に体を強烈に叩き付けてしまう。
凄絶な衝撃に白目を剥く生方だが、狂気を伴った瞳で睥睨して突っ込んで来るフランの対応をせねばならない。
腰に差した二本目の長剣を抜き放った生方は、銀の閃光を纏うそれを即座に構えて迫るバットの振り下ろしを刀身で受け止めて、ガラ空きのフランの腹部に前蹴りを炸裂させる。
銃の炸裂音の様な轟音を立てて炸裂する前蹴りに、フランは体をくの字に折り曲げて後方に後退りする。
互いに距離が離れて、壮絶な警戒と焼かれんばかりの戦意が両者の間に流れて行く。
(あの権能……特殊な使い魔を召喚する物みたいだが、その効果が分からない。あの蠅は硬度を無視して物体を食べる事が出来るのか?)
予想外の強さに冷や汗を掻いて分析を始める生方に、フランはその笑みを深めて、
「何やら考えてるみたいなので、教えますよ! 私の権能は『スペランカ』です! 最近になって使い方を思い出したんですよ! この権能のおかげで、私は無限の“胃袋”を持っていますから、幾ら食べても大丈夫です!」
全く回答になっていない言葉に、訝しげに眉を顰める生方を置き去りにして、フランはどこか凛然とした笑みを深めて、
「――まずは、味見ですね」
その言葉を契機に、フランは左手の指をパチリと鳴らす。
――その刹那、フランの直上、突如として狼の様な頭骨が出現する。
フランが小気味良く指を鳴らしたのを皮切りに、唐突に出現する蒼い眼光を放つ狼の様な白い頭骨が、その下顎を左右に開いて口を大きく広げると、瞬きの内に浅葱色の凄まじい光が住宅街に満ちて行く。
その澄んだ蒼穹を映した様な玲瓏たる紺碧の光芒は、一つの確かな像を以て顕現する。
――瞬間、凄絶な光を放つ大口を開けた狼の頭骨から、凍て付く様な冷気を伴った光線が炸裂する。
急激に大気の温度を引き下げて行く紺碧の光線が瞬けば、底冷えする様な寒烈を放って生方に直撃する。
大気をパキパキと凍結させて行く白青の光線が生方に爆音を立てて撃ち込まれると、その次の刹那に住宅街を大規模に覆う氷塊が発生する。
壮絶に吹き荒ぶ冷気を伴った、天蓋を穿つ様な氷塊が住宅街の一角を覆う。
その致命の氷魔法の行使からなんとか逃れた生方は、壮絶な冷気に体を震わせながら眼前にそびえ立つ氷塊を見つめる。
本来ならば、怪物狩りと言う存在は周辺の被害を考えて、飽和攻撃や範囲攻撃を避ける傾向にある。
その理由は至極当然ながら、怪物狩りと言う存在は無辜の民を怪物から救う、善に近しい存在だからである。
だが、フランにそんな常識は通用しなかったらしい。
天蓋を衝く氷塊が轟音を立ててブチ破られると、破砕された氷塊の向こう側から狂気の代弁者が躍り出る。
「――アルカナム様が建物を直してくれるそうなので、大盤振る舞いです!」
刹那に間合いを詰めに来たフランが、驚愕に目を見開く生方にバットを振り被る。
嵐の如く吹き荒ぶバットの連打を生方は長剣の連撃で全て弾き落とすと、後方に下がって懐から奇妙な言語が記された羊皮紙を取り出すのだが、
「させませんよ」
静謐さに満ちたフランの玲瓏たる声に従って、生方の背後に豚や猪と形容出来る骨で出来た何かが出現する。
その唸る様な仕草を見せる豚の骸骨は喜悦と興奮のままに生方に突進、その壮絶な膂力の籠る突進に生方は背中を強烈に打ち付けられて、フランの方向によろけて行く。
(クソ! 結界を発動させてくれないか! こいつの権能は……剣を食った蠅! この豚! そしてさっきの光線を放った狼の頭骨! やはり使い魔の召喚か! だが、そんな物は別に脅威には……)
生方がよろけてフランの方向に近付いてしまえば、瞬きの内に振り切られるバットの打撃に生田の体は何回も打ち抜かれていた。
(凄まじい膂力に目にも止まらない速さ! 高威力の属性魔法に使い魔による手数! しかも、怪物狩りの癖に周辺への被害を一切恐れない! 面倒な奴だ!)
(この人は私が逃げるのを許してはくれなさそうですね。神楽様が本当に居ないのか、その是非も分かりませんし、このままこの人を殺して確実な安心を得ましょうか)
一撃で複数個所を同時に打ち抜かれた生方の体は、筋肉が軋む快音を上げて後方に吹き飛ばされる。
(どうにか……隙を作れれば……! 結界のデバフで形勢はこちらに傾く!)
上下左右の平衡感覚を奪われた空中、生方はなんとか姿勢を御して顔を上げて左手を眼前の屍人に翳す。
――その刹那、生方の左の掌に空間を染め上げる金色の光が満ちて行く。
視界を鮮烈に焼き尽くす凄絶な光芒は、金色の色を持った光線としてその意味を成す。
壮絶な射出音を伴って飛来する金色の光線は、住宅街の道路を縦断する過程で地面を激しく抉って行き、周辺を致命的に蹂躙して行く物だった。
(地属性魔法! 運が悪い……)
そう、この光線に込められた色は、フランの弱点でもある地属性であった。
その煌々とした金色の光線が着弾する前に、フランは左手の指を上に立てて魔の詠唱を諳んじる。
「――『スペランカ』!」
その世界の理を変える詠唱に応じるのは、フランと光線の間を遮る様に出現した狼の頭骨である。
白んだ色を見せる巨大な狼の頭骨は、その宇宙の深淵に繋がっている様な闇が見える大口を開いて金色の光線を真っ向から飲み込んで行く。
その狼の頭骨は、遂に金色の光線を全て飲み込んで消失させてしまった。
(何だあれは……! こいつの権能は単純な使い魔の召喚では無いのか!)
驚きに目を見張りながらも、左手に担った羊皮紙に記述された結界を発動する事に成功した生方は、蒼い火炎に包まれて焼失した羊皮紙を見届ける。
(やらかしましたね。相手に有利な状況に書き換えられてしまった……体が重い……この拠点を中心に編まれた術式でしょうから、ここに誘い込んだ意味はあったと言う事ですかね)
肉体が以前にも増して鈍くなる不快な感覚をフランは覚えるが、それでも彼女は嫣然とした微笑を止める事は無い。
「――次は前菜と行きましょう」
そう凛然とした声音で呟いたフランは左手の指を小気味良く鳴らす。
その音に呼応して、再び狼の頭骨がフランの眼前に出現する。
凄まじい鬼気を放った狼の頭骨は、今度はその大きな口腔を金色の輝きで満たして行く。
それは紛れも無く、生方の地属性魔法であった。
――瞬間、下顎を左右に開いた狼の頭骨から、金色の輝きを放つ光線が発射される。
一気に空間を金色の色に染め上げる光線が再度、住宅街を蹂躙しながら生方に迫り来る。
(……! まさか……“無限の胃袋”……こいつの権能の本質は!)
大地の様な堅牢さを孕んだ金色の光線が生方に命中すれば、次の瞬間に壮絶な衝撃波と凄絶な噴煙を巻き上げて、直撃した周囲に鋭利な尖った岩石が隆起して行く。
体中に裂傷を受けた生方が光線の爆心地から吹き飛ばされる様に逃れれば、住宅街の屋根を伝ってフランが追い縋って来る。
刹那、フランが住宅街の屋根から跳躍、生方の眼前に降り立てば、寸暇の暇も与えずバットによる打撃を見舞って来る。
吹き荒ぶ打撃の嵐を躱し、捌き、弾き、逸らし、打撃の嵐の隙間に銀の長剣による斬撃を差し込んで行く。
――戦いの趨勢は、生方に傾きつつあった。
徐々に鋭い手傷を負わされて行くフランは、銀製の長剣による斬撃の焼き尽く様な鋭い痛みに耐えるが、やはりその切傷は即座に癒える事は無い。
それは、フランがアンデッドであるからだ。
体中からドス黒い血液を垂れ流しながらも、フランは生方の放つ致命の横薙ぎをバットで受け止める。
が、鈍くなる体の所為か、生方の膂力に負けてしまったフランはそのままバットを押し込まれて、その右手からバットを弾かれてしまう。
完全に武器を失ったフランは、生方の放つ横薙ぎの美しい銀閃に晒される。
――フランの頭は、その横薙ぎの斬撃に断頭されてしまった。
フランの視界がクルクルと弧を描いている。
フランの頭の断面からは、鮮血が尾を引いて空中に何かを描いていた。
クルクルと舞って行くフランの頭に付いた口からは、最期に何を発するのか。
「――では、主菜に移りましょう」
――瞬間、首を失ったフランの体が即座に動き出し、空中に舞っているフランの頭を掴み取ったと思えば、生方の背後に出現した狼の頭骨に頭を投擲した。
「今度は何だ!」
そのまま真っ直ぐな軌道を描いて狼の頭骨に飛来して行くフランの頭は、遂に狼の頭骨の大口に飲み込まれて消失してしまった。
(………………まずは、こいつの体を八つ裂きに……!)
理解不能な状況に生方は思考をフリーズさせてしまうが、今やれる事をと思い立った思考の結果は、眼前で首を失った筈のフランの体を長剣で八つ裂きにする事であった。
だが、フランの体は即座に後方に飛び退いて、待っていたと言わんばかりに大口を開いている狼の頭骨の口腔に飲み込まれて行った。
(何が起きてやがる……何がしたいんだ?)
無理解に染まる生方の直上、忽然と狼の頭骨が出現する。
その深淵を映した大口から吐き出されるのは、紛れも無く健在な様子で降り立って来るフランその人であった。
(……噓だろ。銀の攻撃だぞ? そんな即座にくっつけられる訳が……)
だが、実際に現実に起きてしまっている。嘆いていても変わる物は無い。
狼の頭骨の大口から降り立って来るフランは、そのまま生方の頭部目掛けてバットを振り下ろす。
空中より振り下ろされるフランのバットを長剣の刀身で受け止めた生方は、そのままフランを弾いて距離を取る。
(……てか、当然みたいにバットを……どこで回収した?)
生方の目の前でバットをクルクルと弄んでいるフランは、首と体が繋がっている健在な様子であった。
アンデッドが銀の攻撃によって傷を付けられれば、それが即座に癒える事は無い。それにも関わらず、フランの首と体は問題なく繋がっていた。
(奴の発言と今までの攻撃……奴の権能の本質は使い魔の召喚ではなく、捕食した物を異空間に送り込み、そこで様々な事を行うってところか……遠距離攻撃はあの狼の骨に飲まれる。だったら、近接攻撃以外に勝ちの目は無い)
フランの権能、『スペランカ』。
噛み付くと言う行為に限定して硬度を無視する事が出来る効果と食べた物を“胃袋”と彼女が呼ぶ異空間に送り込む能力。
その効果を付与した様々な使い魔を召喚する事が可能であり、取り込んだ物体を吐き出す事や異空間内での物体同士の結合などが行える。
狼の頭骨が放つ氷属性の光線は、
硬度を無視出来る牙を持っているのは、フラン自身と一部の使い魔のみである。
――次の刹那、生方から凄絶な覇気が迸る。
空間を一瞬で支配するそれを纏いながら、生方はフランに突貫を仕掛ける。
「死にやがれ! ゾンビ野郎が!」
「――私、もう死んでますけどね? ゾンビなので」
瞬きの内に距離を詰めた生方が裂帛の気合で大きく吠えて、玲瓏たる美麗な銀の閃光を乱反射させる。
住宅街に乱舞する鋼の様に凍て付いた銀の閃光は、穹窿の燦然たる日輪に照らされて、更にその光度を増して行く。
長剣による超速の連撃をフランはバットで捌いて行くが、余りの膂力と速度に徐々に体に切傷が刻まれて行く。
額を長剣に傷付けられて、顔が血に汚れるフランは目を見開いて、眼前まで迫る長剣の刺突をバットで弾き飛ばして、後方に飛び退く。
(奴の権能、能力、全て対応可能! 蠅は硬度を無視するが、既にタネが分かっている上に群体は貧弱、範囲攻撃か何かで対応可能。狼の頭骨の光線は密着状態なら使いにくい上に近接攻撃をしないと言う事は近距離の攻撃力は無い。豚の骸骨は何がしたいのか分からん。どちらにしても対応可能。殺せる!)
間合いが大きく離れて、全身から血を噴き出したフランは血に染まる水色の瞳で生方を見つめる。
死体に必要が無い筈の息を荒く吐いて、凄然とした瞳と声音で言い放つ。
「――仕方ないですね。サービスですよ」
――次の刹那、フランが左手の指を上に立てたのを契機に、彼女の背後から蠅の群れが飛来して来る。
ブーンと言う不快な羽音を立てて迫って来る蠅の群れを、生方は左手に発生させた金色の光芒を叩き付ける事でその全てを破壊する。
凄絶な爆風と黄金の結晶体を荒れ狂わせて、地属性魔法の黄金の光は蠅を悉く破砕してしまった。
(蠅の群れ! だが、やはり貧弱と言う見立ては合っていた! 脅威には……)
烈火の如く苛烈に、状況は揺れ動く。
蠅の群れに視界を物理的に奪われていた生方は、蠅が消え去って開けた前方、唸りを上げて突っ込んで来る狼の頭骨を見る。
矢の様に飛来して来る浮遊した狼の頭骨は、その大口を開けて生方を飲み込もうと迫るが、生方は長剣の刀身で受け止めて、返しの長剣で狼の頭骨をバラバラに切り刻む。
(やはりな、狼の頭骨は近接能力が低いらしい)
切り刻まれて骨片と化した狼の頭骨を置き去りにして、生方の横合いから
(ワニ!? まぁ、特別の事も……)
骸骨と化した魔の鰐が生方の左腕に鋭く噛み付いて来る。
――次の刹那、生方の左腕が噛み千切られていた。
「……は?」
呆然とした生方から、そんな呆けた声が口から漏れ出して来る。
(『エンハンス』で受けた筈だ……まさか、こいつも硬度を無視する性質を持っているのか!? あの蠅だけじゃなかった!)
二の腕の辺りを噛み千切られた生方は即座に鰐の骸骨を長剣で斬り飛ばすが、切断された左腕の醜く千切られた断面から、黄白色の神経や暗赤色の血管を覗かせて、鮮血が噴出して来る。
鋭い壮絶な痛みに歯を食い縛る生方の前方、接近して来るフランはバットを強靭な力を以て横に振り抜いて来る。
命中すれば頭をグチャグチャに潰されて死に絶えるだろう打撃に対し、生方は超越的な集中力で長剣を振り抜くと、凄まじい金属音を鳴らしてバットと長剣を打ち合わせる。
「――負けてたまるかよぉぉおぉぉおおぉぉ!」
片腕を失った事で筋力的にギリギリと押し込められる生方だが、死の淵に立たされて力の桁がもう一段階上昇したらしい。
限界を超えた凄絶な膂力を以てバットを押し返した生方は、後方に飛び退いて豚の骸骨を出現させるフランに猛進して行く。
吠える様な仕草をして突っ込んで来る豚の骸骨を疾駆する過程で斬り伏せた後、驚きに目を見張るフランに生方は銀の閃光を纏う斬撃を放つ。
その煌々として瞬く美麗な銀閃は、フランの上半身と下半身を泣き別れにさせる。
ドス黒い血液と臓物をブチ撒けて切断されたフランの上半身と下半身。
その上半身を出現した狼の頭骨が噛み付いて飲み込んで、後ろに倒れ込む下半身を出現した鰐の骸骨が丸吞みにした。
「またか! 芸が無い!」
火花を散らす様な苛烈な戦端にて、再びフランの姿が消える。
生方は失われて行く血液によって、徐々に鈍くなって行く思考と体を必死に動かして、消え去った屍人を索敵する。
生方には、『ヒーリング』が無い。自己再生の手段が無いのだ。
回復魔法『ヒーリング』は習得難易度が高く、適正も必要となって来る。
彼は魔術の才を持たずに生まれ落ちたのだ。
苦境、長引けば長引く程に自身の死亡の危機が迫って行く。
異常な静寂に包まれた住宅街にて、静謐さを裂く様に災禍が訪れる。
――次の瞬間、生方の直上に狼の頭骨が出現する。
(来た! そこからゾンビ野郎がって寸法だろう!)
勝利を確信し、直上の狼の頭骨に目を向けて、長剣を構える生方。
予期して然るべき奇襲、生方の思考は直上の狼の頭骨に釘付けになっている。
そのまま生方は降って来るフランを長剣でバラバラに引き裂いて、再びフランを物言わぬ肉塊へと変えるだろう。
――だが、フランの心に根付いた猜疑心は、甘い決着を望まない。
――刹那、狼の頭骨から吐き出されたのは、鋼の輝きを放つ金属片だった。
(これは……蠅が最初に食った……俺の剣……!)
降り注がれる金属片が放つ鋼の閃光を伴う乱反射に体と顔面を切り裂かれた生方は、金属片にその瞼を切り付けられて視界がブラックアウトしてしまう。
生方の後方、狼の頭骨が虚空から出現する。その狼の頭骨の大口から素早く歩み出たフランが、鋭い大声を上げて生方の敗北を知らせて来る。
「――消化に悪かったので、不躾ながら返却させて頂きました!」
――瞬間、フランが振り切るバットの痛烈な打撃に、生方の脇腹は強烈な轟音を立てて打ち抜かれていた。
「――ガハッ!」
その痛烈にブチ込まれるバットの凄絶な一撃は、生方の肝臓や腎臓と言った臓器を無茶苦茶に破壊して、道路を蹴鞠の様に跳ねながら吹き飛ばす。道路を跳ねながら吹き飛んで行った生方は、地面に肌を擦られて遂にその加速度を殺して仰向けに倒れ込んでいた。
彼の肉体を支配するのは、破裂した臓器から溢れ出した血液の熱と命の根源を破壊された事による空虚な喪失感であった。
もう生方には、抵抗する気力も抗う力も残っていない。
生方は自分の人生を呪う様に口を開く。
「――ハッ、本当に……なんもねぇ人生だよ。本当に……異能戦はクソだ……」
失血に虚ろになって行く視界と朧になって行く意識。彼は自分の人生を呪っていた。
「――お楽しみ頂けましたか?」
「……そんな訳ねぇだろ。俺が勝てないゲームなんて面白くもなんともないね」
「言えてますね。やるなら勝ちたいですもん」
今際の際、このまま絶対的な死が訪れるのみとなった生方に、追い着いたフランが声を掛けて来る。
その立ち居振舞いは、生方への哀憫と寂寥に満ちていた。
「何を……憐れに思ってやがる?」
死に際の生方にも理解出来る。フランは自身を憐れんでいるのだと。
「……私は貴方の生き方を醜いとは思いませんよ。何も無い人生だったなんて言わないでください。命は……尊い物なんです。きっとそうあるべきなんです」
その言葉を発するフランの顔は、身を切る程に悲痛な哀愁を漂わせていた。
その理由は、彼女にも分からない。
「――ハッ、この戦いで俺に勝った奴が上から目線に慰めやがる。そんなの嬉しくねぇんだよ……俺の命は……俺だけが持ってるんだ……誰にも奪わせない」
彼は震える左手で懐から短剣を取り出すと、凄絶な気迫を持った瞳でフランを射抜きながら、凛然とした凄まじい覚悟を以て言い放つ。
「――最期くらい、俺が生まれた事に意味があるって、信じさせてくれよ」
――そう言い放った刹那、生方は左手で強く握り込んだ短剣を自身の側頭部に突き刺して、自ら命脈を絶ってしまった。
ゴリッと言う頭蓋を貫通する鈍い音が鳴り響いて、生方の心臓は二度と鼓動を打つ事は無くなってしまう。
生方の凄惨な最期を目の当たりにしたフランは、彼の最期に、
「――貴方の孤独に共感する存在が、ここにも一人居るって事を知っていたら、せめてもの
何故か、心に穴が開いた様な喪失感と虚脱感に見舞われるフランは深く瞑目して、思わず静かに言葉を零した。
――その時、屍人の少女は心の雫の落ちる音を聞いた。
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