名状し難き感情
そこは、目に見えて流れる白雲を白光で燦然と照らす日輪が差す、体を火照らせる熱気を孕んだ公園であった。
低学年の子供や未就学児の楽しげな喧騒が朗らかに響き渡る、そんな牧歌的で心が洗われる光景だが、神喰にとっては地獄の戦場である。
公園内の木造のベンチで隣り合って座り込んだ神喰と神楽に流れる微妙な空気感、それは神喰の心を確実に擦り減らして行く。
俗に言う、気まずいと言う奴である。
神楽が何を話すのか。神喰は神楽が話し出すのを待つ最中、気まずさに天を仰いで、透き通る様な美しさを持つ蒼穹をただ眺めていた。
「……朔人さ、小四の頃、何で転校しちゃったの?」
青空を眺める神喰の意識を裂く様に声が差して来る。それは神楽が悲しそうな声音で疑問を投げ掛ける声である。
それに答えるのは簡単だ。
「あー、なんか噂で聞いたかもだけど、父さんが事故で逝っちゃってさ。父方の爺ちゃんの所に引き取られたんだよ……何も言わずに転校したのは、悪いと思ってる」
神喰は神楽に対して言外に謝罪の言葉を伝える。
だが、当時の神喰には神楽を気に掛ける余裕と言う物が無かった。
現実感も無く、流れるままに父の葬儀が終わって、子供心に父の死を受け止め切れ無かった。
そんな状態では、他人との社会的な関わりを維持する為の行動と言う物を行う事が出来ない、それは道理である。
少なくとも、神喰はそうだった。
「いや、いいの。噂でなんとなく知ってたし、朔人にも何か事情があるんだって思ってたから」
そこで神楽は言葉を切って、神喰の方をチラチラと伺いながら、
「私、心配だった……頼りない弟みたいな朔人がさ、他の所でもやって行けるかなって」
神楽の危惧した通り、神喰は転校先で上手く交友関係を作る事は出来なかった。
それどころか、自分の所為で人を殺してしまった。
その悔恨と罪悪感は神喰の心を深く沈み付けている。
「私も片親だし、お母さんが居ない寂しさは分かる。それで、たった一人のお父さんも喪った朔人は……どんな気持ちで居るんだろうって……私が何か声を掛けてあげればって、ずっと後悔してた。でも、ここで会えた。それで――」
神楽は自身が抱えた感情の渦を寂寥と共に吐き出した後に、黙って話を聞き入っている神喰に笑顔で向き直る。
「――朔人が元気そうで良かった」
神楽はその嫣然とした笑顔を顔に湛えたまま、
「変わらないって言ったけどさ、今の朔人、昔と違ってすっごく楽しそうだよ。やっと前を向けたんだね。それがすっごく嬉しい。だから、あの人達の事、今は聞かないであげる。話したくないんでしょ? これが、姉貴分の配慮! それが伝えたかっただけ! 何か言う事あるんじゃない!」
今にも泣き出してしまいそうな神楽が早口で捲し立てた言葉に、神喰の心はどこか、温かい何かを入れられた様な判然としない感覚に満ちていた。
それは例えば魔術行使の暴力的な熱気では決してない。言うならば、心血が全身にじんわりと熱を運ぶ様な、そんな救いに満ちた熱である。
――神喰は、その感情を言葉にする事は出来なかった。
その感情を言語にしてしまうのは、野暮と言う物であろう。
目尻に熱い何かが溜まり、喉奥に何かがつっかえた様な奇妙な感覚に苛まれる神喰の口を衝いて出た言葉はただ一つであった。
「……ありがとう」
その言葉には、万感の感謝が込められていた。
神喰の純然とした感謝の言葉を受けた神楽は、照れ臭そうにバッとベンチから立ち上がる。
「じゃ! えっと、それが言いたかっただけだから! じゃあね!」
神楽が耳を真っ赤に紅潮させて、それだけを言って逃げる様に公園から走り去ってしまった。
その疾走は風の様であり、瞬く間に神喰の視界から外れてしまう。
(神楽、いつも通りのフィジカルエリートだな……あいつの方が怪物狩りに向いてるんじゃ……)
そんな妙な感慨に包まれる神喰は、その余韻のままに炎天の公園を立ち去った。
その後、『ホコタテ団』に依頼が来る事は無かった。
いや、八坂が『ホコタテ団』に訪れた事が奇跡みたいな物だったのだろう。
新たな同居人との生活はかなり大変な物であったが、それと同時にとても楽しい物でもあった。
学校では神楽も少しだけ話し相手になってくれる様になって、共に下校する様にもなった。
そんな最中で開始される定期考査。
そんな窮境でも、アルカナム達は神喰に過酷な稽古を付けて来る。
その所為で神喰は肉体的にも、精神的にも、学力的にも大打撃だ。
それでも、神喰は今までにない充足感を感じていた。
生まれて初めての死なない友達。
生まれて初めての団結。
生まれて初めての同じ目標を持つ仲間。
生まれて初めての交友。
神喰は確かな幸せを噛み締めていた。
それは、自身で勝ち取った物ではなく、仮初の物だとしても。
神喰の『怪物狩り』としての契機。
それは、定期考査四日目の5月19日金曜日の事であった。
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