第五話 神喰朔人は救いたい!

惨烈たる試練

「数学のあの問題マジヤバかったんだけど! 朔人は出来た?」


「まー、無難に?」


「それじゃ分かんないよー」


 2023年5月19日、定期考査四日目の事である。


 詰まりは定期考査終了の日。


 定期考査の例によって早い時間に下校している神喰と神楽は、澄んだ美しい水色の穹窿を映す天蓋の底、春の陽気に包まれた牧歌的な住宅街を歩いていた。


「ま、テストお疲れ様! 私達がんばったねー」


「まー、点数が気になるけどな」


「えー、次の定期考査まで勉強しなくて良いんだよ? 喜ぼうよ!」


「勉強はしような?」


「赤点さえ取らなければ良いの!」


 そんな生産性の欠片も無く、他愛の無い雑談を交わしていると、


「じゃ、また来週!」


「あぁ、またな」


 そう神楽が十字路を右に曲がって別れの言葉を告げて来るので、神喰はそれに答えて一人で帰路に就く。


 春の暖かな陽気が神喰の身を包む。


 陽光に燦然と輝く白雲は驚く程に早く天蓋を横に流れて行ってしまう。


 そんな風景を見ていると、神喰は自身の置かれた状況を理解しながらも、こう思わずには居られない。


「――良い日だな」


 穏やかに目を細めた神喰の口を衝いて出た言葉。


 それは幸福に満ちていたのだった。



「――はぁ!? 神楽が帰ってないって!?」


 同日、時刻は茜の色が地表を鮮烈に照らす夕暮れ時、神喰は居間に設置された固定電話の受話器を右耳に当てて、何者かと通話していた。


 驚いたフランが神喰の傍に近付いて来るが、それを手で制した後に通話先に注意を向ける。


【……そうなんだよ。神喰君なら何か知ってるのではないかと思って……】


 その通話先の人物、それは神楽の父親に間違いはない。


 神楽と連絡先を交換する際、神喰は謎に家の固定電話の番号まで渡していた為、この様に電話を掛ける事が出来たのだろう。


 最初の一幕は、神楽が家に帰宅していないと言う事を神楽父から聞いた、神喰の驚愕の叫びであった。


「でも、神楽も一端の女子高生ですよ? 6時頃に帰って来ないなんて、普通じゃないですか?」


 少々、神楽父は過保護なのではないかと神喰は問う。


【……うーん、そうだよね。でも、神楽は何か用事がある時は必ず連絡をするし、今日は部活が無い日だから、既に帰っている筈なんだ】


 そう神楽父はいつもとは違う様子である事を神喰に知らせて来る。


「そうですか……俺も11時頃に別れてそれっきりなので、何か分かったら連絡しますね」


【あぁ……頼んだよ】


 そう言って固定電話での通話が途絶すれば、神喰は思案をし始める。


(神楽が家に帰ってない……確かにおかしい気もするけど、神楽のお父さんの過保護な気もする。警察とか周りの人にはもう相談したのか?)


 居間の椅子に座り込んだ神喰は取り敢えずスマートフォンのチャットアプリを開いて、神楽にメールを送ってみるが、既読が付かない。


(……妙だな。あの妖怪メール爆速返信付け女の神楽が既読を付けないなんて……まぁ既読が付かない事自体は不思議じゃないけど)


 そこまで思案した神喰に不思議そうに小首を傾げつつ、みたらし団子を食べるフランが話し掛けて来る。


「かんひきさま、どおはしはんですか?」


「食べ終わってから話そうか」


 フランは瞬く間にみたらし団子を食べ終えた後、


「神喰様、どうかしたんですか?」


 再度、フランは神喰に疑問を呈して来る。


「それがな……日曜日にやって来た奴が居ただろ? 神楽って言うんだけど、そいつが行方不明らしいんだよ」


 困った様に声を紡いだ神喰の言葉にフランは驚き、そして性急な一つの結論を弾き出す。


「神楽様を見つけましょう! きっとそれは大変な事です!」


 フランは屈託の無い笑顔を湛えながら、飛躍した理論による結論を弾き出す。


「いやいや、神楽だって高校生だし、大丈夫じゃね?」


 神喰は流石に心配性が過ぎないかとフランを窘めるのだが、


「――何かがあってからでは遅いんです! さぁ、行きますよ!」


 そう神喰の反対を押し切って、フランは急いでいる所為か体を壁にぶつけながら外に出て行ってしまう。


「……はぁ、まぁいいか。『ホコタテ団』、行動開始だ! 着いて来い! 二人共!」


「……分かった」


「了解した、マスター」


 その神喰の轟く様な号令に居間で寛いでいたアルカナムとルヴニールは各々で反応を返して、夕暮れに染まる町へ足を踏み入れる事となる。


 ――この先に待ち受ける、惨憺たる試練を知る由も無く。



 取り敢えず、神喰一行は家から矢の様に飛び出したフランを捕まえた後に、ひとまず神楽の帰宅ルートを歩いて捜索をしてみている。


「神楽様! 返事をしてください! フランですよ!」


「その『ごはんですよ』みたいなイントネーションで叫ぶのやめよう?」


「茶化さないでください、神喰様! ほら、皆さんも!」


 鮮烈な茜の色に満ちる住宅街にフランの銀鈴の声音の叫びが木霊する。


 だが、それに答える者は誰一人として存在しない。


「神楽、どこに居るんだ……」


「声が小さいですよ! アルカナム様!」


 アルカナムの蚊の鳴く様な呼び掛けの声は、もしも神楽が傍に居たとしても答える事は無い程だろう。


「おい、『聖人サント』! 返事をしろ!」


「ルヴニール様! もうちょっと分かりやすいあだ名で呼んでください!」


 ルヴニールの神楽を呼ぶ大きな声は、もしも神楽に聞こえていたとしても、誰の事だか分からないであろう。


「神楽! お父さんが心配してたぞ! 居るのか!」


「神喰様……特に言う事がありません!」


 分かり切っていた事だが、この周辺に神楽は居ないらしい。


「……やはり、何の当ても無く捜索と言うのは無謀じゃないか? オレはもう少し根拠をもって探したい」


 アルカナムが凛とした目を細めながら、そう至極当然の指摘を行う。


「だよなぁ……もうちょっとヒントがあれば……」


 神喰がアルカナムの指摘を受けて、ふと何の気なしに横合いに目を向ける。


 そこにあるのは何度見たのか分からない、行き止まりの路地裏である。


 夕暮れの茜が差さず、暗澹とした暗がりが支配する路地に何かがキラリと光った気がした。


「ちょっと! どこに行くんですか!」


 フランが神喰にそう叫ぶのも無理はない。


 神喰はそこに重大な何かが隠されている様な気がして、路地裏まで足を運ぶと、そこにあったのは金色のバッジであった。


「……何だこれ? どこかで……」


 路地裏に転がる小さな金色のバッジ、それは神喰の記憶のどこかにある気がしてならないのだ。


 路地裏に到着したルヴニールが、神喰の手中にある金色のバッジを見て、何やら心当たりがありそうに目を細める。


 漠然とした既視感に追憶を必死に辿れば、奇しくも神喰とルヴニールは同時にその正体に気が付いたらしい。


「「――『空虚なる黄昏教団』」」


 二人の声が重なる。


 そう、このバッジは神喰とルヴニールを襲った『空虚なる黄昏教団』の物であった。


「でも、何でこんな分かりやすい場所に? 警察とかが簡単に見つけそうだけど……」


 神喰はここに放置されたバッジを見て、そう疑問を呈す。


「……どうやら、『認識阻害』の類の魔術が掛けられているらしいな。『空虚なる黄昏教団』の団員以外には見えないらしい。まぁ、オレ達には利かないな」


 神喰の疑問の言葉を解消するのは、即座に分析を終えたアルカナムである。


 更にこの路地の地面には、何かのキャラクターのキーホルダーが置いてあった。


「……これ、神楽のスマホに付いてた奴か」


 そのキーホルダーを拾い上げて呟いた神喰の後に、フランは冷然とした真剣さを孕んだ声音で言い放つ。


「……詰まり、『空虚なる黄昏教団』とか言う変な組織が神楽様を攫ったんですね?」


 その凄然とした声音に触発された神喰は、忌々しそうに目を細めて、


「……あぁ、そうみたいだな。イル=ミドース……どこまでも……!」


 確かな憤りを神喰は吐き出した後、


「――『ホコタテ団』、行動開始だ。イル=ミドースの狂信者共を後悔させるぞ」


 そう状況開始を宣言したのだった。



 そこは暗澹とした闇に支配された、どこかの廃ビルの一室であった。


 その空間を演出するのは、肉体を支配する痺れにも似た禍々しい瘴気であり、それによってビルの一室は惨澹とした忌々しい雰囲気に満ちている。


 その廃ビルの一室に手足を拘束されて、身動きが取れない状態で放置されていたのは紛れもなく神楽その人であった。


「――やぁ、お目覚めですかね? まぁ、寝ていようがって感じですけど」


 その視認の一切を拒む暗闇に目が慣れて来た神楽は、眼前に立つ細目の男が目に入る。


「……あんた、何で私を攫った訳?」


 神楽は眠りから覚めた開口一番、凄まじい胆力で疑問を投げ掛ける。


「はぁ、この絶体絶命の状況での開口一番が状況説明の希望……凄い胆力ですねぇ。その胆力に感服して、ちょっとは教えといてやりますよ。どうせ、貴方は死にますから」


 そう下等生物でも見るかの様な目で神楽を見下ろす男は、その取り繕った軽薄さを崩さずに話を続ける。


「僕の名前は八坂飛乃やさかひの、ここら辺の『空虚なる黄昏教団』と言う組織を束ねている者です。貴方を攫った理由は僕達の組織に手を出した『ホコタテ団』をおびき寄せる為の餌としてです。例え来なかったとしても、イル=ミドース様の生贄にでもすれば良いですしね」


(『ホコタテ団』? 朔人の家の近くにあった看板の奴?)


 全く状況を理解出来ていない神楽の困惑した表情を鼻で笑った八坂は、手をヒラヒラと振って声を上げる。


「ま、一般人に何を話したって意味ないとは知ってましたけどね。とにかく、貴方には餌としての役割を果たして貰います。別に今貴方を殺しても良いんですが、ゲームには報酬が必要だと思いましてね。まぁ、このアドベンチャーゲームの為にヒントを道中に残して来たんですから、サッサと気付いてくださいよ、『ホコタテ団』の皆さん」


 そう一方的に話し終えた八坂は、面食らって何も話せない神楽を背にして、そのビルの一室から退出してしまう。


 だが、八坂は一室から退出する前に、


「――あ、そうだ。伝え忘れていました。貴方の事を“殺さないだけ”です。それ以外の事は保証出来ません。それじゃ、精々楽しんで」


 再び、無窮の深淵の如き闇に一人になった神楽は、自身の荒い息遣い以外には聞こえない一室にて、これから待ち受ける絶望にすすり泣く。


「……お父さん……朔人……誰か……助けて……」


 そんな哀愁と寂寥の声が響いた。



 神楽失踪から二日後、5月21日、日曜日の事であった。


「――状況を整理するぞ」


 神喰家の居間にて、いつもと違った冷然さを孕んだ声音で神喰がそう告げる。


 居間のテーブルの上に地図を広げて、それを囲む様に『ホコタテ団』の人員が勢揃いしていたのだった。


 その神喰の言葉に促されて、アルカナムは地図に示された赤い丸を指し示しながら、


「この二日間の調査の結果、『空虚なる黄昏教団』のバッジを着けた人物の出入りがあった場所は確認出来る限りこの四つだ。民家、廃ビル、高層ビル、事務所。この四地点にオレ達はそれぞれで強襲を仕掛け、神楽愛咲の救出を第一目標とし、その場に居る『空虚なる黄昏教団』の殲滅を第二目標とする」


 状況を簡潔に整理したアルカナム、その次にルヴニールがその言葉を継いで話し出す。


「この内、狂信者の出入りの多さで危険度を設定した。人の出入りが少ない順から、廃ビル、民家、事務所、高層ビルだった。それぞれ、マスター、コープス、我、イタラ=クルクエス様が担当する」


 各担当を冷然と報告したルヴニールに続いて、フランが少しの笑みを湛えて、


「強襲作戦の決行は本日の正午! アルカナム様が作成した『掩蔽の結界』とやらを忘れずに持つようにお願いします! 飽くまでも神楽様を助ける事を優先してください! 危なくなったら逃走ですよ!」


 注意事項と決行時刻を言い放ったフランの言葉を受けて、神喰は憤りのままに声を紡ぐ。


「――『ホコタテ団』、『空虚なる黄昏教団強襲作戦』、開始だ。さぁ、命を散らすぞ」


 凄然として言い放った神喰の言葉に呼応して、惨憺たる試練が開始されたのだった。

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