悪霊の最期
「――アァァァイィシテェェェ!」
醜い威容をした血肉を寄り集めた赤の
「――掛かって来い!」
神喰がその赤の異形の接近に吠えて、拳を固めて赤の異形を迎撃しようとすると――、
――瞬間、居間の天井が騒音を立ててブチ破られていた。
「……メイドさん!?」
その神喰の驚愕に吠える声に反応しながら、重力に従って落下して来るのは、
「――メイドさんじゃないです! 私はフラン! 今私が名付けました!」
破砕された木片を纏って居間の床に着地した、少女、否、フランその人であった。
何故かその右手に金属バットを担っているフランに神喰は驚きを隠せない。
「剣は!?」
「捨てました!」
「何で!?」
後ろめたい事など一切無いと言った様子で、元気に答えるフランの快活さには尊敬してしまう。
神喰と赤の異形の間に割って入ったフランは迫る赤の異形を一瞥して、振り返り様に右手に担ったバットを振り切る。
大気を置き去りにして壮絶な加速を見せるバットの打撃が鈍い光を放って、赤の異形の頭部を醜い破壊音を伴って打ち抜く。
その過剰な膂力を誇るバットの一撃によって、赤の異形は大きくその頭部を損壊しながら、厨房の方に矢の様に吹っ飛んで行く。
バァン! と言う凄まじい大音量を上げて厨房を破壊しながら突っ込んで行った赤の異形は、その体を動かす事が出来ないらしい。
「……何か、あの肉の幽霊さん……おいしそうですね……」
「何言ってんの? グロイでしょ」
フランのよだれを垂らした謎の発言に、神喰は幻滅して言葉を紡いでしまう。
とにかく、フランが割って入ってくれて神喰にとっては大助かりだ。
(……あの黒い幽霊さん……どこに行ったんでしょう?)
そうフランは周辺を警戒して索敵するのだが、あの戦闘を繰り広げた影の
その事を疑問に思うフランであったが、その疑問を解決する為の時間が既に彼女には残されていなかった。
「――チッ!」
居間の空間に神喰の鋭い舌打ちの音が鳴り響く。
――その要因は、厨房の方で起き上がった赤の異形が正気を失った大叫喚を上げながら、その背中から鮮烈な紅を持つ触腕を神喰に伸ばして絡め捕って、ズルズルと自身の方向へ引っ張って行った為である。
「――ゴメェンナァアアァサァァイ! ユルシテェェェ!」
急激に神喰を襲う抵抗も出来ない浮遊感。
筋力的にも、体勢的にも、神喰はこれを打破する事が出来ない。
ドンドンと赤の異形の傍に引き寄せられる神喰を救おうと、フランは赤の異形の方向に向き直るが、
「――ニィガサナァァァイィ!」
――その刹那、フランの背後の壁に張られている窓ガラスを、高音を立ててブチ破って、居間に侵入した影の異形が醜く咆哮する声が木霊する。
フランは自身の思考が霹靂の様に高速で駆け巡る感覚を覚えていた。
それは機能を停止している筈の脳が異常に活性化して行く不気味に思える感覚であった。
前方、自身を危険に晒して、赤の異形に引き寄せられる神喰を救うか。
後方、自身の危険を排して、赤の異形に引き寄せられる神喰を見捨てるか。
フランが刹那の間に導き出す、二者択一、二律背反の選択とは――、
「――私、二者択一なんて嫌いです」
――フランが導き出した答えは、二者択一を否定する。
――瞬間、状況が苛烈に動き出す。
一手、フランは自身が右手に担う金属バットを赤の異形に投擲する。旋回しながら飛来する金属バットは凍て付く冷気を放った氷を纏う物であり、それによってか奇妙に軌道を変えて、神喰に命中する事は無く赤の異形の頭部に再度命中する。
二手、フランは背後に迫る影の異形の頭部を振り返り様に肘打ちで打ち抜き、その体勢をよろめかせて、その黒々とした胸部に右の拳撃を炸裂させる。
「――走って!」
三手、投擲に緩んだ触腕の隙を見て、フランの叫びに呼応した神喰はその拘束を解いて前に走り出す。
フランと神喰は同時に別々の方向に走り出していた。
神喰は影の異形に、フランは赤の異形に、それぞれ走り出していたのだ。
神喰とフランは擦れ違う。その思惑は互いに理解している事だろう。
神喰は隙を見せた手負いの影の異形を破壊する為に、フランは健在の赤の異形を一撃で破壊する為に、それぞれが走り出していた。
――同時、神喰とフランは目標に到達する。
神喰はよろめいて致命的な隙を晒す影の異形の頭部に向けて右の拳を構えて、抵抗しようと口腔に仄暗い光を瞬かせる影の異形に、大気を圧する強大な拳撃を放つ。
フランは赤の異形の頭部に弾かれて空中をクルクルと舞うバットをその右手で掴み取って、凄絶な膂力が込められたバットを振り下ろす。
――またも同時、影の異形は神喰の放つ強靭な拳撃に頭部を完全に潰され、赤の異形はフランの放つ極大のバットの振り下ろしにその肉体を縦に両断されていた。
その攻撃に致命的な破壊を受けた二体の幽霊は今度こそ完全に沈黙し、漸くその哀れな魂が冥土に送られる。
幽霊の肉体はその一切が塵の様な物と化して、大気に溶ける様にして消えて行った。
激動の刹那が漸く終了した神喰は安堵と疲弊に重い溜息を吐く。
「……はぁ、終わったか」
その重苦しい疲労感に満ちた言葉を祝福する様に、居間の窓ガラスや小窓から燦然とした陽光が差して来る。
それは紛れも無く、現実に帰還出来た事を示す何よりの証左であった。
割れた窓ガラスから燦々と差す、白んで眩い陽光は何故かとても久しい物に思えて、神喰は余りの明るさに少し目を細めてしまう。
「……何でこんな事に」
ただの棺の調査だと思えば、謎のメイド少女に出会って、化け物みたいな幽霊と戦って、本来の依頼からは逸脱して働いてしまった。
「てか、八坂さんどこ行った!? フラン! 知らないか!?」
流石に疲労感を感じて天井を仰いでいるフランに神喰はそう意見を問うが、フランは小首を傾げて、
「……あの寝てた人ですか? 知りませんよ?」
「八坂さんが死んでたら、目覚めが悪いなんてレベルじゃねぇぞ……捜索するぞ!」
「えぇ!? 私もですか!?」
「当然だ!」
神喰が割と本気で焦りながら、この悪霊の家の捜索を開始する。
――結果、家の中に八坂の姿は無かった。
「……どこに行ったんだ……あの人……」
「もしかしたら、もう幽霊さんに取り殺されちゃったかもしれませんよ?」
「それが最悪なパターンだよなぁ……親族にどう説明すれば……アルカナムかルヴニールなら人探し出来るかな……」
「誰です?」
「俺の仲間……狼男と吸血鬼……」
「狼男と吸血鬼!?」
泣き出しそうな程の絶望感を神喰は胸に抱きながら、取り敢えず家の外に出る為に玄関に来て、素足を靴に履き替えて玄関扉を開け放つ。
瞬間、蒼穹から降り注ぐ燦然とした陽光が神喰の目を鮮烈に差して、思わず目を閉じてしまう。
その眩しさに慣れて来て、徐々に瞼を開く。
「……むにゃむにゃ……」
完全に瞼を開く事も無く、神喰の耳朶を打つのは明らかな人の寝息であり、その後に目を完全に開けば、玄関外にうつ伏せで眠っている八坂が目に映った。
「……張り倒したい」
神喰はそんな感想を抱かずには居られなかった。
まぁ、八坂は怪異に巻き込まれた挙句、元からネジが飛んでいる頭にダメージを負って仕方が無く気絶していただけであるから、この怒りはお門違いと言う物であろう。
だが、こちらの必死な奮闘を知らないのは辛い物である。
「起きてください、八坂さん」
そう眠りこける八坂の肩を揺すって、神喰は八坂に起床を促す。
「……ぅう……ハッ! 何が!」
凄まじい寝起きの良さを見せる八坂が飛び起きて、周囲を見渡して神喰の方を向いて声を掛けて来る。
「……えっとぉ、何か凄い大きな音が鳴ったと思って気付いたらこんな状況なんですけど……と言うか、頭痛い……」
状況を全く飲み込めない八坂に神喰は座り込んでいる彼女に目線を合わせる為にしゃがみ込み、言葉を紡ぐ。
「八坂さん、今回の依頼はとんでもなかった。あの大きな音は棺の蓋が壊された音で、その中から現れた幽霊と我々は戦闘し、無事に勝利しました。増援のフランがいなければ、危ない所でした……」
「……え!? 私!?」
そう謎の仲間扱いをされたフランは腕をぶんぶんと振って抗議の意を示しているが、神喰はそれに取り合えない。
「……これにて、今回の依頼は終了です」
「えぇ……見たかったなぁ」
口惜しそうに気絶した事を悔やむ八坂だが、その後に立ち上がって嫣然とした笑顔を湛えて神喰に感謝の意を示す。
「何から何まで本当にありがとうございました! ボロボロですし、辛い戦いでしたよね?」
心配そうに神喰の仮面を伺う八坂の言葉に、
「問題ないですよ。ただ、我々……」
そこで神喰の言葉は途切れてしまう。
そうである。神喰の怪物狩りチームには名前が無い。
名前と言う物は、意外にも重要な役割を果たしている。
そこで途切れる言葉を継いだのは、他でも無い部外者である、
「――『ホコタテ団』の存在を友人とかに知らせてください! 私達はそれで満足です!」
フランが神喰の言葉を引き継いだのであった。
(何だその名前……それはいいや)
神喰はそのネーミングに苦笑してしまいそうだが、とにかく八坂に、
「そう我々『ホコタテ団』の知名度向上に協力してください」
そう依頼の報酬を提示すると、八坂は驚いた様な顔をして声を紡ぐ。
「そんな事でいいんですか? それなら、幾らでもやらせていただきます! 兄さんにも伝えようかな!」
依頼の報酬に納得した八坂は喜色たっぷりに破顔して、悠然と去って行く神喰とフランの背中に、
「いつでも来てくださいね! 後、次はその仮面外してください!」
「気が向いたら外します。では……」
神喰はその好意的な言葉に精一杯の荘厳さで別れの言葉を掛けた後に、八坂の家を後にする。
流れる白雲をカッと眩く照らす穹窿の陽光が、地表に茹だる様な暑さを孕ませている。
そんな街路にて、並んで歩いている神喰とフラン。
美しく澄んだ蒼穹の天を仰ぎながら、神喰はフランに話し掛ける。
「……フランはこれからどうするつもりなんだ?」
神喰はフランの身を案じていた。
神喰にはアルカナムやルヴニールの様に一人でも生きて行ける強さと言う物を、フランに感じずにいた為である。
その言葉にフランは難しそうな顔をして言葉を紡ぐ。
「……正直、まだ決まってないんです。だって、突然こんな意味の分からない状況になって、記憶も無くって、自分は怪物で……多分、こんな私はどこに行っても認められない。私はダメだと思います」
その美しい横顔を憂いに暗くして、俯いてしまう可憐な少女に神喰は、一体どんな言葉を掛ける事が出来ると言うのだろう。
「フランは……怪物狩りなのか?」
神喰はフランの見せた驚異的な戦闘能力を裏付ける要因が、怪物狩りを生業にしていた為ではないかと推測する。
「……確かに、私、怪物の知識とかあるし、怪物と戦っていた記憶があるような気がする……」
そう不確かな記憶を呼び起こす様に言葉を漏らすフランに神喰は、
「……じゃあ、俺の所に来てメイドさんをやってくれないか? 戦闘能力もあるし、あいつらは怪物だって事を気にしない。行く所が無いなら、それも一手だと思うぞ?」
神喰は一度歩みを止めて、フランに神妙に向き直って、自身のチームに勧誘する。
その言葉にフランは面食らった様に足を止めて、驚愕に目を見開いた後に神喰に向き直って、澄んだ蒼穹を映した水色の瞳で神喰を射抜く。
「……そうですね。きっと、私は誰かに仕える事が使命だったんでしょう。だったら、私は『ホコタテ団』の専属メイドとならせて頂きましょう……本当にありがとうございます」
フランは今までの明朗快活とした中に寂寥を混ぜた様な立ち姿では考えられない程の、洗練されていて見事なカーテシーを神喰に見せる。
――それは彼女が真にメイドであった何よりの証左であった。
「よし! 新しい仲間も増えた所だし、サッサと家に帰るか!」
神喰は喜びに満ちた声を上げて、フランを置き去りにして走り出してしまう。
「ちょっと! 待ってくださいよ! マーリン様!」
「俺の名前、本当は神喰朔人って言うんだ!」
「えぇ!?」
そんな喧しく、楽しげなやり取りが閑静とした住宅街に木霊した。
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