冥土メイド
「マーリン様! どこですかぁ! どこ! どこ行ったんですか、あの人!?」
一転して、少女の叫び声が異空間の廊下に響き渡る。
少女は神喰よりも圧倒的に速く私室の外に出て、待ち受けていた廊下にて神喰を待っていたのだが、待てど暮らせど一向にやってくる気配が無いので、こうして廊下を歩き回って、無機質に冷たい声帯を震わせているのだ。
少女はこの状況に困惑していた。
いきなり眠りから覚めたと思えば、気味の悪い家の不祥事に巻き込まれて、挙句の果てには昔の記憶が全く思い出せないのだ。
「記憶が思い出せなくても、魔法の使い方は分かるんですもん。都合いいです」
エピソード記憶だけが欠落しているのだろうか。
まぁ、そんな事を考えても今は仕方が無い。
「あの変な恰好の人、弱そうだし、早く助けに行かないと」
少女からしたら、神喰の印象はそんな感じである。
本当に理解の及ばない状況だが、少女はとにかく外に出る事を優先する。
廊下を歩き回る最中、横合いに見える扉が気になって、少女はその扉を開けて部屋に入ってみる。
「マーリン様! ここに居るんですか!」
別に神喰は居なかった。
しかし、その中は倉庫の様な部屋であった。
不要な物品を詰め込んでいるだけの、本当につまらない部屋であり、壁の高い位置に設置された小窓から差す光が、淡く室内を照らしていた。
「……『海斗の部屋』って書いてたのに、中は倉庫なんですね」
扉に掛かっていた表札には確かに、『海斗の部屋』と書かれていた。
その事実に寂寥が胸中を支配するが、少女は何となく室内を漁る事にする。
「状況が状況ですし、海斗君も許してくれますよ」
そう言い訳をして、何故か慣れた手付きで部屋を漁っていると、そこから目ぼしい物を発見する。
「お! これは良い物ですね!」
そう目を輝かせて拾い上げるのは、かなりの重量を感じる鈍い銀色を放つ金属製の棒であった。
平たく言えば、金属バットである。
「……こんな物、私見た事ないです。多分、これは兜ごと頭を潰す棍棒なのでしょうね。私にピッタリです!」
神喰には悪いが、少女は剣を使うタチではない。
金属バットを手に入れた少女は喜色に顔を一杯にして、持っていた剣を放り捨てる。
「前もこんな感じの武器を持ってた気がする……運命ですね……」
思わぬ戦利品を手に入れて、ホクホクの少女は部屋を後にしようと後ろに振り返って、扉を開け放つ。
「……? 廊下は?」
扉を開け放って闇に飲まれた空間に足を踏み入れると、その先は屋根裏部屋なのだろうか、屋根の形に縁取られたその空間はかなりの広さを誇っていた。
そこの床や天井、壁には何かが爪で引っ掻いた様な奇妙な痕跡が残されており、それ以外の家具と言った物は皆無である。
「いや、意味分かんないですよ。扉から屋根裏部屋は」
そう苦言を呈したくなってしまう少女の口を衝いて出た言葉に触発されたのか、背後から異質な影が染み出して来る。
それを透徹した様な流し目で振り返った少女が目撃するのは、
「また貴方ですか? いい加減に成仏してください」
それは紛れもなく、地下室で邂逅して戦闘を繰り広げた、黒々とした影の人型であった。
影の異形はその無数に見える赤い眼光で少女を睥睨して、黒色の鉤爪を少女に向ける。
「……はぁ、仕方ないですね………」
少女は影の異形に向けて金属バットを向けて、
「――冥土送りにして差し上げます」
そう冷然として言い放った少女の言葉を契機に、戦闘の火蓋が切って落とされる。
刹那、影の異形が歓喜に身を震わせて、その鉤爪を構えて突っ込んで来る。
瞬く内に間合いがゼロと化して、影の異形が振るう鋭利な爪撃に対して、少女は担うバットを素早く振り切って、甲高い金属音を上げて打ち合わせる。
バットと鉤爪がジリジリと鍔迫り合いの様な押し合いを演じ、その凄まじい火花を散らす熱狂の結果は影の異形に傾いた。
キィンと言う甲高い金属音を鳴らして弾かれるバットに合わせて、体がよろける少女の間隙を縫って、影の異形はその左の鉤爪を貫手として少女に放って来る。
その大気を鋭利に穿つ左の貫手は、少女の腹部をグチュっと貫いて、流れ出して来る血液に狂喜の興奮を見せる影の異形は、貫いて持ち上げた少女を強靭な力で振り切って投げ飛ばす。
鉤爪が引き抜かれて勢いを増す血流が空で尾を引きながらも、勢いのままに壁に吹き飛ばされる少女が空中で体勢を御し、そのまま両足を床に着けて加速度を殺し切る。
再度、立ち上がった少女は空けられた腹部の穴を物悲しげに眺めた後に、噴出する血液が弱まるのを感じていた。
「……やっぱり、私は人じゃないんですね……」
その噴出する血液が弱まっているのは、何も血液が足りなくなっていると言う訳では無い。
段々と腹部の穴が奇妙に蠢いて、ボコボコと膨れ上がった後に変わらずに透き通る肌を持った健在な腹部を露わにしていた。
「――オマエ……シタイ……シタイ……ゾンビ……オマエ……ナナナマエ……ハ?」
そう砂嵐が掛かった様な聞き取りにくい気味の悪い声を発したのは、腹部を気にしている少女の眼前で、血で染まった左腕を眺めている影の異形。
影の異形は少女に名前を聞いているらしい。
「分かりませんよ。でも……前にもこんな事が……」
そう脳が妙な痒みに疼いているのだが、少女は少し逡巡してみる。
(ゾンビ……死体? なら、私は腐らないんですか? もう腐ってる? 腐乱した、醜い死体……)
フッと自然に少女の思考に連想される物は、腐乱して蠅や蛆が湧いて死体を食っている、そんな悲惨で、それでいて当然な自然の摂理である。
「……腐乱……フラン……私は“フラン”です。これで満足ですか?」
その自身への命名は、何故かスッと腑に落ちる奇妙な物であったが、少女は自己を確立出来る感覚を同時に満足に思っていた。
「……フラン……フラン……フラン……カワラナイ……ナンデ……」
そう気味の悪い言葉を発した影の異形はブルブルと体を震わせて、狂気の眼光を少女に向けて、先程よりも素早い踏み込みで接近する。
――刹那、像が掻き消える程の速度で影の異形が少女に接近する。
その後に起きるのは、暴風の様に吹き荒ぶ致命の爪撃。
滅茶苦茶に振り切られる大気を裂く爪撃を躱し、穿ち、往なし、弾き、逸らし、少女は命中すれば致命傷となり得る極限の斬撃に活路を見出そうとする。
だが、その乱撃に少女は徐々に手傷を負わされて行く。
右から迫る横薙ぎの爪撃を少女はバットで受け止めて、弾き飛ばした後の隙に左の拳撃を影の異形の腹部に炸裂させる。
轟音を立てて炸裂する少女の左の拳撃が影の異形を後方に吹き飛ばした。
「――凍て付いてください」
影の異形の腹部を大規模に削る拳撃の後に、少女は世界を改変する符丁を諳んじる。
少女は凍て付く冷気を放って影の異形に左手を翳して、大気をパキパキと氷結させながら形成される巨大な氷塊を影の異形に射出する。
少女の左手を起点に形成された夥しい冷気を放つ氷塊は、震える程に美しい光沢を伴って、影の異形に飛来する。
「――アァァァァァアァ!」
そんな影の異形の悲鳴にも似た咆哮が轟いた前後、氷塊が影の異形に痛烈にブチ込まれて、壁を一気に凍結させるそれは轟音と純粋な衝撃を空間に伝わらせる。
その超大の魔法攻撃に影の異形は完全に沈黙した、筈だった――、
「――マダァァァァ!」
恐るべき執念で氷塊をブチ破った影の異形は、その肉体を所々損壊させながらも、少女にギクシャクとした動きで迫って来る。
少女は影の異形を完全に破壊しようと右手に担ったバットを構えるが、粉砕された氷塊の欠片が少女に矢の様に飛んで行って、その右腕に鋭利に突き刺さる。
その隙を見逃す程、影の異形は優しくは無かった。
凄絶な執着を持った瞳で少女に接近し、その鉤爪で柔らかい肉体を完全に引き裂いて、物言わぬバラバラの死骸に還そうとするが――、
「――スイーツみたいに甘いですよ」
――接近した影の異形の顔面に拳が迫っていた。
それは右手を置き去りにして、完璧なタイミングで放たれる少女の左手の拳によるカウンター。
――瞬間、少女の左の拳撃が影の異形の顔面に轟音を立てて痛烈にブチ込まれ、その過程で影の異形を板張りの床に凄絶な膂力で叩き付ける。
その床に叩き付ける様な拳撃によって、影の異形の頭部は拳と床に挟まれて、ギリギリと押し潰されて行く。
だが、先に壊れたのは頭でも、ましてや少女の拳でもない。
板張りの床が先に終わりを迎えた。
噴煙と轟音を立ち昇らせて、板張りの床が致命的な破壊にその役割を終える。
その家屋が致命的に破壊される快音を伴って、少女と影の異形は床を抜けた先、無窮に思える深淵の闇に落ちて行った。
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