幽鬼の号哭

(死人が生き返った?)


 その神喰の考えは甘いと言う物である。


 何故なら、その人物は未だに“死体のまま”なのだから。


 神喰は色々と腑に落ちないが、人型が動けない今が好機と感じて、吹っ飛んだ八坂を荒々しく回収した後に、自身を救った少女の場所まで走り込む。


 あれは魔術だった。

 

 少なくとも現在の神喰よりも強い少女である。


「ありがとう! 助けてくれて! 怪物狩りのマーリンだ! 味方でいいのか!」


 手短に礼を伝えて、愕然と瞼を開く少女に味方かどうかの是非を問うと、


「……分かりません。咄嗟に助けました……私は……?」


「そんな事俺に聞かれても……」


 どうやら、記憶が不確からしい。


 その少女の寂寥を発する横顔をただ見ていても、状況は残酷にも動いているのだ。


 その会話の前後で、壁に出来た氷山に仄暗い輝きが乱反射し、その氷山は未知のエネルギーに全て粉砕されてしまう。


「――ッ! これ持ってて!」


「えっ?」


 何が起こるのかを察した神喰は、少女に左手に持った剣を投げ渡した後に、彼女を脇に抱えて地下室の扉まで走り出す。


 神喰の両手には綺麗な女性二人と言う、両手に花と言った華やかな様子だが、それはこんな狂気的な状況では何の慰めにもならないし、状況を改善する一打にはならない。


「何でこれを?」


「俺よりも戦闘慣れしてそうだから!」


 神喰は現在、剣を持ったとしても大きな意味は無いだろう。


 手短に意図を伝えた神喰は地下室の扉を目前とするが、それを易々と見逃す程、人型は慈悲に溢れていないのだ。


 神喰の視界の端で暗い閃光が瞬いた瞬間、大気を白く焼く光線が地下室を蹂躙する。


 眼前、扉は目と鼻の先だが、ご丁寧に扉が閉められている。


 両手が塞がった神喰には扉を開ける事は出来ないし、蹴り破るにしても色々な問題が懸念される。


 神喰は起死回生に踏み出した一歩で蹴撃を構え、扉を蹴破ろうとするがやはりと言うべきか、光の方が圧倒的に速い。


 足りない。たったの一秒が全く以て足りない。


 神喰はその後に待ち受ける結末を予感するが、


「――させません!」


 そう叫んだ少女の声は魔術の符丁だったのか、神喰と光の間に割って入る様にして氷壁が構築される。


 凍て付く冷気を放つ氷壁が地面から天井まで勢い良くそびえ立って、死の光を完全に遮断する事に成功した。


「ナイスアシスト!」


 神喰の歓喜の声が轟いたのと同時、その声に奮い立った神喰の蹴撃は見事に扉を破る事に成功する。


 開け放たれた重厚な扉から狂気の地下室を脱出する事に成功した神喰は、足元が覚束ない暗い階段を風の様に駆け上がって行く。


 疲弊と溢れ出る汗に顔を歪めながら、走って、走って、走って、走り抜いた先に待ち受けていたのは、階段の終端として存在する扉。


(……扉なんてあったか?)


 そんな湧き出す疑問を振り払って、体当たりする様にして扉にぶつかって、倒れ込む様にその空間に吐き出される。


 ――そこは、


「……廊下じゃない……」


 神喰達は悪霊の家に完全に取り込まれていた。



「状況を整理する」


 そう神喰が周囲をしきりに警戒しながら言い放つ部屋は、八坂の私室なのだろうか、本人の気質に反して意外と可愛らしい内装だが、しっかりと禍々しいアイテムがあって、神喰は逆に安心する。


「今、俺達は異常な空間に迷い込んじまったらしい。本来繋がっていない筈の扉と扉が繋がってやがる……」


 簡潔に状況を説明するならば、そう言う事である。


 神喰は階段を駆け上がった先、本来ならば存在しない筈の扉を開き、何故か八坂の私室と思しき場所に引き込まれていた。


「ここに居る幽霊さん達、意地でも私達を逃がしたくないっぽいですよ?」


 そう絶望的な補足説明を加えてくれるのは、先程よりも元気になった正体不明の少女である。


「マジで……? やっぱり幽霊の仕業か……」


 先程、戦闘を繰り広げた黒い幽霊とこの家の幽霊の関係はまるで不明だが、明らかに黒い幽霊に触発されてこの様な事象が起きていると言うのは明らかであろう。


 神喰は自身の横合いで漠然と天井を眺める少女を視界の端に映す。


 この少女、明らかに怪物である。


 触っていても体温を一切感じず、生物を生物あらしめる心拍すら感じなかった。


 そして何よりも、この少女の放つ雰囲気は、神喰の出会った怪物共である、幽霊、グールが放つ気配と同質の物である。


 この少女を果たしてどうすればいいのか。その思考は神喰の頭を別に悩ませているのだ。


「……とにかく、君の名前は?」


 こんなナンパ紛いの事をしている場合ではないが、神喰はとにかく呼ぶ名前が欲しかったのだ。


 ――そうすれば、少女が怪物ではないと認められる気がしたから。


 少女は胸中を寂寥で染めて、難しそうな顔をして言い放つ。


「……思い出せないんですよ……何もかも……どうしてでしょうね? でも、私、多分もう“生きてない”んですよね? 心臓……動いてないし」


 記憶の一切を思い出せないと言う少女の言葉には噓偽りが無いと神喰は判断した。


 何だか、掛ける言葉が見つからずに押し黙ってしまう神喰だが、少女は考える為か俯いた後に、グッと拳を握って決心した様に、


「……でも! 俯いてちゃダメですよね! 『心が暗いと人生も暗くなる』って、“ご主人様”も言ってたし! 頑張らなきゃ!」


 自身の苦境と絶望を吹き飛ばす様に気勢を上げる少女の言葉には、見知らぬ誰かとの確かな追憶があった。


「ご主人様って誰? もしかして、記憶を思い出したんじゃ?」


 神喰の喜ばしいと言った様子の言葉に少女は綺麗な眉を顰めて、


「……誰でしたっけ?」


 と小首を傾げる少女であった。


 その会話がプツリと切れた直後に状況が劇的に動き出す。


 タイミングを見計らっていたのだろうか、そう思ってしまう程に丁度いいタイミングで部屋にナニカが侵入する。


 パリィン! と言うガラスが割れて意味を失う快音が響き渡る。


 この部屋に付いた窓の向こう側の景色は、光が行き場を失っていると思う程の漆黒であり、誘われる様な深淵はどこにも繋がらない異質な空間となっている様だ。


 闇を暴力的に切り裂く様にして、窓をぶち壊して部屋に入り込んで来るのは、気味の悪い異形の“ナニカ”であった。


 ――それは人間の肉塊が集合した様な醜悪な異形。


 その暗赤色のテラテラとしたぬめりを持った肉体は、皮膚を剥がれて痛々しい赤の筋肉が露わになっており、その体は人間の腕や足、頭部や腹部、グチャグチャに砕かれた肉片が球体上に寄り集まって構成された、おおよそ生物とは呼べない異形の“ナニカ”である。


 この世界に産み落とされるべきでは無かった異形の生物紛いは、赤子の様な甲高い絶叫を神喰に響かせる。


「――キャァァァアァァアァ!」


 ブルブルと醜く蠢きながら、その部屋の天井にも届くだろう体躯を必死に窓に突っ込んで、部屋に侵入しようとする巨大な肉塊は、一体となった複数の頭部から悲哀に満ちた甲高い悲鳴を上げる。


 一気に狂気が伝播して行く室内にて、神喰の導き出す雑魚の思考。


「――逃げるぞ!」


 それは逃げの一手であった。


 完全に不意を突かれ、更に相手の手の内すら分からない極限状況。


 強者であれば問題は無い。


 しかし、神喰には大問題である。


 神喰は少女に逃走の意を伝えると、傍に物の様に寝かせた八坂を小脇に抱える。


(何回抱えればいいんだよ!)


 そう心の内で悪態を吐いた神喰は後方でギクシャクとして蠢く肉塊を一瞥もせず、一心不乱に駆け出していた。


 しかし、少女との差は歴然としている。少女の方が圧倒的に速い。


「うっそぉ!? ちょっと待って!」


 少女が神喰の命令に忠実に従って、神喰の呼び止める声を気にも留めず、開け放った扉から風の如き速度で出て行ってしまう。


 出来るならば、サポートをして欲しかった。


 神喰は心細くなる感覚を伴って、背後でチンタラしている肉塊を置き去りにして、部屋の外に出て行く。


「――マッテェェェェエェェ!」


 後ろの方で神喰を呼び止める悲痛な叫喚が発せられるが、それに取り合える訳が無い。


 視界が一切閉ざされた、闇に包まれた扉の先へ踏み入って、その敷居を跨ぐ。


「……次はリビングか」


 分かり切っている事だが、間取りが変である。


(……てか、抱えてた筈の八坂さんがいない……別の空間に飛ばされた?)


 神喰は異常に軽い小脇に抱えた八坂を見ると、そこには人間大のマネキンに置き換えられていた。


 もう諦めたと言った様子で溜息を吐きながら、そこら辺にマネキンを投棄する。


 扉を潜り抜けた先の空間は、この家の居間に相当する場所である様だ。


 神喰がパッと後ろを見れば、私室に繋がる扉が存在する筈であるが、そこには無機質な白塗りの壁が待ち受けているのみであった。


(これ……もしかして出られない?)


 神喰の脳裏に考え得る限り最悪の可能性が浮上して来る。


 現状、この空間から出る方法が余りにも乏しすぎる。


(壁か何かを破壊するか? いや、俺の筋力でそれは絶望的だ。頼みの綱の剣は普通にあのメイドさんに預けたし、扉を介して部屋を移動すれば……こうなる)


 取り敢えず、脱出の線がほぼ無くなった神喰は次の作戦、恐らくこの怪異の原因である幽霊の討伐に思考をシフトさせる。


(無理臭い……せめて、メイドさんがいれば……)


 しかし、驚く程に薄暗い居間の空間には、神喰以外は存在しない。


 ――それも、暗澹とした空気を根底から裂く異形の者が訪れるまでの話であったが。


 またも、神喰の眼前に存在している厨房の壁に付いた小窓から、追跡して来た様に惨憺たる肉塊が溢れ出して来る。


「お出ましか」


 分かり切っていた展開に神喰は心を余り動かされないのだが、今度は凄まじい速度で爆発的に膨れ上がって行く肉塊が一瞬にして部屋の中に侵入して来て、その凄まじい体積で居間の半分を埋め尽くしてしまう。


 まさしく、顕現する巨大な肉の壁が神喰の前に立ち塞がる。


 退路は無い。


 そもそも、逃走しても状況は好転しない。


 確固たる決意を固めた神喰は、狂気と寂寥に満ちた大叫喚を上げる肉塊に体を震わせながらも突貫して行く。


 今から一挙手一投足が確実な死へと繋がる戦場へと飛び込んで行く自身を𠮟咤激励する為にも、今から命を奪うかもしれない敵対者への啖呵の為にも、神喰は叫ばずには居られなかった。


「――命を散らせ! 行くぞ! 肉野郎!」


 凄絶な決意に声帯を張り裂ける程に震わせて、『エンハンス』によって熱を帯びる肉体を前へ、前へと繰り出して行く。


 眼前、醜く体を震わせた異形の肉塊が、その不気味な肉体を構成するしなやかで長細い腕を鋭く無数に伸ばして来て、鞭の様に幾重にも叩き付けて来る。


 それは、原初的で生物的な力に満ちた、単純で圧倒的な吹き荒ぶ暴力。


 直上より振り下ろされる致命の握り拳を横に跳んで回避して、板張りの床が轟音を立てて破砕される驚異の光景を視界に映して、遂に肉塊を目と鼻の先に捉えて、一段と強く右足を踏み込む。


「――『死齎秘法』!」


 異形の肉塊はそれほど好戦的ではないのか否か、攻撃をしようとする神喰の間合いに入っても、醜く抗おうとはしなかった。


 ――刹那、神喰の強靭な力が迸る右の拳撃が、肉壁に鋭く醜い傷跡を刻む。


 その瞬間、神喰は肉塊の根源たる奥底から、どこか生温かい、生物を生物あらしめる何かを奪い取り、それが流れ込んで来る奇妙な感覚に駆られる。


 だが、その感覚が何なのかが判明する前に、肉塊に変化が訪れる。


 グチュと言う生物を破壊する薄気味悪い感触が拳に伝わった瞬間、拳がブチ込まれた肉壁は神喰の膂力を受けて凹んだ後に、裂傷が刻まれた様に拳撃の傷を広げて行き、急激にその体内に詰まっていた血液を吐き出す。


「――イダァァァァイィィ!」


 耳が痛くなる程の凄まじい声量で痛みを訴える肉塊の、裂傷を受けた様に広げた凄惨な傷跡からは、鉄の臭気を発するドス黒い血液が濁流の様に噴出する。


(コイツ、幽霊じゃないのか?)


 神喰はそんな脳裏に過る可能性を振り払って、体に赤黒い色を付ける血液が眼前を覆い尽くしてしまって目の前が見えなくなった為、一旦後ろに飛び退く。


 パッと着地して、神喰は頬に付着した血液を左手の親指で拭いながら、眼前を警戒と共に視界に映す。


 眼前、肉塊は自身に空いた醜い裂傷を他の部位を蠢かせて埋めながら、幾つも生えている頭部の眼球で神喰を視界に映す。


 しかし、その再生は中々上手くいかないらしい。傷が埋まらずに血液を垂れ流しにする肉塊はその肉体を更に別の形に変化させようとしていた。


(……再生力が低下してる? これも『死齎秘法』の効果か?)


 神喰の思考の逡巡はその巡りを止めてしまう。


 何故なら、目の前で部屋の半分を埋め尽くしている肉塊がビクビクと痙攣した様に震え出して、その体積を凄まじい勢いで増やして行くからだ。


「マジか!?」


 神喰には眼前の肉壁が部屋の家具を吹き飛ばしながら、勢い良く迫って来る狂気の光景に見える。


 このままでは、神喰の体は肉壁の莫大な質量に押し潰されて、何とも分からない壁のシミへと変貌してしまうだろう。


 肉塊が急激に変化して行く気味の悪いミシミシとした音が迫り来る。


 肉塊は既に部屋の四分の三を掌握しており、神喰にはもう退路は無くなってしまった。


 既に居間の扉は暗赤色の肉塊に塞がれている。


 残るのは神喰がピッタリと背を着けた、壁に貼られた大きい窓ガラスのみ。


 神喰の視界の一切は、悉く肉塊に埋められて行く。


 そうして、甲高く醜い赤子の大合唱が迫り、神喰と混ざり合って――、


 ――刹那、肉塊が神喰に迫り来る直前、その肉塊は膨れ上がって行くのをやめて、ドンドンその体積を萎めて行く。


「何だ?」


 起死回生に拳を構えていた神喰はその変化に目を丸くしてしまう。


 ――その威容は既に、名状し難い肉の塊とは形容出来ない。


 急激に居間の空間が広くなった錯覚を抱きながら、神喰は部屋の中心に降臨している異形を瞳に映す。


 それは、鮮烈な鮮紅色を放つ肉塊で構成された人の様な異形。


 全体的なシルエットは人のそれだが、決して人間とは認めたくない、そんな異様な生き物紛いであった。


 皮膚を剥がれて剥き出しになった鮮紅色の筋肉が露わになる異形の全身、その頭部のあらゆる箇所に鋭い牙の付いた口腔が存在し、その隙間を埋める様に黒々とした眼球が生えている。


 背中からはしなやかで細長い腕が幾つも生えており、本来二本である筈の胴部の腕は肩から生える二本と、脇腹から生える二本の計四本生えている。


 禍々しい程に鋭利で長い鉤爪がその腕には生えており、その爪撃を受ければ容易に致命傷になろう事を伺わせる。


 赤の異形はこの世界に決して存在してはならないその威容を神喰に見せつけて、またも赤子の様な甲高い悲鳴を上げる。


「――アァァアァッァァ!」


 その正気を削って行く恐ろしい叫びを神喰は受けて、冷静に思考を巡らせる。


(さっきのは押し潰す為じゃない。再生と変身の時間を稼ぐ為の物だった。下手に的を大きくするよりも、的を小さくした方が有利と言う判断か? どっちにしろ、もう簡単に拳を当ててくれる訳じゃなさそうだな)


 慄然たる狂気の代弁者である赤の異形は神喰に何を求めているのだろうか。


「――アァァァイィシテェェェ!」


 そんな叶えられる筈も無い願望が惨憺たる居間に轟いた。

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