第三話 ゾンビメイドは喰らいたい!

来客

 暁の暖かで柔らかい薄明が瞼を優しく差し、緩慢とした覚醒を促して――、


「起きろ! マスター!」


 くれなかった。


 声高に存在を主張する声の主は、聞き間違える事も無い、ルヴニールその人である。


 神喰はその起床を促す声に嫌だと言わんばかりに布団を被る。


「……折角の土曜日なんだから、もうちょっと寝かせて……」


 神喰は眠り眼でそう答えて、二度寝の体勢に移行してしまう。


 そもそも、神喰が休日の早い時間に起きると言う事自体が、もう既に奇跡の様な物である。


 ――今回も、奇跡は神喰に微笑まない。


「そんな事言ってないで、ほら! ルヴダーイブ!」


 筈だった。


 ルヴニールの空中で美しい軌道を描く、超質量のボディダイブに神喰はベッドごと貫かれて、轟音を立てて強制的に入眠を阻止される。


「――グバァッ!」


 その威力は凄絶。ベッドはその構造を致命的に破壊されて、その意味を失って粉々に粉砕される。


 その強靭なボディダイブの威力は神喰に凄まじい衝撃を与え、白目を剥いて別の要因で入眠を促されそうな物だったが、神喰はそれを必死に堪える。


「……いってぇ……ってベッドがぁぁぁ!?」


 神喰は余りの衝撃で苦悶に呻いているのだが、真下のベッドの惨状に次は驚愕の声を上げる。


「何て事を……誰がやったんだ……?」


「お前だよ! そろそろ、行動する前に一回だけでも考える癖を付けて!?」


「――我の行動を咎める事は誰にも出来ない。それが例え、神でも、マスターでも……」


「うるさい! 反省しろ!」


 神喰はどこまでも傲慢な彼女をしっかりと断罪して、馬乗りになるルヴニールを退けた後に、ベッドの惨状を見届ける。


「……うわぁ、これどうすんだよ……」


 そうベッドだった物を見て、絶望していると、


「――神喰、何か音がしたが……」


 そうアルカナムが訝しげに部屋の扉を開け放ちながら、声を掛けて来る。


 いつもは冷静な彼ではあるが、この惨状には流石にびっくりした様だった。


「……何でこうなった?」


 アルカナムが半ばドン引きしながら、この状況の説明を求める。


 神喰が簡潔に事の顛末を伝えると、


「そうか……ならばこうしよう」


「……? 何するんだ?」


 アルカナムがベッドの残骸の前に立って、その右手をかざす。


 神喰の疑問の声を置き去りにして、超越の魔術が行使される。


 ――次の瞬間、ベッドの残骸の上に幾何学的な文様が刻まれた、魔法陣が展開される。


 その紫紺の色を鮮烈に放つ魔法陣は現実の理を致命的に改変する、超越の非現実的現象であった。


 神喰でも感じ取る事が出来る凄まじい魔力が吹き荒び、魔法陣の眼下にあるベッドの残骸が不自然に動き出す。


 折れた個所は繋がり、失った箇所は発生し、その残骸が見る見る内に元のベッドの形を取り戻して行く。


「修復完了だ」


 アルカナムはパンと乾いた音を鳴らして手を叩くと、そこにあったのは変わらない様子で存在しているベッドであった。


「……スゲェ……何それ?」


「名を付けるなら『物を修復する魔法』、『リカバリー』。生物には使用不可能だが、物体と俺が認識出来れば原型が無くても修復出来る」


 神喰の感嘆した疑問の言葉に、照れ臭そうにそう答えるアルカナムは少し頬を綻ばせる。


「我はイタラ=クルクエス様の修復魔法を知っていたからな、だからこの様な行動に出たまでだ。直れば問題ない」


(……こんなの言い出したら切りないからな……我慢しよう……!)


 神喰はルヴニールの傲慢な言葉にツッコミを入れたいが、それを必死に、ギリギリで耐える。


「さて、神喰、リビングに来い。怪物狩りスターターセットをくれてやる」


「……何それ?」



 5月13日、土曜日の早朝の事である。


 神喰は起きたくもない早朝、七時に叩き起こされて、居間に召集されていた。


 穹窿に懸かる日輪から降り注ぐ薄明が、居間に居る一人と二体の怪物を淡く照らしていた。


「先日、ルヴニールに怪物狩り稼業をする為の道具の作成を依頼した。と言う訳でルヴニール、紹介頼んだ」


 アルカナムが調子を全く崩さずに、眠そうなルヴニールに道具とやらの紹介を任せる。


(と言うか、ルヴニールって太陽の光に当たっても大丈夫か?)


 そんな要らない心配をしてしまう神喰であったが、変わらない様子のルヴニールにとっては問題無いのだろう。


「……朝は苦手だ。眠い……」


 眠り眼を擦ったルヴニールは、ウトウトとしながら道具とやら紹介してくれる。


「まず、我々の事を知って貰わなければ始まらない。だから、マスターの家や近所に看板を立てた」


「看板を立てた!? それ法律違反とかにならない?」


「今更だ」


 神喰の極一般的な感性から繰り出される心配の声をルヴニールは一刀両断して、その内容を詳しく話し始める。


「内容は、『不思議な現象にお困りの方は是非ご相談を! 怪物狩りが解決します!』……と言った内容だ」


「そんなんで人来るの?」


 取り敢えず、法律違反とかは一旦置いておいて、神喰はその広告効果に疑問を呈さずにはいられない。


「誰も来ないのだったら、公式ウェブサイトを立ち上げるまでよ」


「この吸血鬼、めっちゃ現代に適応してる!」


 意外に現代的な作戦を立案するルヴニールを意外に思う神喰であった。


 ルヴニールはその反応を聞いた後で、居間のキッチンの辺りから何かを取り出して、それを神喰に手渡して来る。


「これ……懐中時計?」


 それは何の変哲も無い、懐中時計であった。


 その懐中時計はネックレスの様に首に掛けられる物であり、深紅の色で美しく装飾された素晴らしい意匠である。


(……プレゼント?)


 怪物狩りになる記念の贈り物の類だろうか、と神喰が思案に耽っていると、


「マスター、その懐中時計を身に着けて、手に持って『変身!』と叫びながら、魔力をそれに込めてくれ」


「……? オッケー」


 神喰は懐中時計を首に掛けて、怪しく輝く懐中時計を握り込むと、裂帛の気合で詠唱する。


「――変身!」


 満更でも無く轟く様に叫んで、懐中時計に魔力を込めると、何度見たか分からない超常現象が引き起こされる。


 ――神喰が着ている普段着が寸分の時間差も無く、藍色をしたローブに置換されていた。


 その変化を目で追う事は出来ない。


 まるで、最初からそうであったかの様に、いつの間にか神喰は藍色のローブを着用していたのだ。


「おぉ! スゲェ! これで……何かある?」


「……まぁ、雰囲気優先だな。ちなみに、『変身!』は要らないぞ」


「何だよ!? じゃあ、何で言わせたんだよ!? 恥ずかしい!」


「それの発動条件は使いたいと言う意思と少量の魔力だからな。後、これ」


 神喰の不服そうな声を飄々と回避したルヴニールは、懐からお面の様な物を取り出して来る。


 それは、骨の様な材質で構成された白色に染まった鬼面であった。


 だが、それは和風と言う感じがしない。


 何だか、鬼をモチーフにしたキャラクターが着ける西洋風なお面、と言う微妙な感じであった。


 まぁ、その鬼面の出来栄えは置いておいても、その鬼面には顔に固定する紐が無い。


「これ……どうやって着けんの?」


「顔に近付ければ」


(ハイハイ、またそう言う不思議アイテムね。こう言うのを魔道具って言うんだな)


 神喰はもう慣れたと言った様子で鬼面を顔に近付けて行き、それが顔に触れた状態で手を放しても、その鬼面は重力に逆らって、そのままの状態を維持していた。


「それがあれば、正体がバレる事を防止してくれるだろう。まぁ、こんな物だな。疲れたぁ……特に看板設置が」


「それが理由の八割だろ」


 流れるままに作成した道具の紹介を終えたルヴニールは、疲労感に従ってソファに倒れ込む。


「こんな感じで、怪物狩りをやる準備が出来たな」


「出来てる感じしないけど?」


 そのままソファで寝息を立ててしまうルヴニールを見届けたアルカナムは、そう明朗快活な様子で神喰に告げて来る。


 だが、神喰にはまだ足りない物があると言わんばかりに抗議する。


「例えば、チーム名とか、俺の実力とか、まだまだ足りねぇよ。特に、チーム名は付けたい!」


「……それはそうだな……まぁ、それも修行の後にしよう」


 無慈悲なアルカナムが残酷にも神喰の意見を一刀両断して、外に出て肉体修行を付けてこようとする。


 アルカナムの取り合わない姿勢に不服を抗議しようとした神喰は、その声を出す事は無かった。


 ――何故なら、その前に家の呼び鈴が喧しく神喰の耳に響いていたからである。


「……? 何だ? こんな朝早く?」


「……」


 神喰は思考外のチャイムの音に困惑しているのだが、アルカナムは無言で玄関に向かって、そこで誰かと何かを喋っているらしい。


 静かな話し声が遂に終わったかと思えば、アルカナムは居間に顔を覗かせて、


「……客だ」



 神喰はルヴニールを空き部屋に適当に寝かせた後に、テーブル越しに椅子に座って、とある人物と向き合っていた。


「いやぁ、ありがとうございます! こんな変な事、相談出来るとこ無かったんですよ! アハハハハ!」


 神喰の目の前の人物は屈託のない満面の笑みでそう告げて来る。


 その人物は明るく艶の入った長めの茶髪に、快活な色を覗かせる丸い黄金の瞳を持つ人物であった。


「……神喰……コイツ……ヤバい奴だろ……」


「……このゴーストタウンに嬉々として住んでる変人だよ……俺も何回か見た事ある」


 神喰とアルカナムは明らかに変人を見る目で見ているが、そんな目線を気にもせずに女性は声高に声を上げる。


「と言うか、その仮面とローブ……雰囲気出ますね!」


「ありがとうございます……」


 何故か予想よりも早く使う事となった怪物狩り衣装を褒められるが、神喰は苦笑いしか出来ない。


「あぁ、そうだ。お名前と依頼内容を教えてください」


 神喰の引き気味の言葉に、女性は失念していたと言わんばかりにハッとして、


「あぁ! ごめんなさい! 名前は言わないと……」


 そうして、女性は自身の平均的な胸に手を当てて、


「――八坂です! 八坂やさか千善ちよ! 19歳! 大学二年生! 自

 称オカルトマニアです! よろしくね!」


 そう明朗快活に名乗りを上げた。



「まぁ、取り敢えず、依頼内容を教えてくれ」


 そうアルカナムが飽くまでも事務的に依頼内容を聞くと、


「そうですねぇ。じゃ、包み隠さず言っちゃます! 私と家にある棺を開けてくれませんか!?」


 家と棺と言う相性が悪すぎる八坂の言葉を受けて、神喰は無理解に染まる脳から必死になって言葉を絞り出す。


「……何で?」


 神喰の単純な疑問の言葉に八坂はまたも、ハッとして、


「ハッ! そうですよね、一から説明しないと……あれは、私が大学一年生の時、オカルト界隈では有名なとあるアイテムを手に入れたんです。それこそが、人呼んで『不懐ふかいの棺』! これの入手方法は聞かないでください……とにかく! 私は一年前に絶対に壊れない人の棺を手に入れたんですけど、これが最近変なんですよ……」


 そこで言葉を切って、八坂は神妙そうに、


「……その棺を地下室に置いているんですけど、棺を愛でに地下室に入るとですね、うーって人の呻き声が聞こえるんです。これはキタ! 遂に念願のオカルト現象! って思っても開けられない訳です。何だかなーって思ってですね、どうやって開けようかなーって思いながら散歩してたら、あるじゃないですか! 不思議な現象を解決する、怪物狩りって言う何か良く分からない看板が! と言う訳で! 私と一緒に棺を開けてください! 噂によると、工業用のレーザーでも傷一つ付かなかったらしいですけど!」


 そう楽しそうに頬を緩めて一息に話し切ってしまった八坂の話だが、神喰はその真意を計り兼ねている。


「……これ、ただのオカルトマニアの戯言じゃないよな?」


「……まぁ、そうだとしても、怪物狩りの評判獲得の為だ。どちらにしろ受けた方が良い。一見して、この女は異能を持っていなさそうだ。脅威にもならない」


 神喰はアルカナムと小声でそう話し合って、結論が出た為、神喰は八坂と向き合う。


「分かりました。その依頼、受けさせて貰います。報酬は要りません」


 神喰が恐ろしく見える鬼面で八坂と向かい合って、依頼を承諾する意を示すと、八坂はパァっと顔を明るくして、


「本当ですか! ありがとうございます! じゃ、早速行きましょう! てか、もう行っちゃいます!」


 恐ろしい程のスピード感で家から出て行ってしまう八坂の行動力には脱帽の一言であった。


「よし、じゃあ行くぞ。アルカナム」


「待て、今日はパスだ」


 椅子から立ち上がって、アルカナムに同行しろと言う意を伝えた神喰だが、その言葉はアルカナムにとって受け入れ難い言葉だったらしい。


「え? パスとかないでしょ? こちとらリーダーぞ?」


「……神喰、今回はオマエの怪物狩りの初仕事。オレみたいな半端に強い奴がいれば、オマエがやる事は無い。一人でこなしてこい」


 またも顕現する鬼教官アルカナムが厳しい口調で神喰を諭して来る。


「そう言う事ね。これは入門編って訳だ。それなら、一人で行って来るよ」


 アルカナムの真意を理解した神喰は溜息を吐きながら、玄関に向かって行く。


「――って来ます」


 そう純然とした決意と強固な覚悟を以て、神喰は初任務に赴いた。

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