戦いの余熱

 そこは暗澹たる空気が空間に隙間なく満ちる、光が殆ど差さない暗い一室であった。


 どこかの廃ビルの一室なのだろうか、無機質に剥き出しとなった鼠色のコンクリート壁に囲まれた一室は、当然ながら一切の家具や調度品は存在しない。


 そんな人々に何の感情も抱かせない様な形骸化したビルの一室に差す三日月の月光は、天空に流れる鈍色の雲の所為か、眩い輝きを鈍い物とさせている。


 この無機質な廃ビルの一室を惨憺たる瘴気に満ちたかの如く、忌まわしい雰囲気と化させている要因。


 それは部屋の中央に立つ短い茶髪をなびかせた、細目の人物が原因であろう。


「――へぇ? それで? どう責任を取るのか聞かせてくださいよ?」


 細目の男が侮蔑たっぷりな声色で、向かい合っているもう一人の男に問い掛ける。


「……すいません、八坂さん……」


 そう胸を押し潰す様な恐怖と焦燥を伴った謝罪を行う人物は、神喰達を襲った男に間違いは無い。


 その顔面に湿布か何かを貼っているのだろうか。男は顔面に痛々しく残る凄まじい痣を気にしている様だ。


「……はぁ……僕はね? 謝罪を聞きたい訳じゃないんですよ? ただ、田辺君がこの失態をどう取り戻してくれるのか、って聞いてるんですよ」


 不愉快そうに顔を歪めた八坂と言われた男は、焦って二の句を継げない田辺と呼ばれた男に矢継ぎ早に捲し立てる。


「じゃあ、田辺君の失態を一つ一つ言ってあげましょうか? 街中で吸血鬼に話し掛けられたから、『人払いの結界』を使って遊んでた……まぁ、この時点で頭が足りないと思いますけど、こんなの序の口ですよね。それで、何故か一般人に結界の侵入を許し、その一般人の所為で一応の目的だった吸血鬼討伐も出来ず、挙句の果てには吸血鬼に抵抗されて気を失った……と言う訳になるんですが……しかも、相方の新井君は恐らく殺されていますよね? 我々でも当該地域を探索しましたが、彼の銃しか発見出来ませんでした。もう一度問いましょう、どうやって責任を取るんですか? 銃を意味の分からない事に使うわ、一般人に出し抜かれるわ、こちらの面目丸つぶれでしょうが。しかも、その一般人、イル=ミドース様を殺すとか言ってたらしいじゃないですか? 何で殺せてないんですか? 君達はイル=ミドース様の意思を遂行する敬虔なる信徒では無かったんですか? ほら、何とか言ったらどうですか?」


 八坂は慄然とした狂気のままに濁流の如き言葉を田辺に浴びせ掛ける。


 八坂の見開かれる金色の瞳は底冷えする様な冷然さに満ちている。


「ホントすんません! でも、吸血鬼を殺そうって最初に提案したのはあいつで……俺は着いて行っただけと言うか……俺の所為じゃないんです! 許してください! 八坂さん! 俺は結界術も出来て、まだ出来る事があります! だから……だから……!」


 醜く体を振り回して、田辺は地面に手を着いて低い姿勢のままに許しを請う。


 脂汗と涙でグチャグチャにした顔で必死にコンクリートの地面を眺めて、田辺は荒い呼吸のままに醜悪な命乞いをするのだが、八坂は虫けらでも見るかの様な侮蔑と嘲笑の瞳で睥睨しながら、見るに堪えない言葉の応酬を聞いている。


 そんな阿鼻叫喚の室内の空気を一転させたのは、八坂であった。


「――立ち上がってください、田辺君」


 先程のゴミを見る様な瞳から一転、八坂は不気味に口角を上げて田辺に語り掛ける。


 その一見して優しく思える言葉に救われた様に顔を上げて、田辺はゆっくりと立ち上がる。


「田辺君、新井君と仲良かったですよね? まさしく悪友、腐れ縁と言った様子でしたが、そこには確かな友情がありましたよね? 僕は君達の事を疎ましく思ってはいませんでしたよ。そうだとしたら、これは悲劇です。イル=ミドース様にあだなす異教徒に二人の仲は永遠に引き裂かれてしまったのですから。あぁ、何と悲しい結末でしょうか。僕はこの様な物語の幕引きを好みません」


「え? 何を言って……」


 まるで物語の登場人物かの様に気取った様子で、八坂は不気味な笑顔で声を発する。


 それは、田辺に聞かせている物では無く、ただの独り言であるかの様だった。


 その独白の様な言葉に困惑している田辺を置き去りにして、八坂は牙を剥いて凶悪な笑顔を顔面に張り付ける。


「――だから、一緒に逝かせてあげましょう」


 その狂気に見開いた細目が何を意味するのか、それを田辺は問う事は出来なかった。


 ――何故なら、田辺の左耳が鋭利な風切り音を発して切り飛ばされていたからだ。


「えっ……あぁ……グッ、アァァァアァアァ!?」


 ビチャビチャと流れ出して止まる事の無い血液の流れが、田辺の左頬を容赦なく流れた時に初めて、痛みを自覚出来たのだろう。


 田辺が体を支配する痛みに絶叫して、左耳に己の左手を当てて何とか血を押さえようとするのだが、


「――何の価値にもならない、数合わせにすらならない、そんな奴が組織に被害を与える失態を犯して生きて帰れるなんて、どうしてそんなに楽観的なんですかねぇ?」


 そう残酷な色に染まった黄金の瞳で言い切った八坂は、その右手をヒラヒラと投げやりに振る。


 その右手の動きが合図だったのか。空間に変化が訪れる。


 ――それは、形容するならば不可視の刃であった。


 閉じ切られた部屋に存在する筈の無い風の流れが暴力的に発生し、身を震わせてしまう規模のそれは意味のある像を持って顕現する。


 その鮮烈な旋風が田辺の体を残酷に通り過ぎれば、嫌でも分かる形で変化を訪れさせていた。


 ――刹那、田辺の左腕が鋭利に大気を裂く風の刃に切り飛ばされていた。


「――アァァァアァアァ!」


 喉が張り裂ける程に絶叫する田辺の左腕の断面から、一人の人間に詰まっていたとは思えない程の血液が噴出される。


 ドス黒い色で鼠色の地面を醜く染める血液を鬱陶しそうに眺めた八坂は、


「――ま、楽観的だったから死ぬんですよ」


 その言葉が田辺に聞こえたかどうかは分からない。


 ――その前後で指を素早く横になぞった八坂が放つ風の刃に、田辺の頭は断頭されていたからだ。


 それと同時に絶叫がピタリとやみ、田辺は物言わぬ肉塊と化して永遠に沈黙を破る事は無くなった。


 静寂が訪れる室内は血の雨が降り注ぐ地獄絵図であるが、そんな惨状に一切心を動かさずに、


「はい、もう入って来て良いですよ」


 そう八坂が部屋の外に待機していた人物に声を掛ける。


 その声に外に待機していた複数の男達は、地獄と化した室内に眉を顰めてしまっている。


「このゴミ、サッサと片付けておいてください。こう言う奴がいるから、『空虚なる黄昏教団』の格も落ちる」


「承知しました……それにしても、派手にやりますね」


「こうでもしないと、無能が“分を弁えない真の無能”になりますからね。君達への見せしめですよ。ねぇ? 吉田君?」


「恐ろしい人だ……」


 そう死体処理を始める吉田と呼ばれた男と軽いやり取りをした八坂は、凄惨な事件現場と化した一室から退出して、廃ビルの廊下を歩き始める。


 コツコツと乾いた靴音が妙に響いて聞こえる廊下にて、


「……神喰朔人……ルヴニール……これは“お礼”をしに行かなければいけませんねぇ。さて、どうやって殺しましょうか……」


 そうこれからの展望を愉快そうにしている八坂の楽しげな声は、静謐とした夜の闇に溶けて消えて行った。

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