魔術習得・一日の終わり
神喰の自室にて、中央のテーブルを壁の方に寄せてスペースを作って、その中心で神喰は立ち尽くしていた。
その背後には魔法の大先輩、アルカナムとルヴニール。
「よし、まずは基礎的な魔力の操作を覚えろ」
「覚えろって言ったって、やった事ない……」
「やった事が無いのは当然だ。取り敢えず、神喰、目を閉じろ」
「何で……」
「御託は良いから、早くしろ」
底冷えする様な低い声で、滅茶苦茶に厳しいアルカナム教官の言葉に仕方なく目を瞑る神喰。
神喰の眼前は部屋の電灯が淡く差す以外は一切の闇である。
「神喰、自分の胸の内にある魂を知覚しろ。胸の内で燦然とした輝きを放つ、己が魂を自覚しろ。話はそれからだ」
「……いきなり抽象的……」
「声を発するな。とにかくやれ」
アルカナムはここまで怖い存在だったのか。
神喰は一転して鬼教官と化してしまうアルカナムに畏怖を覚えつつ、自分の世界に入り込んで行く。
(想像だったら……得意だ……)
闇に落ちた神喰の視界は凄絶とも言える集中によって、更なる深い闇に包まれて行く。
周囲の息遣いすら聞こえない程の驚異の集中を
暗夜の空に懸かる煌々とした光を放つ
「出来たけど……これからは?」
「その魂を起点に血液の様に全身を巡る、熱く実体の無いエネルギー体を想像しろ。巡っていなくても良い。ただ自身の内にある熱を持ったエネルギーを自覚出来れば良い」
アルカナム教官のこれまた抽象的な指南へ苦言を呈したい神喰だが、そんな事をしても意味は無いのだ。
神喰は幽暗とした周辺を白く染める魂を起点に、全身に巡る掴む事も出来ない様な実体の無い“ナニカ”を思い描く。
その血液の様なエネルギー体の孕んだ、腹の内からカッと燃え上がる様な凄まじい熱を自覚した瞬間、神喰の肉体は錯覚などでは無い凄まじい熱を持っていた。
エネルギー体の持つ烈火の如き熱気が神喰の体を内側から燃やして行き、その感覚は当人にとって耐え難い物であった。
「はぁ……はぁ……熱い……!」
余りの狂熱にじんわりと額に汗が滲む神喰はパッと目を開けて、息を整える為に手を膝に着いてしまう。
「いいぞ、それで良い。こちらも魔力の高鳴りを感じた。上出来だ」
アルカナムの満足そうなその言葉に神喰は取り合う事が出来ないが、ルヴニールは意外そうな声を漏らす。
「まさか魔力を持っているのか。しかも魔力操作の習得が恐ろしい程に早い。凄いぞ、マスター。それでこそ、我の認めたニンゲンだ。偉いぞー」
(だけど、これで後ろの二人に最低限並んだだけ……魔法使いにとっては、こんなの息を吸って吐く程度だろうし……)
完全に赤ちゃんが立ったレベルの扱いをされているのを肌で感じる神喰だった。
そうして背筋を伸ばした神喰は目を開いていたとしても、自身の内にある魔力と言う物を完全に知覚していた。
まるで、胸に手を当てれば自分の心臓の鼓動が分かるかの様に、完全に掴んだその感覚は神喰に未知のモノを齎していた。
(何となく、魔力の残量も分かる……これが、魔法か)
正確に言えばこれは魔法ですらないが、神喰にとっては跳び上がる程に嬉しい事だった。
「さて、本番だ」
「え? これで終わりじゃないの?」
「当たり前だ。これから始めるんだ」
その残酷なアルカナムの発言に神喰は泣き出したい気持ちに駆られるが、高校一年生にもなって恥も外聞も捨てて泣く訳にはいかない。
アルカナムは右手に持った紙を神喰に手渡す。
「そこに書いてある事をとにかく暗記しろ」
「え? 読めないけど?」
「“読む為”の物じゃない。それはプログラムだ。まぁ、とにかく頭の中で想起出来るレベルまで完全に覚えろ」
(無理難題を……)
神喰は鬼教官の発する鬼畜な発言に文句を言いたい気持ちに満ちるが、ここで反論でもしよう物なら、これを覚える事は出来なくなるだろう。
嫌々ながら神喰は紙に書かれた理解不能な文字の様な羅列に目を通す。
それから、五分。
「多分、覚えた」
神喰の不安げな言葉がアルカナムの耳を衝いた後に、アルカナムは、
「それなら、その覚えた呪文、肉体強化魔法を思い描いて、そこに魔力を込めろ。行け!」
アルカナムの凄まじい声量の声が轟く。
神喰は必死に覚えた先程の呪文を想起して、そこに魔力を流し込んで行くが、
「何も起きない……失敗した?」
神喰は自分の体に何も訪れない変化に困惑して、声を零す。
「……あぁ、何も起こっていない」
アルカナムの何とも言えない表情で放たれる言葉に、背中を刺される様な気分になった神喰だった。
ここからが大変だった。
「――『エンハンス』!」
「詠唱しても無駄だ、神喰」
神喰が詠唱したとしても、何も起こらない。
「じゃあ! コツを教えてくれ! 二人共!」
そう神喰がアドバイスを聞いたとしても、
「我は何となくで使えたからな……使えない人の気持ちが分からん」
「オレも同じだ」
「チクショウ!」
センスで出来たと言う二人には良いアドバイスが出来なかった。
「――『エンハンス』! 来い! マジで! 頼む! マジで来て!」
「熱量の問題では無いぞ? マスター」
凄まじい熱量を以てしても、何も起こらない。
神喰は途方に暮れていた。
「……あぁぁあぁ……これ……俺に魔法の才能……無いって事じゃ……」
「実際、簡単と呼ばれる魔法が習得出来ない奴でも、俗に難しいと呼ばれる魔法を習得出来る場合がある。それ程、魔法と言うのは当人のセンスやその魔法との相性が必要になって来るが、これを習得出来ない奴は居ない……」
アルカナムが困惑して言葉を零す。
そんな途方に暮れる状況の中で、ルヴニールは項垂れる神喰に静かに歩み寄って、
「マスター」
そう俯く神喰に視線を合わせて話し掛けて来る。
「……何だよ……ルヴニール……こんな簡単な魔法すら出来ないんだって、笑いに来たのか……?」
神喰は完全に心をへし折られて、意気消沈としてしまっているのだが、ルヴニールはいつもと変わらない調子で神喰の傍に立って、妖艶な紅の瞳で神喰の瞳を射抜く。
「今のマスターは画一的な考え方をしていないか? あのやり方を絶対に倣うべきだと、そう意固地になって、それに固執していないか? あの数学の教科書にもあったぞ。沢山のやり方があって、一番効率の良いやり方をやっているだけ。もっと自由に魔法を捉えて、自分の好き勝手に言語を作って、それで肉体を強化すれば良い。結果さえ出せれば、過程が教え方と違ったって、我はどうでもいい」
そう彼女らしいと言うべきか、ルヴニールにとっての最大限の助言をしてくれる。
「……あぁ、ありがとう。ルヴニール」
神喰は魔法と言う未知の技術に対して、確かに画一的になっていた。
やった事も無く、今までの経験が一切通じない未知の技術の習得は、神喰の心を良い意味でも悪い意味でも震わせた。
神喰は今一度、目を閉じる。
神喰がこの呪文を実行しようと試行していた時の違和感。
何か、この呪文に欠けたピースの様な物がある、と言う漠然とした違和感。
まるで、書き間違えてエラーが起きてしまったプログラムの様な、そんな違和感が神喰の脳裏に強く
それでも良い。
神喰はアルカナムに一通り教えて貰った呪文の文字列、その意味を今一度捉え直し、脳内に魔術言語を書き出して行く。
何かが足りない。
神喰は教えて貰った肉体強化魔法の文字列を一旦解体し、実行可能な物へと進化させる為に新しい魔術言語を編み出して、意味を再定義する。
その新たな単語はかなり漠然としたイメージだったが、それでも結果から逆算してこれくらいしか、当て嵌まる物が無かった。
その新たな単語を何かが足りない肉体強化魔法の呪文に書き足して、魔力を込めて行く。
――瞬間、神喰の心臓が何者かに掴まれた様な凄まじい寒気に襲われる。
それは寒気と同時に何か大事な物が体外に出て行ってしまう、そんな虚脱感と喪失感である。
それと同時に神喰を襲うのは、妙な寒気が気にならなくなってしまう程の凄まじい熱。
先程の魔力操作とは比にならない規模の凄まじい熱量。
腹からカッと熱を持った何かが全身を支配し、その狂熱は鮮烈に思考と視界を覚醒させて行く。
だが、それも長くは続かない。
「マスター、良く出来たな!」
嫣然とした微笑を湛えたルヴニールが、背後から神喰の集中を裂いて来たからだ。
「うわっ!?」
そうやって嬉しそうに後ろから抱き締めて来るルヴニールの甘い声に神喰は驚愕してしまって、完全に肉体強化魔法を中断してしまう。
彼を責めないでやって欲しい。
彼は小学四年生から女性経験がゼロでストップした哀れな男なのだから。
喜色に顔を破顔させるルヴニールの柔らかさにしっちゃかめっちゃかな神喰を静かに見ているアルカナムは少し微笑んで、
「良くやったな、神喰。その調子なら『エンチャント』もすぐに出来るだろ――」
アルカナムが言葉を言い終わる前に、神喰はルヴニールの拘束を解き放って、右手に持った紙をほっぽり出して部屋から出て行く。
「俺! 水が切れたから取りに行ってくる!」
そう風の様な速度で出て行ってしまう神喰がいなくなった私室は、妙な静寂に包まれる。
「マスター、行ってしまった……」
ルヴニールが残念そうに呟いて、何の気なしに地面に落ちた呪文が書かれた紙に目を通すと、
「……これ、記述を間違えてないか?」
「――? そんな筈は……」
ルヴニールが少しの驚愕を伴った言葉を発すると、アルカナムは焦って呪文の書かれた紙に目をやる。
「……確かに……誰を対象にするかについて書き忘れた……」
アルカナムの致命的なそのミスは、同時にある事実を知らしめていた。
「……詰まり、マスターは独自の魔術言語をここに書き込んで、発動まで漕ぎ付けた……と言う訳か」
それは誰にでも出来る事では無い。
確かに、アルカナムもルヴニールも誰かに習う事なく、独学で魔法を使える様になった為、神喰と同じ事をしている訳だが、それでも彼のセンスを否定する事は出来ない。
「神喰朔人は意外とコッチ側だったと言う訳だな」
二人は純粋に神喰の魔術のセンスに感嘆しているのだが、それが言葉に出る前に、
「おう、待たせたな!」
当の本人、神喰が部屋に戻って来たのだった。
その後、物体強化魔法の習得は驚く程に簡単であった。
「よし、それさえ覚えていれば、簡単に死ぬ事は無いだろう。一日で覚えられるとは、素晴らしいぞ」
アルカナムが神喰に満面の笑みで賞賛をくれるので、
「いやぁ、何か照れる」
今まで、こんな実直に賞賛された事が少なかったので、神喰は頭を掻きながら照れてしまう。
照れて嬉しそうに破顔する神喰を見届けたアルカナムは、
「ルヴニール、ちょっと……」
「何だ?」
そうルヴニールを静かに手招きするので、彼女は小首を傾げてアルカナムの傍に寄る。
そうして、アルカナムは何かをルヴニールに耳打ちしているのだが、神喰はそれを知る由も無かった。
「……え? それ、徹夜でやれって言ってるのか?」
「勿論。オマエの権能とも相性がいいだろ? 取り敢えず、頑張ってくれ」
そんなドン引きした様なルヴニールの、抗議したいと言う目線を華麗に流したアルカナムは神喰に、
「さて、今日は終わりにしよう。時間も遅い」
現在の時刻は十時を回る頃であった。
すっかり深夜になってしまっている。
「そうだな。取り敢えず、明日から怪物狩りとして頑張りますか! あぁ、二人が寝るのか分からないけど、寝るんだったら適当な空き部屋を使ってくれ! おやすみ!」
そう意気揚々と宣言する神喰に促されて、アルカナムは扉から部屋の外に出て行く。
「おやすみ」
そう言ってアルカナムは部屋を出て行くのだが、ルヴニールは呆然とその場に立ち尽くしたまま。
「どうしたんだ? ルヴニール?」
神喰がルヴニールに疑問を呈すと、
「……いや、何でもない……おやすみ」
心ここにあらずと言った様子で答えて、扉に向かって行く。
「――我の夜はこれからだけどな……」
そう
誰も居なくなって、静寂さに包まれる室内。
暗夜に喧しく鳴く蝉の音以外が聞こえない室内で、
「……そう言えば、ルヴニールがぶっ飛ばした男、どうなったんだ?」
まだ死んではなさそうだったが。
「まぁ良いか」
脳裏にフッと浮かんだ疑問は即座に脳の片隅に追いやられて、その意味を失う。
その後、神喰は定期考査の勉強をして、眠りに就いた。
仄暗い夜の帳が下りる空に懸かる、煌々とした月輪を仰いで、神喰の意識は睡魔に襲われてゆっくりと闇に落ちて行く。
負傷や疲労からか、いつもよりも早く訪れる睡魔に促されて、
――激動の一日が、幕を閉じた。
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