吸血鬼の灼眼は何を見る?

 アルカナムは神喰宅の居間にて、椅子に座ったまま思案に暮れていた。


 その熟考は全ての音を遮断し、外界の影響を一切受けない凄まじい物であった。


「……神喰朔人……一般的な出自の者が、『イル=ミドースの原罪』を受ける訳が無い。一体……何者だ?」


 そう戦慄と無理解に顔を曇らせるアルカナムの意識に急激に差し込んで来るのは、玄関扉を叩く乾いた打音である。


「……? 誰だ?」


 これが家主の神喰であれば、この様に戸を叩く訳が無い。


 少々の疑問を抱きながら、玄関まで歩いて行って、その戸を開け放つと、


「……ここに、アルカナムと言う人は……」


 そこには神喰を肩に担いだ少女がいた。


 だが、アルカナムはこの少女に見覚えがあった。


「ルヴニールか?」


 アルカナムはそう確かめる様に静かな言葉を掛けると、


「……『イタラ=クルクエス』様?」



 アルカナムは勝手にルヴニールを神喰宅に上げて、居間の椅子に座り込んでいた。


 神喰は最低限の応急処置をした上でソファに寝かし付けてある。


 体に刻み込まれた銃創や打撲に対して、家にあった絆創膏や包帯で止血や処置をしているのだ。


 アルカナムの眼前でチョコンと椅子に座り込む存在は、彼にとっては旧知の仲であるルヴニールその人であった。


 アルカナムはルヴニールから神喰に助けられた事を伺い、テーブル越しに座り合っていたのだ。


「……それで、こんな所で何をしているんだ? イタラ=クルクエス様?」


 そうルヴニールが疑念を持った瞳でアルカナムを射抜いて、疑問を呈して来る。


「オマエこそ、何で日本に来たんだ? ルヴニール」


 少々、剣吞な空気に包まれる居間の空間だが、そんな停滞と重苦しい空気を裂いて起き上がるのは、


「……うーん……ハッ! ルヴニール!」


 凄まじい速度で意識を取り戻した神喰であった。



 その意識は水面から顔を上げる様に浮上する。


 暗中に沈んだ意識が急速に覚醒し、掛けられていたのであろう毛布を足で蹴って、神喰は起き上がる。


「いや、意識取り戻すの早くないか? オレはもう少し掛かると思っていた」


 普通に考えれば多数の負傷に多量の出血、打撲による臓器への影響も懸念される危険な状態である。


 普通に救急車を呼んで欲しいと思う神喰であるが、そこは流石に怪物なので、常識を知らないのであろう。


 神喰の意外な回復力に驚愕するアルカナムの声が響くが、そんな事を言われても神喰は自分の体の事など知る由も無い。


「俺は病気に一度も罹った事ないし、怪我も普通の人より早く完治する体なんだよ! 昔から!」


 そうアルカナムの疑問に叫んで答えて、テーブル越しに椅子に座る二人の目の前まで歩いて行く。


「……二人共、もう仲が良い感じか?」


 そうだとしたら、脱帽するコミュニケーション能力の高さである。


(俺とは比にならねぇな)


 そんな事を考える神喰だが、二人の間に流れる微妙そうな空気にその考えは撤回する事になる。


「そうだな、オレ達は確かに旧知の仲だ。だが、ここで出会うとは思わなかった」


 そうアルカナムが純粋に疑問に思いながら、ルヴニールを視界の端に映す。


 その無遠慮な視線にルヴニールは、


「我はイタラ=クルクエス様を追ってここまで来た。16年前、日本に突然行ったかと思えば、それっきり姿を見せなかった貴方を追って……」


 そう身を切る様な切望を伴った言葉でアルカナムに話し掛けるルヴニールだが、神喰にとっては意味が分からないので、ルヴニールの言葉を中断させる。


「分かった! 取り敢えず、時系列で順々に言ってくれ! 後、イタラ=クルクエスって何なの?」


 そう少しふらつく頭で捲し立てた神喰の言葉にルヴニールは不服そうに少し頬を膨らませて、


「我の言葉を遮るとは……傲慢だな……」


「凄いブーメランだと思うんだけど?」


 そんな完全なブーメラン発言に冗談交じりで返す神喰だが、ルヴニールが話したそうにこちらを睨んで来るので黙る事にする。


「『イタラ=クルクエス』と言うのは、ある種の尊称の様な物と思って差し支えない。ただ、それだけだ。我は『吸血鬼の始祖』、現代に生きる吸血鬼を生み出した存在だ。詳細は省く。それで300年程前にイタラ=クルクエス様と出会い、今日まで交友関係があった訳だが、16年前に突然日本に行った切り行方が分からなくなり、それで……」


 そこで言葉を切ったルヴニールは、眼前に居るアルカナムから視線を外して、恥ずかしそうに顔を紅潮させて、


「……寂しくなって、日本に来た……」


 モジモジしながら、その尖った耳を赤く紅潮させて俯いてしまうルヴニールに、


「……オマエ、そんなキャラだったか? 昔のオマエは傲岸不遜で、唯我独尊って感じだった気がするが……」


 そう少々困惑しながら言葉を紡ぐアルカナムは、ただただ純粋に良く分からないと言った様子である。


「……失って初めて気付く事……と言う事だ……とにかく、我はイタラ=クルクエス様を追って日本に来て、三日間歩き回ったが見つからなかった。そうして腹が減って来て、力も出なくなって、血を求めて歩き回った。そして、あのカルティスト共に話し掛けた結果、あの惨状になったと言う訳だ。後は分かるな? 逃げ回る最中に少年に救われた。時系列としてはこんな感じだ」


 ルヴニールにあった出来事の顛末は理解出来たが、神喰には疑問がある。


「ちょっと分からないんだけど、ルヴニールが吸血鬼なら、一般人を襲って血をチュウチュウ吸えばいいじゃん?」


 この発想に至るのは至極当然の帰結である。


 自身を最強と自負し、人を殺すのにも躊躇いが無い、そんな人々が想像する化け物を体現した彼女が、何故か血液不足になってしまったと言う事実は意味不明である。


 そんな神喰の疑問を呈す言葉に、ルヴニールは当然と言った様子で、


「――我は怪物狩りだ。怪物狩りが罪の無い人々に害を及ぼすなどあってはならない。だから、我は許可してくれた人からしか血を貰わない。日本に来ても血をくれるだろうと思っていたが、話し掛けた全員に異常者扱いされた……悲しい」


(俺から許可貰って無くね? まぁ、あれは非常事態か……)


 そんなツッコミをしたくて堪らない神喰であるが、およそ吸血鬼とは思えない発言を堂々と言ってのけるルヴニールの言葉に、神喰は未だに疑問が尽きない。


「……あぁ、そっかぁ……まぁ、分かった。それで、ルヴニールは『最強のヴァンパイア』なのに、アルカナムにはさま付けするんだな」


 ただ脳裏を軽く突く疑問を神喰は言うのだが、ルヴニールは変わらず泰然とした様子で、


「……まぁ、我は飽くまでも“吸血鬼の中”での最強だからな。我はイタラ=クルクエス様の足元にも及ばん」


「それって矛盾してないか? もしかして、自称『最強のヴァンパイア』?」


 神喰は傲慢な態度のルヴニールに存在する謎の“謙虚”な姿勢に違和感を覚えざるを得ないのだが、ここまで一言も発さずに置いてけぼりにされているアルカナムが口を開く。


「……コホン、二人共、無駄話はそこまでにしてくれ……さて、ルヴニール、オマエはこれからどうする? オレと奇跡の再開を果たせた訳だが」


 そう訝しげに尋ねるアルカナムの質問にルヴニールは少し眉を顰めて、


「それはこっちのセリフだ。イタラ=クルクエス様が何をするのか、それによって我の動向は変わる」


 考えてみれば当然の事である。


 ルヴニールは何か明確な目的も無く、ただアルカナムに会いにこの場に来たのだ。


 アルカナムが日本で何を行っているのか、それを聞かない事には何も始まらないと言う物だろう。


「……それもそうだな」


「おい? アルカナム? もしかしてお前……頭が……?」


 そんな神喰のドン引きした声音の発言に対して、アルカナムは目を逸らして否定する。


「いや、オレは別に……うん……あぁ……でも……否定出来ないな……」


 正しくは否定しようとしたであった。


(何だこいつら……)


 二人の意外な面にどこか親近感が湧いて来る神喰であったが、その思考はアルカナムの紡ぐ声に遮られる事となる。


「コホンコホン、話を戻そう。ルヴニール、オレは16年前の『よんよん事件』に際して日本にやって来た。それから、オレは日本で怪物狩りとして活動し続け、今日この神喰と出会った。彼の持つ『イル=ミドースの原罪』を解除する為、オレ達はチームを組み、怪物狩りとして活動する事に決めた。詰まり……オレは日本にまだ少し居る事にする」


(『四・四事件』って何だよ?)


 そう簡潔に自身が置かれた状況を説明したアルカナム。


 神喰はアルカナムの言う『四・四事件』と言う単語について疑問を呈したいのだが、教えてくれる雰囲気では無い。


 その言葉を尖った耳で捉えたルヴニールは、幾許かの逡巡の後に椅子から立ち上がり、神喰の傍までグイグイと近付いて来る。


(え? 何? 何なの?)


 凄まじい勢いの接近に神喰は面食らって後ろに仰け反ってしまうのだが、構わず近付いて来るルヴニール。


 息が掛かる程の距離で顔を突き合わせる両者であるが、神喰の方は気が気でない。


(近い……)


 その血の色をした灼眼で神喰を映すルヴニールの柔らかそうな口から、


「――我も少年のチームに入れてくれ。我は怪物狩りで、イタラ=クルクエス様もこの場に居る。入らない理由は無い」


「え? それを言うならアルカナムに……」


 何を勘違いしているのだろうか。


 神喰は怪物狩りとしての初心者ですらない、本当の意味でのド素人である。


 確かに神喰は『学校七不思議』の一つ、『帰宅部なのに下手な運動部よりも速い』を体現する存在であり、運動神経は人並み以上であるが、間違ってもリーダーの器では無い。


 言い淀む神喰が救いを求めてアルカナムの方をチラリと見るが、彼は何も訂正しない。


 仕方が無いので、神喰は自身で訂正を行う事とする。


「ルヴニール、それを言うならアルカナムに言ってくれ。俺の一存じゃ決められない」


 そう困った様な表情をして訂正を行う神喰だが、それの言葉にキョトンとした表情をしたルヴニールは、


「少年がリーダーでは無いのか? イタラ=クルクエス様も否定しないし、君の精神性は十分リーダー足り得るだろう」


 そんな屈託の無い称賛に神喰は困惑してしまうのだが、これ以上話を長引かせても良い事は無さそうだ。


(俺はゴミみたいな人間なんだけど……まぁ、それでも仮のリーダーくらいはするか)


 そう神喰は刹那に逡巡して、ルヴニールの瞳を見つめ返す。


「うーん、分かった。じゃあ、ルヴニール、お前を俺達のチームに迎え入れる!」


 神喰は一切の邪気の無い笑顔でルヴニールを迎え入れる。


 その言葉にルヴニールは騎士の様に恭しく一礼をして、神喰の瞳を射抜く様に向き合う。


「神喰朔人……だったな。これからは『マスター』と呼ばせてくれ」


「……何で?」


 いきなりの主人扱いに驚愕を隠し切れない神喰だったが、アルカナムが立ち上がって神喰に耳打ちをして来る。


「……昔からこう言う奴だった。良く分からないあだ名を付けたがる奴だから、大目に見てくれ」


「……オッケー」


(って事は、『イタラ=クルクエス』も中二病的な良く分からないあだ名だったりするんだろうな……)


 そう少し可哀想な物を見る様な目を向けてしまう神喰だったが、何はともあれ神喰の怪物狩りチームは三人に増えたのだった。

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