無謀の代償は如何に

「待ってくれ! お願いだ……!」


 身を切る様に悲痛な切望の叫びを発するルヴニールの声も、徐々に消え入る様な声量に変わって行く。


 そんな悲痛な叫びを背に受けた神喰は、驚きに目を見張る男達に突っ込んで行く。


「あ? 逃げてんじゃねぇのかよ」


 本当にただ神喰の行動を意外に思う言葉を、銃を持った男は零すのだが、それと同時に侮蔑と狂気を孕んだ瞳を向ける。


「――英雄気取りが、調子乗ってんじゃねぇぞ」


 底冷えする様な気迫を込めた低い声が神喰に響くが、その程度では確固たる決意は揺らがない。


(……はぁ、何で怪物じゃなくて、人間と戦わなきゃならないんだ……)


 目まぐるしく加速して行く状況にて、神喰の戦いが始まる。


 眼前、銃を持った男に神喰は右の拳撃を放つ。


 死への強い恐怖によって、タガが外れている神喰の拳は通常の膂力と速度では無いが、男は軽く翻して躱してしまう。


 大振りの拳の隙は致命的であり、銃を持った男は躱す事で生じた神喰の間隙かんげきに、痛烈な膝蹴りをブチ込む。


「――ウッ! ガァッ!」


 神喰の腹部に凄まじい衝撃が突き抜け、臓器がひっくり返ったと錯覚する程の圧迫感に苦痛に満ちた声にもならない声を上げる。


 苦悶に目が飛び出そうになる程に目を見開く神喰は、そのまま重力に従ってコンクリートの地面に叩き付けられる。


「……お前さぁ、何で勘違いしちまったんだよ? 『自分が犠牲になれば誰かが助けられる』何て。ちげぇだろ? 『何をしようが、どんな抵抗をしようが、どうにもならない状況がある』だろ? お前らここで仲良く死ぬんだよ。何をしても意味ねぇんだよ!」


 心の底からの侮蔑と憐れみを向けて来る男。


 そこにある感情は『可哀想な奴』でしかない。


「おい、お前は吸血鬼を追え」


 銃を持った男はもう一人の男に逃げるルヴニールを銃で示して、そう指図する。


「へっ、お前もさっさと殺せよ? こんなクソガキ」


「分かってる。こいつはちょっと“教育”してから殺すわ」


 そこで吐き気を催す様な醜悪な会話を終わらせて、もう一人の男は足早にルヴニールを追って行く。


 神喰は眼前の鈍色の地面を恨めしそうに見つめながら、額からポタポタと流れ出て地面に落下する赤い血液を眺めていた。


 四つん這いになって、悔しそうに歯を食い縛る神喰の横腹に、男の蹴りが突き刺さる。


「――ガッ!」


 肺に溜まった空気を苦しそうに吐き出して、神喰は横合いの住宅街の塀に激突する。


 全く加速度を殺せずに塀に激突する神喰は、突き抜ける凄絶な衝撃に意識が明滅する感覚を覚える。


 神喰はその衝撃で口の中を切ったのだろう。口の端から血を流して、他にも鼻血や切傷による出血で顔面は酷いさまだ。


「どんな気分なんだ? クソみたいな正義感の所為せいで死ぬってのは?」


 そう不快感を吐き出しながら、塀に背中を預けて座り込む神喰の髪を強く引っ張って顔を向き合わせる男。

 

 髪を強く引っ張られる鋭い痛みが襲うが、神喰はその事を気にも留めず、

「……ハッ」


「なに笑ってんだ?」

 

 乾いた笑いが神喰から漏れる。


 男は苛立ちが込められるドスの利いた声で疑問を呈す。


「……お前、こんなちっぽけなクソガキすら満足に殺せないんだな」


 神喰は心の底から絞り出す様に嘲笑う言葉を男に浴びせる。


 どんな言葉が来るのかと思案していたのであろう男は、思考の外側にあった言葉への呆然とした顔は一瞬、その顔は鬼の形相に変わって行く。


「教育とか言ってたけど、怖いんだろ? 俺を殺すのが。心の中では人を殺したくありません、ってビビッて縮こまってんの、仲間にバレたくないだけなんだろ?」


 気でも触れたのか、濁流の様に流れ出す神喰の嘲笑の様な罵倒に男は、


「アァ? 誰が殺したくねぇって? ふざけんなよテメェ」


 口調は静かに思えるが、怒髪天を衝く様な怒りが男に蓄積して行く。


「じゃあ! 今殺せよ! その銃で! 今! 早くしろ!」


 神喰の激発する感情の発露に触発されて、男は額に青筋を立てて、


「じゃあお望み通りやってやるよ!」


「早くしろ!」


 ――次の刹那、耳を劈く様な炸裂音は鳴らなかった。


 シーンと静まり返る狂気と熱狂の住宅街の空気を裂くのは、奇しくも――、


「オラァァアァ!」


 神喰であった。


 銃を神喰に構えた男は困惑に一瞬固まってしまっている。


 その呆然とする間抜け面に神喰の右の拳が炸裂する。


 ゴッと言う鈍い肉を穿つ音が鳴り響いたと思えば、男はドス黒い鼻血を吹きながら、後方に後退りしていた。


 壁に背中を預けて立ち上がった神喰は悠然と、


「――お前、本当に銃のド素人なんだな。スライドストップが掛かってんぞ。弾切れだ」


 神喰はルヴニールを置いて行く際に、銃弾の嵐がやむタイミングで走り出していた。


 必然的に、男の銃は何かしらの要因で銃弾を発射出来ない状態にある。


 スライドストップは銃の残弾が無い時に、スライドを後退させたまま固定させる機構である。


 詰まり、その状態で銃は意味を成さない。


 もう既に予備の弾倉が無いのか、装弾数について完全に理解していないのか、それとも単純にリロードを忘れたのか、どちらにしろ、


「お粗末だな。ムカついたか? カルティスト野郎?」


 鼻血を止める為に鼻を押さえていた男は、怒りに身を震わせて、


「あぁ……最高にムカついちまったよ。クソ野郎がァ!」


 大気を震わせる程の絶叫で神喰に応じた男は、弾切れになった銃の弾倉を地面に落として、予備の弾倉をコートの中から取り出して、銃に込めて遊底スライドを引く。


 その男の態度に少しは留飲が下がる神喰であった。


(ごめん、爺ちゃん……アルカナム……ルヴニール……何も出来なかった)


 そう諦めた様に神喰は思い、俯いて今生を想う。


 ――だが、その視界の先、地面に垂れた血液が不自然に流動し、意思を持ってどこかに流れて行く。


 その流動を目で辿ると、ルヴニールが逃げている方向の少し先にある、道から外れた路地に流れて行くのが確認できる。


 神喰が殴られ、銃に撃たれ、傷を負う度に流れ出た血液が意思を持って集結し、惨憺たる“ナニカ”を呼び覚まそうとしていた。


 ――瞬間、全身が異常な寒気に襲われた様にガクガクと震えだし、肌が異質に粟立ち始める。


 急速に心臓の鼓動を速めるその異様な気配は、圧倒的なまでに襲い来る異質な死の予兆であった。


 凄絶に吹き荒ぶ顕在化された死の狂風に気付いたのは、当然ながら男も同じ様である。


「――ッ! 何だ!?」


 神喰はこの異質な気配に対して、何も言えずに動けないが、流石と言うべきか男は警戒と動揺に叫ぶ。


 ――次の刹那に血液が集合して行った路地から、もう一人の男が吹っ飛んで来る。


 凄絶な勢いで矢の様に突っ込んで来る男が塀にぶち当たって、バキッと言う轟音を立てて塀にヒビを入れながら完全に沈黙する。


 一連の男の末路を見届けた神喰と男は身動き一つ取れないが、それを置き去りにする超常の存在。


 ――路地から、超然とした佇まいで『吸血鬼』が歩み出る。


「――少し腹が減った物でな、つまみ食いさせて貰った」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る