『空虚なる黄昏教団』

 神喰は強い決意を伴ったその右手で、少女の左手をしっかりと保持していたのだ。


「……少年?」


 少女は神喰の行動が理解出来ないと困惑している様子だが、それを置き去りにして困惑と警戒を感じさせる声音で男が神喰に問い掛ける。


 その男の瞳はただひたすらに不快そうだ。


「……あの、その吸血鬼の処理を俺に任せてくれませんかね? 俺も怪物狩りの端くれなんで」


 そう言ってのけた神喰は訝しげに光る男の瞳を強い決意を持った瞳で射貫く。


「はぁ? この近辺で活動してる怪物狩りなんか聞いた事ねぇぞ。ローカルか? それにしても耳にすらしねぇな」


 そう強い疑念を持った声音で銃を右手に担った男が言葉を紡ぐ。


 このままでは彼らの疑念は晴れる事も無いまま、少女は連れて行かれるか、最悪の場合神喰が射殺される。


(ここは……パッションか)


 神喰がそう思考した瞬間に、即座に行動に移す。


 自身の胸に手を当て、全霊で肺に酸素を送り込んで、強い自分を演出する。


「――俺は! 怪物狩り、神喰朔人! イル=ミドースを殺す者だ! お前らの界隈じゃ、有名な神格だろ! そんな奴を殺すって言ってんだ! 文句あるかよ!」


 神喰は不安感と焦燥を吹き飛ばす様に声を轟かせる。


 神喰自身に強く響き渡る声は声量以上に心根を震わせて、弱い自分を奮い立たせる物だった。


「……そうかよ」


 少女の右手を強く掴む男が静かな声色でそう告げると、


「――じゃ、俺達の敵だな」


「――は?」


 神喰が男から放たれる意味の分からない言葉に愕然としていると、火薬の炸裂音と共に鈍い金属の輝きを放つ銃弾が頬を掠めるのを視界の端で視認する。


 神喰の右頬に銃弾を掠めた事による切傷が刻まれる。


 ツゥッと血が右頬を静かに垂れるのと、それによる鋭い痛みに気付いた時にようやく、神喰は銃撃された事に気が付いた。


 傷は深手では無いが、それ以上に頭を急に鈍器で殴られた様な衝撃に固まる。


 そんな神喰に、少女の右手を掴む男は物の様に杜撰に少女を振り被って、神喰の方向に投げ飛ばして来る。


 凄まじい速度で転ぶ様に飛来して来る少女を何とか体で受け止めた神喰は、身に着けている特徴的な金色のバッジを見せ付けて来る様にして叫ぶ男達を視界に映す。


「――イル=ミドース信仰組織! 『空虚なる黄昏教団』! 俺達が所属する組織の名前だ! もう言わなくても分かるだろ!? お前はイル=ミドース様の敵なんだよ! さぁ! その吸血鬼と共に面白可笑おもしろおかしく逃げ回りやがれ! 狩りの開始スタートだ!」


 そう慄然とした狂気のままに言い放って、正気を失った瞳で神喰達を睥睨する男達。


(怪物狩りは真っ赤な嘘! 実態は邪神崇拝の狂信者カルティストって訳か!)


 そう神喰が思ったのも束の間、少女を受け止める時に尻餅をついた彼の足元に火薬の炸裂音を伴って銃弾が炸裂する。


 パァン! と言う音を立ててコンクリートの地面に銃痕が刻まれたのを見届けて、神喰は少女を小脇に抱えて、窮境に大きく咆哮する。


「スティックのりを買いに行かせろ! バカヤロォォォォォ!」


 何故だろうか、この変質者の少女を助けるような真似をしてしまったのは、


 ――神喰自身にも分からなかった。


 男の担う拳銃が灰色の硝煙を吹き上げて、炸裂音を伴って死を運んで来る。


 その弾丸は金属が鳴らす甲高い音を上げて、住宅街の塀や地面に着弾して弾痕を残すのだが、風の様に疾駆する神喰に命中する事は無い。


「クソエイムが! 何やってんだよ!」


「だってよぉ、さっきのが初ヒットだぜ? 大目に見ろよ」


 そんな風に醜悪な会話を繰り広げる男達から距離を取る為に、更に疾走の速度を上げて行く神喰は、横合いに見える路地に滑る様に入り込んで、壁面を遮蔽物にしながら男達の様子を伺う。


「取り敢えず、少し距離は取れたな。大丈夫か?」


 壁面にもたれ掛かる様に座らせた少女を案じて神喰は言葉を発する。


「……我は問題ない。だが少年、何故助けた? このままでは……」


 意識も虚ろな瞳で、行く末を案じる様に問い掛けて来る少女に神喰は、


「俺、狼男の友達が居るんだ。まだ、そいつの事は何も知らないし、会って三十分くらいだけど、俺は友達だって思ってる。“死なない”友達って初めてで、俺は嬉しい。で、俺は辛そうなお前を見捨てられなかった。だから――」


 神喰の独白の様な言葉の続きに、何を言うのだろうと少女は訝しげに目を細める。


 壁から身を少し乗り出して向こう側を伺っていた神喰が、大気を鋭利に裂いて飛来する弾丸の跳弾に額を切られる。


 脳を白く焼く痛みを伴って、額から一筋の血が垂れて来るのも構わずに、


「――俺の友達になってくれ」


 そんな人が聞けば鼻で笑ってしまいそうなキザなセリフを吐いた神喰に、信じられない物を見るかの様に少女は目を見開いて、その後に苦笑混じりの嫣然とした微笑を湛えて、


「……ふふ、1500年間も生きて来たが、友達になってくれは流石に初めてだな」


 毒気を抜かれた様子の少女の言葉に取り合っていたいが、そうは問屋が卸さない。


「チッ、逃げるぞ!」

 

 男達が狩りの悦楽を噛み締める様にゆっくりと神喰達に迫って来ているのだが、例えそれが緩慢だったとしても残りの時間はもう既に無い。


「バァ! みーつけた!」


 銃を持った男が凶悪に破顔した表情で壁から顔を覗かせて、驚かせる様に吠えると、路地に向けて拳銃を発砲して来る。


 耳を劈く炸裂音が聞こえる前に神喰は走り出し、少女を腕に抱えて逃走を開始した。


 神喰の鼓膜には喧しいゴォっと言った風切り音が衝くのだが、それを完全に塗り替えてしまうのが、背後より炸裂する死の弾丸だ。


 それは貫かれれば肉体を容易たやすく破壊し、物言わぬ肉塊へと変える致命の銃撃だ。

 

 その死をもたらす致命の弾丸に対して、ジグザクに疾走して出来る限り被弾を減らそうとするが、そんな苦肉の策では窮地を逃れる事は出来ない。


「――イッ!」


 神喰の努力は虚しく、その体には銃弾を掠めた事による裂けた様な傷が幾つも刻まれて行く。

 

 急激に体がカッと熱を持ったと錯覚し、襲い掛かって来る痛みに声を上げて、流れ出る神喰の命の淵源えんげんである血液が少女に付着してしまうのを申し訳なく思う。


 電撃の様に迸る鋭い痛みが全身を支配して脳を白く焼き、走る事を止めさせようとするが、それでも神喰が疾走を止める事は無い。


 火薬の硝煙が徐々に空に溶けて行く路地を抜けて、そのまま右に曲がって神喰宅の道を疾走し始める。


「このまま俺の家まで走り抜ける!」


何故なにゆえ?」


 そう問われた神喰は痛みにうめく体を必死に動かして、


「俺の家には、アルカナムって言うメチャクチャ強い気がする怪物狩りが居る! そこまで行けば……」


 今の所、神喰に出来る最良と思われる策を発表するのだが、


「いや、無理だろう。『人払いの結界』は飽くまでも『結界』だ。我々を閉じ込める事なぞ訳ないだろうな」


「……へぇ、それはヤバい」


 速攻で少女に神喰の策は一刀両断されてしまう。


 息も上がって来て、肉体が酸素を渇望しているのが如実に伝わって来る。


 神喰は息苦しさに張り裂けそうな胸の痛みを堪えて、思考を必死に回転させる。


 飛来して来る銃弾の嵐にて、


(どうすれば……この状況を打破出来るんだ……)


 その一、奇跡的に誰かが助けてくれる。


 その二、神喰が男二人を倒す。


 その三、このまま逃走する事に成功する。


 その四、現実は甘くない。誰かが犠牲にならねばならない。


 生物にとって必要不可欠である酸素が足りなくなり始める脳の思考で導き出した、神喰にとっての最善手。


 それを導き出してしまった瞬間に、神喰の目尻に涙が少し溜まるのだが、それを決して気取けどらせない様に小脇に抱えた少女に語り掛ける。


「……ごめん、“最期”に名前を聞かせて貰っても良いか?」


 何か悲壮な決意をした様な神喰の暗い顔から放たれる、静謐な言葉に少女は、


「……ルヴニール」


 そう何かを感じ取った様な面持ちで神喰からの問いを返す少女に、決意を揺るがせない様に矢継ぎ早に、


「このまま真っ直ぐ行ったら、人が殆どいない住宅街の中に表札が無い明かりの点いた家があると思う。結界が閉じ込める物とは限らないし、その家が結界の範囲に含まれてるかもしれない。だから、這ってでもそこを目指してくれ」


 死への警鐘を鳴らすかの様に喧しく鳴り響く耳鳴りを必死に無視して、濁流の様に流れ出す言葉を少女、いや、ルヴニールに浴びせる。


「……それなら、まだ走ろう。まだ、希望はあるだろう?」


 そんな切望する様な言葉をルヴニールは掛けて来るが、神喰は取り合わない。


「――じゃあな」


 ただ一言だけ言って、神喰は走っている最中である為、荒々しくルヴニールを地面に置き去りにした後に反転、男達に走り込んでいた。


 ――導いた答えは、その四だった。

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