30:たこ焼き(白の国・第2の都市)

 異世界屋台・一期一会(時にボヤージュ)も、本日を以って今年の仕事納めとなる。

 店主の飯福航いいふくわたるは、シャッター街(ほとんどの店が既に年末休暇に入っているようだ)と化したアーケードアーチの下を、ひとり歩いていた。

 この場所自体に年の瀬の挨拶を、と思ったのだ。身の回りのものへの感謝。それを強く意識するようになった一年だった。


「……豊原さんのお孫さんは大丈夫かな」


 一哲うどんの前で、ついそんなことを呟いてしまう。自分がここで心配していても詮無いと知りながら。


「ムグムグも頑張ってるよな。檸檬ちゃん、ちゃんとご飯食べれてるかな」


 あの幼い笑顔を思い出す。また機会があれば、積極的に食事を作ってあげよう、と。


「肉マサムネ……何だかんだ、今までのお客も離してないんだよな」


 代替わりは今のところ、順調を通り越して快調といった様相だが。食べ物屋は、そう簡単なものではないということも飯福は嫌というほど知っている。もちろん、このまま順風満帆にいって欲しいとは願っているが。


 魚屋、喫茶店、ラーメン屋……次々と通り過ぎていく。そして、商店街の果て。一軒だけシャッターが上がっている店があった。だが営業はしていない。照明の落ちた暗い店内。調理台にはヘラや空のオイルポットが無造作に置かれていて、敷地端ではテーブルの上に椅子が引っくり返して載せてある。鉄板や業務用たこ焼き器などはコンロごと取り外しており、そこだけは空っぽ。


「……味は良かったんだけどな」


 たこ焼き屋『仁八じんぱち』。年末28日を以って閉店となってしまったテナントだった。飯福と同い年の店主が今年の四月にオープンさせ、当初はそこそこ健闘したものの、立地の悪さは覆せず。敢えなく散ってしまった。


 飯福は付近をグルリと見やる。整骨院と歯科医院に囲まれている場所。ここら辺まで来るのは年寄りが多く、整骨や歯の治療の後に「じゃあ、たこ焼き買って帰ろう」とは、中々ならないように思う。やはりもう少し商店街の中央付近に出店できていれば話は変わっただろう。もしくは小中高生の通学路の途中などもアリか。


「そんなことは言われなくても分かってるだろうけど……」


 好きな立地を好きなように確保できるのなら誰も苦労しないワケで。

 飯福は『仁八』に背を向ける。寂しいが、弱肉強食の世界だ。こうして敗れ去った店舗は彼も腐るほど見てきた。


「俺は恵まれてるよなあ」


 店舗を構えるリスクは取らず、労働時間も短くて、臨時収入(もちろん、寄進と判断したカネについては手は付けないが)も割とある。本当に幸運だった、と改めて飯福は思う。あのままクローゼットが異世界に繋がらずに、日本で自営を始めていたら、ここと同じ運命を辿っていたかも知れない。三年で七割が店を畳むとも言われる厳しい世界なのだから。


「弔い……じゃないけど。たこ焼きでも作るか」


 せめて同学年の同胞として、ここに店があったことくらいは覚えておいてやりたい。そんな風に思い立ち、飯福は商店街を抜けて、ギリギリ今日までやっている全国チェーンのスーパーへと向かった。


 ………………

 …………

 ……


 材料を買い込み帰宅。早速、たこ焼きづくりに取り掛かる。


 まず、800mlの水に顆粒だしの素を小さじ2投入した物を煮て、だし汁を作る。並行してタコも茹でておく。どちらも頃合いで火を止め、だし汁は冷蔵庫に入れて冷ます。

 タコの方は2センチ角ほどに切り刻む。飯福の個人的な感想になるが、タコの小さなたこ焼きに出会うと悲しくなる。なので自分が作る際は、こうして大きめに切ることにしているのだ。


 続いて生地に着手。ボウルに卵を2個割って、溶いていく。薄力粉200グラムを加え、泡立て器で混ぜ合わせる。寝かせておいただし汁を冷蔵庫から取り出し、少しずつ加えていく。再び泡立て器を使い、ダマがなくなるまでよく混ぜる。


 セットしておいた、たこ焼きプレートの温度を上げていく。熱しきったところで、サラダ油を染み込ませたペーパーで、穴ぼこの中に油をひいた。

 生地を流し込む。その生地の上から、全穴に漏れなくタコを放り込んだ。刻んだ紅生姜、青ネギも散らして、あとは待ち。


「……」


 穴から溢れている生地の焼け具合を見ながら……頃合いでピックを持った。まず、はみ出した生地を穴に掻き入れるようにして合流させる。続いて、ピックの先端を穴の中に挿し入れ、下の方が固まっているのを確認。指先だけでクルリと返すと、丸っこいキツネ色の塊が顔を出す。


 再び待ちの時間。ピックを穴の中に挿し込み、固まり具合をこまめにチェックし、良い塩梅になったところで、また引っくり返した。その後は、何度か引っくり返して形を整えながら、表面が少し固くなるまで焼いて、出来上がり。これで外はカリッと、中はトロトロの二重食感のたこ焼きになったハズだ。


 少し冷ましてから、一つ味見。ハフハフと犬のような鳴き声をあげながら平らげた飯福は満足げに頷いた。良い出来だった。


「今日はこれを出す。ジャンジャン焼くよ」


 願わくば、最大キャパの三人だと良いのだが。

 居間のクローゼットの発光が収まるのを待ってから、飯福はそっと戸を開けた。



 ◇◆◇◆



 深く下げていた頭を、ゆっくりと上げたゲンドボーは、そのまま遺族の背中をジッと見つめる。幼い息子を亡くしたばかり、憔悴した様子で『聖葬会せいそうかい』を訪ねた者たちだった。


 聖都では、亡くなった信徒たち、その亡骸は教会が管理している。

 なので、遺族たちにとって、遺体管理と葬儀主催を一手に引き受ける『聖葬会』に亡骸を預ける時が、家族としての最後の別れということになる。


 今回のように遺体が子供である場合、さらに事故などの突発死である場合などは、心の準備が出来ていない分、遺族たちがより悲痛な声で泣き叫ぶのだが……


「いつまで経っても慣れませんね」


 慣れたいとも思わないが。

 ゲンドボーは余児院を出て15から、今年で10年、この会で働いていることになるが、やはりああいったケースは哀切としか評しようがないのであった。


 遺族の背から目を切り、会の建物へと戻ると、同僚の大聖徒イヴェルタが待っていた。彼女が机の上の書類を指すので、パラパラと目を通す。先程の遺族、かなり裕福な階級だったらしく、最高級の墓石を希望したとのことだ。『天剣てんけん』のギフトを持ち、『異世界一刀流いせかいいっとうりゅう』開祖として勇名を馳せた、シナノ・キンヤが手ずから切り出した墓石。これが現在、白の国で最も価値の高いものだ。


「寄進が……こんなに」


 売買という言い方はしないが、実質はそれである。遺族の寄進が少ないと、高級な墓石は宛がわれない。しかし、その墓石を作るシナノ本人はその恩恵を一切受け取らないのだから、頭が下がる思いだ。と同時に、教会の裏にある汚い部分を目の当たりにするようで、ゲンドボーはこの制度は全く好きではなかった。


 一つ溜息をついて、小さな棺を担ぎあげる。


「手を貸しましょうか?」


 イヴェルタのその申し出は、首を振って断った。棺はあまりに軽く、一人で十分だったからだ。こんなに小さな子供が、と改めて沈鬱とした気持ちになりかけるが、気を取り直して部屋を出て行った。

 館の中の、とある一室。そこには事務机も椅子も何もなく。ただ中央にポッカリと穴が開いていて、そこに地下へと続く石段が存在するのみだった。部屋全体がヒンヤリしている。地下から冷気が上がってきているのだ。一旦、棺を部屋の隅に置いて、ゲンドボーは上着を着こむ。そして棺を肩に載せ直すと、ゆっくりと階段に足を掛けた。


 長い長い階段。ようやく下まで辿り着くと、そこは極寒の地下霊園だった。棺が整然と、どこまでも並んでいる。広大な空間だった。

 ゲンドボーは身震いする。空間は氷で出来た壁に囲まれていた。とにかく寒い。死体を腐らせないために必要な措置ではあるが、訪れる度、生者である自分が拒まれているような感覚に陥ってしまう。


 一番奥まで棺を担いでいく。この年に亡くなった遺体が全て納められているのだが、一月一日から順番に手前側に置いていくのだ。出棺の際に、古い者から先に火葬されるように。

 そして今日、12月29日、年度末ギリギリのこの少年の遺体は一番奥へと。


「明日すぐ、ですけどね」


 12月30日から12月31日にかけて、『再聖祭さいせいさい』という神事がある。耐用年数を超えて、奇跡をもたらせなくなった白のマナタイトを、大聖徒たちの祈りで復活させるという儀式なのだが、それに合わせて『聖葬せいそう』も行われる。死と再生、甦るマナタイトたちの輝きに照らされながら送り出される遺体たちもまた、輝くような佳き次生へと生まれ変わる。そう信じられているのだ。


 氷の壁(『整寸せいすん』というギフトを持った者たちが、この地下霊園の壁にピタリ合うように切り出した氷)もまた、一年の終わりに砕かれて各家庭に配られる。死者と共にあった氷を少しずつ溶かして飲んだり、氷室ひむろとして使ったりすることで、次の一年も故人を惜しみながら過ごせるのだ。こちらは戒律ではないが、いつの間にかそういう風習が出来上がっていた。


 ゲンドボーは棺を置き、一度しゃがみこんで両手を合わせる。白の大神の加護を願って。

 祈りを終えると立ち上がった。ちょうどその時、階段の上から話し声が聞こえてきた。イヴェルタの声と、もう一つ。こちらは教会本部の人間だろう。棺の数を確認しに来たのだ。〆という言い方は不適当だが、本年の聖葬で送られる遺体はこちらを以って終了だ。本日の午後、30、31に亡くなった場合は来年の一月一日付けの死亡者扱いとなる。


 二人が合流した後、棺の数を全員で数える。三重チェックの構えだ。書類で管理はしているが、記入漏れなどがないよう、こうして最終確認もする。割とバカに出来なくて、数年に一度くらい、書類と実際で数が合わないことがあるのだ。


「お疲れ様です。それでは私は、数を伝えに行きますので」


 教会本部から来ていた女性の大聖徒は、そのまま名簿の写しを持って帰って行った。再聖祭の中で、あれを大聖徒長が読み上げ、参加者全員で悼むのだ。

 彼女を見送り、聖葬会の二人も終業。会の建物の鍵を締め、帰路に着く。

 遺体がいつ運び込まれてくるか分からないため、普段は24時間体制で稼働している会だが、仕事納めの今日は別である。


「でも今年はツイてたね。再聖祭前の一週間が日勤だったもん」


 イヴェルタが気安い調子で話す。勤務時間が終われば、彼女とゲンドボーは夫婦の距離感へと戻るのだ。職場結婚をして二年。公私は厳格に分けており、知らない者や遺族らから、そういう関係を悟られたことはない。


「深夜の再聖祭も趣があって好きだけどね」


「えー。嫌だよ。寒すぎるし」


 年末の寒い時期に野外で、二晩ぶっ通し(祈る大聖徒は交代制だが)で行われる神事。確かに夜は究極に寒いのだが、大聖徒が言うのは不適切である。夫婦の間柄だからこそ言える軽口だった。


「今日の子供さん……可哀想だった」


「ああ。見てるだけで辛かったよね……何年やっても慣れる気がしないし、慣れたくない」


「うん……」


 やがて会話が途切れる。

 しばらく無言で歩いていると、大聖徒たちが多く住まう地域まで戻ってきた。

 そこから更に五分ほど歩いて、自宅に到着。錆びた鉄格子門の鍵を開け、家屋側へ押すとキイと嫌な音を立てる。白い石段(これも角が欠けていたりするので、中央を踏まないと危ない)を二段上がると玄関戸。

 家に入ると、二人で料理をした。といっても、いつもの聖餐せいさんなので、真っ白くて味のしない昼飯だ。


「明日は美味しい物、食べたいね」


 祭の間は、大聖徒も食事制限を緩めることが許されている。観光客向けの屋台が出たりするのだが、そこにコッソリ紛れたりする者もいるくらいだ。自分たちもそれをしようか、と夫婦は話している。イタズラの計画を立てるような、子供っぽい笑顔を浮かべながら。

 そんな風にして、仕事納めの一日はのんびりと過ぎていった。






 再聖祭当日。聖都から気球で約半日の場所にある集落、白の国第2の都市がその舞台となる。これといった産業はなく、人口もごく僅か、経済力も雀の涙ほど。だというのに第2に数えられているのは、その文化的・宗教的価値による。

 教会創始者にして初代大聖徒長を務めた、パヴァ・キンブレスの出生地として知られ、こうして再聖祭の舞台ともなっている、国随一の聖地なのだ。


 その街の南側に、『再聖の架け橋』がある。

 高さ100メトルほどの崖同士を渡すようにして、架けられた橋。ただそれが、普通の橋と一線を画すのは、全くの無色透明である点だ。加護が切れ、色を失った白のマナタイトは、透明な水晶のようになる。それを幾重にも重ねて、石橋としているのだ。ただまあ、向こう側の景色も透過するので、遠目には何も架かっていないように見えるが。

 

 そして今、当代の大聖徒長が到着した。西側の崖の上に敷いた柔らかなマット、飲み物の入った薬缶などの備品を自らチェックする。


「皆さん。今年もいよいよ再聖祭の当日を迎えました。気を抜かず、例年通り成功裏に終えられるよう、お力をお貸しください」


 一同にペコリと頭を下げる大聖徒長。相変わらず腰の低い人だ、と苦笑したゲンドボーだったが。


 と、その時。控えていた大聖徒の一団から大きな声があがる。事故か、と素早く振り向いた彼の目が捉えたのは……黒髪黒目の男の姿。


「マレビトの……イイフク・ワタル様!?」


 隣のイヴェルタが先にその名を発した。二人して、降臨の折に神気を分けてもらいに訪ねた相手なので、顔もよく覚えている。

 そしてそれは他の大聖徒たちも同じで、異口同音に再会の喜びを伝えていた。仕舞いには、男の大聖徒たちが彼の背や膝裏に手を当て始める。


「やめろ、やめろ。胴上げはもういいから」


 寸での所で逃げ出すイイフク。そこで大聖徒長が声をかけた。


「お久しぶりです。イイフク様。今日という日に、こちらにお越し頂けるとは……!」


「え? ああ、大聖徒長さんか。今日……なんかあるの?」


 どうやら別に再聖祭に合わせて訪れたワケではないようだった。

 大聖徒の一人が、簡単に今日行われる神事について説明すると、「へえ」と興味深そうに目を大きくした。


「今日も屋台を出すんだが……崖の下でスペースは余ってるかな?」


「はい。今年は例年より少なく。しかしイイフク様の店が出ると知れば、きっとみな喜びます」


「そうか、良かった。アンタらは……難しいか。たこ焼き、美味いんだがな」


「いえ。我々も」


「この一カ月、聖餐だけで過ごしておりますので」


「そして祭事にあっては、少しだけ神々も贅沢をお許し下さるので」


 割と食い気味な大聖徒たち。全員、本心では色んな物を食べても良い(もちろん節度はあるが)今日と明日を楽しみにしていたのだ。それは大聖徒長も同じのようで、立派なアゴ髭に隠れた口元がジュルリと小さく音を立てた。聞き咎められて恥ずかしそうにしている。


「そういうことなら……日頃の感謝を込めて、俺からもアンタらに寄進させてくれ」


 言いながら、イイフクは親指で背後を指す。そこに料理があるのかと、みんな指の先を視線で辿ったが、何もない空間があるだけだった。

 

「イイフク様のギフトは、異世界のご自宅と繋がることが出来るとか」


 この場で唯一、マレビトのギフトの詳細を知っている大聖徒長が、少しアヤフヤながら説明する。イイフクは頷き、クルリと背を向けると、10歩ほど歩いていく。と、そこで突然。彼の行く手から眩い光が発生する。思わず妻を抱き締めるようにして庇ったゲンドボーだったが。


「……?」


 光るだけで特に何もなく。そのうち、イイフクがその光を背負うようにして、こちらに戻ってくる。どこかの空間(彼の自宅ということか)に行ってすぐ戻って来たという風だ。

 やがて歩いてくる彼の手元に皿を認め……なんとも芳醇な香りに鼻を刺激される。


「ゲンドボーさん」


 イヴェルタが、軽く夫の腕を叩いて注意を惹く。ハタと気付いて、慌ててゲンドボーは彼女を離すが、周囲からの生暖かい視線は注がれっぱなしだった。少し赤くなる二人。だが、それよりも皿から漂う強烈な香りに、周囲の視線もすぐにそちらへ移る。


「ちょっとテーブル借りるよ」


 大皿を持ったまま、教会側が簡易に設置したテントの中へ。木の長テーブルの上にトンと置いた。いやしくも全員がついて来ていた。


「はい、どうぞ。全員分あると思う」


 イイフクが体を退けると、皿の上が見える。長楊枝の刺さった丸い茶色の食べ物。それがギッシリと積まれていた。やはり嗅いだことのない良い匂いがする。

 ぐるるる。きゅるるる。

 あちこちで腹の虫が鳴いていた。


「なんでしょう。見たことのない食べ物です」


「ですが……途轍もなく美味しそうです」


「はい。イイフク様の料理は全て絶品と伺っています」


 フラフラと、吸い寄せられるように最初の数人が長楊枝の先を摘まんだ。なんと大聖徒長もその第一陣のうちの一人だった。


「では、失礼しまして」


 しかも実食も一番手。アゴ髭の奥に隠れた口へ……


「あ、中は結構熱いから、気を付けてな」


 寸前でかけられたイイフクの言葉に、大聖徒長の手が止まる。そして前歯で恐る恐る噛んだ。途端、彼は大聖徒たちの誰一人として見たことのない顔になった。それを見れば誰でも分かる。美味いのだ、と。

 ゲンドボーとイヴェルタも、スルスルとイイフクに近付き、楊枝をもらうと、一つずつ突き刺した。目で合図を送り合うと、同時に前歯で半分ほど噛んだ。


「「ん!?」」


 濃い、とても濃いソースの味。きっとこれが先程からの香ばしさの正体なのだろう。甘辛く、どこか果実の旨味も含んだ不思議な味わい。舌の上で踊れば、少しむせそうになる。ただそれは不味いからでは決してなく、単純に最近の聖餐との落差に、舌や喉が追いついていないためだ。それが徐々に馴染んでくれば。


(美味い)


 そして、たこ焼きのカリッとした表面に更に深く歯を立てて割ると、中からトロトロとした半液体状の生地が流れ出てくる。ハフハフと外気を口の中に取り込んで冷ます。そうしている間にも、濃厚な旨味が口中に広がっていた。ソースよりは薄味だが、コクが深い。魚の匂いも微かに感じ取れた。


(果物と魚……どうやって調味料に落とし込んでるんだ)


 少し冷めた残りを、グッと噛み締め、味わいながら嚥下する。


(美味すぎる! が、あまり食べ過ぎてはいけない)


 いくら多少は許されると言っても、節度が大事である。自分たちは大聖徒、他の信徒たちに範を垂れる存在だ。そう強く心を持つが、


 ――ぐううう


 体は正直だった。周りの者たちもグッと歯を食いしばっているが、誘惑は払い難しといった格好。


「も、もう一つだけ……いただきましょうか。その代わり、新年からは聖餐を」


 大聖徒長の鶴の一声で、おかわりが決定したのだった。


 ………………

 …………

 ……


 食後。イイフクの案内を任されたゲンドボーとイヴェルタが、橋から程よく離れた場所まで彼を連れて行く。イイフクいわく、今日の客は彼ら夫妻だったらしく、「もう提供ノルマは終わったよ」とのこと。あまりよく分からなかったが、恐らくもう気兼ねなく自由行動できるということだろう。


 イイフクは簡易のテーブルと、大量のたこ焼きを持ってきて、余児院の子供たち全員に食べさせた。もちろん、こちらも無料なので今日は彼は丸一日、寄進に費やした格好だ。と思ったら、匂いに釣られてやってきた観光客たちからは、ちゃっかりカネを取っていたが。


 様々な国、地域からやって来た観光客たち。当然、箸食文化に馴染みのない者も多くいたが、楊枝で刺して食べるという形式から、万人にウケた。

 また他の屋台を周りながら、片手で食べられる手軽さも好評を博す。聞けば、イイフクの世界でも祭屋台の定番料理の一つだということで。まるで今日という日に誂えたようだ、とイヴェルタが言うと、


「これが中々どうして必然でな。クローゼットのヤツ、その料理にマッチする人を客に選んでくるんだよ」


 そんな風にマレビトは答えた。ボヤくような感心するような、曖昧な声音だった。


 やがて遠く、第2の都市から鐘の音が響いてくる。三回。夕方の三時だ。そしてそれと同時、観光客も聖徒も非番の大聖徒も、一斉に透明の橋を仰ぎ見た。

 

 夕日を受け、そのオレンジを透過してしまう程に透き通った石橋。その上を大聖徒長が中央まで歩いて行く。丸きり宙を浮いているようにしか見えない。初見の観光客たちから、どよめき。夫婦の傍に立つイイフクも「おお」と仰け反った。


「皆さま、本日は再聖祭にお越し下さり、誠にありがとうございます。その篤き信心を神々は必ずや、ご覧になっておいでです」


 大聖徒長の挨拶が始まる。よく通る声で、遠くまで聞こえているようだ。ギフトなどではなく、彼の地声だったりする。


「これより31日の午後23時30分まで、御祈祷の時間となります。セレス様がお与え下さった白の奇跡が、再び輝きを取り戻すまで、どうぞ皆様もお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます」


 そう〆て、大聖徒長は深く頭を下げた。そしてそのまま東側の崖へと渡る。その反対、西側のテントから出てスタンバイしていた大聖徒たちが、地面に敷いた純白の敷物の上に等間隔で座った。西から東へ。太陽の動きと逆巻くように。遡行を願うように。祈るのだ。


 いつの間にか駆けつけていたらしい、『白吟はくぎん』ミリカが歩み出てきて、崖の際に立つ。下からもよく見えるその位置で、


「~~♪ ~~♪」


 朗々と歌い始めた。六色の神々を讃え、感謝を述べる内容の歌詞だ。

 観光客たちは一斉にお喋りをやめ、聞き入る。ゲンドボーらも同じく。ミリカの歌の大ファンであるイヴェルタなどはウットリと顔を蕩けさせていた。

 

 やがて聖なる歌姫の独演会が終わると、割れんばかりの拍手が巻き起こった。涙を流している者も少なくない。イヴェルタもそのうちの一人で、赤くなった鼻をすすっていた。


「いやあ……あの子、あんなに凄かったんだな」


「え?」


「イ、イイフク様、お会いになったことが?」


「ああ。前に屋台に来たよ」


 マレビトは事も無げに言うが、イヴェルタからすると羨望の一言だった。聖都での遭遇率が非常に低いミリカ。大教伝司だいきょうでんしという肩書を持つ彼女は国内外を飛び回り、こうして歌を披露して信徒を増やしたり、その信心を強固な物としたり……といった活動に従事している。そうでなくても、全く部署が違う上、自分より遥か上の位であるため、イヴェルタは会ったこともなかった。


「良いなあ」


 心の底から出たような言葉。敬語すら忘れてしまっている。イイフクは面食らってゲンドボーを見るが、目礼して妻の非礼を詫びられるばかり。


「なんというか……大聖徒長の方が、よっぽど位とか高いんじゃないのか?」


 イイフクの言う通り、もちろん教会の長であり最高位だ。だが先程の様子からいって、大聖徒たちから集めるのは尊崇というより……


「「まあ親しみやすい方ということで」」


 微妙に目を逸らしながら、夫婦揃ってそんな答えを返すのだった。

 と、そこで。大きな歓声。再び上を仰ぎ見ると、ちょうど橋の西側、そのふちが徐々に白くなり始めていた。歌の後、すぐに祈祷が始まっていたようだ。もちろん、大聖徒の二人は式の段取りは知っているので驚きはないが、イイフクの方は「おお!」と興奮気味に目を輝かせていた。


「凄いな……あの色づいてきた石は、もう白のマナタイトとして?」


「はい。再聖の儀を受けた物です。もう一般の信徒たちでも、祈れば白の輝きがもたらされる状態です」


「大聖徒さんの祈りってのは……そこまで」


 イイフクが言葉を失う。徐々に白さを増していく石を、じっと見つめている。そこだけ夕陽の光を通さないので、オレンジを白が侵食していくようだった。その光景に、イイフク同様、初見の観光客たちも圧倒され見入っていた。

 と。今度は、


 ――ポーン、ポーン


 音が響く。近い。地上のようだ。橋を挟んで南側、観衆が立つ対面。珍妙な格好をした男が一人、岩陰から現れていた。

 白いローブに赤い首巻、緑の帽子、タライに似た黄金色の金属を持ち、黒い木棒を打ち付けている。その棒の先端は青い布でグルグル巻きにされているせいで、叩く度、少しくぐもった音を立てているようだ。


「あれは?」


 イイフクが訊ねる。


「案内人です。彼の後を、棺がどんどんと通って、西から東へと。橋の再聖と同じく、太陽と逆巻きに移動していくんです」


「死後、六色の神々を信仰する者たちにはセレス様より光がもたらされ、彼らはそれを頼りに御御許おんみもとへと参ります。そしてそこを再び離れ、死から生へと回帰する時に、再び聖なる者として生まれ変われるように……それを祈念して、ああして再聖の道をなぞるのです」


 夫婦が丁寧に答えると、マレビトは感心しきりといった風に、何度も頷いた。


「……面白い考え方だ」


 小さく呟いた声を、ゲンドボーの耳が拾う。

 この世界では唯一無二の真理と信じられている事実ではあるが、イイフクの世界ではまた違ったことわりがあるのかも知れない。そんなことをボンヤリ思った。


 何人か、鼻をすすっている者がいる。遺族だろう。亡くなった家族の、最後のハレ舞台を、こうして見守っているのだ。


 ――ポーン、ポーン


 案内人の奏でる打擲音ちょうちゃくおんが、低く長く空気を揺らす。棺が18通り過ぎた所に、また次の案内人がいた。そしてまた18の棺、案内人、18の棺……この構成で列は動いている。


「六の倍数は聖数せいすうと呼ばれています」


 なるほど、とイイフク。

 しばらく列は続いた。崖の頂上同士を渡した透明の橋が徐々に白く変わっていく、その下。谷底の地上では六色の衣装をまとった案内人に先導されて、棺が人々の眼前を横切っていく。


「不思議な光景だ……」


 イイフクがポツンと言った。


「死と再生か……店や街、最後は生命自体も……終わって始まって……」


 なにか感傷的な様子なので、夫婦は声を掛けなかった。あるいは、彼にも何か弔いたい物があるのかも知れない。店か街か人か……いずれにせよ。あの白き再聖の祈りが、イイフクの世界まで届けば良いなと、ゲンドボーは思った。


 そうして。しばらくの間、聖葬せいそうの列と、白く移り行く幻想の橋を眺めていたが。目に焼き付け終えたのだろう、視線を切ったイイフクは、ゲンドボーたちに礼を言って自分の世界へと帰って行った。


 後に残された夫婦は、ボンヤリと再聖を見つめ続けていた。

 陽が沈み、辺りに夜の帳が下り始めた頃、


「生命自体も……終わって始まって……」


 イヴェルタがポツンと。イイフクの言葉を反芻した。


「どうかした?」


「うん。やっぱり……きっとそうだ。私……明日、お医者さんに行ってみる」


「え!?」


 途端、ゲンドボーの背を冷たい汗が流れた。死や再生の話の流れで、医者などという単語が出てくれば、当然の反応ではあった。グルグルと思考が巡る。自分は何かを見落としていたのか。彼女は一人、体の不調を隠していたのか。治るものなのか。もし不治の病で、自分一人が取り残されるようなことがあったら……


「ぷっ……あはは」


 顔を青くするゲンドボーを、イヴェルタは無邪気に笑い飛ばした。


「大丈夫。そうじゃないの」


 優しい声で。そっとゲンドボーの手を取って、自分の腹部に当てた。ドキリと驚いて固まる夫。その様子が可笑しくて、また少し笑った妻。


「数日前から、ちょっと変だなって……その時に先輩の話とか思い出して、そうかもって疑ってたんだけど。ふっと今、なんでか分からないけど確信できたの」


「そ、それって」


 彼女のお腹に当てたままの掌が熱を持つようだった。


「ここにいるよ。これから始まる新しい命」


 鼻の奥がツンとする。視界も滲んだ。


「私とアナタの……赤ちゃん」


 その言葉を聞いた途端、ゲンドボーは強く強く妻を抱き締めた。きっと後で、口うるさいお歴々に「信徒たちの前で、はしたない! 大聖徒たる自覚を……」云々、延々と小言を言われるのだろうが。構いやしなかった。


「ありがとう……ありがとう」


 泣きながら抱き合う夫婦。

 漆黒の空に架かる橋の白が、二人の涙をキラキラと宝石のように輝かせていた。

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