29:スノーボール(赤の国・第7の都市)

 異世界屋台・一期一会(時折ボヤージュ)を営む店主、飯福航いいふくわたるは、駅前を自転車で走っていた。食材と調味料の補充のためだった。

 やがて目当ての店『戦場石井せんじょういしい』に辿り着くと、メモの通りに買い出しを終わらせる。そうして店を出たところで、見知った顔を見つけた。


「おや、飯福クン」


 商店街で店を構える『一哲うどん』の店主、豊原一哲とよはらいってつとその妻、佳子よしこだった。


「豊原さん、佳子さん。こんにちは」


「はい、こんにちは。飯福さんはお仕事の買い出しですか?」


「え、ああ。そんなところです」


 以前、職のことを聞かれて、対応に困ったのを思い出す。だが当然、向こうもそれ以上は踏み込んでこないようで、


「私らは今から神奈川まで」


「あ、そうなんですか」


 そう遠くないが、小旅行といった風情だろうか。店も年末年始の休みに入り、夫婦水入らずの慰安旅行も兼ねているのかも知れない。そんな風に飯福は考えていたが。


「孫がね……ちょっと難しい病気になったみたいで。お見舞いも兼ねて」


「里帰り出来ないみたいだから、里の方が出向いてね」


 冗談めかして言う一哲だが。口元に浮かんだ笑みは弱々しい。


「それは……」


 言葉を失う飯福。いつだったか、雑談の中で聞いた覚えがあるが……確か彼らの孫はまだ中学生くらいではなかったか。

 直接会ったことがあるワケではないが、心が痛む。


「ありがとう。飯福さん」


 佳子が夫と同じように力ない笑みを浮かべながらも礼を言った。飯福の表情から内心を汲み取ったのだろう。


「あ、せめて何かお見舞いを」


 果物でもあればと思ったが、エコバッグの中ではカチャカチャと調味料のビンが音を立てるばかり。ならば買ってくるかと、踵を返しかけたが。


「飯福クン、大丈夫だから。その気持ちだけで私らは嬉しい」


 一哲氏にゆるゆると首を振られ。


「それに、もう電車が出る時間だから」


 佳子にも優しく断られる。

 

「……分かりました。どうか、お大事に」


「「ありがとう」」


 二人は駅舎の中へ消えて行った。

 その背を、もどかしい気持ちで見送った飯福。自分に出来ることと言えば、少し『一哲うどん』を利用する頻度を上げるくらいか。


(売り上げが増えれば、ご夫婦がお孫さんへしてあげられることも増える)


 逆に言えば、それくらいしか自分に出来ることはない。なんとも遣る瀬なく。小さく頭を振って、家路を辿った。


 ………………

 …………

 ……


 本日の提供は、午後三時の軽食を予定している。本当につまめる程度の物、ということでスノーボールクッキーを選択した。今年は日本ではまだ雪が見られていないのもあって、こういうのも作っておこうかと思い立ったのだ。


「まあ異世界で普通に見てるけどな」


 最近でも、黒の国の雪原でオーロラを見たばかりだ。

 

 気を取り直し、飯福は早速、調理に取り掛かる。

 まずはオーブンを170°に設定し、予熱しておく。レンジで温めたバターをボウルに入れ、砂糖30グラムを加えてよく混ぜる。白く変色するまでしっかりと混ぜると、次いで薄力粉90グラムとアーモンドプードル30グラムを追加。ゴムベラを使って切るように混ぜ合わせていく。全体がしっとりとしてきたところで、生地を手に取る。


「こんなもんかな」


 直径三センチ程度の大きさに丸める。それを約20個ほど。

 クッキングシートをオーブンの天板の上に敷き、そこに先程の生地を丸めた物を等間隔で乗せる。15分から25分程度で焼き上がりだが、飯福自身初めて作るので、頻繁に様子を窺う。焦げない程度に、しかし長めに。約20分ほどで丁度良いと判断して止めた。


 そのまま10分ほど放置し、粗熱を取る。取り出し、粉砂糖を敷いたバットの中に投入。コロコロと転がして、全体に粉砂糖を行き渡らせる。これにて完成。ぼた雪のような白い丸が20個弱。


「一つだけ失敬して」


 食べてみる。問題なし、ということで本日のメニューが決定した。


「今日はこれを出すよ」


 居間のクローゼットが呼応するように光り輝く。

 飯福はテーブルに置きっぱなしの巾着袋を見やった。中には金貨が大量に入っている。昨日、中年の紳士に料理を提供し終えて、屋台を片付ける際に、椅子の脇に置かれているのを見つけたのだ。まず間違いなく意図的に置いて行ったと思われる。彼は懐の巾着から銅貨八枚を出し、支払いを済ませたのに、その後にあの場で別の巾着(しかも金貨専用の物だろう)を取り出す理由がない。落としたにしては、音も全く無かった。つまり。


「寄進……」

 

 時々あることだ。こういうカネは、飯福自身は手を付けず、恵まれない境遇の人々に無償で料理を提供するために使うことにしている。まあ大抵それくらいで追いつくような額ではないのだが、少しずつでも還元していくしかない。

 いつか、もっと大々的に返せる機会があれば良いな、と常から思ってはいるが。


「今日もガンガン焼こう。空気読んで、余児院とかに繋げてくれると嬉しいんだけどな」


 そればかりは神(クローゼット)のみぞ知る。飯福は人事を尽くすまでだ。

 時計を見る。午後の三時まで、まだ数回分は焼けそうだ。よし、と気合を入れ直した飯福は、また生地を作り始めるのだった。



 ◇◆◇◆



 ニチェリ・ガヴィランは、本日も山へ登る。赤の国の北東にある白冠霊山はくかんれいざん、その一層の途中まで。この山は標高3000メトル付近(第一層)までは原生林が広がる。内陸から吹く風が、途中の温泉地帯の湿気を絡め取り、山裾にぶつかる。それは上昇気流となり、第一層の上部まで登ると、濃霧へと変わる。それらは雲と合わさり、第一層へと頻繁に雨を注ぎ、その恵みで、多様な生態を持つ原生林が育まれているのだという。


 かつて案内した大学教授に教えてもらった知識だが、ニチェリは忘れずに覚えている。教授自身は検証中の説に過ぎないとは言っていたが、あの大山の秘密を解き明かそうとしている、それだけで胸が躍り、一言一句と漏らさず記憶してしまったのだった。


 小柄な少女は、軽快な足取りで道なき道を登っていく。やがて標高500メトル。原生林に突入する。危険な生物がいないのは確認済みだが、鬱蒼とした森はそれだけで一見いちげんさんお断りの雰囲気を醸し出している。


 だが、ニチェリは躊躇なく立ち入った。丸きり自分の庭であるかのように。いや、事実そうなのだろう。二日に一度は来ているのだから。


「あ、ヒオリバナが咲いてる」


 雲霧の隙間から差し込む僅かな日光に向かって、頭を垂れるように折れることから、ヒオリバナと名付けられた赤い花だ。


「帰りに摘んで帰ろう」


 煎じると薬になるため、良い値で買い取ってもらえる。彼女には少しでも稼がないといけない理由があるのだ。


 張り出した木の根を跳ねるように避け、どんどん奥へと進んでいく。

 そして目的地へ。結構進んだが、実は森全体の一割にも満たない距離だ。


 目的地は小川だった。その川は、恐らく初めて見る者は圧倒されてしまうだろう威容を誇っている。

 五色の水が流れているのだ。もっとも、水自体に色が着いているのではない。川底に五色の藻が繁茂しており、それで流れる水もそう見えるのだ。

 赤、青、黄、緑、黒。色とりどりの美しい輝きと、サラサラと耳心地の良いせせらぎ。


「……」


 少女はそこへ近付き、川辺に膝を着く。懐から白のマナタイトの欠片を取り出し、祈る。ポウと白光が灯った。それを持ったまま、川に手を浸し、そっと掌を開く。流されていく白い光。元の五色に、白い輝きが加わり、キラキラと川底を照らしながら流れていく。


「おばあちゃんの病気が治りますように。おばあちゃんの病気が治りますように」


 指を組み、祈りのポーズのまま目を閉じて願いを二度告げる。力がこもり過ぎているのか、眉間には深く皺が刻まれている。

 この白冠霊山の麓に広がる村々の間で古くから言い伝えられているまじない。五色の川に白を足して、祈りを込めて願い奉れば……白冠はくかん、即ち山の頂上まで至り、六色神にもその願いを見つけてもらえる。そういう迷信だ。


「……お願いします」


 最後にもう一度だけ念を押すように祈り、ニチェリは立ち上がった。二日に一度、祖母の快癒を願いにここまで登り、ついでに売り物になりそうな草花や動物の肉などを狩って帰る。まだ13の少女に出来る唯一の仕事だった。


 踵を返し、森の入口へと戻る。と、その途中のことだった。不思議な生物を見た。白く丸っこい体。目はクリクリとしており、鼻も唇もない。ポッカリと顔に開いた穴のような口があるだけ。人に似た二足歩行のようだが、ポテポテと覚束ない足取りだ。


「何だろう、あれ。可愛い」


 近づいてみる。ただ警戒は怠らない。どんな見た目の生き物であれ、毒や牙を隠し持っている可能性はある。山を、森をナメてはいけない。

 慎重に、慎重に。足音を殺して進んでいたつもりだが……不意に白い生き物がこちらを向いた。ニチェリの姿を認めると、


「あい~!」


 素早く近くの木にしがみつき、そして凄まじい速さでよじ登り始める。鈍重そうに見えて、自然界を生き抜く武器はキチンと持っているんだな、と感心する間に。もう白い生物は見えなくなっていた。


「まだまだ知らない生物はいるんだなあ……」


 隔日で訪れるようになって、それなりの期間が経過したが。やはりこの森は深く広い。今まで運良く出会わなかっただけ、という危険生物もいるのかも知れない。改めて気を引き締め直し、下りの道を歩いた。





 

 家に帰ると、収穫物を居間に置いて、そのまま祖母の部屋へ向かう。祖父は既に他界しており、今は母と妹、ニチェリが交代で面倒を見ている。父は船乗りで二ヶ月に一度しか帰って来ない。ただ高給取りなので、本来であれば家族はもっと裕福な暮らしが出来るハズなのだが……祖母の治療代で、そのほとんどが消えてしまうのだ。


「ごほっ、ごほっ!」


 ニチェリが部屋の扉を開けて中へ入った途端、祖母は体を曲げて咳き込んだ。「おかえり」と声を掛けようとして、喉が上手く動かなかったのだろう。慌てて駆け寄り、その老いた丸い背を撫でる。今日の介護係の妹は……布団の傍で船を漕いでいて、起きる気配もない。


(まあ、この子も連日だもんね)


 ニチェリより二つ年下の彼女も、遊びたい盛りをグッと堪えて祖母の世話をしてくれている。母は家事と、介護と、最近は家計を助けるために機織りの仕事にも出掛ける。

 家族の誰一人として怠けているワケでもないが、正直に言って、みんな限界が近い。


「霊山にやってくれ。もうええよ」


 見かねた祖母が一度だけそんなことを言った。

 この辺りの村には、老いて役に立たなくなった家の老人を、あの霊山に置き去りにするという習わしが古くからあった。ただ最近は、造船技術が上がり、外国の観光客も増えてきたおかげで、村全体が以前より栄えている。もうこんな悲しい因習はナシにしよう、と村長も言っていた。

 ニチェリも大いに賛成だ。祖母には昔から可愛がってもらったし、現在住んでいる家屋も彼女の財で建てられた物だ。それを役に立たなくなったから、家だけ貰って本人は捨てるなど、受け入れられない。それに何より。彼女も家族も、祖母のことが大好きなのだ。


「おばあちゃん……」


 背をさすりながら、泣きそうな顔をするニチェリ。祖母の呼吸が次第に落ち着いてきて、やがてゆっくりと背筋を伸ばした。


「すまないねえ。いつも」


「ううん、全然」


「……今日はどんな物が採れたんだい?」


「え、あ。えっとね、ヒオリバナが三本と、麗人草れいじんそうが二本」


 麗人草の方は、銀貨三枚ほどの買値がつくだろう。ヒオリバナはこれだけの量があれば、金貨二枚くらいで買い取ってもらえるので、本日は大収穫と言えた。


 祖母は優しく孫娘の頭を撫でると、ありがとうと礼を言う。ただ今も彼女の胸中には「自分がこの家から居なくなれば、娘や婿、孫たちに辛い想いをさせないで済む」と、そんな後ろ向きな考えが依然としてあるのだろうか。それを口に出すと、家族たちが悲しむということに気付いて、もう二度と言わないことにしているようだが。


「暑いねえ、今日も」


 気温は実際そうでもないのだが、湿度が高いので年中暑く感じられる一帯。祖母は頻繁に咳をするせいで、更に体温も上がりやすい。


「……雪が、また見たいねえ」


 窓の外、霊山のある方角に祖母は視線をやった。その頂に広がるという雪原を彼女はその目で見たことがあるのだ。

 白冠霊山はくかんれいざんを踏破したことのある唯一の人間。登山家界隈では有名人を通り越して、生ける伝説である。先述の大学教授も、実地で霊山を調べる傍ら、祖母の話を聞きに来たという側面もある。

 

「皮肉なことだよねえ」


 彼女のギフト『完全呼吸かんぜんこきゅう』は、どんな高度の場所であろうとも、少ない酸素だろうと、搔き集めて呼吸をさせてしまう。ほぼ無意識で発動するギフトなので、登山中に意識を割く必要もない。このギフトなくして登頂は不可能だったことは、祖母本人も認めるところだった。もちろん呼吸以外の、登山技術や筋力体力など、後天的な能力は彼女の努力の賜物だが。

 そんな彼女が今は呼吸に苦労している。確かに皮肉なものだった。


 少しすると、祖母は再び眠った。妹にも毛布を掛けてやり、ニチェリは部屋を後にする。


「除毒の回数を増やしてあげられたらな……」


 除毒医が来た後は、少しの間だけだが持ち直す。だがまたすぐに悪くなるので、イタチごっこの様相だ。家族としてもその回数を増やすくらいしか有効な手立てを思いつかないのだが、当然ながら、増やせば増やすほどカネは要るワケで。


「はあ……お腹空いたな」


 憂慮に加えて空腹。

 最近の一家は昼飯抜きのことが多い。朝夕の二食生活。育ち盛りのニチェリにはかなり苦しいのだが、「おばあちゃんの治療費削って」などと言えるハズもなく。


「……」 


 母は機織りの仕事、祖母と妹は熟睡。一瞬だけ、本当に一瞬だけ。薬草類を売ったカネで何か食べ物を、という邪念がよぎってしまった。自己嫌悪に頭を抱える。


「ダメだ。少し外の空気を吸ってこよう」


 家にこもっていると良くない考えばかり浮かんでしまう。

 外に出て、村をあてどなく歩いていく。生まれ育った場所であり、もう通りも見飽きてしまった。これでは家に居るのと変わらないか、と。そんなことを思った、その瞬間だった。


 カッと眩い光。ニチェリは思わず、腕を上げて目を防御した。混乱に目を白黒させながら……数秒、あるいは数十秒。腕の向こう側で光が弱まった気配を感じ、恐る恐る下げてみた。


「え……?」


 そこには、白と黒の木板を合わせて作られた屋台。この村では屋台自体が珍しいが、こんなに不思議な色使いの物は見たこともない。

 だが気圧されたのも数瞬。好奇心には勝てず、恐る恐る近付いてみる。すると、カウンターの奥に男がいた。黒髪、黒目。年の頃は、30手前くらいだろうか。


「いらっしゃい」


 男の、細く切れ長の目がニチェリを捉えていた。ドキリとする。不思議な青年の屋台。非日常に迷い込んだような高揚と不安を覚え、唾を飲んだ。


「あの……これは屋台なの?」


「ああ。異世界屋台・ボヤージュ」


「いせかい、やたい」


 反芻し、ハッとした。


「も、もしかして。マレビト様、ですか?」


「まあ、そういう呼び方も時々されるね。俺としてはただの料理人のつもりだけど」


「あ、あわわ」


 期せず、とんでもない存在と出くわしてしまった。と、そこで。脳に電流が走った。超常の人、神に最も近い。ならば、


「ま、マレビト様! ど、どうか! セレス様に、ウチのおばあちゃんを助けて欲しいって、伝えてはもらえませんか!?」


 ニチェリは詰め寄るような勢いで懇願する。マレビトは降参とばかり両手を挙げて仰け反った。


「落ち着いてくれ。俺に白の女神と話す力はないよ。みんなと同じ、彼女からギフトを与えられただけの人間に過ぎない」


「……そう、なんですか?」


 落胆。あるいは、ずっと五色の小川に白を合わせて祈る、あのまじないを続けてきたことでマレビトを召喚できたのやも知れない、とまで考えていたのだが。今日この場所に彼が現れたのは、全くの偶然、なのだろうか。


 と、その時。マレビトのシャツから甘い匂いが漂った。ニチェリのよく利く鼻が捉え、くううと小さく腹の虫を鳴かせる。

 カッと火がともったように赤くなる顔。縮こまるように俯いた。


「お腹空いてるのか。どうだい? 今日はスノーボールクッキーを出してる。甘くて美味いよ?」


「……」


 確かに匂いを嗅いだだけで美味そうだが。ニチェリは首をゆるゆると振った。


「おカネ、ないんです。おばあちゃんの除毒費を貯めないとだから、贅沢なんて出来ないです」


 ペコリと頭を下げ、踵を返しかけたが。マレビトに慌てて呼び止められる。


「ちょっと待って! 今日は子供は無料なんだ。先日、寄進をもらってね。多分、その人もこういう使い方をして欲しいだろうから」


「えっと」


 マレビトではないと言うが、信仰対象のように寄進を受けている。少し混乱する頭で振り向く。店主は優しく笑っていた。祖母と同じような笑顔に見え、ニチェリは信じてみることにする。


「本当に無料で食べて良いんですか?」


「ああ。好きなだけ食べてくれて構わないよ。そうだな。遠くの国の優しいオジサンが、この国の名も知らない子供たちに食べ物を施したくなった。俺はそれを仲介しているだけ。そういう風に考えれば良い。だから感謝もそのオジサンにな」


 キッズ食堂・異世界版だ、などとも彼は付け加えるが、それはよく分からなかった。

 ただそういうことなら、と。名も知らない優しいオジサンに感謝の祈りを捧げる。


「ありがとう。知らないオジサン。いただきます」


 とても不思議だ。本来は繋がるハズのない二者が料理で繋がった。聞けば、毎回、無作為に違う国の違う都市に住む人間が客として選ばれるギフトだという。ならやはり、神の導きがそこに働いている気がしてならない。


「待ってな。すぐ持ってくるよ」


 マレビトは踵を返す。


「え? ど、どこへ?」


 彼の向かう先は人家の塀だ。ぶつかる。そう思った瞬間、ピカッと白い発光が起こる。「うわ」と、またぞろ腕を上げて目を覆う。しかしその光は割合すぐに収まったようで、数秒ほどで腕を下げた。そして。


「き、消えた!? マ、マレビト様!?」


 そこには誰もいない。屋台だけが取り残されている。首を忙しなく動かしていると、また光が強くなる。今度は手で庇を作りながら目を絞って対応。少し慣れてしまった。


「おまち。光、ごめんな。俺にも制御できないんだわ。信心のある人だって分かったら、二度、三度と光んなくても良いと思うんだけどな……」


 よく分からないが、マレビト本人も持て余し気味のようだった。

 そして、彼は手に持ったトレーを提供台の上にそっと置いた。透明の小鉢皿と、ミルクの入ったグラス。小鉢の中には……


「雪だ」


 丸い雪の塊。天気がすこぶる良い日に、白冠霊山を遠望すると、その頂に白い層があるのが見える。祖母いわく、それは雪というもので、冷たくてフワフワしていて、温かい場所ではすぐに溶けて消えてしまうという。

 そこまで思い出し、ハッとする。


「と、溶けちゃう!」


 焦って辺りを見回すが、冷やせる物など何もない。と、マレビトが驚いた表情で、


「キミ、雪を知ってるのか? ここ、赤の国だろう?」


「は、はい。ですが」


 ニチェリは霊山を指さす。

 そして丁寧に事情を説明した。今は病床の祖母だが、昔は登山家で鳴らした人である、と。その彼女から聞いた山頂の雪の特性や、遠くから見る外見的特徴を加味すると、これも溶けてしまうのではないかと危惧したということ。


「なるほど。確かにこれはスノーボールクッキー、雪玉を模して作られているお菓子だけど、本物と違ってすぐに溶けたりはしないんだ」


「そ、そうなんですか?」


「表面の雪に見える白い粉は……まあ直接食べた方が早いね」


 マレビトは掌を差し向け、ニチェリに着席を促す。上質な木製椅子にそっと腰掛けた彼女は、その座部に敷かれた柔らかくも弾力のある布団に、小さく声を上げた。

 だが今の興味は、この雪のようで雪でない白丸の菓子に注がれている。

 

「それでは、いただきます」

 

 目の前のマレビトと、そして名も知らぬ親切なオジサンにもう一度、胸中で感謝を述べてから……恐る恐る口に含んだ。

 甘い。表面の雪は砂糖だったようだ。だがそこいらの砂糖とは一線を画す品質だということは、舌の貧しいニチェリでも分かった。舌触りが、とんでもなくまろやかなのだ。また口中の熱で溶けていく様は、やはり祖母に聞いた雪の特徴に似ていた。そして溶けた端から、上品な甘みが口一杯に広がっていく。


 噛んでみた。サクッと音を立て、すぐに中のクッキーとやらに到達した。パンのような風味かと思いきや、パンより柔らかく、しかし歯応えはある。そして噛み締めれば、ほのかな甘みとナッツの香ばしさ。そこに先程の砂糖の雪が絡み合う。甘さの二重構造だ。


「……美味しい……美味しいです、これ」


 呆然と呟いた。言葉にしたことでようやく実感が湧き上がり、時間差で興奮が押し寄せる。


「なんですか、これ! こんな甘くて美味しい物、食べたことないです!!」


 キラキラした瞳で対面のマレビトを見上げる。


「はは、それは良かった。沢山あるから、好きなだけ食べてくれ」


「ほ、本当に無料でいただいて、大丈夫なのですか?」


 こんなに珍しくて美味い菓子、本来なら金貨何枚も払わないと食べられない代物ではないのか。社会経験の浅いニチェリでも、それくらいの察しはつく。


「ああ、本当の本当に無料だ。知らないオジサンがキミの分を払ってくれたんだよ」


 しつこい質問にも、丁寧にもう一度同じ内容を返してくれる。


(オジサンもだけど、やっぱりこのマレビト様もお優しい)


 少しポーッとしてしまうニチェリ。余裕のある大人の男性に憧れてしまう年頃だろうか。


「さ、遠慮なくね」


 言われるまま、掴んでは口に放り込み。時には表面が溶けるまで舌の上で転がし、時には豪快に噛み砕く。食感、甘みの混ざり具合。様々に楽しみ、ミルクで喉を潤しつつ、あっという間に完食した。


「ご、ご馳走様でした。本当に、本当に美味しかったです。ワタル様!」


 食べながらの雑談で、改めて互いに自己紹介を終えたニチェリは、懐っこくマレビトを名前で呼ぶ。


「まだ100個以上あるぞ?」


「そ、そんなには」


 断りかけ、閃いた。


「あの……おばあちゃんたちにも食べさせてあげたいのですが」


「ん? ああ、そうだな……白冠霊山も見たかったし、俺も行こうかな」


「え!? ワタル様も!」


 興奮気味に瞳を輝かせる。カウンターの奥から出てきたマレビト。ニチェリはその手を引っ張り、早く早くと急かすのだった。



 ◇◆◇◆



 飯福はその大山の威容に圧倒される。首を大きく曲げても、頂の細部までは見えてこない。というより、今日は雲が多いらしく、物理的に見渡せないそうだが。


「いやあ、凄いな。文献を読んで知ってたけど、本物は大迫力だ」


 文献というのは、科野欣也しなのきんやに写させてもらった、15年にわたるデータの蓄積のことだ。赤の国の北東部に、雪を冠した大霊峰あり。その記述だけで、詳しいことは分かっていなかったが、ニチェリの話す内容(どこかの大学教授の受け売りだそうだ)を聞き、理解を深めていた。


「本当に色んな種類の植物や動物がいるんです。今日も、不思議な丸っこい生物を見たんです」


「不思議な丸っこい……」


「あいーって鳴いて、白くてモチッとしてて、意外に木登りが得意で」


 完全にモチビト族の特徴と合致している。


「もしかして、周囲に千年……いや麗人草れいじんそうが生えてたんじゃないか?」


「す、すごい! どうして分かったんですか!?」


 飯福はモチビト族の話を軽くする。知性があり、薬草の知識に長ける種族だと。


「今度、挨拶に行こうかな」


 緑の国のモチビト族たちと差異があるのかなども気になる。安倍川餅の餌付けが効くかどうかも分からないが、とにかく接触を試みようと思うのだ。まあ今日は登山装備とは言い難い格好なので後日の話だが。


「その時は是非、私が案内します」


「ああ、ありがとう。頼むよ」


 そんな話をしながら街を歩き、


「着きました」


 ニチェリの家に着いた。

 彼女の家は、外観からして、街の他の建造物と少し趣が異なる。ドーム型をしており、モールタールを多く使っているせいか、全体的に灰色がかっている。


「黒の国の家みたいだな」


「分かりますか? これ、おばあちゃんが黒の国の建築家の人に依頼して建てた家なんです」


「そうなのか……なんというか、大丈夫だったのか? それ。ほら、戦争のアレで」


「ここら辺は地理的に、ウチの首都より黒の国の方が断然近いのもあって。古くから交易が盛んで友好関係だし、戦争でもなんの被害も無かったので……なんというか、ふーんって感じです」


 同じ国でも、戦争に対してこれほど温度差がある。本当に世界とは広いな、と飯福は感心した。


「どうぞ、入って下さい」


 玄関をくぐる。なにげに異世界人の家に入るのはヨミテ以来か、と他所事を考えかけるが、


「ん?」


 少し変わった匂いがする。ヒノキのようなツンとした香り。だがそこに僅かな土臭さも混じっている。築浅らしいが、田舎の古い家屋を思わせた。


「ただいま~。お客様、連れて来たよ~」


 ニチェリが声を張り上げると、奥からパタパタと女性が駆けてくる。30代後半くらいの、目鼻立ちの良い美人だった。ニチェリによく似ている。その後ろから、これまたニチェリを小さくしたような少女もヒョッコリと顔を出した。


「なんと……マレビト様だよ! 凄い料理を作ってくれたんだ!」


 ニチェリがニコニコと話す。母親らしき女性は驚き、飯福の顔をマジマジと見る。異世界では珍しい黒髪黒目を認め、少し信じたような雰囲気だ。屋台の後光がないので、飯福はより友好的な態度を心がけ、挨拶をした。

 そしてすぐに、持っている皿の紙蓋を取り、スノーボールを振舞った。後光ナシなら、一番手っ取り早いのが、この世界では有り得ない料理で舌から納得させること。

 

 ニチェリにも急かされ、やや警戒しながらも、二人とも摘まんで口に入れた。途端、


「おいひい~」


 妹が目を細めてウットリとしながら、クッキーを頬張る。母親も目を丸くしながらも、手が止まらない。結局持って来た半分近くを彼女たち二人で平らげてしまった。


「おばあちゃんにも、分けてあげないとね」


 母親はそう言うと、先導して廊下を奥へと進む。飯福は姉妹に両手を取られながら(すっかり懐かれたようだ)、苦笑交じりに後へ続いた。


 祖母の部屋は一番奥にあった。母が声を掛けると、どうぞと返ってくる。家族に続いて飯福もお邪魔する。ムッと湿気を感じた。換気が非常に悪いようだ。


「お客さんかい?」


「そう! イイフク・ワタル様」


「なんとマレビト様なんだよ!」


 ニチェリと妹が口々に。祖母は驚きに目を見開き、そして咳き込んだ。コンコンと乾いた咳に、飯福は彼女の様子を注意深く見守る。

 母親がその背をさすり、数十秒ほどして、ようやく少し落ち着く。


「……失礼しました。ニチェリの祖母、ドゥーニャです」


「ああ、大丈夫かい?」


「ええ。原因不明の病気ですが……存外しぶといようで」


 自分の体を揶揄するような言い回しに、家族たちが眉根を寄せる。


「麗人草も効かないとか」


「はい。薬草の類は効果が薄く」


「今は週に一度、除毒医に来てもらってるんです」


 母とニチェリが引き継いで答えた。

 飯福はアゴに手を当てて考える。モチビト族も居るような太古の森、そこで採れる麗人草となれば(もちろん最高峰の千年麗人せんねんれいじんには及ばずとも)かなり高い効果があるハズだが、それが効かないと言う。

 かつて黒の国で喉の弱い令嬢に、薬草を使ったフォーを振舞った際には、効果は覿面だったことを鑑みると。この祖母は、普通の病気ではないのかも知れない。


「確かドゥーニャさんは、完全呼吸というギフトを持ってるんだったよな」


 半自動的に、どんな環境下でも酸素を搔き集めて呼吸を完璧に整えてしまう。登山の際には心強い友となったギフト。ニチェリから既に聞いていることだったが、改めて祖母本人からも首肯が返ってくる。


「それが良くないのかも知れない」


「え?」


「他の家族はなんともないのに、アンタだけってことは……」


 木が合わないのか、モールタールが悪さをしているのか。はたまたその組み合わせが彼女と相性が悪かったのか。化学検査が出来るワケでもない以上、知る由はないが。いわゆるシックハウスの類を疑っている飯福だった。


「症状が出始めたのと、この家に住み始めた時期は一致しないか?」


「「「……」」」


 家族全員が中空を見て、頭の中で暗算している様子。やがて全員が、「あっ」という顔をする。


「確かに」


「うん、多分それくらいだよ」


「そうだよ。せっかく家も新しく建てたばっかりなのにって、歯痒く思った記憶がある」


 飯福は軽く頷いて、


「どうだろう? 試しに半日くらい、外で過ごして様子を見てみないか?」


 と、提案した。女四人、全員がコクコクと頷いた。


 ………………

 …………

 ……


 ドゥーニャは深呼吸を繰り返し、その顔に笑みを浮かべた。飯福に背負われて、山の麓まで来たが、今は自分の足で立って歩いている。衰弱して弱りきっていた瞳も爛々と輝いていた。かつての自分の庭、白冠霊山の地を久方ぶりに踏んだ高揚も手伝ってか、


「案外、本当に山に捨ててもらうのが正解だったのかもねえ」


 などとダークユーモアも言い放ち、家族三人に怒られるという一幕も。

 しばらくは女性陣で祖母の快癒の兆しを喜んでいたが、やがて誰からともなく、飯福の前に集まる。


「……マレビト様……アナタは本当に神様ではないのですか?」


 母親は感極まって今にも跪きそうである。彼女たちからすると、今まで散々手を尽くしても原因が分からなかったというのに、それをたった数分で看破してしまった飯福の手際は正に神の御業にしか見えないのだろうが。


「いやいや。ウチの世界では、結構あるんだよ。家と人が合わないってこと」


 たまたま勘が働いただけ。彼女らより知識があっただけ。拝まれるのは勘弁と、手をヒラヒラさせてアピールするが。謙遜と取られたらしく、全員が後光でも見ているかのように目を潤ませ、感じ入っていた。


「ありがとうございます……ありがとうございます」


 最終的には母と祖母が手を合わせてしまう。倣うように娘たちも。結局こうなるのか、と飯福は苦笑を濃くした。


「マレビト様、この度は素晴らしい菓子に、神の如き英知を授けて下さり、家族一同、感謝の言葉もございません」


「……たまたま気付いて、そうかもって思ったから試しに提言しただけだよ。空振りの可能性だって大いにあった。つまり運が良かったのさ」


 彼の掛け値なしの本音だが、彼女たちからすれば、一か八かだろうが何だろうが、大切な家族を救ってくれたことには変わりない。やはり拝むようにして礼を言い続けている。


(柄にもなく出しゃばったのは自覚してるが……まあ上手くいって良かったな)


 孫を想う豊原夫妻を見送ったその日に、祖母を想う孫に出会えば、何もせずにはいられなかったのだ。


 やがて全員で飯福の屋台(見えるのは飯福本人とニチェリだけだが)まで戻ってくる。クローゼットへと近付くと、巻き起こる眩い光にニチェリだけが目を細めた。その目端から雫が流れる。そのまま飯福の胸に飛び込んだ。


「ありがとうございました! 本当に、この御恩は一生忘れません!」


「ああ、おばあちゃんが治りそうで良かったな」


 飯福はその頭を優しく撫でてやる。


「また。絶対来てください。今度は白冠霊山を一緒に登りましょう」


「それなら……私も行こうかねえ。なにせ唯一の登頂者なんだから」


 ドゥーニャが気の早いことを言って、家族たちに窘められる。だがすぐに、全員が噴き出した。喜びに満ちた笑顔。その面々に惜しまれながら見送られて。

 温かな気持ちと、得も言われぬ充実感を胸に、飯福は日本へと帰還したのだった。

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