26:うな重(黄の国・第2の都市)

 砂漠のただ中、小高い丘陵の上に広がる大いなる自然の恵み、サージェン湖。そこから大海へと流れる『黄の大河』のほとり。そこにこの国の第2の都市があった。主要な都市が東側、緑の国との国境付近に存在する中、この都市だけは例外。西側の雄として、独自の文化・自然・産業を育んでいる。

 

 そんな都市の暗がりに、一人の男が名を馳せていた。ボドク・パンテーラ。齢39を数えながら、妙に若々しい風貌をしているその男は、『毒売り』の異名を持つ。

 多種多様な毒物を所持しており、顧客の望む物を的確に提供する御用人。ある者は、嫌いな人間を廃人に。ある者は即効性の致死毒で有害鳥獣を駆除し。またある者は、遅効性の毒のおかげでアリバイを作りながら完全犯罪を遂行。とまあ、このように。とかく闇社会では大変に重宝がられる男であった。


 そんなボドクだが、イメージとはかけ離れた地道な作業もよく行っており……本日の彼も、それに従事していた。

 黄の大河のとある支流、その水中を潜行するボドク。クセのある長い赤毛が水の抵抗を受けて後ろに流れるに任せ、白く濁った水中を行く。この近辺にはワニがほとんど居ない。つまり、いきなり背後から噛み殺される可能性は低いのだが。

 ……代わりに、ワニが居ない原因を作っている生物が居るのだ。


「っ!!」


 早速、お出ましである。ボドクの腕に噛みついた、この川を統べる暴君。カゲワタリヘビ。細長いフォルムを活かし、淡水魚の魚影に紛れて獲物へと近付く習性から付いた名だが、真に恐ろしきはその牙に含まれる猛毒だ。ワニや水牛ですら、その毒にやられたら最後。二分と持たず絶命する。


 そんなヘビに噛まれたとあれば、ボドクももう一巻の終わりではないのか。と余人は思うことだろうが……


(ふっ!)


 水中でナイフを鞘から抜き放ち、それをヘビの頭へ突き立てた。痛みのあまり、アゴが外れるカゲワタリヘビ。その頭をガッチリと掴まれ、万事休す。

 ボドクは戦利品を手に、するすると水面へと戻った。そして川岸へ辿り着くと、グッと両腕に力を込めて体を持ち上げる。草地の上で、ようやく人心地つくと、自身の腕を見やった。噛まれた箇所は紫を通り越して黒へと変色しているが……


「……」


 目を閉じて集中。逆に色が黒から紫、やがて薄い青へと戻っていく。そしてやがては、何事もなかったかのように、元の褐色の肌となる。

 ギフト『自然血清しぜんけっせい』。除毒のギフトとは違って、自分の体を冒す毒のみを清める能力だ。その代わり除毒より遥かに強力で、このカゲワタリヘビのような、本来であれば人間が喰らえば助かりようがない猛毒でも、打ち勝ってしまう。 

 多様な生態系を育む黄の大河流域、その大自然の脅威と渡り合うには、こういった特別なギフトが必要なのだった。


「ふう」


 小さく息を吐いて、ヘビの死骸にナイフを入れる。顔の皮を剥いでいき、上アゴの中にある袋のような形状の毒腺を探り当てる。岸に置きっぱなしておいたカバンから、ガラスの小瓶を引っ張り出す。詮を外し、毒腺にビンの口をくっつける。そのままナイフで小さく傷をつけた。途端、トプッと飛び出した深緑の液体。小瓶の中へトロトロと流れ込み、溜まっていく。


 やがてビンの半分ほどを埋めたところで、腺からの供給が止まる。一匹から採れるのは大抵、これくらいの量である。

 カゲワタリヘビを避けてワニがほとんど居ない支流だが、それでもゼロではない。運が悪ければ、いつ何時、食い殺されてもおかしくはない潜行をして、この成果。指の先ほどの量で、人の致死量なので……50回分くらいだろうか。


「一度の命賭けで、50人殺せるって考えれば、むしろ破格かも知れんけどな」


 皮肉げに口端を歪めながら、ボドクは立ち上がる。体を丁寧に拭いて、川に潜っていた形跡を消し、街へと戻る。第2都市の閑散とした道を進む。メインの通りから二つ外れたここは、歓楽街。昼は眠っている区画だ。

 その通りの更に奥、路地裏へ入ると慎重に辺りを見回し、


「ふう」


 小さな一軒家に入った。ボドクの自宅である。石と土で出来た、築15年の古民家。

 ベッドに横になる。羽毛をふんだんに使った特注品だ。眠りの質に拘るのは、量をこなせないから。彼の睡眠時間は平均して一日四時間ほどである。


(警戒心と……幼少期の体験)


 不眠の原因を、彼自身はそういう風に認識している。

 警戒心。因果な商売である。いつ寝込みを襲われても何の文句も言えないほどに。実際、自分が死ぬときは、ワニに食われるか、毒殺被害者の親類縁者に報復されるかの二択ではないかと思っている。


 幼少期の体験。父は吞んだくれのクズであった。母やボドク、弟妹にまで日常的に暴力を振るっていた。無駄に早起きだった彼に付き合わされる形で、家族全員が朝の五時起きを余儀なくされる日々。寝坊すると父自らが叩き起こしに来る。寝ている時に、いきなり鉄拳が振ってくる経験を幼少期に重ねると……こうして、不眠男が出来上がる、という寸法だった。


 ――カーン、カーン、カーン


 鐘の音。午後三時である。先程通った、あの歓楽街が起き出すまで、今しばらく。ボドクも少し仮眠を取ることとした。


 ………………

 …………

 ……


 鐘六つ。結局、正味は二時間ほどしか眠れなかったが、少しは体力も回復した。

 ボドクは外套を羽織り、街へ繰り出した。


「そこのお兄さ〜ん。寄っていかない?」


「可愛い子、揃ってるよ〜」


「酒と踊り。日頃の疲れをパーッと吹き飛ばせる店だよ〜」


 通りは活気づいていた。客引きの声がひっきりなしに飛び交い、呼び止められる酔客も大声で応じている。昼間の様相とは見違えるような喧騒だった。これが第2都市の裏通り、その夜の顔だった。東の都市群のように上品に澄ましてはいないぞ、というのが一つ、街の住人の反骨的な誇りになっている。


 色付きガラスの箱の中に白のマナタイトを入れ、多様な色合いの光を放つよう工夫された照明。赤や青、鮮やかな色のドレスを着こんだ商売女たち。甘く香る酒の匂い。店舗間の僅かな隙間に逞しく陣取る露店の品物からは、銀の装飾品の胡散臭い輝き。


 クソッタレで愛おしい街並みに、今日も辟易しながら、ボドクはフードを深く被り直す。そして、とある店に吸い込まれるように入っていった。女が裸を見せながら踊る見世物の傍らで、男たちが酒を呑む店。本日の依頼人が、ここにいるのだ。

 ボドクは猥雑な店内を進み、するすると店奥へ。カウンターの脇にある通路を抜け、とある部屋の前に立つ。ノックをすると中から返事。周囲を見回し、通路に誰も居ない事を確認してからノブを回した。


「邪魔する」


 部屋の中には恰幅の良い男性が一人。革張りのソファーに腰掛けていた。この店のオーナー兼店長である。

 彼はフードを目深に被ったボドクを見ると、


「よく来てくれた。毒売り」


 鷹揚に言って、対面のソファーを促す。足音もなく(消すのがクセになっている)着席したボドクに、男は世間話もなく、いきなり本題を振った。


「ウチで最近雇った子なんだがな……」


 この時点で、ボドクはほとんど内容を察している。商売女を扱う店では度々あるトラブル。


「どうも手癖が悪いみたいでな。先輩の女の子のカバンから……な?」


 盗みをやるようだ。


「……自分の田舎から引っ張って来た男でも使ってるのか、捌く経路が見えなくてな」


「証拠が掴めないのか」


 苦々しい顔で頷く店長。


「懲らしめるのか? 殺るのか?」


「殺めるなんて! そ、そこまでは……」


 実際、こういった水商売をしていても、ボドクほど闇深い場所にいる人間は、そうはいない。粋がっていても、人を殺したこともないという者が大半だ。


「……なら麻痺毒だな。キリサメサソリの毒くらいが適当か。動けなくなったところを、尋問すると良い」


 言いながら、カバンを漁り、小瓶を取り出す。一回分に小分けされた本当に小さなビンだ。中には紫色の液体が数滴分。


「追加料金、金貨10枚で仕掛けも請け負うが?」


「あ、ああ。頼む。怖くて触れない」


 失敗しても麻痺するだけだというのに。内心で苦笑しながらも、ボロい案件ゆえ、黙って作業を始めた。

 といっても、彼にとっては簡単なもので。ビンの中の液体を指につけ、極小の縫い針の先端に塗布するだけ。


「後は、先輩のカバンとやらに忍ばせるだけだが……」


 言いながら部屋の扉を見る。店長が慌てて立ち上がり、先に行ってドアを開けた。彼の先導に従い、廊下を行く。店長室から二つほど離れた部屋が、目的の場所。従業員の控室のようだ。


「女たちが着替え中……とかは勘弁してくれよ?」


「いや、大丈夫だ。今の時間は全員、舞台だよ。書き入れ時だからな」


 夜飯の後が更にピークだが、今の時間でも確かに十分客が入っていた。

 入室し、ザっとテーブルの上を見回すが、


「なんもないな」


「みんな、盗難を警戒して自分の荷物入れに仕舞うようになったんだ」


 店長がアゴでしゃくった先。硬い木で作られた棺桶のような形の荷物入れが、壁際に並んで立て掛けられている。錠までつけてあるようだ。


「これなら、灸を据えずとも、もう盗めないんじゃないのか?」


「いや。鍵を開けられるんだ、そいつは。どうもそういうギフトを持っているらしくてな」


「……厄介だな」


「まあそれでも解錠の際は、誰も見ていない隙を突かなくてはいけないから、テーブルの上に置きっぱなしておくよりは、マシだがな」


「なるほど」


「つまり逆を返せば……盗みやすいよう、テーブルの上に置きっぱなしにしておけば、それに飛びつくハズだ」


 カバンの用意もあるらしく、空きの荷物入れから、上質な革製の物を一つ取り出してきた。


「ウチの一番人気の子が持ってるのと同じカバンだ」


 店長はそれをテーブルの上に置くと、タオルや手鏡などの小道具を入れていく。そして最後にこれ見よがしに巾着袋。パンパンに膨らんでいる。中には青銅貨を、詰め込めるだけ詰め込んであるらしい。


「その口の所に仕掛けるか」


 ボドクが巾着の口に、先程の小さな毒針を設置する。掴む時ないし口を開ける時、間違いなく触れるであろう箇所だ。


「じゃあ、見届けてから俺は帰る」


「あ、ああ。頼む」


 そうして二人は店長室に戻った。それから数十分ほどして、舞台の第一幕が終わり、踊り子たちが控室に戻ってきた。ドアの開閉する音。そこから五分ほど待つと、


「「「きゃあああああああ!!」」」


 複数の女たちの、絹を裂いたような悲鳴。店長はすぐさま駆けつける。ボドクもその後をついていった。部屋に入ると、充満する化粧品の匂いに思わず鼻をつまみそうになる。

 取り敢えず現状確認……するまでもなく、女が床に引っくり返っていた。死に際のカエルのように四肢を投げ出し、ピクピクと痙攣している。床には仕掛けを施したあのカバン。巾着の口から零れた青銅貨も散乱していた。


(こいつが犯人か。若いな)


 まだ10代中頃に見える。と、周りの女性陣が、その少女を睨みつけながら罵倒を始める。


「やっぱりアンタだったのか! あんだけ目を掛けてやったのに!」


「アタシの指輪、返せよ!」


「ふざけんな! クソガキが!」


 そろそろ手が出るかというところだが……


「まあ待ってくれ。まずは盗んだ物をどうしたか聞き出さないと」


 店長が諌める。女たちも、それは道理と納得し、少しだけ興奮が収まった。

 店長はしゃがみ込み、少女に向かってゆっくりと話しかけた。


「なあ……聞いての通りだ。もう逃げ場もないし、洗いざらい吐くしかないぞ」


 軽く凄んで見せるが、ボドクから言わせると、やはりカタギの理性が垣間見える。果たして少女は、


「あ……うう……あ」


 唇をプルプルと震わせるのみ。だが、実際は喋れるハズである。手足の痺れは酷いだろうが、口も利けない程の量は盛っていない。瞳にも僅かに余裕の色が見て取れる。だが、周囲は気付かないようで、


「チッ。病院に連れて行くか」


「除毒のギフト持ちか?」


「困ったな」


 といったやり取り。ボドクは小さく溜息を吐いて、


「まあ待ちなよ。お嬢さんがた」


 歩み出る。突然出てきた謎のフードマントの男に、女衆が驚く。発言するまで、その存在を認識できていなかったかのような。だというのに、今は濃厚な気配を感じている一同。そんな周囲の様子は歯牙にもかけず、

 

「……それじゃあ尋問の時間といこうか」


 カバンから一本のビンを取り出す。中には青緑の液体が入っていた。ドロリとしている。


「こいつはショウキ蛾の鱗粉りんぷんを水で薄めた物だが……一口飲むだけで、全身に激痛が走る代物でな。死にはしないが狂ってしまうってヤツだ」


 僅かに少女の目に動揺が走る。


「演技を止めて、今すぐ吐く気になったか?」


 ボドクの提案はその実、最後通牒だったが……少女が選んだのは。


「あ……う、う」


 裏社会の人間をコケにする選択。ハッタリだと思ったか。ここさえ凌いで病院なり医者なりが立ち会えば、逃げる隙も生まれるとでも踏んだか。とにかく、悪手を打った。


(その毒を処方したのが誰だか、今から教えてやろう)


 ボドクはビンの中に指を入れ、爪の先に液体を僅かにつけると、手を引き抜く。そしてその指を、少女の口の中に突っ込んだ。


「!?」


 素早く抜き取る。激痛に噛み千切られては敵わないからだ。

 ……変化は劇的だった。


「あ、が、ああああああああ!? い、痛い! いた! あ、ぐ、あ、ああ」


 口を押さえて、のたうち回る。その鬼気迫る様子に、女衆が「ひ」と短い悲鳴をあげて壁際まで逃げた。

 未だ少女は激痛の最中。口内を搔きむしったか、剥がれた爪がピンと飛んだ。唇は血で真っ赤、歯も何本か欠けているだろうか。


「一応、今の量の三倍までは耐えた人間もいるが……どうする? 新記録狙ってみるか?」 


 ボドクの淡々とした声音に、


「話す! 話すから! ああっ! ぐ……あ……」


 少女の泣きが入った。

 周囲は、涼しい顔で非道を行うボドクに対して、血の気の引いた顔をしている。


「自白までやるのは契約外だったな」


「追加で金貨30枚、は、払うよ……」


 店長の声は少し震えていた。


「そうか。それは助かる。今後ともご贔屓に」


 そう言い残して、ボドクは踵を返した。女性陣は俯いて目を合わせないようにしている。

 ボドクは知っている。ご贔屓にとは言ってみたが……再び彼らが自分を呼ぶことはないだろう、と。






 店を出ると、空腹に腹が鳴った。あれだけ人を痛めつけた直後だというのに、ボドクはケロッとしたものである。慣れた、というより。幼少期から暴力と隣り合わせで育ったせいか、自分の振るう暴力にも無頓着になってしまったのだろう。どこにでも、自然にあるもの。そんな風に本能に刻まれてしまっているのかも知れない。


(何を食おうかな。米の気分だが……)


 黄の国の西側において、米作が出来る環境はそう多くないが、この第2は別だ。大河の恵みが稲作を容易にしており、庶民でも気軽に手が出せる価格で流通している。


 通りを一本東へ。猥雑な繁華街から、少しだけ毛色が変わる。虹のようにゴテゴテした光とは違い、薄ぼんやりとした赤い光が通りを照らしている。飯屋街である。


(さてと……)


 店の並びを順々に見て行く中で、はたと違和感を覚えた。


(今、変な店がなかったか?)


 ボドクは慌てて引き返す。2軒前、路地の隅の方に奇妙な木組みを見つけた。通りの赤い光と同じなので気付かなかったが、この店の灯りは珍妙だ。ずんぐりとしたビンのような形の物が光っている。よく目を凝らすと、紙細工のようだが……


「いらっしゃい。提灯が気になるかい?」


「え?」


 木のカウンターの下に座り込んでいたらしい男が、立ち上がりながら挨拶をしてきた。

 黒髪黒目。珍しい風体だが、歳の頃は30手前くらいだろうか。


「こいつは……店か?」


「ああ。屋台っていうんだ。緑や赤、白、青の国なんかでは、結構ある形式だな」


「そうなのか……」


 ボドクは話をしながらも、油断なく店主の男を観察している。一見すると、どこにも敵意はなさそうだが……


「俺はこの街は長いんだが。こんな所に屋台なる物があるのは初めて知ったぞ」


 更に探りを入れる。すると、店主は事もなげに頷いて。


「まあ、一時間前までは、俺は黄の国にすら居なかったからね」


「なに?」


 何かの頓知だろうか。と、ボドクが疑うより先に。店主はクルリと背を向けた。


「おい、どこへ……」


 言い終わる前に、眩い光に目をやられる。やはり刺客だったか、と。後ろに大きく跳躍し、難を逃れる。腕で光を遮りながら、覗き見た先には、しかし、敵だ味方だという次元を超えた光景が広がっていた。


「光の中に……消えた?」


 一体全体、どういうギフトなのか。と、すぐにまた発光。そしてその中から、人影が現れる。先程の男が武器を持って戻ってきたのだろうか。持ち前の警戒心が、ナイフをホルダーから抜かせた。身を低くし、いつでも飛びかかれる姿勢を取る。肉食獣を思わせる、しなやかな筋肉が肩から浮き上がった。


 慌てたのは、店主の方で。


「あ、ちょっと。お客さん? そんな物騒な物、仕舞ってくれよ」


 敵意ナシというつもりか、持ってきた何かを台の上に置き、両手をこめかみの辺りまで挙げた。掌も開いており、暗器の類も仕込んではいなさそうだった。


「……」


 そこでようやく、少し警戒を緩めるボドク。そうすると……途轍もなく良い香りが鼻腔をくすぐった。


「その皿……か」


 四角くてふちの高い皿だった。


「ああ、お重な。中身はうな重だよ」


「うなじゅー」

 

 聞き慣れない単語に、思わずオウム返し。取り敢えず見てみろと手で示してくる店主。ナイフこそ仕舞ったが、いつでも抜き放てるように、指はかけたまま。ジリジリと進む。


「お客さん、もしかして暗殺者か何か?」


 店主は冗談半分で言ったらしかったが、


「……似たようなモンだ」


 ボドクの返答を聞いて、笑みを引っ込めた。気圧されたか、彼の方も一歩下がり、それで距離を詰めやすくなる。


 近づいて、お重とやらの中を覗き込んでみると……茶色い肉のような物がテラテラと光っている。その下にも、茶色く染まったライス。香りは抜群だが、見た目は独特だ。


「こいつは……なんというか……ヘビの肉にも見えるが」


「ああ、確かに。魚だけど、異様に細長い体をしている。体表も黒くてヌメヌメしていてな」


 聞くだに、カゲワタリヘビを想起させられる。ゲンナリとした顔に変わったボドク。


「毒とか入ってないだろうな?」


 まあ入っていても、自分には無効だが、と内心で付け加えながら。

 店主は苦笑して首を横に振る。


「俺が先に食っても良いよ」


 とまで言うので、ボドクも矛を収めた。まだ、あのヘビに似た生き物を食べることに抵抗を覚えてもいるが。


(メチャクチャ食欲を誘う香りが、ずっと……)


 甘いタレの匂いと、燻製にも似たかぐわしさ。


「……ヘビの肉は硬いが」


 あの毒蛇以外の物を食べたことがある。硬くてパサパサしており、お世辞にも美味いものではなかった。


「だから魚なんだって。形状がヘビと似てるだけの」


 店主はやや困り顔で続ける。


「……じゃあ、こうしよう。試しに一口食ってみな。それで合わないんだったら、残してくれて良い。お代も結構だ」


 大した自信だった。あるいは、何か一口でもボドクに食わせようという意思のような物も感じるが。とにかく、そこまで言うのならと、屋台の脇に置いてある椅子を引っ張り、そこへ腰掛けた。尻を包む小さな布団が、自宅の特注ベッドより柔らかくて驚いた。


「……」


 箸を持つ。そっとヘビ肉のような塊に先を入れる。当然、硬い筋張った感触が返ってくると思っていたボドクだったが。スッと通った箸先に、目を見開いた。再三、店主が言っているように、本当にヘビではないらしい。

 そのまま切り分ける。やはり綿毛のように柔らかい。


「……」


 一口、お試しだ。口の中にライスと一緒に放り込んだ。


「!!!」


 魚の身にしたって、これほど柔らかいなど信じられなかった。舌で押すだけでほぐれてしまう。そして何より、芳醇な旨味と、甘辛くドロッとしたタレの競演。フワフワの身を噛むたび、口一杯に広がって溢れそうになる。そのタレを吸い込んだライスも、甘辛さの中に米本来の旨味も発揮していて。


(なんという美味さだ)


 小骨が少しだけ舌に触った感触で、確かにこれは魚なのだろうと推知したが。一体全体、これほど美味い魚はどこで獲れるのだろうか。

 ほとんど無意識に、箸が二口目へと伸び、


「お客さん。約束」


 店主に咎められた。


「ああ、そうだったな。契約は守らなくちゃいけない」


 そういう界隈にいる人間として、当然だ。


「もちろん、頂こう。いくらだ?」


「銀貨四枚だよ」


 安い。間違いなく高級魚、しかもかなり手間暇かけて焼きと味付けをしているだろうに。倍値でも払っただろうことを思えば、今日はツイているようだ。

 ボドクは手持ちの巾着から、言われた額を支払う。店主が頷き、回収した。これで晴れて、この「うな重」はボドクの物となったワケだ。


「……」


 と、店主は再び後ろを向いて、光の中へ。カネをしまいに行くのだろうか。眩しいのでやめてくれと、眉をひそめたボドクだが。戻って来た店主が手にしていたのは……椀だった。

 目顔で中身を訊ねると、


「肝吸いだよ。そのウナギの肝を吸い物に入れた料理だ」


 そんな答えが返ってくる。


「肝まで食べれるのか……」


 さっきまでの、カゲワタリヘビと同様に見ていた段階だったら、御免蒙っただろうが。身の方の美味さを味わった後では、期待しかなかった。

 店主がコトンと置いた椀の中には、透明の汁。表面には緑の葉がいくつか浮いていて、底の方には白い塊が二つほど。


「……肝は白いのか?」


「ああ。というか、ウナギの身は元々白い。タレをつけた蒲焼きの他に、そのまま焼いた白焼きってのもあるくらいだからな」


「ふうむ?」


 少し分かりにくかったが、うな重の方は白い身にタレを塗ったことで茶色に変わっているということらしい。


「これはいくらだ?」


「いや、それはサービスだ。元々セットで出すつもりだったんだよ」


「そうか? それはありがたいな」


 店主の気が変わらないうちに飲んでしまおう、と早速手を伸ばす。椀を持ち、鼻に近づけると、ツンと良い匂いがした。


「三つ葉だな。香りつけに良いだろう?」


 店主に一つ頷きを返し、口をつける。塩味、とも少し違う。複雑な味わいの汁だった。その中で、三つ葉のシャキシャキとした食感と、鼻を抜ける清涼感が際立つ。そして、最後に肝。箸で掴み、そっと噛んだ。ブニュンとした食感と、弾力。どことなく、ヘビの肉を柔らかくなるまで煮込んだような。だがそれとは比較にならない滋味を感じさせる。やはりこれも味わったことのない物だった。


「……美味い」


「そいつは良かった」


 店主が満足げに笑う。

 それから、ボドクはほとんど無言で、うな重と肝吸いを交互に食べていき、物の数分で完食してしまった。

 と、そこで。店主が少し笑っているのに気付いた。


「なんだ?」


「いやさ。暗殺者みたいな仕事って言ってたし、事実、凄い警戒心だったのに、料理に毒入れられるとかは最初に心配したきりなんだなと思うと、少し可笑しくてね」


「ん? あ、ああ」


 ボドクのギフトを知らなければ、確かにチグハグな対応に思えるかも知れない。


「……なあ、アンタ。ここらでずっと店を出す気か?」


「え?」


 急に話の流れを無視したようなことを聞かれて、店主は少し目を丸くするが。


「いや。この屋台は世界を巡るんだ。昨日は黒の国の雪原だったし、明日は全く別の国の別の都市だよ」


「そいつは凄いな」


 明日もこのうな重が食べれるかと期待もしていたので、少し残念だが。ただ、そういうことなら誰かに話が漏れることもないか、と。ボドクは自分のギフトについて話して聞かせた。彼にしては珍しい行動だったが、相手が異世界人で、かつ美味い料理の後で気が緩んでしまったせいかも知れない。


 聞き終えた店主は、


「なるほどなあ」


 と、一つ頷き。


「毒売りか。しかしそんだけ毒が取れるなら、医療関係にも売ってみたらどうだい?」


「は?」


 意味不明なことを言われて、ボドクは怪訝な顔をした。


「いやね、実は毒ってのは薬の原料にもなったりするんだ。もちろん、そのままじゃダメだけど……少量を他の物質と混ぜ合わせたり……ああ、いや。いけね。これも文明干渉か。忘れてくれ」


 店主は途中で言葉を引っ込める。だが忘れろと言われても、忘れられるワケもなく。


「そんな発想は初めて聞いたな」


 文字通り、異世界の発想だ。この世界では、緑のマナタイトでの衛生管理で病気を防ぎ、何かあれば除毒のギフト持ちに頼る。それが医療の90%以上だ。もちろん、薬草を使った薬学、それを日持ちのする薬へ変える学問・実業も存在するのは知っているが。


「毒を薬に、か」


「あー……まあアンタの秘密と等価交換といこうか。俺はどこの街に行っても、毒売りの男の話はしないし、アンタも今の話は他言無用で頼む」


「あ、ああ。それは良いが」


 ボドクとしても、話すような相手も居ない。後ろ盾になっている組織はあるが、そこに流すにも確度が低い話である。


「……すべての物質は毒にも薬にもなる」


「ん?」


「ウチの世界では、そういう言葉があるんだ。言ったのは昔の医学者だったかな」


 店主は宙を見ながら。


「まあなんでも使いようってことだな。極端な話、俺が使う包丁だって、人殺しの道具にするのは簡単だ」


「……確かにそうだな」


 自分は今まで、毒は毒。人を傷つける物としか認識したことがなかったが。


「ちなみに、ウナギにも毒はあるんだ。もちろん、こうやって食卓に並ぶ物は、食中毒なんて起こさないよう、丁寧に処理してあるけどな」


「そ、そうなのか……」


 仮に毒があっても、自分には無効だし、これほど美味いなら気にもしないが。それとは別に、やはり意外だった。毒のある生き物でも、上手くすれば、これほど美味い食べ物に変わるということが。


「っとと。引き留めすぎたな。悪かった」


「ああ、いや」


 この後は特に予定もないが。まあ長居しても、この店主に迷惑かと立ち上がる。


「くれぐれも、毒と薬の話は」


 首肯だけ返し、


「うな重、美味かった。またな」


「ああ、また」


 屋台を後にする。「またな」とは言ったが、きっともう自分の人生の中で、この屋台に再び巡り会う幸運は訪れないのだろうとは分かっていた。


 外套を体に巻き付けるように歩く。夜はここら一帯も冷えるのだ。ふ、と。思い出すのは父と母の顔。初めて毒殺した相手は父だった。苦しみながら目を剥き、のたうち回る男を見下ろし、「毒とは何とありがたい物なのだ」と、毒性生物を創ってくれた神に感謝したのを覚えている。

 母の死に顔もまた、苦しみに満ちていた。あれほど夫の暴力で苦しみ、最期には病でまた苦しむ。哀れな人生に同情しながらも。「毒しかない自分には、どうすることも出来ない」と、そう諦めて見送った。だがもしかすると、その自分が持っている毒の中に、彼女を癒す薬になりえた物があったのかも知れない。


「すべての物質は……毒にも薬にもなる、か」


 契約は違えるワケにはいなかないが……他言はせずに自分で実験してみるのはアリとも解釈できる。幸い、自分なら実験途中の事故で毒死することもない。


「毒売りが、薬売りを兼ねていたら面白いな」


 あのウナギのように毒性と美味の表裏一体。あるいは、恩恵と脅威を同時に内包する黄の大河のような二面性。


(……どんな組み合わせを試してみようか)

 

 様々な毒の効能を実験していた若い頃を思い出す。懐かしい記憶に、自然とボドクの口角が緩んだ。この歳になって、またこんな高揚感を味わえるとは。


 ……今夜もきっと眠れないのだろうが、全く退屈はしなさそうだった。

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