25:★フライドチキン(黒の国・辺境)

 異世界屋台を営む店主、飯福航いいふくわたるは、久しぶりの休日に商店街を訪れていた。休み、とは言いつつ。異世界のとある友人と約束があった。以前、危ないところを助けてもらい、その礼にまた冬本番にご馳走を届けに行く、そんな約束だ。

 つまりそのための食材探しに来たのだった。


 メニューは決まっている。その時に出した料理は全然違うものだったが、冬場に温かい肉が食いたいという要望を聞いていたため、


「フライドチキンだな。時期もピッタリだし」


 と、なった。

 故に本日はその材料を買いに来ていた。懇意の肉屋『肉マサムネ』でも覗くか、と。飯福が進路をそちらに取った、その時。視界の端に、どこかで見たことのある少女の姿を捉えた。

 振り返る。


「あの子は……」


 佐山檸檬さやまれもん。以前、六車むぐるまのキッズ食堂で、フォーを振る舞った少女である。檸檬はその六車の自宅兼店舗『定食ムグムグ』の前で立ち尽くしていた。


「……」


 気になった飯福は、進路変更。少女へと近付いていく。その途中でシャッターの閉まった店舗を確認した。今日はムグムグは休みのようだ。


「こんにちは」


「え?」


 突然の挨拶に、檸檬が振り返る。近くで見ると、頬がやや細っている。元々そういう輪郭ならば良いのだが……飯福としては心配になる。


「今日はキッズ食堂もお休みか」


 やや警戒していた風の檸檬だったが、キッズ食堂という単語を取っ掛かりに、飯福の顔を思い出したようで。あっと小さく声を出した。


「……あの、以前はありがとうございました」


「ううん。あの日は俺はヘルプで入っただけだから」


 曖昧な笑みで返す檸檬。と、上唇を口の中に噛み入れるようにして、慌てて歯を隠した。前歯が少し大きく、その間が空いている、いわゆるすきっ歯だった。


「……」


 もしかすると。あの時の生意気なクラスメイトたちや、あるいは他の子供たちにからかわれたことがあるのかも知れない。

 飯福はもちろん、そこには触れず。


「お昼ご飯はある?」


 そう訊ねた。少し迷ったあと、小さく首を横に振った檸檬。


「ママ、カレシさんと会うから、今日は帰ってこない」


「おう……」


 短い言葉からでも、檸檬の芳しくない家庭環境が窺えてしまった。

 飯福はアゴに手を当てて思案する。


「それじゃあね……そこの一哲うどん、おじさんがご馳走するよ」


 自宅に招くなどは出来ないが、彼女の祖父母くらいの年齢の老夫婦が営む店なら、警戒されないだろうと踏んで。


「え……でも」


「っとと。挨拶がまだだったね。俺は飯福航。あの六車さんの御夫婦の友人ってところかな」


「あ、はい」


 少し柔らかい声。ある程度の信頼を寄せている六車夫妻の友人ならばと、いくらか警戒レベルが下がったようだ。


「私は佐山檸檬……です」


 実は名前は先に聞いて知っていたのだが。もちろん、それも言わない。


「檸檬ちゃんか。よろしくね」


 小さく笑いかけると、彼女も(前歯が見えないように)ぎこちなく笑い返した。


 そのまま、一哲うどんの暖簾をくぐる。昼をやや過ぎた時間、そしてクリスマスという時節柄、店内は閑散としていた。正直助かる、と飯福。


「いらっしゃい。おや? 珍しい組み合わせですね」


 一哲の妻、佳子よしこが出迎えたが、入ってきた二人を見て、目を丸くする。


「佳子さん、檸檬ちゃんとお知り合いなんですか?」


「うん。時々、ウチでも……ね」


 肩身の狭そうな檸檬を見て、少々言葉を濁す佳子。飯福は自身の配慮が足りなかったと内省する。檸檬からすれば、あちこちタダ飯をたかり歩いているように思われることに負い目があるハズだ。そこを汲めていなかった。


「今日は俺の方で勘定は持ちます。二人分、お願いします」


 そうして奥の席に通され、向かい合わせに座る。ここまでは良かったが……その後の話題に窮した。

 そしてここに来て、飯福に若干の日和りが生まれる。アラサーの男と、小学生女子。共に初対面ながら金銭のやり取り。いかがわしい匂いが、そこはかとなく。


(いや、なんだかんだ、善意の行動がそう悪いことになるケースは少ないから)


 今でも昔気質の商店街では人情が息づいているもの。オドオドすると逆にやましい魂胆があるのかと勘繰られかねない。堂々としていよう、と飯福は気持ちを入れ直した。


 飯福はタヌキうどん、檸檬は月見ワカメうどんを注文した。最初は遠慮して一番安いかけうどんを頼もうとした檸檬を説得して好きな物を選ばせるという一悶着もあったが。


 そして10分ほどで料理が到着した。その待ち時間、飯福も気持ちを立て直し、檸檬と色んな話をしてみた。とはいえ、彼女は家や学校の話はあまりしたくなさそうなので、ユルチューブの話などがメインだった。幸いにも、動物・生物系がどちらも好きだったため、思いの外、話が弾んだ。飯福の好きな柴犬のチャンネル、檸檬の好きな昆虫の生態を紹介するチャンネルを教え合う。


(そういや、黄の国にも虫好きの姫がいたな)


 思い出して、優しい気持ちになる。結局、子供は世界の垣根を越えて愛らしいものだ、と飯福は思う。


「はいよ、お待ちどう」


 飯福の注文の方が先に来てしまい、瞬く間に食べてしまう。なんだかんだ、彼も腹が減っていた。

 途中で檸檬の品も来たが、飯福の方が早く完食。その後は彼女が食べるのを見ていたのだが、


「飯福さん。ジッと見られてるとちょっと……」


 注意を受ける。ハッとした。異世界では客が食べるのを見ているのが当たり前なので、気付かなかった。ははは、と苦笑いを返して、スマホを弄ることにする。あちらの世界は他人と話すことが極上の娯楽で。特に料理という共通の話題があるあの屋台では、なんやかやと店主と話しながら、見られながら、飯を食うというのは彼らにとって何も違和感のない行動なのだが。こちらでは……そういった密な食卓は失われて久しい。


(果たして、どちらの方が幸せなのかね)


 その答えを飯福は持ち合わせないが。

 そのままスマホをポチポチ。と、そこで。近くのスーパーがブランド鶏肉を安売りしているのを知った。チラシは確認したつもりだったが、見落としていたようだ。


「檸檬ちゃん」


「なに?」


 いつの間にやら、敬語がなくなった檸檬。打ち解けてくれたようで、飯福は少し嬉しい。


「夜ご飯にさ、フライドチキンを作ろうと思うんだけど……」


 檸檬はキョトンとした顔。しかし想像したのか、羨ましそうな表情に変わる。それを見れば、わざわざ質問する手間も省けた。


「今から作ってくるからさ。檸檬ちゃんの分も」


「ホント!?」


 ウキウキした様子に、飯福の顔も釣られて綻ぶ。


「ここでもう少し待てる?」


「う、うん!」


「一哲さん、少しだけ置いてあげてもらえませんか? お勘定は済ませておきますんで」


「ああ、いいよ」


「どうせ、今日はみんな和食なんか食べないですからね」


 佳子の方が、ガラガラの店内を見て笑いながら。檸檬も釣られて、遠慮がちに笑った。



 



 スーパーでドッサリと鶏肉を買って家に戻ると、飯福は早速、調理に取りかかる。

 まず鶏むね肉を一口大に切り、ボウルへ入れる。そこへ、卵1個、鶏がらスープの素小さじ2、塩小さじ2分の1、チューブのニンニク小さじ1を加え、しっかりと揉み込んでいく。その後は10~15分ほど寝かせておく。


 その間に、薄力粉、片栗粉をそれぞれカップ半分ずつ、胡椒小さじ1、ナツメグ小さじ2分の1を角バットに入れて混ぜる。オールスパイスの小瓶に手を伸ばしかけて……引っこめる。今日は子供用なので、あまり強い味は合わないだろう、と。

 バットの中に、寝かせておいた鶏肉を入れ、全体に粉をまぶしていく。もう一度、ボウルの卵液、バットの中の粉の順にくぐらせて衣をつける。


 油を熱し、160°に。衣のついた鶏肉を放り込んでいく。小気味のいい音を立てながら、衣が白からキツネ色へと変わっていった。五分ほどで一旦掬い上げる。そして180°まで油の温度を上げ、再度鶏肉を放り込んだ。二度揚げだ。最初に高温で揚げてしまうと、中の肉に火が通る前に表面が焦げてしまう。ゆえに、最初は低めの温度でジックリと火を通し、その後に高温で揚げ直す。それで外はカリッと、中は瑞々しく。そういう仕上がりになる。


「よし」


 頃合いで油から引き上げる。

 次いで、もも肉も同じ手順で揚げていく。二種類の肉質をフライで味わえる贅沢セットの完成である。佐山宅に米がない可能性も考慮し、念のためおにぎりも握って。


「さて。戻らないと」


 意外と時間がかかってしまった。痺れを切らして帰っているということは流石にないだろうが。飯福は急ぎ、商店街へと取って返した。


 一哲うどんを覗き込むと、椅子にチョコンと腰掛けたまま、スマホを弄っている少女の姿。ホッと安堵の息を漏らし、暖簾をくぐる。


「あ、帰って来た!」


 歳相応の元気な声に迎えられる。


「ごめんごめん。一哲さん、佳子さんも、すいませんでした」


「なんのなんの」


「あの後のお客さんも常連さんだけだったからね」


 老夫婦は優しく笑って、飯福の罪悪感を和らげる。改めて頭を下げて、檸檬の傍へ。紙袋を渡す。中身は、業務用の紙箱に入れたフライドチキンと、タッパーに詰めたおにぎり。


「あ、ありがとう……飯福さん」


「うん。おにぎりもあるから、温めるだけで夜ご飯になるからね」


 言いながら、豊原夫妻にも一つ紙箱を渡す。もちろん中身は檸檬と同じフライドチキンだ。年齢も考え、あまり油っこくないむね肉の方を入れてある。


「おや、私たちまで」


「ありがとうね」


「場所代ですよ」


 言いながら、檸檬に目配せする飯福。店内はまだ客も疎らだが、もう出た方が良いだろう、と。檸檬も汲んだようで、頷く。二人で礼を言って外に出た。


「じゃあ、これね」


「うん、ありがとう。お昼のうどんも」


 紙箱を受け取り、檸檬はペコリと頭を下げる。


「……俺に出来ることは少ないけど、また見かけたら遠慮しないで声かけて。飯くれーって。いっつも客用の食材余らしてるから、処理してくれると助かるんだ」


 少しおどけながら言った飯福に、檸檬も釣られて笑う。前歯を隠さない、屈託のない笑顔だった。


 手を振りながら帰っていく檸檬に飯福も手を振り返す。彼女の足取りは、最初に見た時より何倍も軽やかだった。


 ………………

 …………

 ……


 家に戻ると、夕方まで時間を潰し、予定時刻になると大量にフライドチキンを揚げた。おにぎりも握力がなくなるほどに量産。


「ふう、終わったか……」


 予定数を作り終え、飯福は居間で小休止。軽く伸びをしながら、クローゼットに向かって、


「今日は休日。黒の国の、人狼族の集落に繋いでくれ」


 宣言。クローゼットが返事するかのようにカッと光る。これで繋がっただろう。飯福は防寒着を二、三枚重ねてモコモコダルマと化す。そして玄関から長靴を持ってきて、いざ出陣。


 クローゼットを開けると雪国だった。

 

「うお、ヤバッ! 寒っ!」


 一面の雪原に、モミを思わせる小さく細長い葉の茂る常緑樹の森。耳がキーンとなり、飯福は分厚い手袋でコートのポケットを探る。イヤーマフを取り出して、頭に被った。


 後ろを振り返る。目立つ大岩のすぐ傍に出たようで。飯福は岩の上の雪をパッパと払う。クローゼットの場所を示す目印は、なるべく分かりやすく保ちたい。


「まあまた雪が降って積もる可能性もあるけど」


 と、そんなことを独りごちた時だった。


「ああ! ワタルだー!」


「ワタルちゃんだー!」


 遠くから凄まじい速度で何かが駆けてくる。子犬のようだが、少し違う。黒っぽい毛に覆われた顔は狼のそれだが、体つきが少し人間と似ており、胸板が発達している。人と狼の中間のような。


「おお、久しぶりだな! アロ! ミミ!」


 飯福が両手を広げる。そこに飛び込んできたチビ狼二匹。鼻頭が鳩尾を打ち、うっと胸が詰まる。子供とはいえ、流石は人狼族。バネが凄かった。


 アロ(男児)がダウンコートの上をホリホリと進み、飯福の右腕にしがみつく。ミミ(女児)は登れず、ズルズル下がって、飯福の左側のズボンポケットに爪を掛けて止まった。


「ははは。相変わらず元気一杯だな」


 安定の悪いミミの方を片腕で持ち上げ、抱っこする飯福。途端、左頬をペロペロと舐められてしまった。


「ああ! 俺も!」


 アロの不満げな声に飯福は右腕もググと上げる。ミミより年上で、男児ということで、先程よりも力が必要だった。アロにも頬を舐められ、一しきり終わると、二人をゆっくり雪上に下ろした。それだけのことで、少し息が切れている。なんともはや、運動不足は深刻だ、と飯福は自嘲。

 と。


「ご苦労さん、ワタル」


 いつの間にか、大人の人狼族がいた。筋骨隆々の肉体に、狼の顔。二本足で立っている。

 

「ガルム……久しぶり。怪我はもう大丈夫か?」


 ガルム。ここら一帯の人狼族の長をしているオスの個体だ。

 最初にクローゼットがここへ繋がった際、飯福はトラジカという巨大で凶暴なシカに襲われかけた。もうダメか、というところで、助けに入ってくれたのが、このガルム。


 しかしその際に彼は右肩を負傷。飯福は翌日を臨時休業とし、緑の国のモチビト族の集落を訪ね、千年麗人せんねんれいじんを譲り受け、更に翌日も休みとし、こちらに届けに来て、その傷を治したのだった。


 以来、ガルムとは親しくしており、その妻メリマ、息子アロ、娘ミミと家族ぐるみの付き合いだ。


「ワタル……一体いつの話してんだ。あの薬草には感謝してるが、そもそも自力でも」


「はいはい。傷口が熱持って倒れたのはどこの長様おささまだったかしらね?」


 強がるガルムの後ろから、妻メリマもやって来たようだ。


「やあ、メリマも。久しぶり」


「ええ、お久しぶり。ワタルさん」


 チビッ子たちが母の下へ駆け戻っていく。その子らを軽くあやしながら、


「今日もお料理を?」


 期待と申し訳なさを綯い交ぜにした表情でメリマは訊ねる。飯福は軽く頷いて、クローゼットの方を親指で指す。


「熱い肉を食いたいって、前に言ってたろ? ご要望の物をお届けに来たよ」


 子供たちが目を爛々と輝かせ、ガルムも「おお!」とテンションを上げる。

 飯福は微笑し、日本へと戻る。キッチンに入り、てんぷら鍋を火にかけるのだった。






 アロは待ち切れない、という顔で。ミミも涎を垂らしそうなほど大口を開けて。ガルム、メリマも、冷静なようで鼻をピクピクと動かし、匂いを嗅いでいる。

 全員、飯福がアルミのシートを敷くのを今か今かと待ちわびていた。

 そしてようやく、


「オッケー。置くよ」


 敷き終えたシートの真ん中に、保温弁当箱を置いた。パカッと蓋を開けると、すぐに子供たちが寄ってくる。ミミが覗き込み、パアッと無邪気な笑顔の花を咲かせた。


「ワタルちゃん! これたべてもいいの!?」


「うん。待たせてゴメンな」


 その小さな頭を優しく撫でて、場所を空けてやる。それを待っていた他の三人もダダダと寄って来て、


「「「「いただきます!」」」」


 フライドチキンを一斉に手掴みし、かぶりついた。サクッと小気味よい音が四つ。人狼たちは皆、目を大きく見開いていた。


「う、うんめえ!!」


 アロが叫ぶ。ミミも同意のようで、コクコクと頷いている。大人二人もウットリとした表情。


「美味しいわあ……サクサクの茶色い衣の食感。少し塩の味が効いてるのも良い……」


「分かってねえな、メリマは。何をおいても、この肉だろうが。噛んだ途端、熱々の肉汁がジュワッと溢れてきやがる」


「この衣あっての、二重の食感でしょう? 本当に物事を単純にしか捉えられないんだから」


「なんだと? オメェこそ、一番うめえ所を敢えて外して、通ぶりやがって」


 この夫婦は「喧嘩するほど仲が良い」の典型だ。そしてミミは、


「とうちゃん、かあちゃんも。ケンカしたらやぁなの」


 子はの典型でもあって。

 泣きそうな愛娘に、二人とも慌てて矛を収めた。ミミは何故か飯福に抱き着いてくるので、彼としても可愛くて、頭やアゴを優しく撫でる。


(いや、睨まれても)


 両親の鋭い視線に肩をすくめた。


「ん? これ、中の肉がちがうのか?」


 我関せずで、二つ目のチキンを頬張ったアロが、怪訝そうに片眉を下げた。


「こっちはパサパサしてて、アッサリだ。これはこれでうめえけど」


 むね肉の方を食べたらしい。飯福が鶏肉の部位の説明をしてやる。すると、大人二人も唸った。


「肉の場所ごとにそんな特色があるモンなんだなあ。鶏なんて滅多に食えないから知らなかったぜ」


「ね。ここらじゃ、小鳥が春から秋口まで飛んでる程度だものね。知らなかったわ」


 小鳥は食いでが無いので、ほとんど獲らないという話だった。


「いやあ、しかし本当にうめえな。サクサク衣の下にジューシーな肉。こっちはパサパサだが噛むと旨味が口に広がる……むね肉だったか。どっちもうめえ」


 二種類の味わいで飽きがこないように、という配慮だったが、奏功したようだ。


(今頃、あの子も……)


 異世界と地球は、何故か時差なしで繋がっている。つまり檸檬も夕食時を迎えているハズだ。揚げてから少し時間は経ってしまっているが、二種類の肉の食感を楽しんでくれていると良いな、と飯福は願う。


「ほら、おにぎりもあるぞ、ミミ。手にご飯粒が付くといけないから、食べさせてあげよう」


 人狼の手は毛むくじゃらなので、飯粒が付きやすそうである。 

 飯福は弁当の別の段に入れてある俵型おにぎりを取る。そして膝の上にいるミミの口元へ運んだ。


「わーい! あむ!」


 少しだけ指先を齧られそうになった。歯が鋭いので割と普通に怪我をする、ということを既に学んでいる飯福。甘噛みも慎重に、と言い含めてあるが、アロはともかく幼いミミはどこまで理解しているか。


「ん〜、これもおいしい! しおと、おさかな?」


「ああ、鮭だな」


 この近辺でも気候的には採れそうだな、と飯福は考えるが、実際のところは分からない。


「どれどれ。俺たちも」


 残り三人も、おにぎりを手にする。やはり掌を覆う毛に米粒が何個かへばりつくが、構わず豪快にいく。


「おお、これも良いな。フライドチキンとやらと一緒に食えば」


 言い終わる前に、メリマが先にそのセットで食らう。ぐぬぬ顔のガルム。


「ん〜、美味しい。少し硬めのライスと、塩辛くてジューシーなフライドチキン。最高ね」


 外気に晒され、少し料理も冷えてきたが、それでも彼らにとってはご馳走もご馳走。なにせ、


「いつもは、トラジカのすじばったかったい肉が、更に凍ってガチガチになってるヤツだもんなあ」

 

 腐らず保存が効いているのは良いが、美味とは程遠いようだ。四人とも思い出したのか、何とも言えない表情をしている。


 それから一時間ほど。相も変わらず騒がしくしながら、大量のフライドチキンとおにぎりを平らげた。


 ………………

 …………

 ……


「オーロラ!?」


「ああ、今日あたり、よく見えるハズだぜ」


 食後、美味い食事の礼に、飯福に良いものを見せてやると言ってきたガルムだったが……その良いものというのが、どうやらそれらしかった。


「すんげえキレイな光のおびだぜ。見ないとそんだ」


 アムも乗っかる。


「ワタルちゃん、みていこうよ。それでこんばんはミミといっしょにねるの!」


 ミミは大好きな飯福を帰さない算段まで立てている。可愛すぎて反射で抱きしめていた。


「ふふふ、ワタルちゃん。あまえんぼ〜」


 小さな体で抱き返してくる。再び両親から嫉妬の視線を浴びてしまう飯福だった。


「……それで、どうするよ?」


 ぶっきらぼうにガルムが訊ねてくる。飯福は当然、


「連れて行ってくれ。オーロラを見られる機会なんて、きっと俺の人生で二度とない」


 テレビなどで見たことはあるが、北欧やカナダまで訪ねて現物を見るのは二の足を踏む。大抵の日本人は、彼と同じだろうが。だが、もし労せず見られると言われれば、是非にという人も多いだろう。


「決まりだな。ワタル、ミミ。乗れ」


 ガルムが四つん這いになる。その上に飯福はミミを抱っこしたまま乗った。ライダーのように前傾姿勢になり、ガルムの腹に腰を回す。ミミも、父親の首筋の辺りにしがみついている。


「よし。んじゃ行くぞ」


 ガルムの体が力を溜め込む。張りつめた弓を思わせた。そしてそれが、一気に放たれる。


「うおお」


 思わず声が漏れるが、慌てて噛み殺す。喋っていると舌を噛んでしまうからだ。


「アナタ、競走よ」


 凄まじい速度で駆けるガルムの隣に、涼しい顔で並んでいるメリマが、そんなことを言い出した。


「いや、俺は人間の男一人……」


「はい。よーい、ドン!」


 ガルムの抗議が終わる前に、メリマが不意打ちで加速した。


「あ! こら! メリマ!」


 ガルムも釣られて加速する。飯福はグンと慣性の力を受け、アゴが上がりそうになるのを必死に堪えた。


(あ、安全運転で頼む!)


 心の中で念じる。が、虚しく、ガルムはグングン加速して、メリマに追いつく。

 そのまま、二匹並んで、夜の森を駆け抜けるのだった。


 そして、地獄のライディングが終わり(10分くらいだったようにも、一時間以上だったようにも思われる)、飯福は大地のありがたみを靴裏一杯で噛み締めていた。


「ワタルちゃん、はなみずこおってるよ?」


 ミミに笑われるが、何かを返す気力も起きない。寒風を受け、顔全体が凍りついたようで、むしろ鼻水だけで済んでいるのは僥倖とまで考える。


「あ、見ろよ! もう出てるぞ!」 


 遅れて駆け込んできたアロが叫んだ。彼の指がさす方向、空に緑の帯があった。


「お、おお!」


 首を垂直近くまで曲げて、飯福は仰ぎ見る。薄絹のような緑が空に波打ち浮かんでいた。墨をこぼしたような黒い空が少しだけ透過されている箇所もあり、濃淡を生み出していた。


「うわあ……すげえ」


 簡単な言葉しか出てこなくなる。圧倒されていた。降ってくるのでは、と不意に恐ろしくなるほどに。


「これが何なのか、俺たちも分かってないんだけどな」


 アロがイタズラっぽく笑うが、飯福とて原理などは知らない。そしてこの光景の前には、些末なこととすら思えた。


 と。オーロラの様子が変わる。緑の帯に、紫の帯が後から発生して混ざりこむ。グニャグニャと不規則に動く二本の帯。ゲームのグラフィックがバグった時のそれを彷彿とさせる。


「な、なんだ!?」


 空が壊れた。大袈裟でもなく、飯福は恐れを抱いた……が。


「オーロラ爆発よ。初めて見た時は、世界の終わりかと怖かったけど……」


「もう、みなれちゃった」

 

 母と娘がそう言うが、飯福の耳にはあまり入っていなかった。不思議な光彩と、その動きに目を奪われ続けていた。


「世界は……広い」


 地球だけでも、とても人生の残りの時間で、全てを見ることは出来ないだろう。そのうえ、飯福にはこちらの世界もあるのだ。きっといつまで続けても、新しい発見、初めて見る光景ばかりなのだろう。そう思うと、生業だから、というだけでなく、屋台を続ける価値はある。彼は改めて、強くそう感じていた。






 帰りのライディングはどこか夢心地のまま。ガルムもメリマも空気を読んだのか、かなりゆっくり走ってくれたようだった。


 あの目印の大岩の前に到着。ガルムの背から降りた後も、どこか名残を惜しむように、先程オーロラを観測した丘の方を見やる。


「ははは。まさかこんなに気に入るとはなあ」


「私たちからすると、日常のことだものね」


 夫婦が微笑ましげに言う。


「いやあ。俺の世界では滅多に見られるモンじゃないし……貴重な体験だった」


 世界が終わる。そうメリマは表現した。もちろん、そういう恐ろしさを飯福も感じたが、同時にどうしようもなく惹かれて目が離せなかった。今まで感じたことのないような心の動きだった。


「……ワタルちゃん。はるはね。ゆきがとけて、キラキラしてキレイなんだよ?」


 ミミが更にこの地域を売り込む。飯福にまた来いと言いたいのだろう。やはり可愛すぎて、抱き締める。モフモフとした毛並みに頬擦りすると、ミミが甲高い声で喜んだ。


「「……」」


 また両親に睨まれる。飯福は両手を挙げて降参のポーズを取りながら立ち上がった。もうそろそろ、いい時間だ。


「じゃあ、また春にでも来ようかな」


「ああ! 待ってるぜ!」


「今日はありがとう。フライドチキン、美味しかったわ」


「ワタル! 今度も、肉料理頼むぞ!」


「ワタルちゃん、ぜったいよ? また、ぜったい」


 人狼家族に見送られ、飯福は光の中へ。

 そして日本の、自宅の居間に降り立った瞬間、無音。やたら寂しさを感じてしまった。

 

 ただ。それでも胸にあるのは満足感。今日は充実した一日だった、と。

 ずっと心のどこかで引っ掛かっていた、檸檬のこと。自分が出来る範囲でしかなく、根本的な解決とも程遠い、あるいは自己満足でしかないのかも知れないが。それでも一時でも彼女を笑顔にすることが出来た。


 そして午後は。モフモフの子供たちを抱っこして癒やされ、恩人にも喜んでもらって。そして最後に望外の絶景を楽しませてもらった。


「まさか異世界でオーロラを見るだなんて、半年前の自分に言ってもまず信じないだろうな」


 笑いながら独りごちる。


「さあ、明日から仕事納めまで、もうひと踏ん張りだな」


 飯福は大きく伸びをして。ダウンコートについたミミの毛を、ハンディクリーナーで丁寧に取り除いていくのだった。

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