24:タケノコ御膳(緑の国・第30の都市)

 しんしんと雪の降る夜だった。

 ゴンベは隣の集落の医者を連れて、山間の道を歩いていた。時折、積もった雪に足を取られながらも、


「先生、急いでくだせえ」


 ゴンベは医者を振り返り、盛んに急かした。その医者も、高齢ゆえ息があがっているが、それでも不平も言わずついて来ていた。彼女も分かっているのだ。ゴンベとトミの幼い娘・コーロは今晩がヤマになるだろう、と。

 医者の職業倫理からだけでなく、ゴンベたちが遅くに授かった珠の長女を、出産時に取り上げたのも他ならぬ彼女で……即ちそういう縁でもあった。


 やがて長い道程を進み終わり、彼らの家が見えてきた。茅葺の簡素な屋根と、古い木板を組み合わせた木造家屋。ゴンベが木戸を開け、先に中へ入る。医者も続き、


「ああ、アンタ! おかえり! 先生も、よくぞ……よくぞ来てくださんした」


 ゴンベの妻、トミが出迎える。女医の手を両手で包むようにして捕まえ、頭を下げた。


「コーロちゃんは?」


「ああ、熱が。熱が下がらんのです」


 山を越えて呼びに来た際、ゴンベに娘の状態はつぶさに聞いてはいたが。医者は改めて妻からも説明させることで、彼女を落ち着かせる算段らしかった。


「二日前から。山で怪我した言うて……手当もしたのに……腫れが消えんで、あれよ、あれよと熱も上がって……」


「山で毒をもらってきたのかも知れないね」


 女医は板間に膝を着いて、とこに伏した少女の顔色を見る。真っ赤だった。かなりの高熱が出ているらしい。


「怪我した箇所は?」


 訊ねられ、トミが布団をめくる。少女の小さな左足、そのふくらはぎ辺りが、ズボンの上からでも分かる程に腫れあがっていた。

 女医は少女のズボンを脱がし、下着一枚にした。患部を見る。赤黒く腫れていた。早速そこに手を当て、


「六色神様。どうか、お力添えを」


 祈りを捧げる。すると呼応するように、医者の両手が薄緑の光を帯びた。

 そうすること、10分……20分。除毒のギフトと一口に言っても、毒の強さや状態によって対処にも差がある。貝が持つ軽い毒などであれば、ものの数秒、手をかざすだけで済むが。これほどの毒となると、力を行使する方も全身全霊である。


「……」


「……」


「……」


 トミが布巾ふきんで医者の額の汗を拭った。真冬とは思えない発汗だった。下手をすると、熱にうかされているコーロ本人よりも。

 そうして一時間が経過した頃。女医はようやく手を離した。そのまま後ろに倒れかかるのを、ゴンベが慌てて支える。


「先生!?」


 まるでコーロの熱が感染うつったかのようだが。女医は力なく笑いながらも、


「除毒は成功したよ」


 と、夫婦にとって最上の結果を告げる。トミが眠るコーロの顔を確かめると……眉間に寄っていた皺がすっかり消え、穏やかな寝息を立てていた。峠は越えた。素人目にもそれが分かるような、安定した呼吸だった。


「あと数時間、遅かったら。たぶん足を斬り落とさないといけなかっただろうね。あるいは、それでも熱が下がりきらなかったかも。本当に、ギリギリのところだったよ」


 傍目には掌をかざしているだけ、であったが。実際、今晩が剣が峰だったのは厳然たる事実で。そのギリギリの攻防を経て、こちら側に引き戻してくれたのが、この女医なのだ。


「「ありがとうごぜえますだ……ほんに。ほんに」」


 ゴンベが土下座のような格好で頭を下げる。トミも最初に迎えた時と同じように、女医の手を両手で包み、そこに額をつけるようにして頭を垂れた。


「まあ、子供が亡くなるのを見たい医者なんて居ないからね」


 当然のことをしたまで、という口振り。ただそこで少しだけ眉根を寄せ、こう訊ねた。


「しかし、どうしてまた冬の山なんかに?」


 10にもならない少女とはいえ、冬山の危険性は、ここいらに住むなら知らぬハズもない。

 両親はバツが悪そうに顔を見合わせ、


「オラたち、若竹が好きなんだども……」


 ゴンベの方が訥々とつとつと話し出す。

 要約すると……両親の好物である若竹、当然今の季節には収穫できるハズもないそれを、山中で見たと言う男があった。山外れに住み、山の動植物の生態をつぶさに観察する変わり者。


「普段なら、流石にコーロも取り合わないんだども」


 男が若竹を見たという場所が、雪童子ゆきどうじの住むという言い伝えのある、禁足地きんそくちの山だというのだから、やけに信憑性を感じてしまったのだろう。


「酷い夫婦喧嘩をしちまった後じゃって……このままじゃ、おっとうとおっかあが喧嘩別れしちまうって思ったみてえで……」


 朦朧とした意識の中、少女が呟いた断片的な情報を繋ぎ合わせると、どうもそういうことらしかったのだ。

 そこに一応は大人である、例の変わり者の男も入山したという事実が追い風となってしまい、「自分もちょっとだけ。一つ掘ったらすぐ帰るから」という言い訳を心の中で作りあげてしまったようだ。


 そして後は誰でも想像できる通り。一人で山に入り、目的の物を見つけられず怪我をした、と。

 ゴンベは男に文句を言いに行き、掴み合いの喧嘩となったが、しこたま殴られようと、男は「確かに見た」という言葉を曲げなかった。そのうち、ゴンベも今すべきは、こんな狂人との水掛け論ではなく、医者を呼びに行くことだと思い直し。強行軍で山を越え……現在に至る、というワケだった。


「元を正せば、オラたちの下らねえ諍いが招いたことだあよ。だども、こうして何とか、何とか。先生のおかげさね。ほんに、ほんに」


 もう一度そこに帰結し、夫婦はまた拝むような勢いで医者に礼を言った。

 出来る限りの謝礼を渡し、医者を見送る。彼女の話では娘、コーロもじきに目を覚ますだろうということだった。


 しかし。そこから、一晩、二晩。コーロは眠り続けた。三日目に、少し揺すってみたのだが、瞼はピクリとも動かず。息だけはしているが、まるで死人のようだった。これは流石におかしいのでは、と夫婦は再び件の女医を呼んだ。そしてあちこち診させたのだが、


「分からない。なぜ目を覚まさないのか……」


 そんな言葉が返って来た。夫婦は驚き、女医に詰め寄った。


「そんな! お医者さんが分かんねだったら!」


「オラたち、どうすれば良いだか!?」


 必死に懇願するように。


「あ! だったら、また! 除毒をやってけろ!」


「んだ! んだ!」


 名案を思い付いたと言わんばかりのゴンベとトミだったが、医者はフルフルと首を横に振った。


「もう毒はキレイさっぱり消えている。体には何の異常もないハズなんだ」


「したら! なして!?」


「コーロは目を覚まさないだか!?」


 それが分からない、と医者も言っているのだ。

 除毒のギフトを持つ者の多くは、そのまま医者の役割も兼任する。だが実際は、毒を除くことには長けていても、こういった原因不明の昏倒や難しい病に対しては、ほとんど知見を持たない。

 

 結局、匂いの強い木の根を擂った粉末の気付け薬と、栄養のある草の煎じ汁を作って、医者は帰って行った。これらを飲ませながら様子を見よ、とのことだった。


 そして更に五日が経過した。

 細かく咀嚼した食べ物や薬を口に運べば、飲み込むため、生きてはいけるのだが。一向に意識だけは取り戻さない。

 家の中は悲痛な空気が漂い、夫婦間の会話も徐々に剣呑なものへ変わっていった。娘をあの変人に会わせてしまった、その責任はどちらにあるのか、と。

 そして遂に七日目、大喧嘩の末、ゴンベは頭を冷やしてくると言い残して外へ出て行ってしまった。こうなると夜中まで帰って来ないだろう。トミは「せいせいする」と「言い過ぎた」のゴチャ混ぜの精神状態のまま、コーロの布団の端に額をつけた。


「コーロ……」


 娘の名を呼びながら顔を上げ……布団の中、彼女の右手の辺りが小さく盛り上がっているのを見つけた。トミは布団を剥いで確認する。娘は木彫りの人形を握っていた。

 ここら一帯の風習で、子供が出来ると、人形師に依頼してこしらえる物だ。幸人形ゆきにんぎょうと呼ばれる物で、子供の幸せを見守り、災いある時にはその身代わりとなってくれる。そう信じられていた。


「……アンタが代わってくれりゃ、良かったんになあ」


 トミはそっと、その人形の頭を撫でた。恐らくゴンベが、眠る娘の手に握らせたのだろうが。効果はなさそうだ。とはいえ、夫も娘を想う気持ちは自分と変わらないのだと再認識させられたトミ。戻ってきたら謝ろう。今はいがみ合っている時でもないのだ。そう心に決め、トミは飯の支度に立ち上がる。

 背を向けた、娘の布団。その中で淡く白い光が灯っていた。






 吞んだくれて帰って来た夫に閉口し、結局、謝るも何もなかった夕餉。娘にも食事を与え、体を清拭した後、夫を置いてトミはさっさと寝床に入ってしまった。喧嘩に家事に世話に。日々の疲れからか、最近は寝床に入るとすぐに意識が飛んでしまう。今晩もまた、そうなるかと思われた矢先。


「う、うわああああああ!?」


 夫の大声に叩き起こされた。


「あの酔っ払い!」


 悪態をつきながらも、トミは起き出す。一言文句を言ってやらないと気が済まないからだ。と、そのつもりで居間へ行ったのだが……その場の光景を見て、彼女も絶句して立ち尽くしてしまう。


「ち、小さな人間が……う、動いてるだあよ」


 夫に言われずとも、トミにも見えている。白い服を着た、掌ほどの大きさの人間が、トテトテと歩いているのだ。


「も、物の怪!?」


 トミの大声が自分を指していると分かったのか、小さな人間はキョトンと小首を傾げた。


「ゆ、雪童子ゆきどうじ……でねえか?」


 ゴンベの言葉に、トミもハッとする。雪童子は滅多に人前に姿を現さないが、子を亡くした夫婦の下にやって来て、童子わらしの代わりをするという。この集落にも語り継がれている伝承だ。


「だども、オラたちはまだ……」


 トミが反射的に言葉を返そうとしたが、コーロの半死半生の状態を思えば、条件に当てはまらないと強弁することは躊躇われた。認めたくないことだが、明日の朝には呼吸を止めていても何らおかしくない容態だ。


「……」


「……」


 雪童子(?)はなおも小さな足で歩き回っているが、長い織物の裾を踏んづけてしまい、


「あ、あぶね」


 思わずトミが手を出し、小さな体が転ぶ前に支えた。未知の存在に不用意に触れる警戒心のようなものが……何故か芽生えなかった。雪童子はトミを見上げ、ニコリと笑う。屈託のない少女の笑顔が、コーロのそれと重なって見えた。


「……この雪童子、もしかすると、幸人形を体にしとるんでねえか」


 不意に、トミの頭の中に浮かんだ考え。木彫りの幸人形に描かれていた白い衣装、おかっぱ髪と、見れば見るほど、この小さな生物のナリとはそっくりに思えてくる。


「幸人形?」


「ほら、アンタが寝とるコーロに握らせとった」


「オラ、そんなことしてねえべよ」


「え……?」


 予想外の言葉に、トミは固まる。では、コーロに幸人形を握らせたのは……いや、あるいは。

 見下ろす。雪童子(?)は小さな体を畳むようにして、床張りの上に座っていた。歩き疲れたのかも知れない。


「おまさんが自分から?」


 訊ねてみるが、雪童子(?)は言葉を発さない。小首を傾げ、トミとゴンベの顔を交互に見る。


「……取り敢えず、害はなさそうだべな」


「んだな」


 伝承にも、人を害したという内容はない。二人はそれでも一応は一晩様子を見ようと、コーロには近付けず、夫婦の寝室で観察することに決めた。しかし部屋に入れると、警戒する間もなく、雪童子はすぐに布団に潜ってしまう。そして二秒と待たず安らかな寝息を立て始めた。小さく愛らしい姿に、毒気を抜かれる。


「……もうオラたちも寝るべな」


 二人、日中には夫婦喧嘩をしていたハズだが、不測の事態に、そんなことはすっかり忘れていた。

 そして雪童子を間に挟むようにして、二人も床に就いたのだった。


 ………………

 …………

 ……


 朝。パタパタと小さく鳴る音に目を覚ましたトミとゴンベ。起きてすぐ顔を見合わせる。そして、寝室を出て、


「「なんだべ!?」」


 忙しなく動き回る雪童子を見つけた。雑巾を持って、廊下を拭いて回っているようだ。まるで新築に若返ったかのように、家のあちこちがピカピカだった。


「こりゃまた」


「たまげたよぉ」


 いつから掃除していたのだろうか。あの小さな体で、これほどの成果を出すには、相当大変だったのでは、と普段からこの家を掃除しているトミは慮る。


「おめさん、一人でやってくれただか?」


 満面の笑顔で、雪童子はコクンと頷いた。なんとまあ、とゴンベも目を丸くする。トミは感謝し、膝を着いて童子の小さな頭を撫でた。


「おや? どこさ行くだ?」


 撫でられ終わるや、童子はパタパタと再び駆けていく。夫婦もまた顔を見合わせ、一つ頷くと、童子の後を追った。そしてすぐに追いつく。彼女(?)は風呂場に入り、壁に立て掛けてある洗濯桶を器用に引っ張り下ろすところだった。


「今度は洗濯さ、してくれるだか?」


 トミが声を弾ませる。童子はニコッと笑うと、昨日の洗濯物がまとめてある竹カゴを引っ張ろうとして……顔が真っ赤になっている。トミもゴンベも笑ってしまうが、


「ほれ。貸してみんしゃい」


 ゴンベがカゴを持ち上げ、桶のすぐ隣に置いた。そして中から、妻のシャツを取り出す。洗濯板もセットしてやった。


「アンタ! オラが家事しとる時も、こんくらい手伝ってくれりゃあ」


「わ、悪かっただよ。今度から、もそっと手伝うだ」


 期せず言質を手に入れたトミ。雪童子様様である。


「んじゃまあ……メディオラ様、ご加護さ、おねげえしますだ」


 ゴンベが緑のマナタイトに手をかざし、祈りを捧げる。ちなみに緑の神メディオラは、白の大神セレスの従姉妹とされている神だ。


 緑色の鉱石から、モコモコと泡が出てくる。この泡は万能で、衣類はもちろん、体や髪を洗う際や、歯を磨く用途にも使われている。


「……っ! っ!」


 小さな体をピョコピョコさせ、雪童子は大喜び。愛らしい姿に、夫婦の目尻が下がった。

 そして、小さな手で衣類を持つと、洗濯板の上に乗せた。泡を満遍なく伸ばすと、


 ――ゴシゴシゴシ


 体全体を使うようにして衣類を洗っていく。健気な姿に、夫婦は感じ入る。


「これは本当に、ありがてえ存在みてえだあな」


「んだ。伝承は本物じゃった」

 

 子を亡くした夫婦、という条件から外れているのと、雪童子が人形を媒体にしている点は、伝承とは異なるが。


「っ! っ!」


 雪童子がピョコピョコ跳ねる。見れば渡された分を洗い終わっており、次の催促をしているらしい。


「ほんに働きモンだべ。アンタも見習ったらどうだべ?」


「お、オラは今は農閑期だべ! おめこそ、チビ助にばっか働かせるのは、どうかと思うだよ」


 憎まれ口の応酬だが、剣呑な雰囲気はなく、二人とも笑っていた。そんな夫婦を見上げ、雪童子も笑顔を浮かべるのだった。






 その夜のことだった。トミは夢を見た。視点が低く、体も自分のものではないような感覚。事実、彼女の目が捉えているのは……トミ本人の姿と、それから夫のゴンベ。二人を見上げる視点だった。


『おっとう、おっかあ、喜んでたべなあ』


 コーロの声だった。


『こんな喜んでくれんなら、もっと家事の手伝いもしておけば良かっただよ』


 どうもトミの脳に直接響いてくるような感覚で、そこでようやくこれは夢だと気付く。

 と、そのせいでもないのだろうが。


(待って、待ってけろ。まだ覚めないで、見せてけろ)


 急激に意識が浮上していくのを感じる。そして、願いも虚しく、トミは目を覚ました。


「コーロ!」


 隣でも同じように、ゴンベが目を覚ましていた。大声を出しながら、上体を跳ね起こしている。

 半ば直感だが、


「アンタも……コーロの心の中みてえな夢さ、見ただか?」


 トミは訊ねた。ゴンベがゆっくり振り向く。


「おめさんもか……」


 決まりだった。夫婦が同時に同じ夢を見た、ということ。


「……」


「……」


 嫌な推理だが……コーロの心残りを晴らす、そのために、雪童子が力を貸している。そしてその胸中を、夢を介して二人に見せている。そういうことではないだろうか。

 隣を見れば、ゴンベも渋い顔をしている。似たような推測をしたのだろう。


「あまり色々させんのが、ええかも分からんべ」


「んだども……このままでも、いずれ」


「じゃったら、すぐに死ね言うんか!?」


「そうは言うとらんじゃろ! オラたちの推理が外れとるかも知れんじゃって!」


 思わず、二人とも熱くなるが。


「っ! っ!」


 雪童子が見ているのに気付き、慌てて両手を挙げた。喧嘩にはならないよ、という意思表示。

 それを見て、小さな顔に笑みを浮かべる雪童子。気のせいか、昨日よりも愛娘コーロに似てきているようにも思えてしまう。


 雪童子は昨日と同じく、一通りの家事を終えると。昼食後の食休みをしているゴンベの膝によじ登った。


「く、くすぐったいべさ」


 ゴンベも注意しているようで、頬が緩んでいた。小さな頭を、指二本で撫でる。対面のトミが、


「お、オラの膝も空いとるぞ」


 ポンポンと自分の膝を叩くと、雪童子はパタパタと駆けてきて、その上によじ登った。登られる感覚が確かにくすぐったく、トミも鼻から息を漏らしてしまう。

 だがそれ以上の幸せを感じていた。コーロは最近はあまり甘えてこなくなっていたので、久しぶりの感覚だった。


「めんこいのぅ」


「ほんに、ほんに」


 夫婦二人の間を行ったり来たりする小さな体。その健気な姿に、トミは胸の内が温かくなるのだった。


 夜。コーロの食事と清拭を終え、夫婦は床に就く。思えば、雪童子は彼女の世話だけはしない。やはりコーロ自身の意識が同化しているからだろうか。


 そして眠りに落ちると、今日も雪童子視点の夢を見た。自分たち夫婦を見上げている。その自分たちは目尻の下がった優しい顔をしていた。夫のこんな顔を見たのは、いつ以来だろうか。トミがそんなことをボンヤリ考えていると。


『ああ、また喜んでくれただ。こんなことなら、もっと甘えとったら良かっただよ』


 またもコーロの声。ハタと気付く。昨日より声が大きく、ハッキリ聞こえてくる。

 

 と、そこで。また意識が浮上する感覚。ああ、と胸中で嘆いているうち、


「あ」


 目が覚めた。そして、同時に大きな物音を聞いた。ドタンと、何かを床に打ち付けるような音。隣で寝ていたゴンベも跳ね起き、キョロキョロとしている。


「な、なんだべ?」


「多分だども……またユキナが」


 昨日、夕餉の時に夫婦二人で雪童子に名前をつけた。これにも一悶着あったが、最終的にはトミの案『ユキナ』が採用されることとなった。


「い、行ってみるべ」


 なおもゴトゴトと鈍い音が続いており、二人は着替えもしないまま、玄関へと向かった。

 そこには……黒土のついた三角形の塊を、必死の形相で押しているユキナの姿が。


「これ! わ、若竹だか!?」


「こったら季節に!?」


 驚きながらも、夫婦はユキナから若竹を引き受け、台所に運ぶ。


「しかし、こったらモン……」


 改めて見つめる。小振りだが、正真正銘、若竹だった。


「おっとぅ、おっかぁ、こーぶつ」


「「え!?」」


 不意に夫婦以外の声が聞こえ、慌てて視線を下げる。ユキナだった。


「おまさん! 喋れるようになっただ!?」


 小さな頭をコクンと振るユキナ。二人は二の句が継げない。

 そんな二人を他所に、ユキナは若竹を指して、


「となりのやまから」


 例の禁足地のことだ。二人は顔を見合わせる。まさか、あの狂人の方が正しかったとは。しこたま殴りつけたゴンベなどは非常に気まずげである。


「わかたけごはん」


「あ、ああ。んだな。今晩は若竹ごはんにするべさ!」


 夫婦とも根っからの好物。知らず唾液が出てきた。そうと決まれば早速と、トミは支度を始める。


「コーロも喜ぶじゃろなあ」


 優しげな夫の声に、素直に頷いた。


 だが。


 晩飯に出てきた若竹ごはんは、味は苦く、食感は硬く。とてもではないが、春先のそれとは比べ物にもならない代物だった。

 夫婦、二人とも苦瓜を生で囓ったような顔をしている。


「まずい?」


 その様子を見て、ユキナの顔が曇る。ちなみに彼女自身は、人の食べ物は摂らないようで、見ているだけだったが。ただそれでも、夫婦の思い描いていた味とは違うのが分かったようだ。


「そ、そったらこたねえべよ!」


「んだ、んだ! 久しぶりすぎて、舌さビックリしただけじゃて!」


 必死に言い募り、二人とも飯を頬張る。だが、目をギュッとつぶり、ほとんど咀嚼せず、喉奥に流し込むような食い方に、ユキナはションボリと項垂れた。


「ごめんなさい」


 それだけ言い残し、居間を後にする。トミたちが、その背にかける言葉を考えているうち、寝室へ入って行ってしまった。


「こらぁ、しくじったべ?」


「だどもなあ。これはなあ」


 なんとか食べきったものの、もう一度味わいたいかと問われると、否であった。


「……だども。これでええのかも知らんべさ」


「どゆことだか?」


「もし、ほんにユキナの願いを全部叶えたらば、どうなることか」


「そういうことだか……」


 コーロの心残りが消え、天へ旅立ってしまうかも知れない。

 だが同時に。実はユキナの願いを叶えるたび、心なしか、コーロの血色も良くなってきているようにも見えるのだ。なのでもしかしたら、ユキナの願いを叶え、彼女が力を得れば、コーロにも……そういう期待も夫婦にはあって。


「どうするのが正解じゃろう」


 ゴンベの苦悩の声に、トミも答えを持たない。


 そしてその晩、夫婦は夢を見なかった。


 ………………

 …………

 ……


 翌日。塞ぎ込んだまま家事をするユキナは痛々しく、ゴンベもトミも積極的に手伝った。狭い家、三人で掃除すれば昼を前に終わる。


「……」


 手持ち無沙汰となり、ボーッと縁側を見つめるユキナ。禁足地の方角だった。帰りたい、と思っているのか、はたまた再び若竹を探しに行こうと考えているのか。


「……このまんまは哀れだべな」


 ユキナの体を借りて行われているコーロの親孝行。現状では手伝うのが正解なのか、させないのが正解なのか。判断がつかないが……目の前のユキナは見ていられなかった。


「今日は雪も少ねえ。ちょこっと山の様子さ、見てみるべ」


 ゴンベのその言葉を聞いて、ユキナがパッと顔を輝かせる。


「んだな……村のみんなに見つかんねえようにだべ」


 実際のところ、本気で山を捜索するワケではない。ただ、少しの捜索で良い若竹が採れるなら、もうそれはそういう運命なのだろう、と。

 夫婦は、娘の行く末を、神に委ねることにしたのだった。


 トミがユキナを抱っこし、山備えした服装で、三人外へ出る。

 と、


「うお! 眩しいだ!」


「なんだべ!? 太陽が落っこちて来ただか?」


 すぐに眩い光に包まれる。何が何やら分からない三人。

 だがそれも数秒。再び辺りは雪化粧の集落の景色へと戻った。だが一つだけ、異物。四角い枠のような木組み。

 そしてその奥に、黒髪黒目の、この近辺ではとんと見慣れぬ男がいた。


「あ、アンタ、何者だべ?」


「村のモンじゃねえべな」

 

 警戒も顕に。だがそこで、トミの鼻が何か芳しい匂いを嗅ぎ取った。


「な、なんか料理さ、しとるだか?」


 その問いに答えるように、男が両手を挙げた。


「怪しいモンじゃない。そっちのお姐さんの推測通り、料理人だ」

 

「まあ、お姐さん!? こんなバアをからかうんでねえべよ」


 そうは言いながらも、満更でもないなさそうな様子。ゴンベがムッとして前に出る。


「その珍妙な木組みは何だべ?」


「そっか、この辺だと緑の国でも屋台はないのか……これはそうだな。野外でも飯が食える、組み立て式の食台だよ」


「な、なるほど?」


「まあそうだな。実際に料理を持ってきて、置いてみようか?」


「料理……」


「今日はタケノコ御膳だ」


「タケノコ?」


「もしかして……若竹のことだか!?」


 トミの方が気付いた。


「ん、ああ。そういう言い方もするな。竹の子供、タケノコ」


「ああ、なんと! なんという偶然だべ!」


 あるかどうかも分からない若竹を探しに、禁足地まで向かおうかというところで、この出会い。だが、


「……嘘八百こいてるかも知れねえべ」


 ゴンベが冷や水。もしかして妬いているのか、とトミは少し可笑しくなった。店主の男は肩をすくめる。


「今、料理を持ってくるよ。現物を見てからカネ払って食うか否か判断してくれ」


 男はそう言うが早いか、踵を返し。


「おめさん?」


 トミが不審に思って声をかけると同時、何もない空間が突如輝く。そしてその光の中へ、男は消えて行った。

 手庇の下で、口をあんぐり開けた二人。


「ぎ、ギフトだか?」


「それ以外……か、考えられねえべ」


 更に言葉を重ねようとした瞬間、また光の中から男が現れる。手に盆を持っていた。それを提供台の上に静かに配膳。その脇に水の入ったグラスもコトリと置いた。


「こりゃ……」


「たまげたなあ」


 茶碗には若竹、ニンジン、その他にもトミたちが見たこともない具が沢山入った、しかし間違いなく「若竹ごはん」が盛られていた。そして大皿には若竹に薄黄色の衣を纏わせたと思しき料理。

 ゴクリと喉を鳴らす夫婦。


「一人、銅貨八枚でどうだい?」


「「か、買った!」」


 決まりだった。ゴンベも警戒心すら忘れ、美味そうな若竹ごはんに舌鼓を打っている。

 巾着から銀貨一枚、銅貨六枚を出して勘定。


「椅子が脇にあるだろう? すまないが自分たちで引っ張ってきて座ってくれ」


 二人は言われた通りにし、素直に腰掛ける。尻を包む、小さな布団によって座り心地抜群だった。

 そして夫婦は箸を手にする。


「今更だけど、ここら辺は緑の国なのに箸文化なんだな」


「ん?」


「ああ、いや。気にしないでくれ」


「そうだべか? んだば、早速」


 一口分、箸で掴むと、そのまま口の中へ。途端、トミは目を見開いた。

 自分で作っていた若竹ごはんより遥かに複雑な味が染みた白米。甘辛い出汁で炊いているのだろうが……絶妙な味わいだった。

 そしてそこに、コリコリとした食感が生きた若竹。対照的に、煮立てられて柔らかくなり、甘みを増したニンジン。


「ん〜」


「こりゃ、たまげた。なんちゅう美味さだあよ」


 ゴンベも瞬きすら忘れ、呆然といった様子で呟いている。


「こ、この灰色のはなんだべ? 薄く切ったキツネ色のも」


「コンニャクと、油揚げだな」


「食えるだか?」


 ゴンベの問いに、店主は鼻から息を漏らす。


「食えないモンは入れてないよ。どっちも、あまり味わったことのない食感だろうけど……美味いよ」


 これだけ美味いものを作る人間のお墨付き。正直に言えば、後者はともかく、灰色のプルプルした物は、箸を伸ばすのに抵抗があるが。

 そんなトミを見てか、ゴンベが先にそのコンニャクとやらを摘まみ、一息にパクリとやった。


「ど、どうだべ?」


 少し咀嚼して、ゴンベは目を丸くした。


「美味えだ。おかしな食感だども、うん、クセになるよぉ」


 そう言いながら、また一つ灰色のそれを箸で掴む。

 トミもその言葉を信じ、一つ掴む。目を閉じて口の中に放り込んだ。一噛み。プルンとした食感の中に、少しの歯応え。瑞々しさと、出汁の旨味。これは! と目を見開く。


「う、美味えだ!」


 噛めば噛むほど、硬いような柔らかいような絶妙な歯応えに夢中になってしまう。


「コンニャク芋っていう、芋が原料なんだが」


「これが芋だべか…………世界は広いだな」


 ゴンベがしみじみと言う。


「こっちの油揚げ言うんも……」


 今度はトミが先にいった。噛んだ途端、ジンワリと出汁の旨味が広がり、少しボソボソとした食感。布を噛んだような、しかし容易に噛み切れ、喉越しも滑らかだ。こちらも彼女らが味わったことのない食感だった。


「これもまた面白い食感だべな。出汁の旨味も効いとる」


 ゴンベも目を閉じ、ウンウンと頷きながら咀嚼している。

 

 さて。残るは……若竹の形は保ちつつ、薄黄色の衣をその周りに纏わせたような料理。


「タケノコの天ぷらだ。そっちのつゆに浸して食べると、衣に味がついて美味い」


 実は最初から気になっていた、深皿の中の黒い液体。その正体が判明した。


「「……」」


 今度は二人で同時に。もうここまでで、青年の料理に全幅の信頼を置いていたため、躊躇なく。


 ――サクッ


 二人、初めての食感に目を見開き、次いで顔を綻ばせた。美味い。

 サクサクとした薄黄色の衣が、つゆの甘辛い味を吸い込み、それが舌の上に広がる。そして衣の下、コリコリの若竹が現れた。

 サクサクと、コリコリ。二重の食感の楽しみに、つゆの濃い味が絡みつく。


「う、美味えだな、これまた!」


「なんとも、つゆが良い味を出しとるべ……」


 興奮気味のゴンベと、恍惚とした表情のトミ。ただどちらも、咀嚼をやめられない。


「おっとう、おっかあ、うれしそう」


 と、ユキナもニコニコ顔。

 ただそれを見て、店主の男が仰け反る。


「……妙に精巧な人形だとは思ったが……い、生き物だったのか」


「いや、オラたちもよく分かんねが、ここいらの雪童子いう物の怪? 妖精みたいなんが取り憑いとるモンじゃなかろうかと」


「よ、よく分かってないのか。こ、怖くないのか?」


「いんや。オラたちの村の奥におるモンたちじゃしの。そったらこと言い出したら、おめさんの光る屋台? とやらの方が、よっぽどおっかなかっただよ」


 ゴンベが口を尖らせる。


「そ、そうか。文化の違い、だな。ひとりでに動く人形より、俺の方が怖いのか……」


 なにか少し凹んでしまったようだが。

 夫婦は黄昏れる彼を他所に、バクバクと御膳を平らげていき、やがて。


「ふう。食っただぁ」


「うめかったあ」


 仲良く完食。腹を擦る仕草まで同時で、店主が笑った。


「仲が良いな。夫婦かい?」


 その言葉に、夫婦とも泡食って顔を見合わせる。喧嘩ばかりで、今回のコーロの件も、元は二人の不和から始まったこと。そんな自分たちが仲良しと評されるなど、全く予想外だったが。ただやはり全く同じ顔を同じタイミングで作るものだから、


「いやホントに、末永くお幸せに」


 店主から、そんな風に冷やかされるのだった。






 夕方過ぎに雪がチラつきだした。昼の若竹御膳の感想などを言い合い、ユキナを代わる代わる抱っこして過ごしていた夫婦も、徐々に口数を減らしていった。


 なんとなく、ではあるが。予感があったのだ。これでコーロの願いは恐らく全て……


 最後は夫婦でユキナを挟んで川の字になって眠った。ただ眠りに就く前、「何があっても、オラはおめさんと一緒だべよ」と、夫に言われ、トミはそれが妙に嬉しかった。少し前なら、そんなことを言われても、鼻で笑っていただろうに。

 仮にコーロを喪うことになっても(それはもちろん身を切られるような痛みを伴うが)、最悪でも一人にはならない。そう思えば、少しだけ勇気が湧いてくるのだ。


 ユキナの小さな体の下、夫婦は手を繋いで目を閉じた。


 そして……トミは夢を見る。ゴンベもきっと同じ物を見ているのだろう。

 いつものように自分自身を見上げるような視点。椅子の上から、夫婦が絶品料理に顔を蕩けさせている場面だった。若竹ごはんに、若竹の天ぷら。


『本当にツイてただあよ。こんな所に屋台なる物が出とって、若竹ごはんさ、振る舞ってくれるなんて』


 コーロの声。もう完全に、普段聞くのと大差のない声量だった。


『これでおっかあも、おっとうも、喧嘩せんでくれるべな』


 耳元で囁かれたかのように、娘の存在を近く強く感じる。

 ただ逆に。隣にあるハズの存在が、徐々に弱く、遠く感じられて。


 意識が浮上していく。ああ、と。何かの終わり、そこはかとない寂寥感。


(ユキナ)


 最後にそう呼べただろうか。それすら分からないまま、トミの意識は覚醒した。

 

 瞼を上げる。最初に見えたのは、無機質な木彫りの人形。そしてその向こう、夫の寝顔。彼の閉じられた瞼の端から、すうっと涙の雫が流れた。


 トミはムクリと体を起こす。改めて人形を見た。立体感のない、ただの木彫り人形。動いたりは……もうしない。


「っ!!」


 そこで弾かれたように起き上がった。ドタドタと廊下を走り、居間へ。


 ――布団の上、コーロが半身を起こしていた。


「あ……ああ……あぁ」


 言葉にならない。後ろからゴンベが走ってくる足音。

 飛びついた。娘がもうどこにも行かないよう、強く抱き留めた。

 ゴンベが更に背中から二人まとめて抱き締める。安心と喜び。家族三人の再会。


「おっとう、おっかあ」


 弱々しいが、コーロからも抱き返してくる。


「ユキナが、ユキナが助けてくれただよ」


「ああ、ああ!」


「恩人だべ、あの子は! オラたち家族の!」


 涙を流しながら、トミは叫ぶように言う。

 三人でそっと、窓の外を見た。禁足地の山に季節外れの梅が咲いている。昨日までは影も形もなかったその花は……きっとあの優しすぎる雪童子からのお祝いだった。

 白一色の中に可憐に咲く美しい赤。真っ白な肌に愛らしい赤い唇の、彼女の顔を思い出す。


「暖かくなったらば……」


 あの山の麓まで行って、家族三人で若竹ごはんを食べるのだ。

 助け合って家事をし、家族で触れ合い、諍いを起こさず。そんな家族の円満な姿を見せて、せめてもの恩返しとしよう、と。


 春遠からじ。家族はその日を、指折り数えて待つのだった。

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