23:麻婆豆腐(赤の国・第2の都市)

 12月も終わり。この時期になると、グランダム・オーギスは決まってあの悪夢を見る。七年前の忌々しい記憶を。


 ………………

 …………

 ……

 

 グランダムは走っていた。黒の国に上陸した先遣部隊の潰走に次ぎ、敵の逆上陸を許した戦況。栄えある迎撃部隊、その一員として駆けていた。銃弾を『鋼身こうしん』のギフトで弾き飛ばす盾役にして、一番槍。


「はははは! 効かねえぞ! そんな、なまっチョロい弾ぁ!」


 弾く。弾く。そして駆けては、大剣を振り回し、バッタバッタと敵を屠っていく。いける。勝てる。高揚感に脳を焼かれるような感覚。自分は無敵だ。死ぬことなどない。そう信じて疑わなかった。

 隣を駆ける相棒、エイジャーもまた同じように口角を吊り上げ、目を血走らせている。


「まだいけるか?」


「愚問」


 軍に入って以来の付き合い。同じ釜の飯を食い、厳しい訓練に愚痴をこぼし合い、共に鋼身のギフトを研ぎ澄まし、陸軍最強の二人と称されるまでに育った。半身にも等しい男だった。


 跳んだ。銃口がこちらを向く。パーンと大きな音。額に少しの衝撃があるが、意識はしっかりしている。構わず前進。敵の懐へ飛び込み、その勢いのままに、相手の肩から腹にかけて大きく斬りつけた。


「ぐあ!」


 膝を着いた相手の首を、横合いから伸びてきた太刀が刎ねる。エイジャーだった。本当に息が合っている。

 更に駆ける。味方軍の銃弾も雨あられと飛び、敵をどんどん撃ち殺していく。何発か前衛の二人の背中にも当たったが、苦笑で流した。


「優勢はこちらだな」


「まあな。数が違う」


 相手軍の拙速だったということ。こちらの上陸部隊を蹴散らし、態勢を整え直してから逆上陸とすべきだったのに、勝利を焦ったか。手勢の減った部隊をそのまま送り込んでくるとは。


「ふ。所詮は新興国だな。経験が浅い」


「まあ、そう言ってやるな」


 エイジャーもたしなめつつ、嘲るような口調。

 軽口を仕舞い、二人はグッと膝に力を込めた。


「蹴散らすぞ」


「合点」


 弾丸のように駆ける。恐れをなしたか、敵の主力部隊は遁走とんそう。こちらに背を向けている。やれやれ、とエイジャー。グランダムも彼も、抵抗をやめた相手を斬るのは好まない性分だ。とはいえ、お国のため、必要とあらば躊躇うこともない。後詰ごづめの銃撃部隊も一気呵成と、二人の後に続いた。と、そこで。

 

 ――ビュオーと海風が吹いた。


 顔の表面を撫でていく。潮の香りに……わずかに異臭。


「……っ!?」


 先行するエイジャーが突然、立ち止まった。否、膝を着いた。そこからの一連の記憶は、今でも思い出すだけで強烈な吐き気を催すものだ。


 エイジャーは振り返った。目と鼻から血を流していた。敵襲を受けたのか、と瞠目するグランダムもまた、全身から力が抜けるのを感じた。


「ふせろおおおおおおおお!!」


 血を吐きながら、エイジャーは後方のグランダムに飛びつく。胸に掻き抱かれた。口と鼻を塞がれる。逃れようと藻掻いても、エイジャーの体はビクともしない。ガチガチに縄で縛られているかのようだ。


 しかしそのうち、エイジャーの体が不自然な痙攣を始める。体温が下がっていくのを肌で感じていた。何一つワケが分からない状況だが、一つだけ分かることがあった。命が失われていっている。無二の友が……死に向かっている。


 ようやくその段で体を入れ替えた。エイジャーの体を抱え(それは鉛のように重かった)、遮二無二、敗走した。途中、後詰の部隊も藻掻き苦しみ、次々と倒れていくのが見えた。背後を振り返る。見たこともない仮面のような物をつけた黒の軍勢が追い縋ってきていた。


「はあ! はあ!」


 エイジャーを抱え、自身も目から何か(恐らく血だろう)が流れているのを感じながら。グランダムは死に物狂いで本陣まで逃げおおせた。


「グランダム! エイジャー!」


 司令が血相を変えて飛び出してくる。


「なにがあった!? お前たちほどの手練れが二人とも……」


「毒、だ。全員……鼻と……口を」


 そこまで伝え、グランダムは気を失った。親友の回復と、自分がもたらした情報で母国が勝利すること、ただそれだけを願いながら。


 ………………

 …………

 ……


 だが。グランダムが五日ほど生死の境を彷徨っている間に、赤の国の首都に黒い旗が立つ形で、両国の戦争は終結を迎えていた。猛威を振るった毒ガス兵器による死者は総勢四万にも及んだという話だった。


 司令の計らいで、田舎へと療養に飛ばされていたおかげでグランダムは難を逃れたが、その司令は処刑されたと聞く。そして親友、エイジャーは。グランダムが運び込んだ時には既に事切れていたとのことだった。


「なに……一つ。なに一つ、守れなかった……ああ、ああぁぁ」


 尊敬する上官も。無二の親友も。軍も。国も。

 

 そうしてグランダムは朝から晩まで、ベッドの上で嗚咽を漏らしながら泣き濡れる日々を送った。解体、再編がなされた軍に戻ることも出来ず。そもそもお尋ね者扱いの今、のこのこ首都に戻れば司令の機転を無駄にしてしまう。

 ……グランダムは臥薪嘗胆を誓う。噛み締めた唇から血が滲み、握り込んだ拳の中で爪が割れた。憎悪の炎だけが、彼の生きるよすがとなった。






 ゆっくりと目を覚ます。当時もう枯れ果てるほど流したハズの涙は、いつもこの夢の終わりに滂沱ぼうだとなって流れ落ちる。そしてそれが心地よくすらあった。大切な者たちを決して忘れていないという証左だからだ。司令のことも、エイジャーのことも……一片たりとも。


 ベッドから起き上がり、出勤の準備をする。グランダムは現在、赤の国・第2の都市で、艀船はしけぶねを使った運搬員の職に就き、糊口を凌いでいる。

 

 歯ブラシを使って、歯を磨く。と、その途中。


「っつ」


 左半身が引き攣れを起こし、鋭い痛みが走った。時折あるのだ。ガスで神経なる物が痛めつけられたせいで起こるそうで。いわゆる後遺症というものらしかった。


 ただ医者は、それでも運が良い方だと言った。致死量付近までガスを吸っていたのだから、命あるだけ儲けモンと考えるべきだと。加えて、今の生活環境、国の南側、炎道の傍の第2都市で暮らしているのも、体を冷やさないという観点から理想的だ、とも。


「多分、進行を遅らせてるだけだろうけどな」


 自嘲して、グランダムは外に出た。自前の櫂と縄を肩に担いで、大股に埠頭を目指した。


「うい〜」


「おっす」


 テキトーな挨拶を交わし合う同僚たち。だが彼らもグランダムには、


「お、おはよう」


「おはよう。グランダム」


 キチンと挨拶をしてくる。退役軍人ということで、そしてその鍛え抜かれた体躯のせいで、彼は一目も二目も置かれる存在だ。まあ良い意味でとは限らないのだが。


「……おう」


 小さな声で返すグランダム。

 ここは国内で退役軍人の最も多い都市なのだが、彼らと一般人との垣根は存外深い。

 彼らが戦争に負けなければ、今ほど国は窮していない。

 戦いもしなかった連中が、多大な犠牲を払ってまで国体を保った軍人たちに敬意を示さないとは何事か。


 どちらも口に出すことは滅多にないが、根底に燻っている不満だ。

 そしてグランダムのように、最前線で何度も命を賭して国に報いた軍人は、市民のみならず、国に対しても裏切られたという想いを持つ者も決して少なくない。


「おーい! みんなおはようー! 今日は三隻だ! 大型も一隻くるから、気合い入れてけー!」


 朝礼とも言えないような雑な指令が飛び、作業員も漫然と頷くのみ。と、早速。その大物がやって来た。黄のマナタイトで風を、青のマナタイトで水流を操って進む大型帆船だ。遠くからでもその威容は目をみはる。甲板に白を基調とした国旗が立っている。白の国の船のようだ。砂糖や米、白のマナタイトを大量に乗せた輸出船。帰りは逆に赤のマナタイトや鉱石などを持って帰る輸入船に変わる。


 フワンと警笛が鳴り、ゆっくりと埠頭に近付いてくる大型船。頃合いで甲板にいる船員が巨大な錨を下ろした。グランダムたちの出番である。艀船はしけぶねを係留杭から外す。大型船と比べればアリのような小ささの木造船。一人乗りで、残りのスペースは全て荷を載せる。櫂を力強く繰って海を漕ぎ、大型船の傍につける。船の下部が開き(そこは船倉と繋がっている)、筋骨隆々の男たちが荷物を後ろから前へ渡していく。そしてその先頭、髭面のオヤジからグランダムは荷を受け取る。ズシリと重い麻袋。砂糖が入っているのだろう。受け取ったそれを艀船の底にドンと置いた。その作業を二回、三回繰り返し、船が荷で満タンになったところで下がる。すると、すぐさま次の艀船の船員が荷物を受け取り始めた。


 グランダムは船の上に腰を下ろすと、櫂を回して後退する。帰りはすこぶる重たい。湿地の泥を掻き分けて漕いでいるかのようである。さしもの切り込み隊長も、両腕がパンパンになるのを感じながら、それでも懸命に漕いだ。やがて桟橋まで戻ると、今度はその上で待っているオヤジに荷を引き渡す。これがまた船の床からグッと持ち上げて、上体を捻るようにして向こう側へ渡す動作を強いられるため、


(ぐっ)


 例の半身の引き攣れを起こしかけ、グランダムは顔をしかめた。無視して作業を続ける。荷を渡し終えると、グランダムは再び船に座り、櫂で漕ぎ始める。もう一往復しないとならないのだ。


 前方、日雇い工員の船が見えた。モタモタと荷を積み込んでいる。


「……」


 フラフラと今にも荷を海に落としそうな覚束ない体捌き。グランダムは近くへ行き、その背をグッと支えた。安定し、船床に荷物を置くことが出来た青年は……そのままグランダムに軽く背を預けるようにして。


「本日、いつもの場所、午後六時の鐘に。蘭も」


 小声で、しかしハッキリと聞き取れる滑舌で伝令を通達した。


「そうか……荷物、落とさないようにな」


「はい! ありがとうございました!」


 青年はハツラツとした新人の演技をし、周囲にもハッキリ聞こえる声量で礼を言った。


 グランダムは一つ頷くと、青年の船を離れ、大型帆船に近付いていった。

 そしてまた大袋を五つ受け取って、船を満タンにする。下がろうとしたところで、


「兄ちゃん、コイツも」


 帆船側のオヤジが、両手で抱え込むようにして、大きなガラスを渡してくる。布が巻かれている上等品のようだ。


「なんだそれ?」


「教会に入れる刻声ガラスだ。聖女リアンナム様の……」


「あー、はいはい」


 興味もなかった。こんな船乗りまで、白の国の者は信心深くて敵わない、とグランダムは渋面を作る。神が、聖女が、教会が、一体何をしてくれたというのだろう。


 とはいえ、丁重に扱わないと後々うるさいのも分かっているので、慎重に荷の上に置いて、櫂を漕ぐ。桟橋まで戻ると、先程と同じく荷を受け渡し、お役御免。沖を振り返ると、残りの連中の船もこちらへ帰還してくるところだった。その更に向こう、帆船は再び出港の準備を始めている。今度は炎道の東側の港へ寄るためだ。


「船乗り……か」


 思案顔を作ったグランダムだったが、すぐに頭を振って前を向いた。今は仕事中だ。なにかとカネは要り様で、の収入もバカには出来ない。

 午後の作業もキチンと終わらせ、日当を手に、グランダムは夜の街へ消えて行った。


 街外れの酒場。本日は定休となっているその店の扉に、グランダムはそっと身を寄せる。


「玉座に在るは?」


 向こう側から声がかかる。グランダムは淀みなく、


「あえかなる真紅の蘭」


 合言葉を答えた。それを確認して、内側に扉が開く。グランダムは油断なく周囲を見回し、こちらに注目している者がいないことを確認、巨躯を扉の内側へ滑り込ませた。

 グランダムより二回りほど年上の男が出迎えた。組織の中核を担う人物にして、表の顔はこの酒場の店主。男はグランダムの顔を見ると、一つ頷いて、地下への階段へといざなう。


 石段を下り、地下室へ。そこには既にグランダム以外の面子は揃っていた。彼らが戴く『紅蘭の王』キオランジェ・エンタークも、付き人と共に、皮張りのソファーへ優雅に腰掛けていた。グランダムはゆっくりとその前に膝を着く。


「キオランジェ陛下。遅参、恐れ入ります」


「いいのよ。皆、表の仕事も疎かにしてはならないと、ワタクシが申し上げたこと」


 寛大なる姫、あえかなる蘭。齢19にして、どこか達観した雰囲気を持った女性だった。

 赤の国には、かつて500年続く王朝があった。しかし20年ほど前に、ほとんど有名無実と化し、民主主義とは名ばかりの悪政を敷く現政府に実権を握られてしまった。以来、隅に追いやられてきた不遇のエンターク王家。家紋に真紅の蘭をあしらい、またそれが赤の国の国旗にもなっている由緒正しき家柄。彼らを擁立して、グランダムたちは反政府運動を起こそうとしているのだった。


 これがグランダムの裏の顔。いや、この街の退役軍人の約20%がこの組織に属していることを鑑みれば、この街自体の裏の顔とも言えるかも知れない。


「して? 同胞の集まりは?」


 キオランジェが酒場の店主、革命軍のリーダー格に問うた。


「船乗りがまだ。確保が難しく……」


 遠洋の出来る者は、やはり生業に忙しい。退役軍人のように、真っ当な職に就けず、日々に不満を抱えている者ほど革命軍への傾倒は深くなるが、逆に安定して高給の仕事がある船乗りは……ということだった。

 しかしそれでも。彼らの計画に船乗りは必須。根気よく探すしかないだろう。


「ワタクシの方は……今月も不死の行列の参加者は増え続け、目標数をついに超えました」


 キオランジェの言葉に、会の全員が目を見開いた。彼女のギフト『報国屍兵ほうこくしへい』。希死念慮を抱えた者をして、屍兵へ変えるという能力。キオランジェは(いくら生きる気力を失っているとしても)愛しき民たちを骸に変えることに懊悩おうのうを抱えながらも、心に魔を飼い、行使し続けている。


「おお! 流石は陛下!」


 おべっかでもなく。グランダムは本心から賞賛していた。頼もしい事この上ない、と。周囲の連中も口々に賛辞を並べ、喜びと興奮を分かち合った。


 結局、定例報告会は一時間ほどで解散となった。あまり長々とやると、目を付けられる可能性がある。三年前、治安警備隊(軍の解体以降、そういう名称を名乗っているが実質は国軍)の掃討作戦により、この革命軍の前身も甚大な打撃を受けたのは記憶に新しい。


 ちなみにその結果として。やはり今のこの国は、黒の国の言いなりのまま同胞を手に掛ける腐りきった体制だと、反乱分子たちを逆に燃え上がらせることとなり。こうして革命軍が再び組織されるに至っている。


 他の構成員と時間をズラして、グランダムは裏口から外へ出た。今晩は少し肌寒いようだ。体を冷やすと、例の引き攣れを起こしやすくなる。足早に歩いて、体を暖める。


 空気も澄んでいるのか、夜空の星々が今日は一段と近く見えた。

 人は死ねば星となる、そんな迷信もあると聞くが。もしそうなら、親友や司令も今の自分を空から見守ってくれているだろうか。


(必ず……! 必ずや仇を討ってやる! この国の正しい形を取り戻してやる!)


 明日からまたカネを集め、人を集め……と。グランダムの腹が盛大に鳴った。はあ、と溜息をつく。親友を亡くして以来、食事はいつも簡素な物をとっている。だが今日は、計画の第一段階、女王の配下が目標数に届いた目出度い日。


(そうだな。体が暖まって、血も滾るような……とびきり美味い飯が良いな)


 とは思ったものの。普段と変わり映えしない飲食店が建ち並ぶ通り。急に今日だけ、お誂え向きの店がひょっこり生えてくるなどという都合の良い話が……


「っ!?」


 あった。

 グランダムの目前、光に包まれた木組み。昨日までは確実になかったハズの屋台が鎮座していたのだった。



 ◇◆◇◆



 良い豆腐が手に入ったということで。異世界屋台『一期一会』を経営する青年、飯福航いいふくわたるは本日のメニューを麻婆豆腐とした。前職のブラック飲食店では主に中華を作っていたこともあり、目をつぶっていても出来るのではというほどの得意料理である。とはいえ、店で作っていた物より、もう少し手間暇をかける。なにせ今の飯福は客と(ほぼ)マンツーマン、一期一会のスタイルなのだから。


 まず豆腐を沸騰しない程度の温度で湯煎しておく。次にフライパンに油をひき、生姜、にんにく、長ネギの香味野菜を炒める。香りが引き立ってきたら、ひき肉を投入。中火でじっくりと、肉の粒がパラパラになるまで。ここで余分な水分を飛ばしていると、後から効いてくるのだ。


 赤味噌大さじ1、豆板醤小さじ1を加えて炒める。馴染んだところで、しょうゆ大さじ1も加え、肉の周りに透明な油が浮き上がるまで火はそのまま。その後、紹興酒大さじ1、顆粒の鶏ガラスープを湯で溶いたもの、湯を切った豆腐を投入。


 煮立ったところで、弱火に変え、ごま油、ラー油を各小さじ2、砂糖をひとつまみ。

 全体を軽く混ぜ、水溶き片栗粉小さじ1を少しずつ加えていく。3分ほど弱火で煮詰めながら、時折鍋を回し、とろみを行き渡らせる。

 皿に盛り付け、刻んだ万能ねぎと花椒ホワジャオを散らして完成。


 最後に鍋に残った一口分をスプーンで掬って味を見る。問題なし。少し辛めに仕上がったかな、程度だった。


「良い豆腐だから味が染みやすかったのかもな」


 満足気に頷いた飯福。


「と、そういや今日はどこの国だっけ」


 クローゼットを開けて向こうを覗く。港町だが、青ではなさそう。土と石を混ぜて作った家が、木造家屋と混在している。ソテツに似た、尖った葉が特徴の常緑種が道を彩っていた。

 どことなく見覚えがある光景。


「げ。もしかして……赤の第2じゃねえのか」


 飯福が屋台を始めて間もない頃。嫌な目にあった都市だ。その時の客は、マケろ、もっと寄越せ、持ち帰りをさせろと喚いて大変だった。酔っていたのもあるだろうが、仕舞には暴力に訴えてきそうな雰囲気まであったので、飯福はクローゼットの向こうへ退避(異世界人はクローゼットを通って日本に来ることは出来ない)。しかし腹の虫がおさまらない客は、残された屋台を思いきり蹴飛ばして去っていくという暴挙に出た。結局その時の屋台は木の土台に穴が開いて直せず。幸い、贔屓の木工屋で土台だけ作り直してもらえたのだが、まあ丸損であった。


 以来、しばらく飯福は赤の国が好きではなかった。今となっては同国の色んな街の色んな人と交流したことで、あの時は運が悪かったと思えるようにはなっているが。


「でも第2はやっぱりな。退役軍人も多いし」


 粗暴な者が多いという話は、やはり他の街でも聞く。大抵が良い職にも就けず、日々、社会に不満を抱えているからだ、とも。


「……チェンジで」


 言ってはみたが、クローゼットは反応なし。


「いっつも思うんだけどさ。一つの料理で一つの選択肢しかないっておかしくないか? 日本だけでもさ、今晩、麻婆豆腐の口になってる人って、メッチャいると思うんだ。ましてや向こうだと食べた事もない人ばっかりだから、潜在的に麻婆ゲージマックスなヤツとか沢山いると思うんだ」


 麻婆ゲージというのが何なのか、飯福自身も分かっていないが。とにかくゴネてみる。が、もちろん、なんの音沙汰もなかった。景色は変わらず、暮れなずむ港町を、人々が行き交う。時折、筋骨隆々のガラの悪そうな風体の者も見える。


「次また屋台壊されたら、俺もう辞めるからな?」


 最後に捨て台詞のようにクローゼットに言って、飯福は玄関から靴を取ってくる。そして渋々ながら向こう側に屋台セットを放り込み、現地で組み立てるのだった。


 ………………

 …………

 ……


 そして。「呼ぶよりそしれ」とはよく言ったもので。飯福は見事に、ゴツイ体躯の青年と目が合ってしまった。


(いや、まだ偶然こっちを向いただけの可能性もある)


 屋台の側から見ていると、そういうことも間々ある。だがそんな願いも虚しく、巨躯の青年はズンズンとこちらへ向かって来て。飯福をしげしげと眺め、屋台も確かめ、一つ頷いた。本日のお客様、確定である。


「よう兄弟。これ、屋台だよな?」


「あ、ああ」


「なんの料理を出すんだ?」


「今日は……麻婆豆腐だよ」


「ま? まどうふ?」


「麻婆豆腐。肉と豆腐の旨味が絡み合う、少し辛めの料理だな」


「ううん?」


 まず豆腐から、この世界にはないので青年の反応も至極当然だった。飯福は一瞬、「やめておくかい?」と誘導したい衝動に駆られるが、実際この屋台は、選んだ客に食事を提供しないことにはニッチもサッチもいかない代物。


「……お客さん、酒とか飲んでないよね?」


「あ、ああ。シラフだが。それが?」


「いやね。以前、この街で酔客に屋台を壊されたことがあって、以来ここでは酒を飲んできた客には料理を出さないことにしてるんだ」


「ああ……」


 そこで青年は自分の風体を見下ろした。


「軍人崩れは警戒されてるってことか」


 自嘲気味に言う。飯福は酔客としか言っていないのだが……自身らの評判の悪さも自覚しているということだろう。


「まあそうだな。先払いにしておくか。それなら」


「いや、飲んでないならそれで良い。料理を持ってくるよ。先払い後払い、そもそも食うか否か、料理を見て判断してくれたらいい。他の客にはそうしてるから」


 酔っておらず、粗暴な振る舞いも(今のところ)見られないのなら、他の街で出すのと同じ形式に則るのが礼儀だろう。これで再び裏切られるのなら、本格的にこの街はボイコットするだけである。強制吸い込みされようが、断固として料理を提供しない根競べの構えだ。


 飯福は踵を返す。光の中へ足を踏み出す。後ろから「おい!」と驚いた制止の声がかかるが、構わず進み、キッチンへ。麻婆豆腐の大皿と、茶碗に飯をよそって(恐らく大食漢だろうから、大盛にしておく)トレーに載せて、再び異世界へ。


「いやはや……驚いたな。それ、アンタのギフトか」


「ああ。異世界屋台っていうんだ」


「異世界……確かにチラっと見えた景色は……ワケわからん物ばっかだったが」


 飯福は軽く肩をすくめて、トレーを提供台の上に置いた。麻婆豆腐定食。青年は目をみはり、皿の中の茶色と白の料理に釘付け。鼻をスンスンと鳴らす。


「おお。なんと香ばしい。少し鼻を刺すようなのは」


花椒ホワジャオだな。辛いけど美味い」


 ゴクッと喉を鳴らしたグランダム。巾着を取り出した。


「先払いしておく。いくらだ?」


「銅貨七枚」


「やけに安いな。俺としちゃ助かるが」


 ほらよ、と銀貨を一枚放るので、飯福は両手で受け取ると、銅貨三枚を返した。

 青年はレンゲを持つと、早速、豆腐と、それに絡むプルプルのとろみ、ひき肉の粒をひと掬いにして……パクリと口にくわえた。


「……!!」


 目がカッと開く。そして無言のまま、今度は飯をスプーンで掬い、口の中へ放り込んだ。もう一口、麻婆豆腐、続いて白米。以下ループ。無言で、一心不乱に貪り食っていく。大皿の麻婆豆腐が半分に減ったところで、小休止。気持ちの良い食べっぷり……を通り越して、飲むような勢いだった。


「随分と気に入ってくれたみたいだな」


「ああ。凄まじくうめえ。肉を噛めば旨味と辛味が染みだしてきて、白いプルプルのヤツもタレを吸ってるけど、コイツ本来の不思議な香りと味わいも残ってる。とろっとした部分も病みつきになりそうだ。甘味と辛味を蓄えてて、肉や白いプルプルと絡めると独特の食感が際立つ」


 先程まで無言でかっ食らっていたというのに、話しだすと一転、止まらなくなってしまった。


「なんてこった。こりゃ、軍に入って初めて人を斬った時よりも、すげえ衝撃だったぜ。マナタイト以外、なんもしてくれねえ神より、俺にはアンタの方がよほどすげえ神に見える」


「んな大袈裟な」


「いや、コイツは本気で凄まじい……持って帰って仲間にも……」


 青年はそこまで続けて、途端に口を閉ざした。そして少しだけ虚空を見上げ、絞り出すように言う。


「……エイジャーのヤツも、辛いモン好きだったな……食わしてやりたかった」


「……」


「七年前にな。俺を庇ってさ」


「そう……か」


 飯福も赤や黒の国では、過去形で話す人物について迂闊なことは訊ねない。そういう習慣が身に着く程度には、この屋台も場数をこなしてきたということだった。


「すげえヤツだった。なのにこの国は、あんな犬死にさせちまいやがった……!」


 青年の瞳に炎を見た。


「なあ。アンタが出くわした軍人崩れは……ひどい目をしていただろう?」


「まあ、多分な」


 身の危険を感じて撤収したため、そこまでハッキリ見てはいなかったが。


「ソイツは多分、腐ってたんだろう」


「……腐る」


「成すべきこと。それを失えば、人も国も簡単に腐るんだ。今の政府には成すべきことがない。ただただ己らの保身、黒の国のご機嫌取りのことしか考えていない。退役軍人にしたって、そうだ。誇りを取り戻すために未だ戦ってる連中は、爛々とした目をしてるモンだぜ」


「アンタ……もしかして。地下で」


 いわゆるレジスタンスというヤツだろうか。飯福は知らず唾を飲んでいた。もしかすると、先のチンケな粗忽者より余程ヤバい人間なのでは、と今更ながらに警戒心が生まれる。だが、


「安心しな。言ったろ? 誇りを取り戻すために戦ってる人間が、意味もなく関係ないヤツを傷つけるワケねえ。そんな暇もねえよ」


「……」


 確かに青年の瞳には強い意志の光が宿っている。飯福のような一般人を痛めつけるような下らない物ではなく、もっと譲れない大命があり、それに殉じる覚悟を伴った。


「…………怖くはないのか?」


 飯福は訊ねた。すると青年は、即座に。


「怖い」


「え?」


 意外な答えに思えた。だが、続く言葉に飯福は圧倒される。


「間に合わないのが怖い。俺の体、半分くらい言うことを聞かない部分があるんだ。しかも年々、酷くなってる気がする。いざ大戦おおいくさという時に、動けないかも知れねえ。それを想像するだけで怖い。たまらなく怖い……! 寝てる間に終わっちまうのは、もう絶対にゴメンなのに……!」


 死への恐怖などという次元の話はしていなかった。もうそんな段階に彼の精神はいないようだ。


「すごい……な。俺だったら五体満足でも、死ぬのが怖くて動けないと思う」


「アンタ、大きな勘違いをしてる」


「え?」


「今の状態が死んでるんだよ。俺にとっては」


 青年の瞳に病的なまでの熱がこもる。


「上官に相棒、いわば親兄弟だ。そいつらが戦犯の汚名を着せられ、誇りを汚され……首都には黒い旗がなびいて、北の港は奪われたまま。この国も俺も、今まさに死んでるんだ」


「…………」


「……それこそ、関係ないアンタに話し過ぎたな」


「いや」


 再び戦火の兆しがある。それを知れただけでも有意義ではあったが。

 青年はそれから、レンゲを再び持ち、残りの麻婆豆腐を一気に平らげた。


「ご馳走さん。この世の物とは思えないくらい、本当に美味かった。コイツは……正真正銘、異世界の屋台だったんだな」


「ああ」


「…………いい店だな。戦わないでもってのは恵まれてるぜ」


「……」


「じゃあな。飯、美味かった。今度は大勝の日に出会えると良いんだが」


 青年はそれだけ言って、手をヒラヒラとさせて店を出て行った。一期一会とも説明しなかったにも拘わらず、彼はこの屋台ともう二度と会えないと感じているらしかった。言葉とは裏腹に、来たる報復戦で散ると悟っているのだろう。それでも結局、最後まで恐怖を微塵も感じさせなかった。


「生きてる店……か」


 恥ずかしい話である。その生きている店を、たった一人の迷惑客を引き摺って、不貞腐れて、最悪は仮死状態(ストライキ)にしてしまう選択まで考えていた。この屋台で救われたと言ってくれた客だって、今まで何人もいたというのに。


「……こっちとしても、正に住む世界が違うって感じだったな」


 飯福より年下に見えた青年だが、覚悟の決まり方が現代日本では完全に不可能なレベルだった。そしてそれを鼻にかけるでもなく、鬱屈するでもなく、むしろ飯福の平和な背景も見透かした上で、いい店だと言ってのけるほどの器があった。自分の戦いも覚悟も、自分が一人で背負うもの。他人は他人。拒絶ではなく、独立と尊重があった。


 軍人崩れに引っ掻き回され、本物の軍人の生き様に感銘を受ける。不思議な縁のある街だ、と飯福は苦笑する。


「大勝の日に再び、か」


 それは多くの血が流れることを意味していて、飯福としては決して歓迎は出来ない。黒の国の客たちの笑顔も見知っている。罪を憎んで人を憎まず。きっと黒も赤も、そこに生きる人々は「戦争」という国が犯す大罪の被害者でしかない。


 だから、願わくば。最終的にはどちらの国民も幸福になって、それを大勝と呼んで欲しい。そしてもし、そんな世界線で自分が両国の人々に料理を出す機会があるのなら、その時は最高の物をご馳走しよう。戦わずに生きていける恵まれた世界の「いい店」を持つ者からの祝福として。

 飯福はそんなことを夢想しながら(自分でも甘ちゃんだと思いながらも)、屋台を片付けるのだった。

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