22:ちらし寿司(青の国・第11の都市)

 ハチミツ大好きアラサー、飯福航いいふくわたるが簡単な朝飯を済ませ、今日は何を作ろうかと思案している時のことだった。スマホに着信があり、手に取るが……相手の名前を見て「げ」と顔をしかめる。母親からだった。出ないワケにもいかないので、渋々、通話ボタンを押す。


「なに? どうしたの?」


「航? 元気してる? 仕事辞めたんでしょ? おカネはあるの?  次の仕事は? 何してるの?」


 案の定のマシンガンである。閉口してしまう。ただ以前よりは母のこういった心配も素直に受け止められるようになっていた。大人になった。あるいは、日本とは比べ物にならないほど、人と人との縁や絆の深い異世界で仕事をして、現地の人々と触れ合ううち、彼自身も変化したのかも知れない。


「大丈夫だよ。少しトレードで儲けてるからさ」


 なんのトレードかは明かせないが、一応は事実である。


「そうなの?」


「うん。母さんたちに迷惑かけるような事態にはならないから」


 少なくとも、一億近い隠し財産があるうちは大丈夫だろう。母、恵茉えまは完全に納得した風ではないが、取り敢えず息子の言葉を信じて矛を収めることにしたようで、


「そうそう、それでね。浩人ひろと兄さん、来年の年度末で退職なんだって」


 話題を変えた。浩人とは、恵茉の歳の離れた長兄だ。65になるのではなかったか、と飯福は記憶を探りながら。


「そうか。伯父さんも、もうそんな歳か」


 彼も幼き日、随分と可愛がってもらった。就職して一人暮らしする際も、家具など色々と世話になったものだ。


「何かお祝いをしたいな」


「本人は再雇用もあるかも分からんし、要らないって言ってるけどね」


 浩人の子供は姉弟で公務員、共に結婚して家庭を築いている。つまり自分の子供のために働く必要はないが、孫に贅沢させてやりたくて嘱託契約というのは、如何にもありそうだが。


「そうは言うけど」


「そうねえ。何かしたいなって。それでね。アンタ、暇だろうから料理でも作ってあげて欲しいのよ」


「暇って……」


 まあ事実だが。なにせ異世界屋台の拘束時間は高校生のアルバイトレベルである。加えて、その気になれば二週間以内なら長期休みも可。


「まあ……俺も世話になったから、作るのは全然いいけど」


 退職祝い。どんな物が良いのだろうか、と思案していると。


「それで、アンタ。今年の年末は帰ってくるの?」


 話が飛んだ。


「あー……そうだな」


「帰って来なさいよ。慧司けいしも、桜子さくらこも帰って来るんだから」


 飯福の兄と妹である。


「そっか、二人とも。じゃあまあ、帰るよ。近いしな」


「そうよ、近いんだから! すぐ帰って来れるでしょ!?」


 藪蛇だった。もっと頻繁に帰って来いという話に繋がる流れだ。


「んじゃ、具体的な日時が決まったら、また連絡するよ」


 そう言って打ち切ってしまう。


「ん……それじゃあね」


「ああ。また」


 それで通話を切った。ふう、と息をつく。せめて今やっている仕事と収入をつまびらかにすることが出来れば、もう少し頂戴する小言も減るのだろうが。


「……まあいいや。取り敢えず、退職祝いに振舞う料理の候補だな」


 やはり定番の、めで鯛。長寿の象徴、エビ。ここら辺がメインとなるだろう。そんな目星をつけながら、飯福は検索をかける。すぐにパッと目に飛び込んできたのは……色とりどりの具材の、ちらし寿司。


「ああ、なるほど」


 そういう手があったか、と唸らされる。割と単純な飯福は、それでアッサリ決めてしまう。そして、決まったら今度は作りたくなるもので、


「試しに作ってみるか。出来が良かったら、向こうで出して反応を見よう」


 とはいえ、向こうの住人は大体が「美味い!」なので、参考にならないところもあるが。善は急げ。飯福は米だけ仕掛けて、外套を羽織った。

 

 例の地元の商店街の魚屋で鯛、サーモン、マグロの柵、エビ、イクラ。スーパーでニンジン、シイタケの含め煮、絹さやを買い求め、直帰した。


「寿司桶、まだあったかな」


 飯福本人もいつ手に入れたか、あまり覚えていない年季の入った一品。木曽さわらを使用した高級品なのだが……と、キッチン下の収納を漁っていたところ、件の桶はすぐに見つかった。傷みもなく、非常に良い状態だった。


「あ。そうだ、これも浩人伯父さんに貰ったんだった」


 料理人になると言った時に、いくつか良い食器や調理器具を贈られたのだが、その内の一つだったハズだ。飯福は改めて感謝の念を抱いた。これに寿司を入れて退職祝いの席で出せば、少しは恩返しになるだろうか。そんなことを考え、やはり当日のためにレシピを洗練させておこう、と気持ちを新たにする。


「……やるか」


 というワケで、調理開始。

 まずキュウリ2分の1本を1センチ角で切り出しておく。エビの殻とワタを取り、ぶつ切りに。鯛、サーモン、マグロの柵も一センチ角に切り出し、煮きり醤油とワサビを適量混ぜたタレに漬けておく。湯が沸いたので、絹さやを軽く塩ゆで。あげて水にさらす。その後は半分にカット。遊び心で飾り切りも入れた。


 酢大さじ2、砂糖大さじ2、塩小さじ3分の1をボウルに投入。よく混ぜ合わせる。先に炊いて釜の中で軽く蒸らしていた白米を、寿司桶によそっていく。そこに先程の合わせ調味料を回し入れた。しゃもじで切るように混ぜ合わせ、粗熱が取れた辺りで、桶に濡れタオルを掛ける。


「ふう」


 スマホでレシピを確認しつつの調理。少し肩が凝ったらしく、飯福はグルグルと腕を回す。

 次いで、鍋に湯を沸かし、そこにエビを投入。ボイルする。その間に、サクッとフライパンで錦糸卵も作っておく。エビが赤く茹で上がったのでザルにあげた。

 頃合いで桶のタオルを取る。こちらも良い具合の温度になっているようだ。酢飯の上に錦糸卵を黄色の絨毯のように敷き詰め、そこへエビ、含め煮シイタケ、漬けていたマグロ、鯛、サーモンを散らし、イクラも添える。赤と白の目出度い配色に、角キュウリをコロコロと撒いて、薄緑の絹さやを乗せて完成。目に鮮やかな、宝石箱のような料理となった。


「うん。いい具合だ」


 一口分だけ皿によそい、味見。作り慣れない料理なので、今回だけの無作法と胸中で謝る飯福。


「うん、味もオッケー」


 一口取ってしまったところを、しゃもじで均して、全体にラップをかける。


「今日はこれを出すよ」


 宣言すると、居間のクローゼットが返事するように、パッと輝いた。



 ◇◆◇◆



 青の国、第11の都市は、いわゆる美観地区である。元より諸島からなる同国だが、とりわけ、この都市の本島は小さい。ただ、その島の底部から、根を伸ばした水中植物が、周辺海域まで広がっていて。その枝たちが複雑に絡み合って頑強なこぶを作る。それらは海面付近まで突き出しており、人々はその上に、丸太を繋いで作った正方形の大きな基礎(浮床うきゆか)を置き、縄で水中枝に巻き付けて固定する。そしてその浮床の上にいくらか小さめの家屋を建てる。イカダの中央が安定する原理、それを応用した建築方法。海屋造うみやづくりと呼ぶのだが、そういった家々が形成する独特の街並みが、観光客にも人気である。


 そんな水上都市の、家々の浮床から浮床へピョンピョンと跳ねる生き物の姿があった。ハネガエル。丸い体の、その脇腹辺りからブレードのように伸びる大きな羽で滑空する、珍種のカエルだ。

 カエルは跳躍し、また次の家の浮床に乗る。ベルトで腹の前に巻き付けたカバンの中へ、手(前足)を突っ込む。器用に手紙を取り出すと、もう一度跳ね、両翼を広げて滑空。家のドア、郵便受けにスッと片手で投函し、着地。慣れない新人のうちは、勢いがつき過ぎて、ドアにぶつかってしまうというミスを犯しがちだが、このカエルは熟練者のようで、ソツのない動きだった。


「ゲコッ!」


 手紙が来たよ、と知らせる一鳴き。家の中からバタバタと人の動く音がした。カエルは、浮床の上をピョンピョンと跳ね、またまた次の家の浮床へ。今度は少し距離がある。


「ケロー!!」


 前方へと果敢に跳ね、すぐさま畳んでいた両翼を広げる。フワッと舞うように飛んでいくカエルの体。あるいはバッタのような飛び方にも見える。


 無事に着地。ケロケロとご機嫌に鳴いた。と、その家の前では小さな女の子と母親が浮床の上に座って本を読んでいた。母親が膝に子供を乗せ、読み聞かせをしているようだ。


「ああ! ケロナちゃん!」


 子供がカエルを見付け、声をあげた。ケロナ。勤続20年のおばあちゃんガエルである。この子供が産まれたという報せを遠方の親類に出すという段で、その手紙を取りに来たのも、このケロナだったりする。


「あら本当。ケロナさん、こんにちは」


 母親もニッコリと笑って挨拶をしてくる。


「ゲコッ! ゲコッ!」


 ケロナも返事。子供が駆けてきて、その頭を撫でる。


「おてがみ、あるの?」


「ゲコッ!」


 カバンに手を突っ込み、一枚引っ張り出す。


「いつ見ても……水かきのついた手なのに、器用なものよねえ」


 母親が感心する。ケロナは一つ鳴いて、子供に手紙を渡した。別れの挨拶にもう一つ鳴いて、またピョンピョンと広い浮床の上を跳ねて次の家へ……行く前に、少し息を整える。おばあちゃんガエルのケロナに、一気に配りきる体力は最早ないのだ。


 と、ちょうど折良く、少し広い水路を小船がゆっくり進んでいるのが見えた。食品を商店に卸す業者の船だ。ゲコッと一鳴きして、飛び移らせてもらう。


「おや、ケロナじゃないか。ご苦労さま」


 飛び乗った時に、船が軽く揺れたのだろう。船頭が振り返り、彼女の姿を認めて微笑んだ。


「ケロ」


「ああ、いいよ。郵便屋さんには、この街のみんな、お世話になってるんだから」


 相乗りの許可をもらい、満足そうに喉を鳴らすケロナ。

 小船は10分ほど水路を下り、郵便局の一つ手前の浮床に到着。ケロナはピョンと跳び移った。彼女の配達順路は局を出て西回りに進むため、局の東隣のこの家が最後となる。小船は局を過ぎて更に南へ。


「ゲロゲロッ!」


「またな〜」


 船を見送り、ケロナも家の郵便受けに手紙を投函。意気揚々と跳んで、局へと帰還する。ドアの下部はスウィング式で、カエルたちが独力で出入りできるようになっている。


「ゲコッ!」


「あら。ケロナ、お帰り」


 内勤のマトーナ局長が事務机から顔を上げた。彼女は『心話しんわ』のギフトを持ち、動物と会話が出来るのだ。

 ケロナは二、三、跳ねてマトーナの傍へ。ベルトを外してもらい、カバンから解放される。だが、そこで。


「あら?」


「ケロ?」


「ケロナ、これ」


 マトーナがカバンの中を開いて見せると、手紙が一通。配り忘れである。ケロナはハッとする。先程、母子の家から少し距離のある大ジャンプをしようとして、そこに運良く小船と遭遇し、乗せてもらったのだが……それで満足して配達した気になっていたようだ。


「ケロー!」


 今月で八回目である。10年前なら考えられない数字だ。ゼロが基本で、多くても年に二回ほど。優秀な配達員だったのだ。


「ケロ。ケロ……」


 ケロナは俯く。マトーナは慈しむようにその頭を撫でた。実はケロナは今年一杯での退職を申し出ている。寄る年波には勝てない。また、あまりにもミスが多いようだと、もう年末を待たずに、ということも話していた。


「大丈夫よ。気付かずに夜になったワケでもないもの。慌てずに、もう一度。ね?」


 再びベルトでカバンを固定してもらうと、ケロナは駆け出す。


「あ、慌てなくも大丈夫だってば! ケロナ!」


 マトーナの制止の声も聞かず、老配達員は風の如く局を飛び出し、家々を渡る。と、そこに。後ろから先程の小船が水路を北上してきているのに気付いた。品を納入し終えた帰りだろう。一瞬、乗せてもらおうか考えるが……


「ケロッ!」


 自分の不始末は自分でつけないといけない。そう決めて、更に足に力をこめた。弾丸のように駆け、最後に大跳躍。体側面、羽袋はねぶくろと呼ばれる器官に折り畳んで仕舞ってある羽を、広げようとして……


「ゲコッ!?」


 疲れだろうか。痙攣したように右の羽が上手く動かない。不完全な広がり方をした、その右側に体が傾き、やがて。


 ――ドボーン!


 水路に落ちてしまった。そこに後ろから来ていた先程の小船。青のマナタイトを使っているのか、それなりに速度がある。轢かれる。その寸前で船頭が櫂を無理矢理、斜め前方の海面に差し、自分は反対側へ。急ブレーキと船上の重心が急に動いたせいで、船は転覆。だがそれで、最悪の事態は避けられた。


「ぷはっ」


 船頭が水面に顔を出す。その向こうで、ケロナは平泳ぎ。近くの家の浮床にしがみつき、グッと前肢に力をこめて上る。船頭もなんとか泳ぎ着き、ケロナと同じく事なきを得た。


「ゲコ~……」


 ションボリと船頭に向かって頭を垂れたケロナ。


「はあ、はあ……気にしなさんな。帰りで良かった。荷物はゼロだったからね」


 とはいえ、転覆した船のかたわら、荷を入れていた木箱が水上をプカプカと浮いている。結束用の縄は水を吸って沈んでしまっただろうか。


「事故だ~! 事故~! 北の第六区画は進入禁止~!!」


 街の中心に建つ管制櫓かんせいやぐらの天辺に居る、『大音声だいおんじょう』のギフトを持つ男が声を張る。街中に響き渡る、途轍もない声量。


「ゲコッ!?」


 いつも迷惑に思っていた、事故と区画封鎖。それをまさか自分が引き起こしてしまうなんて、とケロナは愕然とする。


「怪我人はゼロ~! 救護も必要無し~!! 復旧は夕刻三時の鐘を以って~!!」


 どこか他人事のように聞いていたケロナだったが、すぐ傍の家から人が出て来たのに気付き、そちらに視線をやる。ハッとした。届け先の翁であった。ケロナは自分のカバンを見下ろす。慌てて開け、中身を確かめるが……


「ケロッ。ケロ~……」


 浸水し、半分以上がグズグズ。封書だったのだが、表面おもてめんの住所、宛名を書いたインキも滲んでしまっている有様だ。


「ああ、ケロナ。無事かい?」


「ケロ……」


 翁はケロナの頭を優しく撫でる。しかし彼女の手に中にある濡れた手紙を見て、わずかに顔を曇らせた。


「ゲコ……」


「……」


 翁はケロナの手からスッと手紙を抜き取ると、慎重に開いた。中からは手紙と、肖像画。赤ん坊を描いた物のようだ。


「ゲコ?」


「ああ、先日、孫が産まれてね。その子の絵を送って欲しいと」


「ゲ、ゲコ!?」


 そんな大切な物を、と慌てるケロナだったが、やはり翁は穏やかに笑って、


「また描いてもらうさ」


 そう言った。だが、それでケロナの心が軽くなるハズもなく。なおも何かを釈明しようと思ったが、翁の目の端に小さな光を見て、やめた。ここでこれ以上、何を言っても自分の罪悪感を和らげるためだけの物にしかならない。きっと今、彼を真におもんぱかるなら、一人にしてやるのが正解だ、と。


「ゲコ」


 最後にもう一度、頭を下げてケロナは翁の家を後にする。船頭と事故処理隊の男たちが手分けして木箱を集めている場所へ合流。水底に潜って縄を拾う作業に従事する。その間に、もう、ケロナの心は決まっていた。


 ………………

 …………

 ……


 ケロナの翌日付での退職が決定した。マトーナや他の職員たちは慰留したが、彼女の決意は固かった。郵便屋は手紙を届け、人々を笑顔にするものだ。だというのに。手紙を毀損し、人々に悲しみをもたらしているのでは、もう失格である。例の船頭にも、街全体にも迷惑をかけてしまった。完全に退き時である。


 そして。最終勤務日12月22日を迎えた。ケロナは最後の配達に向かう。休日だという、あの船頭が船を出してくれることになった。一瞬だけ、ケロナは寂しさを覚えた。だがまた水に落ちて、手紙を台無しにしてしまっては敵わない。一人で配りたいという自身のワガママより、手紙を受け取る人たちの笑顔の方が遥かに大事なのだから。そう結論づけ、船頭の申し出をありがたく受けることとした。


「みんな、ケロナには感謝してるんだ」


 彼のその言葉がジンと胸の奥に響いた。


 船はゆっくりと出発する。青のマナタイトは使わず、船頭が櫂で漕ぐままの速度だった。

 まずは一軒目。20年以上も辿っている、ルートの始点。船から跳び移り、郵便受けへ。窓から老婆が手を振っている。昔は時折、触れ合うこともあったが、彼女の方がベッドから起き上がれない日々が続いているので、最後もこの形だ。


「ゲコゲコ!」


 ケロナの挨拶に、老婆もその顔に更に皺を刻んで優しく笑った。


 二軒目。ここの家主は、偏屈だが大工としての腕は確かな男。既に家の外、浮床まで出てケロナを待っていた。船から跳び移る。


「ケロン♪」


 寡黙な彼にも、ケロナはいつもこうして気さくに挨拶をしていた。カバンから手紙を出し、手渡す。大工の男は深く頷き、受け取った。と、受け取った方とは逆の手を差し出してくる。その掌の上には……木彫りのカエル。腹の辺りにカバンまでついている。ケロナを模した物のようだ。


「ケロ!?」


 自分にか? と目で問うと、大工はまた深く頷いた。ケロナは両手で抱えて、足だけでピョコピョコ跳ねて舟に戻る。船頭が彫刻を丁寧に受け取り、船底に置いた。


「ケロン♪♪」


 最後に振り返って礼を言うと、大工は不器用に笑っていた。


 三軒目、四軒目は、生憎、本日は届ける手紙はないようだった。ただそれでも住人たちは浮床まで出てきて、ケロナに手を振っていた。ケロナも両前足を上げて、ふりふり。その愛嬌のある姿に、四軒目の家の幼子が嬉しそうに手を叩いた。


 五軒目。浮床に跳び移ると、


「バウワウ! バウ!」


 犬に吠えられる。浮床の端、犬小屋があり、そこからの声だった。最近飼い始めたようで、未だにケロナに慣れてくれない。


「ケロ~」


 首輪に繋がった紐が伸びる限界は熟知している。ケロナは素早く、舞うようにドアの郵便受けへと手紙を挿し込む。ここの住人はパン屋を営んでおり、朝早くに出かける。やはり今日も留守のようだ。

 と。ドアの前に、ケロナ宛の麻袋が置いてあった。


「ケロ?」


 中を覗くと……どうやらパンが入っているようだ。耳の部分を揚げた菓子まである。ケロナは無人の家に向かって、頭を下げ……


「バウバウ!」


 慌てて跳び去る。船頭に麻袋を渡し、船に乗り込んだ。


 10、20、30。行く先々でケロナは歓待された。花冠を用意していた少女、ただ黙ってケロナを抱き締めた老婆、金貨を包み渡そうとした(丁重に断ったが)青年。誰も彼もが、ケロナに優しい笑みを向けていた。


「ケロ……」


 涙ぐみながら、家々を回り。そして最後の一軒。あの手紙を落としてしまった翁のいる家へと辿り着いた。


「……」


 出迎えはない。ケロナは落胆したが、当然だろう、とも思う。手紙をそっと郵便受けに入れ、ニジニジと反転する。そうして跳び去ろうとした時だった。


「ケロナ」


 扉が開いた。中から老夫婦が顔を出した。夫から事情を聞いているのだろう、妻の方も気遣わしげな表情をしている。


「ゲ、ゲコ」


 まさか見送りに出て来てくれるとは思っていなかったせいで、ケロナは固まってしまう。その彼女の体を、妻の方が抱き締めた。そして夫は一枚の紙を広げる。赤ん坊の絵だ。下の方、胸の部分は乾かした後の波が残っているが、顔の部分は無事だ。丸い頬の愛らしい赤ん坊だった。


「運が良かったわ。あるいはご加護があったのかも」


「ああ。きっとケロナが長年、誠実に勤めてきたのをミストルア様もご覧になっていたのだろう」


 夫婦は温かな笑顔で、勤勉なる老ガエルを見やった。ケロナとしては絵が何とかなったのは嬉しいが、それは結果論だと、やはり反省と罪悪感は拭えないが。


「ケロケロ♪」


 それでも夫婦の思いやりに明るく振舞った。ピョンピョンとその場で跳ねてみせる。


「これもきっとね、何かの縁。新しい絵をお願いするのはやめて、これを置いておこうって。ね?」


「ああ。ケロナの引退と、この子の誕生。きっと縁なのだろう。この子がウチに遊びに来てくれた時には、この絵を見せて、キミのことも話してみようと思う。なあ?」


「ええ。可愛くて優しくて勤勉なカエルさんが、運んでくれたのよってね」

 

 夫婦が二人でケロナを抱き締める。老夫婦に両頬を擦り寄せられ、ケロナは照れたように小さく鳴いた。

 最後に別れの挨拶でピョンと跳ねて、ケロナは老夫婦の家を辞した。


 外に出ると、ケロナはニジニジと足を動かして来た道を振り返る。南から西回りに上って、北端。そして北から東、南へ戻る道程。20年来の、もう目をつぶっていても思い起こせるルートだ。

 10秒、20秒、30秒。やがてケロナはまたニジニジと足を動かして前を向いた。

 

「もういいのかい?」


 船頭が静かに訊ねる。


「ゲコ」


 頷き、船に乗った。櫂を持った船頭が、ゆっくりと局へと漕ぎ出す。ケロナは目を閉じて、様々な思い出を脳裏に浮かべながら、ただ揺られていた。

 

 ………………

 …………

 ……


 局に帰ると、配達員のハネガエル、事務兼局長のマトーナが待っていた。カエルたちが拍手のつもりで両掌を打ち合わせる。ただ湿り気があるため、乾いたパチパチという音は鳴らなかった。代わりにマトーナが大きな拍手を送った。


「お疲れ様、ケロナ」


「ゲロ!」


「ゲココ!」


「ケロー!」


 ケロナはピョンピョンと跳ねて行って、輪の中へ。全員に揉みくちゃにされる。くすぐったそうに目を細め、マトーナに腹の辺りをワシワシと撫でられると、甘えたような鳴き声を出した。そのままカエル全員と一緒にマトーナに抱き締められる。万感の想いを感じさせる、長い、長い抱擁だった。泣くまいと決めていたケロナだったが、その感触に、伝わる想いに、ついに瞳からポロポロと雫をこぼした。


「ケロ……」


「ケロロー!」


「ゲコゲコ!」


 他のカエルたちも、それを呼び水に、全員が泣き出してしまった。マトーナも続いて……局内にしばし、別れの合唱が響き渡る。


 そうしてしばらく。一番最初に立て直したマトーナがパンパンと手を打ち合わせた。空気が少し軽くなる。ケロナ以上の古株、いつだって彼女はリーダーだった。


「さ。ケロナの送別会よ。街に行きましょう。なにか美味しい物、食べなくちゃ」


 その言葉に、若い配達員ガエルたちが賛同してケロケロと鳴いた。


「ケロロ?」


「そうねえ。大体、食べてしまったものねえ。けど……ケロナの好きなエビ料理にしましょうか」


 実を言うと、ケロナは最近は喉が弱く、エビを殻ごと食べる若い頃のような食事は合わなくなってきているのだが……水を差すのが嫌で黙っておく。


 一同は局の外へと出た。中天の日差しは冬を感じさせない暖かさ。全員がその光に目を細めて……ふと気付く。太陽だけではない。地上にも光があった。それもごく近く。具体的には局の浮床の上に。


「ゲコ!?」


「な、何かしら、あれ」


 光が収まった場所。珍しい形の木組みが鎮座していた。


「や、屋台? こんな場所に?」


 当然だが、局と同じ浮床に建物など、あるハズがない。許可も出していない。マトーナは文句を言ってやるつもりか、カエルたちを残してズンズンと進む。が、そこで。


「黒髪……黒目」


 店主らしき人物の風体に驚く。ケロナも見たことのない髪と目の色だった。服もまた珍妙である。黒いシャツに謎の文字が浮かんでいる。屋台の三角屋根、そこからぶら下がる赤い布にも似たような形の文字を見つける。もしかすると店名だろうか。


「いらっしゃい」


 男が声をかけてきた。警戒した様子で、マトーナは質問をする。


「これは……なに?」


 屋台を指さしながら。


「異世界屋台・一期一会だ」


「いせかい…………本当に?」


「ああ。まあね」


「異世界……と言えば。マレビト様の伝承」


「まあ……そう呼ばれることもあるけど。普通に接してくれると助かる」


 そこでカエルたちも追いついてきた。教会に赴いたりしない彼女らは小首を傾げている。ただそれでも、非常に珍しい人間と、店なのだろうことは察しているようだ。


「それじゃあ、お言葉に甘えて。えっと、ここはウチの郵便局の敷地内だから、勝手に店を出されると困るのだけど」


「それは悪かった。ただこの屋台は料理を提供し終えたらキレイさっぱり消える。明日は別の国の別の都市だ。それで許して欲しい」


「そんな不思議なこと……」


「まあ俺のギフトだと思ってくれればいい。そして今日のお客さんはアンタがたみたいだ」


 男の言い分に、マトーナはカエルたちを振り返る。ケロナはボンヤリと男を見上げている。優しい目に感じられた。街の人たちと同じく。彼女にはマレビトなる存在はよく分からないが……悪い人間ではなさそうだと思った。


「ゲコゲコ!」


 跳ねる。食べてみよう、と。殻付きのエビより、異世界の料理とやらに惹かれたのもある。


「本気なの? ケロナ」


「ゲコ」


 マトーナは他のカエルたちにも視線をやる。みんな、未知の料理への期待感で、つぶらな瞳をキラキラとさせていた。はあ、と大きく溜息をついた局長は、


「分かったわ。店主さん、それで……どんな料理を出してくれるの?」


「ちらし寿司だな。お祝いや、感謝を込めるハレの日に食べる料理だ」


 これは……見事に、今のケロナたちにお誂え向きの料理だった。


「おいくら?」


「四人前しかないんだけど……まあそっちのカエルたちはそんなに食わないだろうから足りるかな。〆て銀貨三枚、銅貨五枚でどうだろう?」


 悪くない値段だった。全員で食べれば、他の飲食店ではもう少し取られるかも知れない。だが味が伴わなければ、とも考える。


「もう出来てるから、持って来てみようか? 実物を見て、決めてくれても良い」


「わ、分かったわ。お願い」


 あいよ、と鷹揚に頷いて、店主は踵を返す。


「ちょっと、そっちは水路よ!?」


 落ちる。そう誰もが確信した、その時。何もない空間が光り輝き、男の姿を飲み込んだ。水音一つ立たない。なんと摩訶不思議な、と一同が目をみはっている間に、また男が戻ってくる。


「はいよ」


 薄茶の木材で出来た深皿のような物を両手で持っている。提供台の上に置いた。カエルたちが一斉に跳ね、羽を出して滞空する。そして皿の中を覗き込んだ。

 美しい料理だった。白米の上に赤、白、オレンジ、黄、黒、緑と色とりどりの具材が乗っている。目に眩しいくらいだった。


「ケロ~♪」


 ウットリした声を出し、ケロナが台の上に乗った。他の三匹も。マトーナも驚きに目を見開いて、その料理をしげしげと眺めている。


「……ビックリした。空飛ぶカエルか」


 店主は店主で、ケロナたちに驚いているようだったが。


「あ、エビもあるじゃない。殻付きじゃないのが残念だけど」


 ケロナは内心で、それで良いのよ、と思った。


「どう? みんな」


「「「「ケロ!!」」」」


 満場一致のようだった。マトーナは巾着から代金を出し、店主に渡した。


「はいよ。確かに。カエルたちの分の水は、平皿に入れてくるから少し待っててくれ」


 言いながら、また光の中へ。そして一分ほどで戻ってくる。マトーナのグラス、カエルたちの皿四枚。


「これは、いくら?」


「いや。水はサービスだ」


「気前が良いわね……それじゃあ」


 一分、待つ間にカエルたちは涎を垂らしそうな勢いだった。店主はしゃもじと取り皿も持って来ていたようで、キレイによそってくれる。船のような形をしたスプーンもつけてくれて、いざ実食。


 ケロナは器用にスプーンを操り、ライスと、大好きな(しかし殻が固くて最近はご無沙汰だった)エビ、細長く切った卵らしき具と合わせて……パクリ。


「ケロ!!!」


 塩茹でされたプリプリのエビは噛んだ瞬間、甘みを弾けさせる。そしてその下、ホロホロとした卵の帯と、甘酸っぱいライスが絡み合っている。

 美味い。文句なしに。ケロナは一口で確信してしまった。きっと自分が食べてきた料理の中で最高の物であろう、と。


「美味しい!」


「「「ケロロ!」」」

 

 他の面子も恍惚とした表情をしていた。

 だが満足するには早いことも、みな知っている。なにせ具材はまだまだあるのだ。


 ケロナは続いて、黒いキノコとオレンジの魚のぶつ切りをスプーンに乗せ、やはり酢飯と一緒に頬張った。途端、さっきとはまるで別の旨味に襲われる。

 キノコは煮汁がよく染みており、噛むと甘辛い味わいが口いっぱいに広がる。そしてキノコ自体の風味も死んでおらず、独特の香り高さが鼻を抜けていくようだった。オレンジの魚は、これまたやや辛い汁に漬けているのだろう、強い味がする。そして何と言っても脂身。とろけるように柔らかく、コッテリとした濃厚な味わい。店主が「サーモン」だと教えてくれる。ここら辺では難しいが、北の海でよく獲れるそうだ。そして、これら具材の強い味が、酸味のあるライスに包まれ、調和して深い味をもたらしている。


 もう周囲も無言だった。次はどんな味で楽しませてくれるのだろう。高揚感で目がギラギラしている。もちろんケロナとて同じで。

 今度は緑の豆を含んでいると思しきサヤ、こちらはカエルの指先のように二股に飾り切りされていて親近感が湧く。それに赤い粒を四つほど乗せ、具だけで頂いてみる。


「!?!?」


 赤い粒がプチンと弾けた。中から濃厚な汁が噴き出してくる。とんでもない旨味だ。そしてまた、緑のサヤも噛んだ途端に中で小さな豆が弾けた。そしてサヤ自体もシナッとしていながらも、芯は残っていて、独特の食感を与える。これまた美味い。


 続いて赤と白の魚のぶつ切り。それらをスプーンに掬うと、店主が、


「俺の国では、紅白は縁起のいい色の取り合わせとされている」


 そんなことを教えてくれた。ケロッと一つ鳴いて返事とし、ケロナは頬張った。これまた、言葉もない。先程のサーモンと同じ味付けのようだが、赤い方は噛めば柔らかく沈み、芳醇な旨味を吐き出す。逆に白は噛んだ端から押し返してくるような弾力を持ち、その食感が非常に心地よい。弾力とは対照的に、味はサッパリとしていて後を引かないのも乙だった。

 知らず、ライスも掬い、合わせて食べていた。やはりライスに酸味の味付けをしているのは正解だ。喧嘩しない、味の競演。


「ケロ~~~」


 蕩けるような甘い声を出して、ケロナは悶絶する。美味い。本当に美味い。まさか退職の日に、こんな予期せぬご褒美まで待っていようとは。

 みな無言。あっという間に自分の皿を平らげ、


「おかわり!」

「「「「ケロケロ!」」」


 示し合わせたように。

 店主は苦笑して、


「はいよ」


 各々の皿に追加をよそうのだった。







 カエルに飯を出すのは初めてだった、と店主は笑いながらも。全員と握手をし、ケロナが今日で退職だと伝えると、なにか驚いたような顔をしながらも「お疲れ様」と労ってくれた。


 屋台を後にすると、一同は再び輪のようになって、名残を惜しんだ。思い出話に花を咲かせ、時折また抱き合って。だがそこで鐘が二つ。午後の配達が始まる時刻となり、解散の運びとなった。ケロナは自分のカバン(記念に貰った)を持って……みんなについて局に入りかけて……


「ケロ……」


 立ち止まり、見送る。大きな、目に見えない壁を感じた。もう一生、越えることが出来ない壁。ニジニジと足を動かし、局に背を向けた。

 

 ――ピョン、ピョン、ピョン……


 都市の中央、唯一、土の地面がある本島。そこに戻って来たケロナは自分の棲み家へ向かう。古木の、うろの中へ。そこに収まると、前足をアゴの下に置いて枕にして落ち着いた。


「…………」


 20年。宝物のような日々だった。楽しい記憶も、少し苦い記憶も。笑ったことも、泣いたことも。それらを収めた自分の脳は、さながら宝箱か。


「ケロ」


 ちらし寿司。美味かった。あれもまた宝箱のようだった。色も味も。驚きと感動、喜びに満ちていた。


「……」


 同僚たちは今は配達の最中だろう。自分がいなくても局が回っていくことに、大きな安堵と、同じくらいの寂寥感せきりょうかんを覚える。


 ポロリと。ケロナの瞳から雫がこぼれ落ちた。悲しいワケじゃない。後悔などあるハズもない。また生まれ変わっても手紙を運びたい。心の底から、そう思う。だから、それは。未練。まだ配っていたかった。

 限界と定めた判断に誤りがあるとも思っていないし、今から覆す気も毛頭ない。だというのに、子供のように。どうやっても届かない宝物に手を伸ばしてしまっているのだ。


「ケロ……ケロォ……ケ……ロ」


 カバンを抱き締め、声を押し殺して泣く。避けえない別れ。逃れられない衰え。泣いても仕方のないことと知りながらも。

 

 ……一しきり泣いた後。ケロナは明日を思う。いや、明日からの空っぽの予定を。

 これらを再び宝物で埋め尽くすような、実りある日々に出来たなら。

 そんなことを夢見ながら、泣き疲れたケロナは、ゆっくりと微睡んでいった。

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