21:ハチミツケーキ(白の国・聖都セレスティバーグ)

『白の女神は、その時、このように仰いました。かのマレビトは、ワタクシの神気をまとい、この世界に幸をもたらす者です。愛し、敬いなさい、と』


 刻声こくせいの聖女、リアンナム・ロハンスは自身の声が再生される「刻声ガラス」に向かってホッと息をついた。


「ここまでは大丈夫みたいですね」


 ガラス工房で長を務める女性、ヴァレッタ・グレインが静かに言った。技術者と聖女が共に刻声ガラスの確認作業に立ち会うのは滅多に無いことだが。

 ヴァレッタが聖都に赴いた際には信徒としてリアンナムを表敬訪問するため、互いにそれなりの面識はある。


 刻声ガラス。技術者たちが色付け焼成で絵を描いたガラスに、刻声の聖女が声を吹き込むことで出来上がる。

 完成品は、ガラスに向かって祈りを捧げれば、自動的に聖女リアンナムの声を再生する。絵と合わせ、文字の読めない人々や子供たちにも六色神教の教えを分かりやすく伝えることが出来るのだ。

 そして、まず最初に祈りを捧げるのはガラスの作製者と定められているため、こうしてヴァレッタのような技術者が駆り出されるワケである。


「こごがらですね」


 リアンナムの声は嗄れている。いや、もはや地鳴りのようですらあった。この役目を始めて20余年。今までも喉がれることは間々あったが、これほど酷いのは彼女の人生で初だった。


「ええ」


 次の刻声ガラスにヴァレッタが祈りを捧げる。するとすぐに声が再生されたが、


『マレビドはいぜがいよりぎだり、そのえいぢコホッ! えいちを……』


 この有り様で。リアンナムは眉間に縦皺を幾つも走らせる。


「結構です。どめてぐだゴホッ、ゴホッ」


 ヴァレッタが組んでいた指をほどき、目を開けた。


「……ここから先は恐らく全て」


 彼女の言葉にリアンナムも頷く。教会側の立会人、大教伝司たいきょうでんしのミリカが痛ましげに聖女を見やる。齢25にしてこの地位まで上り詰めた女性だが、大変に慈悲深いと有名である。自分にも甘い所があるので、リアンナムによくお小言を貰っているが。


「お休み、するしかないですよね」


 ミリカの言葉に、誰も否を唱えられない。

 結局そこから先の五枚は廃棄。ヴァレッタが責任を持って自分の工房へ引き上げ、処分をする運びとなる。


 解散となった後、ミリカを引き連れ、リアンナムは建物を辞した。教会所有の馬車へと一直線に向かう。声が出ないなら、せめて事務仕事でもと、聖都へトンボ返りするつもりだったのだが……


「リアンナム様。折角、他の街まで出てきたんですから、何か美味しい物でも食べましょうよ」


「われわれのたぢばを……ゲホッ、ゴホッ」


 我々の立場を弁えなさい、そう言いたかったのだろう。

 大聖徒たちは特に厳しく戒律を守りながら暮らしている。そのことで人類全体の信仰を代行。その感謝として各国からの寄進を受け、白の国は豊かさを保っていられるのだ。

 

 神にも国にも報いるため、戒律は厳格に守らなくてはならない。そんなことは、大聖徒なら誰でも先刻承知のこと。だが、ミリカはどこ吹く風で。


「けれど、私たち、もう3ヶ月も聖餐せいさんだけじゃないですか」


 聖餐。ほぼ調味料を使わない、お世辞にも美味しいとは言えない料理のことだ。ヨーグルトや白いチーズ、白粥などが主で、余人なら三日で飽きると評される内容である。


 ブー垂れるミリカに、リアンナムは嘆息する。その喉の動きだけでも、少しズキリとして顔をしかめた。喉の中がアカギレになっているかのようだ。


 ミリカの望みを無視し、リアンナムは馬車へ乗り込むと、皮張りの上質な座席に腰を沈める。清貧を旨とする教会だが、客人を乗せることもあるかと、馬車には多少カネをかけているのだった。

 ミリカも乗り込んできて、対面に座る。


「お腹空いたなあ」


 ボヤくミリカに構わず、馬車が走り出す。そのまま街道をしばらく進んだ時だった。窓から風景を見ていたリアンナムは「おや」と眉を上げた。その顔を見て、ミリカも窓の外へ視線をやり、


「ああ。余児院よじいんですね。去年でしたかね。新しく出来たんですよ」


 今回はガラスの出来が不安だったため、わざわざ自ら出向いて刻声を確認したワケだが。普段は吹き込んで送り返した後は、そのまま次に取り掛かる。何か問題があれば工房の方から報告があるが、確認作業にまで立ち会うことは、まずない。即ち、第3の都市に来るのは、リアンナムにとっては数年ぶりのことだった。


(知らない間に、こんな場所に……)


 リアンナムの表情を読んだのだろう。ミリカが御者に合図を送る。間もなく馬の走りが緩やかになり……やがて完全に止まってしまった。戒律漬けの日々に戻る前にミリカが寄り道したいだけ、という線も疑っているが。まあリアンナムも気になったのは事実、一つ嘆息して馬車を下りることとした。


 ………………

 …………

 ……


 余児院よじいん。白の国、特に戒律の厳しい聖都セレスティバーグでは妊婦の中絶は禁止である。とはいえ、各家庭で子供を育てるための財源は無限ではない。産んだは良いが、育てるのが難しいとなった時、教会に預ける。その余った子を引き取り養護する施設が余児院、今現在リアンナムとミリカが足を運んだこの場所である。


 白いレンガ造りの大きな建物。屋根には煙突が立ち、壁には木枠の窓ガラスが幾つも見える。工芸の街、第3都市の傍ということもあって、全体的に立派な造りである。


「ごめんくださ~い」


 ミリカが扉を叩いた。するとすぐに、中から信徒が現れる。中年の快活そうな女性の先生せんせい(余児院の世話役はそう呼ばれる)だった。


「……もしかして! 刻声の聖女リアンナム様と、白吟はくぎんのミリカ様でいらっしゃいますか!?」


 流石に二人は有名人だ。


「え、ええ。馬車からこちらが見えて、立ち寄らせてもらったんです」


 少し気押されながらもミリカが来訪の意図を告げる。要するに慰問だ。


「まあまあ、こ、このような街外れの余児院にまで! よくぞ、よくぞお越し下さいました!」


 先生は大慌ての様子で、


「ケーナちゃん、お飲み物を用意してくれる?」


 自分の背後、一緒に様子を見にやってきていた若い先生に指示を出す。コクンと頷いた彼女は、リアンナムたちに一礼して奥へと下がった。

 快活な方の先生は、ケーナが消えた方向とは逆の廊下へ二人をいざなう。しばらく進むと、大きな部屋に辿り着いた。中からは子供たちの甲高い声が聞こえてくる。先生が扉を開け放った。


「みんな~! 本日は御聖行ごせいぎょうを賜りました! 刻声の聖女リアンナム様と、白吟ミリカ様です!」


 御聖行とは、大聖徒(特に位の高い者)の慈善活動のことを指す。

 紹介を受けた二人は先生と入れ替わり、前へ。


「わ、わ! 本物だ!」


「こら! 失礼だぞ!」


「リアンナムさまって、しゃべるガラスの?」


「そうよ。声を吹き込んでいらっしゃるのが、刻声の聖女様なの」


「すっげー! 俺、あれ毎日聞いてるよ!」


 子供たちは大騒ぎだった。幼い者を年長の者が窘めたりもしているが、その実、年長組も浮き足立っている様子だ。

 大聖徒の二人は苦笑しながらも、子供たちの様子に温かな気持ちを抱いていた。

 しかし、そこで。


「リアンナムさまー! おこえをきかしぇてくだしゃい!」


 元気いっぱい。3歳くらいの少年が、リアンナムに向かって無垢な願いをぶつける。途端、困り顔になる刻声の聖女。

 ミリカが代わりに状況を説明した。子供たちはションボリしてしまうが、次の瞬間。


「~♪ ~♪」


 即興で歌った白吟の調しらべに、みな一様に呑まれた。美しく、朗々と歌い上げるは、大神セレスの創世記。信徒なら誰もが知る礼讃歌らいさんかだった。


「す、すごい! とってもキレイなおこえ!」


「ぼくたちが歌うのとは全然ちがうや!」


「ミリカしゃま~」


 子供たちはみな我先にと駆け寄っていく。年少の子供たちに囲まれ、その頭を優しく撫でるミリカは、やはり腐っても大聖徒といった姿である。

 彼女もまた余児院の出身。そこを出るまでは、こうして年少の子供たちの面倒を見る機会も多くあったのだろう。

 足元に絡みつく二歳くらいの女の子を抱っこして、ミリカは大部屋の中央に座る。リアンナムも五歳くらいの少年と手を繋いで後に続いた。後ろから、「二人だけズルい!」と非難の声が上がり、大聖徒の二人は頬を緩めた。


 ちょうどその時。ケーナがカップを載せた盆を持ってやってきた。先生の分も合わせて、四人分だろうか。


「子供たちは……今から……」


 台所に取りに戻るということだろう。ケーナはどうも口下手な様子だ。年長の数人が彼女に付き合い、一緒に大部屋を辞す。先生の数が少なくても余児院が回っているのは、こうして彼彼女らが率先して手伝いをするからに他ならない。


 残された子供たちは、ミリカとリアンナムを取り囲み、色んな話をしたり聞いたりして過ごす。とはいえリアンナムのダミ声を聞くと、彼女を労わり遠慮し、次第にミリカとばかり話すようになる。

 それを見て、そっと刻声の聖女は立ち上がった。ミリカに目だけで合図。小さな頷きが返ってくる。

 ここら辺は以心伝心。初見の院では、リアンナムは必ず併設の聖堂で祈りを捧げるのを知っているのだ。

 

 聖堂へは院の北側の扉から直接行けるよう(どこの余児院もこの造り。セレスは北を好むという伝承から)になっている。なので初めての慰問先であるにも拘わらず、リアンナムは迷うことなく聖堂の大扉に辿り着いた。重たいそれをグッと両手で押し開ける。


 白い床に、白い壁、白塗りの長テーブルと椅子。採光用の透明なガラスと、絵が描かれた刻声ガラスが交互に嵌まる窓。そのせいで、少し暗いラインと、明るいラインが交互に差し、堂内に濃淡を作り出していた。

 そして、堂の一番北、そこには祭壇がある。これは赤と緑の二色を使ったクロスを掛けられた黒檀製だ。その後ろの白壁には、黄と青の色をつけられた窓が二つ等間隔で嵌っている。六色が眩く美しく、一所に収められている光景。これもまた戒律で定められた配置である。


 リアンナムは自分のカバンから布巾を取り出し、次いで青のマナタイトに黙祷を捧げる。チョロリといい塩梅の水量が出て、布巾を濡らした。それを持って、彼女はテーブル、椅子、窓ガラスと磨いていく。冬だというのに、聖女の額には大粒の汗が浮かんだ。


 それから20分ほど堂内を清め、祭壇の前へ。指を組み、北側に向かって祈る。六色神教に偶像はない。ただ信仰は己の中に。リアンナムは深く深く、祈りを捧げる。10分ほどそうしていただろうか。やがて「ふう」と小さく息を吐き、最後にもう一度、礼をした。これで礼拝は終わり……のハズだが、彼女はもう一度、指を組み直し祈りを始めた。これは彼女の個人的な祈りである。

 ……脳裏に浮かぶのは、一人の少女の姿だった。






 それは、リアンナムが厳しい修行の末、大聖徒となって間もない頃のことだった。当時は、大聖徒オプトの見習いのような形で、御聖行ごせいぎょうに同行して回る日々を過ごしていた。


 そんなある日。二人は第9の都市の外れにある余児院を慰問した。そしてそこで、一人だけ先生たちに支えられるようにして、御聖行を出迎える少女と出会った。最初は足が悪いのだと思ったリアンナムだったが、その実、少女は身体の至るところが悪かった。なんとかリアンナムたちに挨拶した後は、院の奥にある部屋に引っ込んでしまう。

 それを見送った子供たちも先生たちも、切り替えたような表情で、大部屋の中央に集まる。そうして御聖行が始まった。


「……神々は地上を去った後も、奇跡の結晶たるマナタイトを我々に残されたのです。皆さんも日頃からお使いの、あの結晶たちには、神々の深遠なるお考えとご慈悲が……」


 大聖徒オプトは朗々と、神の教えと、その意味を子供たちに説く。真摯だが、どこか慣れきって感があった。リアンナムはその説教に耳を傾けながら、奥へ下がったあの少女のことが気にかかっていた。


 やがて説教を終えたオプト。小休止に入るところを見計らい、リアンナムは声をかけた。


「あの。オプト様」


「はい?」


「先ほど、奥の部屋に下がってしまった銀髪の子なのですが……」

 

「あ、ああ。具合が悪そうなので、もう少し後で行こうかと」


「そ、そうですか」


「気になりますか?」


 首肯するリアンナムに、オプトは思案顔。


「…………そうですね。リアンナムさんもそろそろ、教えを説く練習をなさった方がいい。私の代わりに行ってきてもらえますか?」


 オプトのその提案に、リアンナムはコクコクと首を何度も縦に振った。

 立ち上がり、一人の先生をつけ、院の奥へと向かった。


 少女はベッドに横たわった状態でリアンナムを出迎えた。もう今日は一歩も動けないだろう、と先生。リアンナムはベッドの傍に膝をつき、その枯れ枝のような手を握る。少女は笑おうとして、しかしコンコンと咳き込む。なんとか顔を背けて、大聖徒に唾を飛ばさないようにするだけで必死のようだった。

 とても、説教を聞かせるどころではない容態である。


「……」


 リアンナムは悟る。オプトの複雑な表情は、少女のこの状態を予見していたからだったのだ、と。そして敢えて自分を行かせたのは、これを体験させるためだったのだろう、とも。他の子たちに遅れないようという気遣いのつもりが……急いては事を仕損じる、その典型であった。


(未熟……)


 臍を噛む思いで、少女の寝床を去る。「後日また伺います」とだけ告げて。

 早い帰還を果たしたリアンナムに、オプトは何も言わなかった。ただ、上手く予定を調整して、二日後、リアンナムに休暇を出した。彼に深く頭を下げて、再び第9都市の余児院を訪れたのだったが……


「本日は半分ほどでお願いします」


 迎えの先生にそう言われてしまう。オプトのように名のある大聖徒ならば、説教を半分に区切ってくれなどとは言えないだろうが。駆け出しのリアンナム相手になら言いやすかったのかも知れない。ただ彼女としても「無礼な」と怒るより、少女の体力を思えば、かえって好都合だと考えた。

 少女の部屋へ入ると、首だけ起こした状態で出迎えられた。それを非礼と思ったのか。


「……ごめ、なさ」


「良いのよ……そのままで……」


 なるだけ優しい声で、そう言った。


「自己紹介がまだだったわね。ワタクシはリアンナム。アナタは?」


「ポッカ……です」


「ポッカ。そう。良い名前ね」


 青白い顔で力なく笑う少女に、リアンナムも笑いかける。

 それから数刻、説教を聞かせた。咳き込んだり息が荒くなった時は言葉を止め、静かに落ち着くのを待った。やがて予定の半分を聞かせたところで、先生の目配せ。リアンナムは切り上げる。


「よく頑張ったわね。白の女神も、きっとアナタの篤信とくしんに微笑んでいることでしょう」


 ポッカは嬉しそうに口元を緩め、しかし額には脂汗が浮かんでいた。


「こんなに……たくさんきけたのは、はじめて、です。ありがと、ござい、ました」


 先程も思ったことだが。高名な大聖徒ではない自分だからこそ出来る臨機応変な形式だ、と。リアンナムは少し誇らしい気持ちにすらなった。新米は新米なりに出来ることがある。それが嬉しかった。


「また来るわね」


 そう言い残し、部屋を辞した。胸の内に充実感が広がるのを感じながら。


 ………………

 …………

 ……


 そしてそれからまた四日ほど後。リアンナムは件の余児院を訪ねた。ポッカに説教の後半を聞かせるためだ。

 だが、そこで彼女が見たものは……真っ白な顔で吐血しながら、ベッドの上をのたうち回る少女の姿だった。先生が慌ただしく部屋を飛び出し、桶と水、布巾を手に戻る。赤く染まった布巾と桶の水を替えに、また出ていく。二人がかりの献身的な介護が行われていた。


「本日は……」


 帰るしかない。リアンナムがここにいても邪魔になるだけである。そう思い、踵を返しかけた彼女に、しかし少女が声をあげる。


「リアンナムさまぁ……ほんじつの、ゲホッ! せっきょうは……!」


 そのまま激しく咳き込み、血を吐く。口元を真っ赤に染めながらも、視線はリアンナムを捉えている。瞳孔が開き切り、病んだ光を放つ双眸。年端もいかない少女とは思えない姿に、リアンナムは気圧され、恐怖すら抱いた。剥き出しの生命のともしび、その迫力に圧倒されてしまう。


「しんこう……かみのごかご……」


 信仰が足りぬから、除毒のギフトが効かないのだ。巷で信じられている通説だ。だが、本当にそうだろうか。これほどまでに焦がれ、盲執のように神の教えを求める彼女が、不信心。それは無理があろう、と。むしろ今なら、自分より遥かに熱心に祈り、教えを忠実に守るだろう。まさに命懸けで。


「ま、また! また来るわね!」


 言い訳のようなことを叫び、リアンナムは逃げ出した。教えを請うてくる者に背を向けたのは、彼女の人生でもちろん初めてのことだった。


 走った。余児院の建物が見えなくなる場所まで。馬車に飛び乗り、すぐに発たせた。

 恐ろしかった。幽鬼のような彼女が、ではなく。信仰が無力だと突き付けられそうで、たまらなく恐ろしかったのだ。


 そうして聖都に帰り、今度は罪悪感に苛まれた。自分を必要とする重病人を置き去りにしたこと。更には「また来る」と言い残しながら、もう行きたくないと心のどこかで思ってしまっていること。

 そうして頭を抱えている時だった。自室のドアをコンコンと叩かれる。


「リアンナムさん。少し良いですか?」


 オプトだった。リアンナムは救われたような気持ちになり、ドアを開けた。大聖徒の自分が逆に縋るなど、あるまじきという考えすら欠如していた。

 

「ああ、やはり。憔悴した様子で帰ってきたと聞いたものですから」


 様子を見に来たということらしい。リアンナムはその優しさに、涙を堪えきれずポロポロとこぼした。

 そして全てを話した。オプトは彼女の二の腕を優しく叩いて、


「明日……二人でまた聖行に参りましょう」


 そう提案した。


 翌日、余児院を訪れると、既に第9都市の教会に所属する大聖徒がいた。聖葬会せいそうかいの支部の者だった。


 挨拶をし、事情を話すと、彼は静かに道を譲った。院に入ると、少年少女たちと目が合った。どこかホッとしたような顔をしているのは……厄介な同居人がそろそろいなくなるから、だろうか。子供は残酷なまでに正直だ、とリアンナムはやりきれない想いを胸にしまった。


「もう、あまり長くは……」


 献身的に世話をしていた先生が、大聖徒二人に告げる。彼女自身もやつれていた。そして、こちらもまた、子供ほどあからさまではないが。解放されることも考えてしまっているのだろう、やはりどこか安堵の色も窺える。一瞬、言葉が出かかった。だが、オプトが首を横に振ったのを見て、思いとどまった。数時間会っただけの自分たちに、長く世話をしてきた者の苦労を無視して、義憤をぶつける権利はない。そう瞳が諭していた。


 部屋の中へ入る。途端に濃密な死の気配を感じた。虚ろな目をしてベッドに横たわる少女。既に事切れているのでは、と思った矢先。顔がこちらを向いた。仰天して隣のオプトに抱き着いてしまうリアンナム。


「しんこう……しんこうは……すくいでは……ないのですか……」


 最早、うわ言に近い。


「なんで……わたしはよじで……びょうきで……かみはなんのために、わたしをつくったのです……か」


 口の端から血を流しながら。

 リアンナムは答えを持たなかった。神の意を量るのは不敬。そういう言葉で蓋をする者もいるだろう。だが、彼女にはそんな真似は出来なかった。

 そしてもう一人、彼女の師オプトも。やはりはしなかった。


「ポッカさん。信仰は光です」


「え……?」


「救いへと続く道を示す光です」


 オプトはベッドの傍に膝をつき、ポッカの小さな手を握った。


「アナタにも光は当たっている。けれどその身体では光の向こうへは歩けない」


 そんな、とリアンナムは咄嗟に声をあげかけた。だが構わず、オプトはこう続けた。


「しかし、肉体を離れ、魂だけになれば、光の指す先へとゆけるでしょう」


「しんこう……たりますか? せっきょう、ぜんぶきけてません。おいのりもほかのこたちより……ぜんぜん。ひかりは……たりますか?」


「アナタの祈りで足りぬなら」


 オプトの声が震えた。


「……我々が代わりに祈りましょう。アナタが救いに至るまで、その道を照らし続ける光を届けましょう。我々が必ず……!」


 そこでオプトは背後のリアンナムを見る。彼女は泣きながら、何度も頷きを返した。


「……ありが……と」


 少女の手がダランと垂れ下がり、オプトの掌から零れ落ちた。瞳からも光が消え、体温も失われていく。最後にツーッと口端から血の筋が流れた。リアンナムが顔を手で覆う。

 

 ――この日、ポッカはその短すぎる生涯を終えた。


 帰りの馬車の中で、リアンナムは対面のオプトをぼんやり眺めていた。信仰は光。いつもの、こなすようにしている説教とは全然違った。本当に救いが必要な相手には、あそこまで熱をこめて話すのか、と圧倒された。やはり大聖徒の鑑だ、と。


(それに引き換え、ワタクシは……)


 何も出来なかった。動けず、話せず。ただ消えゆく灯を呆然と見送っていたに等しい。悔しさが胸中に満ちる。と。対面のオプトが、


「リアンナムさん」


 静かに声をかけてきた。


「アナタの類稀なるギフトの使い道をずっと考えていたのですが……今回のことで一つ案を思いついたのです」


「え?」


「ガラスに絵を描いてもらって、そこに声を吹き込むというのは、どうでしょう」


「そ、それはどういう」


「ポッカさんのように病を抱えた子供が、いつでも教えを聞けるように」


 ハッとする。確かに、余児院併設の聖堂などに設置すれば、自分の身体と相談しながら説教を聞くことが出来る。加えて絵があれば、より理解が速いだろう。だが、


「偶像崇拝に当たるのでは……?」


「神々を描かなければ大丈夫ですよ」 


「そ、そうかも知れませんが」


 前例がない。

 だが、オプトは不敵に笑って、


「今回のことも伝えて、窮状にある子供たちのためと言って押し切ります」


 そんなことを平然と言う。リアンナムは完全に、このオプトという男を見誤っていたらしい。聖行をこなす裏で、こんなに熱いものを秘めていたなんて。


「アナタも協力してくれますか?」


「はい!」


 こうしてオプトとリアンナムは二人三脚、数年後には私生活でも伴侶となり、今日まで殆ど休まずに駆け抜けてきたのだった。






 長い長い祈りを終え、リアンナムはゆっくりと目を開けた。背後に人の気配。振り返ると、ミリカが立っていた。


「……戻りましょうか」


 首肯して立ち上がる。

 子供たち、先生たちに挨拶をし、院を辞す。馬車に乗り、聖都に戻った。


「あ~あ。結局、美味しい物は食べられなかったですね」


 リアンナムは少しだけ心境に変化を迎えていた。思えば走りどおしだった、この数十年。身体が休めと言っているのかも知れない、と。あの長い瞑想にも似た祈りを経て。健康を犠牲にしてまで走ることを、あの心優しき、最後まで恨み辛みを吐かなかった少女が果たして望むだろうか、と考えれば甚だ疑問であった。


(独りよがりだったのかも知れないわね)


 少しは普段と違う、栄養価のある物も食べた方が良いのかも知れない……とは思ったが、聖都にまで戻ってしまえば、人の目が他の都市より厳しい。大聖徒が二人連れ立って買い食いなど、いかにも体裁が悪い。


(また今度ね)


 ミリカには我慢させることになるが。

 そんなことを思った時だった。唐突に、強い光が辺りを包み込む。もう夕刻だというのに、昼間の太陽のようだった。


「「え!?」」


 光の中、目を凝らすと、先程まで何もなかった場所に……


「屋台と……ま、マレビト様ですよ! イイフク・ワタル様!」


 白と黒の板で組んだオシャレな屋台と、その向こう。顕現の際に神気を分けてもらった黒髪黒目の男がいた。


「な、なんだ。大聖徒さんか? もしかして」


 イイフクが気圧されたように仰け反る。向こうは数多くの大聖徒の中の二人ということで、リアンナムたちを覚えてはいないようだった。


「リアンナム様、これもお導きですよ!」


 イイフクの屋台は、選ばれた者にしか見えない。そういうギフトである。即ち、


「人の目を気にせずに、お腹一杯、しかも異世界の美味しい料理を食べられるんですよ!」


 そういうことだった。しかもマレビトの店となれば、罪悪感もかなり軽減される。


「い、良いのか? 今日はパンケーキ、甘いヤツだぞ。ハチミツもたっぷりだ」


 イイフクが確認してくるが、ミリカはドンと自分の胸を叩いてみせる。


「三ヶ月、聖餐せいさんだけでしたから!」


「そ、そうか。それはお疲れ様」


 引きつった笑いのイイフク。


「じゃあ、まあ。思う存分、食ってくれ。喉に凄く良いハチミツみたいだぞ」


「異世界のハチミツですか!?」


「いや。黄の国のハチミツだ。昨日もらって来たんだ」


「昨日が黄で、今日は白ですか。聞きしに勝る、とんでもギフトですね」


 感心したように言うミリカに合わせてリアンナムも苦笑する。それだけで、少し喉に痛みが走り、顔をしかめた。


「椅子に座って待っててくれ。すぐに持ってくるよ」


 そう言い残したマレビトは、踵を返した。すぐに光の長方形が現れ、そこへと姿を消す。これも部下たちの報告で聞いてはいたが……実際に目の当たりにすると圧倒されてしまう。

 椅子に座ると、馬車の座席より更にフカフカとした、小さな布団が尻を包む。イイフクが消えた先、光が収まると向こう側が見えた。緑の草を編んだマット、謎の四角い鉄。あまり見過ぎるのは失礼、と提供台に視線を落とした。


 と、すぐにまた発光。顔を上げると、イイフクが戻って来ていた。両手にトレーを持っている。それぞれを二人の手前に置いた。トレーの上にはキツネ色の塊を載せた皿と、ミルクを入れた陶器のカップ。


「これ……」


 これは何ですかと言葉を紡ぎたかったのだが。声が掠れそうだったので、途中でやめる。ただ意図は伝わったようで、


「ハチミツケーキだな。生地にたっぷりハチミツを練り込んで焼いた菓子だ」


 説明してくれる。ミリカが「わあ」と歓喜の声をあげた。


「おだいは」


「いや、いいよ。行く先々で、マレビトって立場に助けられるんだ。アンタたちの布教活動の賜物だ。それを思えばカネは取れない」


「やったー! 流石はマレビト様です!」


 調子の良いミリカ。


「さあ」


 イイフクが促すと、ミリカはフォークを片手に、三角に切り出されたケーキとやらに突き刺す。目顔でイイフクに作法が合っているか訊ねると、


「まあ好きに食べれば良いんだけど、フォークの側面を入れて一口サイズに切って食べることも出来るよ。そっちの方が上品は上品かな」


 そんな答えが返って来たので、ミリカはフォークを抜いて、言われた通りにする。フワフワ生地に反発されながらも押し込むと、一口大に切れた。


「すごい。こんなに柔らかいパンは初めてです! け、ケーキでしたっけ? すごい!」


 切り分けたそれを今度こそ、フォークの先で突き刺し、持ち上げた。まじまじと見つめ、鼻を近づける。


「うーん。良い香り! 甘くて、でもお花? の香りもします」


「砂漠の夜にしか咲かない花の蜜を吸った蜂、だそうだからな。その花が特に香りが強いんだろうな」


 そんな二人の会話を聞きながら、リアンナムは未だ躊躇していた。甘い菓子、しかも白色が一つもない。三ヶ月分の休戒食きゅうかいしょく(聖餐を休む日)を充てても、なお足りないような気がしてきたのだ。


「そっちのアンタ……喉が悪いんだろう? これは凄いぞ。寒い外から帰って来て、少し舐めるだけで、みるみる喉が潤うんだ」


 イイフクが手を自分の喉に当てる。快調と示すように上下に動かした。


「薬膳料理だと思って。確か体の不調を治すための食事はある程度は許されるんだろう?」


「はい、そうなってますね。だから、リアンナム様も。ね?」


 その理論で言えば、ミリカは不調でもないのに甘味に溺れるという形になるワケだが。溜息をついたリアンナム(それすら痛みがあった)は、フォークを手に取る。上側は膜のように薄い茶色の皮で覆われ、その下はまさにハチミツのような黄金色をした不思議なパン。フォークを寝かせ、スッと横面を入れると、フワフワの生地が押し返してくる。ただ表面の茶色い部分の抵抗を越えると、黄金色の部分はすんなりと切れた。


 大聖徒の二人は顔を見合わせる。合図も無かったが同時に、


「「あむ」」


 口の中へと放り込んだ。

 途端に、甘さが弾ける。芳醇なバターや卵のコクが舌を楽しませ。そこにハチミツの風味と、鮮烈な甘み。どうやら茶色の部分の表面にもハチミツジャムを塗っているらしく、濃厚の一言。そこに砂漠の花の芳香が加わり、鼻から抜けていく。


「お、美味しい!!」


 ミリカが目を真ん丸にして、はしたなくも大きな声を上げる。それを咎める権利はリアンナムにはない。喉が正常であれば、恐らく彼女も同じような声を出していただろうから。


 咀嚼する度、フワフワの生地はいとも容易くほぐれ、頬の内側に甘さと花の香り、蜜のコク深い旨味を広げていく。


(これは……まさに)


 異世界の料理だった。白の国はおろか、他の五国の調理技術の粋を合わせても、これは作れないだろう。そう思わされるほどの圧倒的な味だった。


「う……う……長い禁欲生活の果てに……こんなご褒美が」


 ミリカなどは泣き出してしまった。まあ辛い三ヶ月が報われたという感動も合わさってのことだろうが。


 するとイイフクが、何もない空間の向こう側へ手だけスッと差し入れ、オシャレな小瓶を掴んでこちらへ引っ張り出した。


「ハチミツ、追加も出来るぞ。味変になって乙だ」


「下さいです!」


 飛びつくミリカに、イイフクはビンを渡す。彼女は蓋を開けるとトロトロのハチミツを残りのケーキにかけた。濃厚な花の香りが漂い、リアンナムも思わず鼻を鳴らす。

 ミリカの後に遠慮がちに、数滴垂らして食べてみたが、


(これも! 甘みとコクが増して……花の香りも強く感じられるわ。果物のような僅かな酸味まで)


 非常に美味かった。


「ん~~! トロトロとフワフワが!」


 ミリカが幸せそうに悶絶している。と、


「リアンナム様、初めて見るお顔をされてます」


 指摘される。リアンナムの方も顔が蕩けていたようだ。


「イイフク様! 出来たら、そのハチミツのビンを御寄進いただけたりは……?」


「こら。ミリカざん。図々しいですよ」


 と注意して。ハタと気付く。かなりダミ声が改善されている。ミリカもビックリした様子でリアンナムを見やる。


「す、すごいでずね。とぎおり掠れますが、もう普通に」


 劇的な効果だった。喉に手を当ててみる。傷んだ箇所をハチミツのとろみが優しく包んでいるような感覚。花の香りと清涼感ばかりに気を取られていたが、喉への効能こそ出色のようだった。


「……おお、良かった。ハチミツのビン、結構あるから良いよ。持って帰りなよ」


 イイフクが優しげに笑い、掌でビンを指した。聞きしに勝る好青年のようである。


「よろしいのでずか?」


「ああ。ハチミツをくれた子も、良い子だったからね。誰かのためになるなら彼女も喜ぶだろう」


 善人同士の良縁、その恩恵に与ることが出来たらしい。


(本当にセレス様のお導きですね)


 深々と頭を下げ、ビンを受け取ったリアンナム。


「良かったですね、リアンナム様!」


 ミリカもまた、先輩の聖女のために図々しい役を買って出てくれたのだと、今更ながらに気付いた。こちらにも感謝を……


「時々、ワタクシにも舐めさせてくださいね」


「……」


 まあ憎めない子だ、とリアンナムは総括する。

 それから二人は、少女に戻ったような笑顔でケーキを食べきった。甘く、かぐわしく、芳醇で。きっと生涯にもう一度は食べられないであろうご馳走を、一口一口、噛み締めるように味わった。

 そして……少しの間、食休みを取ってから。二人の大聖徒は席を立った。


「……それでは、イイフク様。本当にありがとうございました」


「ありがどうございました」


「ああ。体には気を付けて。時には栄養のある物も食べてな」


 手を振るマレビトに見送られ、二人は屋台を出る。

 と、すぐに。赤ん坊を抱えた女性とぶつかりそうになった。


「きゃっ」


「あっと、申し訳ありません。お怪我は無いですか?」


 母親からすると、何もない場所から突然、二人組の女性が飛び出してきたように感じただろう。その彼女は二人に視線を向けると、ハッとした。


「刻声の聖女様と……白吟のミリカ様。も、申し訳ありません」


 粗相をしてしまったのでは、と不安げな顔。


「いえいえ。こちらの方こそ、前も見ずに」


 そういうことにしておくミリカ。同調を求めて隣のリアンナムを見るが、彼女は固まっていた。母親が抱いている赤ん坊。光り輝くような銀の産毛に、目元までも……に瓜二つだった。


「お母さま…………失礼でずが、その赤ん坊の名は」


「え? こ、この子ですか? ポッカと付けました。事前に用意していた名ではなく、何故かこの子の顔を見た瞬間、浮かんできた名なのです」


「そう……ですか」


 赤ん坊のポッカが小さな手をリアンナムに伸ばしてくる。その手を、宝物を包むようにリアンナムは優しく握った。母親は嬉しそうにしている。生まれて早々、刻声の聖女の加護を受けられるのだから。


「だあ! きゃっきゃ!」


 無垢な笑顔。


「いたく懐かれてますね」


 ミリカが不思議そうな顔で両者を見る。

 リアンナムは全身を震わせた。一期一会のマレビトの屋台で食事をしなければ、起こらなかった奇跡だ。この時間に、この場所を通ることが出来て。喉が治っているから、名前を聞くことが出来て。

 偶然と呼ぶには、あまりに愛に満ちていた。全て、お導き。そう考えずにはいられなかった。


 思わず仰いだ空には、白い雲が光の道のように棚引いていた。この赤ん坊のすぐ真上から聖都の北、大聖堂より更に先。きっと慈悲深き白の大神がおわす、その場所まで。

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