20:★ハニーマスタードチキン(黄の国・第9の都市)

「最近、甘いの作ってねえな」


 実際はそれほど間は空いていないのだが。異世界屋台『一期一会』ないし『ボヤージュ』の店主、飯福航いいふくわたるは居間の畳に寝っ転がりながら、そんなことを呟いた。

 スマホを手に取る。テキトーにスイーツ系のレシピを漁るが……どれもピンと来ず、片眉を下げている。


「……戦場石井せんじょういしいでも行くか?」


 実際に売り場を練り歩いて食材を見ていると、インスピレーションが湧く可能性も無きにしも非ず。だが腰をあげかけたところで本日の曜日を思い出して、座り直した。平日の昨日に休んでおくんだった、と飯福は後悔するが後の祭りである。


「となると、異世界の方かなあ」


 なにか向こうにしかない食材を採りに行こうか、と。そこまで考えて、頭の中でシナプスが繋がった。

 飯福はマレビトの先輩、科野欣也しなのきんやに写させてもらった例の異世界情報資料集を引っ張り出す。付箋を頼りに、あるページを開いた。


「あった、あった。珍しい蜂が出すハチミツ。黄の国の第9都市か」


 ヨナガバチという名前だそうだが、詳細は聞けていないようだ。繰り返しになるが……異世界では情報収集は超のつく難易度である。新聞など各国の中心都市の幾つかにしか存在しないし、その自国の首都すら認知していない村も腐るほどある。

 マレビトという概念にしても、白の聖都セレスティバーグでどれだけ崇められる存在かなど知らないので、みな少し頼めば平気でタメ口をきいてくれる。というより、そもそもマレビトを知らない人間も少なくない。


 そんなワケで、まあとにかく。


「行ってみて、自分の目で確かめるしかないな」


 という結論になる。スマホで何でも事前に調べることが出来るこちらとは違って体当たりが基本である。

 飯福は長袖シャツと、七分丈ズボンに着替えた。日焼け止めクリーム、麦わら帽子も用意する。以前、砂漠の中のオアシス外縁に放り出され、熱中症手前で死にかけるというアクシデントがあったため、こういったグッズを揃えたのだ。キッチンに行って、塩タブレットと水の入った魔法瓶も準備してカバンに詰めこんだ。玄関から靴も持って来て、準備万端。


「んじゃあまあ……行くか」


 クローゼットの前に立ち、


「黄の国の第9都市で」


 リクエスト。閉じたままのクローゼットがパッと輝く。光が収まったあたりで、飯福はそっと開いた。向こう側には緑が見える。おっ、と飯福。どうやら緑の国側に近いようだ。黄の国は東側を緑の国と隣接しており、そちら側は木々も多く、気温も西側(砂漠地帯)に比べて低い。


「とはいえ、まあ完全防備で行くけどね」


 今度は助けてくれる人が近くに居ない可能性もある。異世界で無縁仏は御免蒙る、と飯福はカバンの取っ手を握り直す。そして、一歩向こう側へ踏み込んだ。


 まず感じたのは暖かさ。体感気温は25°くらいだろうか。非常に過ごしやすい気候だ。風もカラッとしており、日本の夏のようなエグさはない。空気も澄んでいる(まあこれは黒の国の工業都市以外は異世界全ての都市でそう感じるが)し、これなら気分が悪くなる心配はなさそうである。ホッと一息ついた飯福の耳に、しかし、


「きゃああああああああぁぁ」


 突然の爆音。甲高い少女の声だった。驚きのあまり硬直する飯福に向かって、横合いから駆けてくる姿があった。飯福と似た格好(シャツと半ズボン)だが、帽子は被っておらず、豊かな金髪が暴れ回っている。年の頃は、10~12歳くらいだろうか。

 飯福が何も反応できないまま、少女はすぐ傍まで来ると、急ブレーキをかけた。


「あ、アナタ! い、今! 何もない所から現れたのではなくて!?」


「え? あ、いや」


 今日は屋台もないので、そちらに注意が逸れることもなく。単身のアラサーが突然飛び出してきた格好だ。

 少女を目を剥いて、飯福の様子を爪先から頭の天辺(麦わら帽子のツバ)まで見回し、


「もしかして……マレビト様、という存在では?」


 答えを導き出した。


「いや。まあ……もう神気はないからだよ。宗教的価値は皆無だ」


 お決まりの返答をするが、少女の好奇心に満ち満ちた瞳からは逃れられない。グルグルと飯福の周りを歩いて、後ろから前から横から、全身をチェックする。まるで見世物のような扱いに苦笑しながら、


「……キミ、ここら辺でヨナガバチという種を養蜂している場所を知らないかい?」


 折角だから聞き込みをすることにした。すると少女はタタッと飯福の前に回り込んできた。一層瞳が輝いている。


「ワタクシ! ワタクシの養蜂場ですわ!」


「え?」


 言っている意味がよく分からない。嚙み砕いて解釈するなら……その養蜂場を経営する家の娘、ということだろうか。


「申し遅れました。ワタクシ……シンメル・クワントロン。この国の第八王女ですわ」


「え……え?」


 追加情報に、脳のキャパシティを超えてしまう飯福。フリーズ。二秒、三秒。


「王女様……本当に?」


 だがよくよく彼女の身なりを見れば。かなり上質な綿を使った衣類、髪はサイドからバックにかけて可愛らしい編み込み、と庶民階級からは一線を画した風体だ。特に、丁寧に編まれた金髪は、恐らく彼女本人ではなくプロの従者の仕事。と考えれば、少なくとも良家の子女なのは間違いないだろう。そして良家の子女が王族を騙る教育など受けるハズもなく。三段論法的に、極めて信憑性が高い話だと飯福は結論づけた。


「えっと……敬語とか使った方が良い?」


「いりませんわ。マレビト様は堂々となさっていれば良いんですの」


 少女、シンメルの方だけ半端な敬語なのが気になってしまうが、恐らくこれはこういう喋り方を教育されているのだろうから、直すのは難しいだろう。結局、飯福は気にしないことにした。そんな事があるのかどうかも知らないが、万一、不敬罪で捕らえられそうになったら、光の長方形に飛び込めば良い。異世界人は日本側には来られないので、余裕で逃げ切れるだろう。


「それでここは……第9の都市。そしてキミの養蜂場の近く、ということなんだな?」


 改めて確認。


「そうですわ! まさか御来客、しかもマレビト様だなんて! 今日はなんて素敵な一日なのでしょう!」


 ウットリ嬉しそうに、両手を重ねて頬に当てる。可愛らしく上品な所作。


「王立の養蜂場か……」


 それなら滅多な物は出てこないだろう、と安堵する飯福だったが。シンメルはキョトンと小首を傾げた。


「税金ではありませんことよ? ワタクシが経営して、利益を出しておりますの」


「え?」


 またまた目が点になる飯福。自分より恐らく20近くは年下の少女が経営をして利益を上げている。しかも口振りから言って、雀の涙ほどという感じでもなさそうである。


「さ、さ。論より証拠ですわ。ついて来てくださいまし!」


 歳相応の少女らしく、元気いっぱいに飯福の手を引っ張る。たたらを踏むように歩かされ、「おいおい」と抗議の声をあげるが、お構いなしだった。なんとか振り返って、自分が出て来た場所だけ記憶しておく。大木の幹の前、分かりやすい位置でホッと胸を撫で下ろした。


 それから10分程度歩く。

 道すがら色んな話を聞いた。まず少女が養蜂を始めたのは二年前、九歳の頃だというから飯福は大層驚いた。昔から虫が大好きで、ヨナガバチの観察を続けているうちに、人工での飼育、ハチミツの採取の方法を思いついたのだとか。


「さあ、着きましたわ! シンメル養蜂場。今はまだ三つの巣穴だけですが、いずれ更に増やしますのよ!」


 ふんす、と鼻息も荒く説明するが。飯福は要領を得ない。目の前にあるのは、斜め下に掘り進められた地面の穴。どうも穴の中で石を組んで人工トンネルのようにしてあるようだが。

 飯福は怪訝な表情で首を傾げる。巣穴と言っていたが、この中に蜂がいるのだろうか。軽く覗き込んでみるが、気配はない。


「ヨナガバチは夜行性ですのよ」


「へえ、そうなのか…………するとヨナガは夜長なのか? たまたま日本語に対応する語彙があったから、そう聞こえてるってことか?」


「ん? なんのお話ですの?」


「あ、いや。ごめん、なんでもないよ。つまり……蜂たちは今は寝てるってことか」


「ええ、そうですの。あと二時間ほどすれば動き出しますのよ」


 少女はそのまま小さな指で遠くを指す。


「あちらと……あちらにも巣穴はありますわ」


「ふうん……俺の知ってる養蜂とは随分と毛色が違うな。蜂が穴居性けっきょせいか」


「まあ! ワタル様は昆虫にもお詳しいんですのね!」


「子供の頃は俺も虫好きだったからね。けどまあ、詳しいって程じゃないよ」


 キラキラとした瞳に見上げられ、飯福は思わず両手を小さく挙げて降参のポーズを取る。


「……そうですの? けれど蜂の生態に興味を持ってくださった方は、今まで殆ど居ませんでしたわ」


「うーん。まあ俺からするとこっちの生物は全体的に珍しくて興味深いからね」


 学者でなくとも、知的好奇心の一つや二つ、刺激されるというもの。

 飯福は周囲を見回す。砂漠が遠く西に見えるが、ほぼほぼ草原地帯に近い環境だ。木々も多い。下草を除き、土を掘り進めて、巣穴は形成されている。


「ここら辺に蜜を出す花があるのかな?」


「いえ。彼らは砂漠を渡るのですわ」


「砂漠を渡る……オアシスの花か?」


「ご名答ですわ」


「となると蜂が夜行性なのは寒さに強く、暑さに弱いから?」


「す、素晴らしいですわ! その通りですの!」


 砂漠は昼と夜で気温差が激しい。この国でも夜は毛布が必要になる地域も少なくない。


「彼らは夜になると動き出し、オアシスを目指して砂漠を渡るのです。全身に起毛があり、また時折、羽を擦り合わせて熱を起こし、体温を保つのですわ」


「すごいな、シンメルは。そんな細かい習性まで」


 なんの機材もなく、予備知識もない中で、これだけの情報を収集しているのだ。根気強い観察のみで。しかも小学五年生の歳の少女が、である。


「えへ、えへへ。すごいですの?」


 クネクネと体を揺らすシンメル。飯福は腰を下ろして彼女の頭を優しく撫でる。日本では初対面の女児の頭を撫でると、色々とマズイが、こちらはもっとプリミティブである。現にシンメルは嬉しそうに頭を傾け、もっとナデナデを催促してくる。


「それで? 夜のうちにオアシスに着いて?」


「夜にしか咲かない花があるんですの。その蜜を体の中に蓄えて、日中は向こうで過ごすんですのよ」


「ん? 暑さに弱いんだろう。いくらオアシスの周りは多少涼しいと言っても、耐えられないんじゃないのか?」


 この質問を待っていたとばかりに、ふふんと満足げに鼻を鳴らすシンメル。


「あちらではアリの巣にお邪魔しますの」


「え?」


「同じく夜行性のアリで、彼らは夜中に砂漠を飛び回り、昆虫や小動物の死骸を分解回収して巣に戻り、昼間寝ているんですわ。見た目もヨナガバチと似ていますの」


 恐らく死骸を持てるように六本足も蜂のように発達しているのだろう。同一環境で生き抜く生物たちの中には、分類を超えて形質が似通る、いわゆる収斂進化しゅうれんしんかを遂げる種たちもある。


「彼らの運搬の終わりと、ヨナガバチの蜜の採集の終わりがほぼ重なっていて、巣穴に戻るアリたちの中に混ざりますのよ?」


「へえ。それは面白いな。けどいくら見た目が似てても、バレて追い出されたりしないのか?」


「それがですわ……ヨナガバチとアリはとっても仲良しなんですのよ」


「え?」


「ヨナガバチは蓄えた蜜を少しアリたちに分けて、代わりに昼の熱い時間帯、巣穴を間借りするのですわ」


「あー。アブラムシと同じ生態か」


「アブラムシ?」


「ここら辺には居ない虫だと思うけど……アリに蜜を分け与えて、引き換えに外敵から守ってもらう生態の虫が居るんだ。俺の世界では」


「まあ! 面白いですわ!」


 目を輝かせるシンメル。飯福との会話が楽しくて楽しくて仕方ない。全身からその喜びが溢れていた。新しい知識を吸収するのも、蓄えた知識を聞いてもらえるのも、彼女にとっては最高の娯楽なのだろう。


「……それで。昼間は休んで、夜になると再び飛んでこっちの森側に戻ってくるってワケか」


「そうですわ。そして巣穴の構造も蟻と似ていまして……」


 愛らしい昆虫博士の講義はなおも続く。飯福も優しく頬を緩めながら、楽しく拝聴したのだった。


「いやあ、楽しかった。本当に11歳? 大人でもこんなに詳しく調べられないよ」


 おべっかではなく、本心だった。特にこの世界の文化水準も加味すれば、神童と言って差し支えない、とさえ思う。まあ飯福としても、得意げに話すシンメルが非常に可愛らしく、少し父性が入りかかっているのもあるが。その欲目を抜きにしても、やはり凄い、と素直に思うのだった。


「えへ、えへへへ。すごいですの? シンメルすごいですの?」


 ワタクシという対外的な一人称が抜けて、自分の名前呼びになっている。もっと小さい頃はそうだったのだろう。飯福は座ったまま手を伸ばし、再び彼女の頭を撫でる。掌に髪を擦りつけるようにしてくる感触がくすぐったくて、彼の頬は緩みっぱなしだった。


「ワタル様、今からワタクシ、ハチミツを採って参りますの! 是非ワタル様に味わっていただきたいのですわ!」


「え? キミが自分で採りに行くのか?」


「ええ!」


「大丈夫なのか? 穴の中は暗そうだし」


「ふっふっふ。ワタクシのギフト、『暗視あんし』といいまして、暗い所でもハッキリ見えますの」


 なるほど、と飯福。先程からアリの巣穴の中の様子なども見てきたように言うものだから、少し変だとは思っていたのだが。まさか本当に見てきていたとは。恐らく、オアシス側の街に泊まって観察したことがあるのだろう。


 シンメルは近くにある小屋へと向かう。飯福もついていくが、


「き、着替えますの! 殿方は禁制ですわ!」


 と追い返されてしまった。


「それは悪かった」


 先に言ってくれれば良かったのに、という言葉は飲み込む。

 五分ほど待っていると、シンメルが穴に潜る用の丈夫な素材の服に着替えて戻ってきた。頭陀袋をスッポリ被ったような貫頭衣に見える。その下に、これまた分厚い長ズボンを履いているようだ。


「行ってきますわ」


 蓋つきの編みカゴを背負い、出発を告げる。カチャカチャと音がするが、中身は恐らく空きビンだろう。

 飯福が不安げに見守る中、シンメルは穴へと潜って行った。穴の口径はかなり狭く、彼女くらいの体格でなければ、進んでいけそうもない。即ち、飯福はここで待つしかなかった。

 

 穴の周囲を意味もなくグルグルと回ってしまう。慣れた様子だったし、毒を持つ危険な蜂などではないようだし、仮に起こしてしまっても、そう酷い事にはならないハズだ、と自分に言い聞かせながら。それでも飯福は心配になってしまう。あの小さな少女が蜂の大群に襲われているイメージが脳裏に浮かんでは消え。さながら、娘の運動会を前にして「怪我しないだろうか」と気を揉む父親のようだった。


 飯福の腕時計で、15分が経過した頃だった。ズリズリと穴の奥から地面を擦る音がする。地に伏せるようにして奥を覗き込んだ彼の目に、金色が映った。やがて近くまで来ると、シンメルは飯福に気付き、土が所々ついた顔で微笑む。


「シンメル! 大丈夫なのか?」


「ええ。何度も行ってますもの」


 飯福が手を貸し、小さな体を引き上げる。髪についた土くれを優しくはたいてやった。待っている間に、ウェットティッシュでも持って来ておいてやれば良かった、と後悔する。とはいえ、いつ戻ってくるか分からず、離れられなかったのだが。


「ワタル様」


 シンメルは背中のカゴを下ろし、蓋を開ける。中からビンを取り出すと、一つ渡してくる。どうぞ、と。受け取った飯福は礼を言って、巾着を漁るが、


「進呈いたしますわ」


「けど」


 11歳の少女が体を張って採ってきた物を、29歳が「ゴチで~す」は無理筋だ。


「嬉しかったんですの。ワタクシの話をあんなに真剣に聞いて下さって、子供相手だからとテキトーに相槌打ったりもせず……」


「シンメル……」


 裏を返せば、周囲の大人はそういう対応しかしないということ。


「……そう言えば、今更だけど。ここにはキミだけなのか?」


 理解者は居なくとも、流石に王族の少女を一人きりにしているとは考えられないが。案の定、


「護衛兼侍女がついていますわ。ワタクシの邪魔をしないよう、今も隠れてどこかから目を光らせているハズですわ」


 という答えが返ってきた。飯福が周囲を見渡すと、少し離れた位置にある木の枝がガサッと揺れた。恐らく故意だろう。見ていますよ、と。軽く身震いした飯福は、取り敢えずビンを受け取った。そして。


「そうだな。おカネを受け取ってくれないなら、料理なんてどうだろう?」


 そんな提案をした。少女は目をパチクリとさせる。飯福はそんな彼女に、自分のギフト、そしてそれを使って今やっている生業について話して聞かせた。


「まあ! では異世界のお食事を頂けますのね!」


 興奮気味に飯福に詰め寄る。その小さな頭をポンポンと優しく叩いて、


「折角だから、この貰ったハチミツを使った料理にしよう。やっぱりお菓子が良いかい?」


「お肉ですわ!」


「え」


 見た目は可憐な美少女だが、ワンパクな所があるのは先刻承知。とはいえ、すっかりスイーツを頬張る彼女の姿を思い浮かべていた飯福は意表を突かれる。


「や、やっぱり変ですの……?」


「いや、そんなことはないよ」


「ワタル様と、蜂たちの出発を見送りたいのですわ。だからお菓子ではなくキチンとした夕食を……」


「大丈夫。変には思ってないから」


「本当ですの?」


 優しく笑って頷く。


「じゃあ、肉料理で作るか」


「あ、でも。ハチミツとお肉なんて……」


 パッと料理が思いつかないのか、あるいは肉にハチミツをかけただけの甘い料理を思い浮かべたか、渋い表情になるシンメル。


「いや、大丈夫だ。とびきり美味いのを作ってやる」


 飯福は軽く腕まくりして見せた。






 日本側に戻る。向こうから興味津々に覗き込むシンメルに苦笑を返し、キッチンへ。たまに客に覗かれているのは知っていたが、ここまで全力なのは最初の実験時のヨミテ以来だろうか。


「さてと」


 冷蔵庫を開けて材料を確認する。実際、ハチミツが手に入ったら、自分用の夕食に作ろうと思っていたメニューだったが。もしかしたら異世界人と一緒に食べる事になるかも知れないと多めに用意しておいたのが吉と出た。なんだかんだ、休日でも誰かに料理を出すことを考えてしまうのは、生来からそういう気質なのだろう。


 食材を全て取り出す。

 まず鶏もも肉二枚を、一口大に切り揃えていく。厚めの塊には火が通りやすいよう、軽く切れ目も入れておく。下味用の塩コショウ、小麦粉を適量まぶす。次いで、粒マスタード大さじ1、貰ったばかりのハチミツ大さじ1、醤油小さじ2、レモン汁適量を混ぜてハニーマスタードソースを作っておく。

 フライパンに油をひいて肉を投入。両面にこんがり焼き目がつくまで焼く。十分に火が通ったら、一旦よけ、フライパンの油をキッチンペーパーで拭き取る。その後、肉を戻し入れる。更に、ハニーマスタードソースも投入。肉と絡めながら弱火でじっくり熱して完成。


「飯も炊けてるな」


 あちらに行く前に炊飯器のスイッチを押しておいたのだが、正解だった。

 二人分の椀によそい、皿に盛りつけたチキンと一緒にトレーに乗せた。

 慎重に歩いて、クローゼットを開ける。シンメルがオロオロしていた。飯福の再来の光を浴びて、眩しそうに目を細めながらも安堵したように口元を緩めていた。中々、器用だ。


「ワタル様!」


「お待たせ」


 飛びついて来そうなシンメルを目で制止する。皿を引っくり返したら大変だ。


「ワタル様、そちらの小屋に」


 先程、シンメルが着替えに使った丸太小屋だ。まだ夕日が照っている時間帯だが、食べている間に暗くなってきそうなので、確かに屋内が正解だろう。二人で、中へと入った。木のテーブルの上にトレーを置くと、向かい合わせで着席する。嵌め殺しの窓から差す夕日は、やはり少しかげってきている。


「白の大神セレス様。お願い申し上げますわ」


 室内に配置された白のマナタイトが一斉に光る。


「さ。いただきましょう!」


「ああ。どうぞ、召し上がれ」


 早速、シンメルが箸を持ち、鶏肉を一つ掴んだ。ネチョッとしたソースに少しだけ躊躇ったが、


「美味いぞ」


 と、飯福に太鼓判を押され、パクリと口に入れた。途端、クリクリの愛らしい目が、驚きに見開かれる。それでも口の中の物を咀嚼、嚥下し終えるまで言葉を発さないあたり、よく教育されているようだ。ゴクンと喉を鳴らし、


「す、凄まじいですわ! なんですの、これ! 鶏肉は信じられないくらい柔らかいし、皮も臭みがありません! そして少し辛い粒々と、ワタクシ自慢のハチミツの甘さと……塩と香辛料! なんと複雑な味を形成していますの……」


 早口に捲し立て、最後はウットリと目を蕩けさせた。

 飯福も鶏肉を箸でつまみ、口の中へ。いい塩梅だった。マスタードの辛さとハチミツの甘さが共存しつつ、互いの主張も消えていない。更に(味見段階で分かっていたが)このハチミツにはキンモクセイのような香りと、キウイのような新鮮な酸味が感じられる。一風変わった匂い、味だった。これらが面白いアクセントを生んでいるのだ。そしてそこに塩コショウを含んだジューシーな肉汁が合わさる。


「ん~~~」


 再び肉を頬張ったシンメルが至福のうめき声。そのままライスの椀にも箸を伸ばし、一口分、口へ運んだ。


「ライスとも合うだろう?」


 コクコクと頷いて返すシンメル。その唇の端に、マスタードの粒がついていた。飯福は優しく笑いながら、ポケットからハンカチを取り出し、拭いてやる。


「ん~」


 嬉しそうに笑う少女に、飯福も笑顔になる。マナー云々は、こんな森の中の小屋内では、気にしても仕方のないことだ。

 それから二人はペロリと平らげ、食休み。飯福が各国で見た物、出会った人々、触れた文化、そういった物を話すと、シンメルは目を輝かせながら聞き入っていた。思えば、飯福がクローゼットから出たきた時も、警戒より突進を選んだくらいなので、何事に対しても好奇心がすごく旺盛な少女なのだろう。


 鐘が鳴る。八回。午後八時だ。話し込んでいる間に、辺りはすっかり暗くなっていた。シンメルが椅子から立ち、パッと玄関に走る。蜂が動き出す時間だと言うのだ。飯福も白のマナタイトを一つ貸してもらい、続いた。


 小走りに先導するシンメルは本当に暗視ゴーグルでも着けているかのように、迷いがない。マナタイトの光で前方を照らしながら、飯福はせっせとついていく。そして巣穴の近くまで辿り着くと。


「……おお」


 三つの穴から、一斉に蜂たちが飛び立っていくところだった。砂地に溶け込むためだろうか、飯福が知る蜂の体色より、黄色が薄い。そんな個体が群れをなして、ブーンと羽音を立てながら砂漠へと向かう。


(まあ、うん。キレイな光景とかじゃないんだけどな)


 所詮は蜂の大移動である。むしろ人によっては鳥肌モノという可能性も。だが、


「いってらっしゃいですのー! 鳥に気を付けるんですのよー!」


 小さな体でピョンピョン跳ねながら見送るシンメルが可愛らしく、まあいいかという気持ちにさせられる。


(それに実際、圧巻だよな)


 言葉も介さず、あれだけの数が意思統一されている。生命の神秘を感じさせられ、飯福はしばし見入った。と、彼の体の側面にピタリとシンメルがくっつく。寒いのか。はたまた寂しいのか。多くは語らないし、聞かなかったが、恐らくこの虫愛ずる姫君は随分な頻度で独りぼっちなのだろう。


「ワタル様も、もう行ってしまうんですの?」


「……また会いに来るよ」


「本当ですの?」


「何曜日にここに居るんだ?」


「月、水、土ですわ。その他は王城でお勉強させられてますの」


 させられている、という直截な物言いに飯福は笑ってしまう。まあこの少女にとっては、虫や生物の観察をしている方がよほど楽しいのだろうから仕方ないことかも知れないが。


「王城に来てくださっても大丈夫ですのよ! ワタル様のことは話しておきますわ!」


「そうか。黄の国の王城か。行ったことないな」


「案内いたしますわ!」


 小さな手でキュッとズボンを掴まれる。随分と懐かれたものだった。


「ハチミツのビンも、残りは全部差し上げますわ! ワタル様の素晴らしい料理のお代ですわ! だから必ずまた……」


 飯福はしゃがみ、彼女の頭や頬を撫でてやる。


「今度は甘いお菓子を作ってあげなくちゃな」


「ワタル様……!」


 次の再会と、まだ見ぬ菓子への期待に、クリクリの可愛らしい瞳を輝かせる。最後に優しくハグを交わして、飯福はクローゼットをくぐった。両手には沢山のハチミツ入りビン。


「今度、他の国に行ったら、珍しい虫でも探してみるか」


 生態を記録して持って行ってやろう、と。

 自分が知らない虫の話に大喜びする姫君の姿を思い浮かべて、飯福はまた頬を緩めるのだった。

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